意味のない饒舌
「ここが灰炉組合の本部、灰炉館……」
クラリスの声に目を向ければ、見上げるほど大きな建物が目に入ってくる。
とはいえ視界に全てが入り切っているわけではなく、その全貌はもう少し離れてみなければ把握することが出来ない。それほどに立派。
これが灰炉組合の本部だというのか、想像だにしていなかった光景にエルもクラリスも呆然と眺めてしまう。
五階層はあり、各階に大量の窓が取り付けられているもののそこから中を伺うことはできない。
――――これはいったいどういうことなのか。
「んん、もしかして道間違った?」
「いえ……、話を聞く限りここが灰炉館だそうなのですが……」
何かの間違いかと通りがかった通行人に聞いてみても返ってくるのは肯定の言葉。
だが、ここが街の職人たちが集った組織『灰炉組合』の本部だとはにわかには信じられない。
目の前に聳え立つこの建物はどう見たって、
「――――貴族の屋敷にしか見えない、よね?」
エルの戸惑い混じりの声にクラリスもゴクリと息を飲むことで返事をする。
エルとしては鍛冶師やその他職人による組織だというのでせいぜい大きめの工房がある程度に考えていた。
それがふたを開けてみればどうだ。ギルドを超える巨大な屋敷が鎮座しているではないか。
早く早くと意気込んでいたクラリスも思わず出鼻がくじかれた形になり先ほどまでの鳴りを潜めている。
「こんなに大きいなんて……、王都でもここまで大きい屋敷はあまり見たことがありませんよ……!」
「流石は灰炉組合――っていうには凄すぎるよね。まさか組合の代表って貴族なんじゃ?」
いやな想像に背筋に冷たい汗が流れる。
人というのは多種多様な者がいるとはいえ、貴族なんてのは大概面倒くさい者ばかりだ。
そもそも、エル自身が当時貴族からの執拗な接触や興味のない政事に巻き込もうと画策してくるのに嫌気を指して――――と、どうでもいい過去を思い出し始めた思考を頭を振って霧散させる。
差し当たって問題なのは、今から会いに行こうとしている人物が実は結構大物なのではないか、ということ。
「貴族が後ろ盾にいる、ってレベルじゃないね。どう考えたって有力なお貴族様ご本人の御屋敷だし」
「じゃあ貴族が灰炉組合を作って、自分のお家を組合本部にしてるってことですか? 貴族が? 何のために?」
「さぁ、そればっかりは聞いてみないと分かんないけども。――――でもまぁ、冷静に考えてみたらそりゃ当然か」
クラリスの疑問に答えることはできないと放す。
貴族のやることにいちいち意味を見出すというのはあまりに不毛ではあるが、エルは己の中にある一つの考えを示す。
「この街は冒険者によって生まれた街、そうだよね? この際真偽は置いとくとして、灰炉組合はそんな冒険者の為に作られた組織ってわけだ。街を支える冒険者を支える灰炉組合。組合の存在意義っていうのは、この街じゃとてつもなく大きい。なんでか分かる?」
「え? うーん何ででしょう、武器が壊れてもすぐ見てもらえるとかですか?」
「それもあるけど、一番は――――品質の担保だよ」
聞いた話ではあるが、どうやら職人間で技術と知見の共有を定期的に行っているらしい。
タートの街の冒険者は非常に優秀だ。それはひとえにエルの住んでいる森にいる魔物と日々戦っているからなのだが、激しい戦いに身体が追いついても道具はそうではない。
短いスパンで命を預ける剣や盾、鎧を変える冒険者の為に灰炉組合が選んだのがその”共有”である。
職人同士で各々が持つ技術を共有し、共同研鑽していくことで冒険者の手に渡るそれらの質をある程度まで保証する。
個人ではなく全体のレベルを底上げすることで冒険者の生存率を上げているのだ。
「だから冒険者からすれば灰炉組合ってのはそれはもうありがたい存在なんだ。単純に、外れがなくなるってことだね」
「――――なるほど。でも、それが貴族とどう関係してくるんですか?」
不可解であると表情で語るクラリスにやれやれとポーズを取るエルにクラリスはムッと眉間に眉を寄せる。
馬鹿にされたと怒っているようだが、間違いなく馬鹿にしたのでこのまま放っておく。
「考えてみて欲しいんだけど、この街はあまりにも異質――特殊過ぎる。この街の経済は、そのほとんどが冒険者に依存してしまっている。冒険者が取ってくる資源や魔物の素材だけで街を成り立たせてしまっているんだ」
――――そんなの、街とは呼べないのではないか。
喉まで出かかった言葉を呑み込み、クラリスの様子を伺う。幸い、エルが言わんとしていたことは伝わってはいないようでホッと胸を撫でおろす。
これから街の重鎮と思われる者に会いに行くのに、街に対する余計なイメージを持たれても良いことは無い。
エルは言葉を選んで口から紡いでいく。
「あー、そうだね、ようは街の支柱たる冒険者がいなくなったら、その上にいるタートの街は簡単に崩れてしまうんだ」
「冒険者が、街の支柱……」
エルの言葉に深く考え込むように黙るクラリス。
そういえばクラリスも冒険者だったかと思い出し、しばし口をつぐむ。
「……その冒険者を支えている灰炉組合もまた大切な存在、てことですよね?」
「そうそう、街にとって冒険者というのは命綱みたいなもの。彼らを支えることが第一優先といっていい。そして、その大きい部分を担っているのが灰炉組合。ここまで言えば分かるでしょ、つまりはそういうことってわけ」
「? どういうことですか?」
「ま、君はわかんないよね」
一から十まで言ってやらないと分からないのかと呆れてしまう。
また馬鹿にされたと感じたようで顔を真っ赤にして不満を全身で表現しているクラリス。
ドタバタとその場で器用に暴れていたクラリスだが、通りすがりの女性に微笑ましそうに笑われて今度は羞恥に頬を染めて動きを止める。
そんな一人寸劇を見事に全スルーしたエルはゆっくりと道の先の屋敷――――灰炉館へと目を向ける。
タートを築いた冒険者。そして冒険者を支える職人たち。その為の灰炉組合。
確かに、利を考えるならば貴族が関与していたもおかしくはないといえる。問題は、どこまで関わっているか、だ。
とはいえ屋敷を目前に足が竦んで長々と話していたような気もするが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
時間は有限なのだ。こうしている間にもギーサは遠く離れてしまっているかもしれない。
陰鬱な心持ちのままにエルは灰炉館へと歩みを始める。
「ちょ、ちょっとエルさんもう行くんですか? 私まだ心の準備が……」
「そうは言っても館の前でずっと立ってたら変に怪しまれちゃうでしょ。どうせ行かなきゃいけないんだし、ほらさっさと行くよ」
「話始めたのエルさんじゃないですかぁ! 置いてかないでくださいよもう!」
ここへ来るまでに比べたら随分とノロノロとした行進。
エルの陰鬱とした心境が反映されたその歩幅は、ゆっくりと着実に灰炉館との距離を縮めていく。
そうしてやがて、屋敷の門までたどり着いてしまう。
できればこのまま一生たどり着かなくてもよかったのだが、着いてしまったものはしょうがない。
気持ちを切り替え、門の外から中の様子を伺う。
中は館までまだそれなりに距離があるようで、見事なガーデニングが施された庭と小さく点在した噴水が一杯に広がっている。
どこからどう見ても貴族の屋敷そのものだ。
「はー、広いですねエルさん。まるで貴族の御屋敷みたいです!」
「はい同じ感想をありがとう」
適当にあしらったエルの言葉は耳に入っていないようで夢中になって門内を視線で右往左往しているクラリスを置いて中へと入っていく。
少し意外に思ったのが、外門に門番がいなかったことだ。エルの予想通りこの先にいるのが貴族に連なる者ならば、一人や二人門番がいてしかるべきと考えていたのだが。
どうやら当てが外れたらしい。とはいえ、それで貴族でないと断定はできないが。
「――――着いたね」
そうしていつの間にか横に来ていたクラリスと静かに歩くこと数分。敷地の中だというのになんて広さだと辟易としながらも、なんとか正面玄関へと辿り着く。
隣のクラリスは緊張しているのか黙りこくっているが、さほど気にする必要もないだろう。
「鬼が出るか蛇が出るか……、何事もなく事が進んでくれることを祈ろうか」
一度心を落ち着かせ、一息ついたところで扉のベルに手をかける。
耳障りの良い程よい高さの琴音が響き、しばしの沈黙が流れる。
どれほど待ったか、長いようで短い時間のうちに扉の向こうから足音が聞こえてくる。
「クラリス、緊張しすぎもよくないよ。落ち着いてね」
「わ、分かってます!」
本当に分かっているのか、いまだガチガチな体のままだ。
てっきり彼女は貴族とかそういった類には慣れてると思っていたのだが、この様子を見るにそういうわけでもないようだ。
それとも目に見えての緊張は貴族ではなく、別の何かなのか。
訝しむようにクラリスの様子を伺っていると、ガチャリと屋敷の扉が音を立てて開いた。
「――――――――」
開いた玄関から出てきたのは、俗にいうメイドだった。
女性、というよりは少女の方が近いだろう、年齢はおそらくはクラリスのいくつか下くらい、といった感じ。極端に露出の少ない本格派メイド服もその見た目年齢では可愛らしいが正しい表現だろう。
前髪は眉にかかるほど、後ろは背中にまで伸びている髪を一つにまとめており、その真っ黒な髪色のせいか活発というよりかは落ち着いた印象になる。
その雰囲気を助長するように、髪と同じ色の瞳が薄く開けられた瞼からじっとこちらを見つめている。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も何も喋らない。言葉を発しない。
エルが対応してくれると思ってるクラリスと、出てきたメイドを見て予想が確信へと変わり現実逃避を始めだすエルと、来訪者二人に対して何のアクションも起こさないメイド。
会話の切り出しに失敗したことで唐突に訪れた沈黙にエルとクラリスは若干の気まずさを覚えるが、目の前のメイドさんはそうではないらしい。眠たげな半開きの眼で二人をジッと見続けている。
まず最初に根を上げたのはクラリス。あまりの気まずさに一番に口を開いてエルへと救難信号を送る。
「え、エルさん、早く話してくださいよ……!」
「えぇ僕? 君の件なんだから自分で話せばいいのに……」
エルの言葉で逃避していた現実へと強制的に引き戻されたエル。他力本願なクラリスに口を尖らせつつ頭を掻く。確かに呼び鈴を鳴らしたのはエルだし、出てきたメイドの子に対して黙りこくってしまったのも印象は良くはないだろう。
内心、目の前のメイドに対しても何故何も喋らないのかと思ってしまうが、ここで対応を間違えれば余計な手間が増えるだけなのは考えるまでもない。ここは大人として、大人の対応を心がけよう。……はたから見れば、エルが一番年下に見えるのだが。
さて、と改めて目の前の少女を見やる。
出鼻から思わず現実逃避してしまったが、やはり間違いなくしっかりとしたメイドだ。彼女の身にまとうメイド服は何とも見事に上質なもので、それは他人が見て取れるほどである。
分かりやすく高品質を誇示するようにあつらえたであろうそれは、まさに貴族のやり方と言っていい。今もなおそうであると断言できるわけではないが、少なくともエルが知っているかつての貴族の中には同じような手段で己の位を表現している者がいた。
身の周りに侍らせている者のあれこれを周囲へ見せることで己の格を表すという、なんとも回りくどい考えだ。
その見立てが間違っていないのであれば、それはやはりエルの当たってほしくない予想が的中したということだろう。
――――さて、いちかばちか、か。
「――――あーっと、ごめんね黙りこくっちゃって。実は僕たち、灰炉組合の代表と話がしたくてここまで来たんだ。アポとかはとってないんだけど、こっちも急ぎというか火急ではあるんだ。本当なら前もって知らせるべきなんだけど、ほら! ちょっと色々とゴタゴタしててさ。急に来て悪いんだけど、話を通してもらうことはできるかな? いやいや、別に悪い話じゃないんだ。僕たち二人の、ちょっとしたお願い事が聞いてほしいだけなんだ。突然こんなことを言われても判断に困ると思うし、実際に話を聞いてもらえるか君の雇い主に聞いてきてもらえないかな? う~ん、それまでちょっと時間もかかるだろうし、それの是非が分かるまで応接間のような場所で待たせてもらえると僕としてはありがたい。いやぁあはは、さっきも言ったけど急いでてね。さっきまで走っていたもので、実はこう見えて疲れてるんだ。今も可愛いメイドさんの前でだらしなく息切れしている姿を見せないように必死さ。そうだ、ついでに美味しい紅茶なんかも貰えるかな? あの芳醇な香りが僕はたまらなく好きでね。あぁいや、わがままを言って困らせるつもりはないんだよ、あくまでお願いなんだ。どうだい、僕たちの話に耳を傾けてくれるかな?」
第一声目から勢いはクライマックス。アクセルをべた踏みしてフルスロットル。道なんて関係ないと言わんばかりにまっすぐ突っ切って正面突破。
初手のミスを取り戻すように矢継ぎ早に言葉を連ねて相手に隙を与えない。自分自身すらの息継ぎを捨て脳で考えるよりも早く口先を動かし、らしくもないような陽気な表情と身振りも併せていく。
横にいるクラリスが盛大に驚いているのが気配で分かるが、今は知ったことではない。
似合わないフレンドリーさと、もはや早口言葉と化している言葉で相手を圧倒し、まくし立てていく。慣れない言い回しに言いようのない羞恥心がジワジワと心のうちに広がっていくが、おくびにも出さず最後まで貫いて見せる。
エルは、奥にいる相手は下手な下級貴族より上の人間であると確信している。これだけ大きい屋敷に、辺境の地で似つかわしくないほど高級な素材で作られた衣装を身にまとうメイドなんかまさに、だ。相手は間違いなくそれなりに力を持った貴族。
となれば素性の知れない者が唐突に来て会えるとは到底思えない。
一応、面会する手立てはクラリスが持っているらしいが、そもそもの時点で門前払いされては元も子もない。長くこの街に住んでいたならまだしも、二人はタートの街に来たばかり。顔も知られてなければ、余所のどこの誰とも知れない相手だ。そうなる可能性はおおいにあるだろう。
即ち、ここで求められるのはクラリスの策を通すまでの状況作り。なんとかこのメイドの子に屋敷の中に入れてもらい、その後の判断を上の者に仰ぐところまでもっていけたらこちらの勝利だ。
それ故の、唐突な思い付きによる勢いによる力押しだが、果たして結果は――――
「……窓から見てた。走ってない、道の真ん中でずっと喋ってた。……予定にない来訪は基本的には相手しなくていいって言われてる。――――紅茶も出さない」
――――敗退である。
◆◆◆◆◆
「今日誰か来るなんて聞いてない。聞いてないから、相手しなくていい。……嘘つきも、相手しなくていい」
抑揚のない平坦な声で淡々と話すメイドの女の子に、意外と声は大人っぽいんだ、と場違いな感想を抱く。
依然感情の読みにくい表情のこのメイドは、前に立つクラリスとエルの二人を交互に見て何の心当たりもないと突き放す。
取り付く島もないといった冷然な態度を示すメイドに、エルは己の失策を痛感させられる。
恐れていた懸念がまさに的中した。
ギーサの情報を求めて灰炉組合まで来たが、実際こちらの要求を素直に聞いてくれる確証はなかった。二人がよそ者であることを考慮すれば、ハッキリ言って分が悪い賭けではあった。
しかし、そこに関してはクラリスに腹案があるという。なればそこに関しては任せてしまえばいい、とエルは考えた。
問題は交渉の機会すら得られないことだ。
エルの予想では、灰炉組合の代表は貴族である。普通であれば、貴族に対しアポ無しの謁見などそうそう叶うわけもない。もちろん絶対無いとは言えないが、そこに関しても再び二人の立場が影響してくる。望みとしてはあまりにも薄い。
故に、クラリスの交渉にまで繋げるのがエルが考えた己の役目だったわけだが、
「…………なるほどね」
「なるほどね、じゃないですがっ!? ちょっと何してくれてるんですかエルさん第一印象最悪ですよ!?」
ファーストコンタクトを盛大に外したエルに横から責め立てる声が突き刺さる。
いたって真っ当な糾弾の声に何も反論することが出来ない。バツが悪く、耳も痛い。どうしようもないほどに正当性を持ったその声にエルは耳を塞ぎこみたくなるところをすんでのところで我慢。
反転、真っ青な顔になっているクラリスの顔を冷ややかに見つめ返す。
「うるさいな、僕だって頑張った結果じゃん。むしろ、あの名演技を褒めて欲しいくらいだよ。見た? 爽やかな青年って感じで中々良かったでしょ?」
「胡散臭さしか感じませんし、あまりにも見た目に合わな過ぎて気持ち悪いです! ――ってそんなことはどうでもいいんですよ!」
どうやらエル爽やか陽気バージョンはお気に召さないようだ。エルとしても自分でやってて無いなと感じていたので何の問題もない。ちょっとばかし、ほんの少し、小指の爪ほど傷付いてはいるが、極小のダメージは実質ノーダメージみたいなものなので何の問題もない。ないったらない。
「どうするんですかエルさん! このままじゃ私たち、灰炉館にも入れずにギーサさんの手掛かりもゼロですよ!」
「それは困るね。これ以上余計な時間も使いたくないし、――――ね、メイドさん。ホントにちょっとだけでいいんだ、どうか入れてもらえないかな?」
いまだ玄関の境を隔てたところで無表情に眺めているメイドの少女に向き直り、そうお願いをする。
始まりのコミュニケ―ションこそ誤ってしまったが、まだ取り返しはつくはずだ。むしろついてもらわないことにはどうにもならない。ここはなんとしてでも乗り切らなければ。
「旦那様は忙しい。先触れのない来客には対応しないよう言われている。旦那様と話がしたいなら、事前に知らせた上で許可を貰う必要がある」
「今時そんなオーソドックスな貴族がいることに驚きだよ。世の中柔軟性が大切だと思わない?」
「今は必要ないと思う」
「それは否定できない」
毅然として意見を曲げないメイドの少女。その態度に一縷の望みも見つけることが出来ず閉口してしまう。
違う切り口が必要か、何か手はないかと考えて――――ふと、会話はできていることに気付く。
灰炉組合代表との謁見こそ叶わないでも、話もきかず門前払いではない。少なくともエルの言葉に返事はしてくれる。
「対話が出来ている、ならクラリスの交渉まで繋ぐっていう僕の役目は終わってるんじゃ……? ――――クラリス!」
複雑に物事を捉え過ぎた、と反省を心に留め、この状況を変えるであろう一手を持つであろうクラリスを呼ぶ。
エルとメイドの少女の会話に一歩を引いていたクラリスは急に呼ばれたことに不審な顔をしながら、
「はい?」
「君、話をつけれる手はあるって言ってたよね?」
屋敷の、特にメイド少女を背にして小さめの声量で問う。問われたクラリスは言葉の意味を理解するのに数秒、されどその真意までは測りかねたようで疑問を顔に出す。
「多分、ですけどね。これを話せば、会ってお願いも聞いてくれると思います」
「多分ってクラリス、君あんなに自信満々に……」
「やってみないと分からないんですからしょうがないじゃないですか!」
ここに来てのあやふやな態度にエルも苦い顔をする。が、あれこれ言っても仕方がない。
この場をどうにか出来る最後の望みがクラリスの案なのだ。もうそれに頼るしかない。
「あのメイドさん、通してはくれないけど話はしてくれるみたい。なら交渉は出来るんじゃない? 君の言う案を試してみなよ」
背後にいるメイドの少女を親指で差す。
クラリスがつられて差した方を覗くと、首を傾げたメイドの少女と目が合う。その無感情にも、冷徹とも見て取れる目に背筋を冷やし、身体に走る悪寒に喉を震わせながらエルと同じ方を向いて、
「ダメダメ、ダメです! 本当は誰にも言っちゃダメって言われてるんです!」
「――――はぁ!? 何をいまさら言ってるのさ! 言っちゃダメって、それじゃ一体どうするつもりだったのさ」
「私は代表の方に話すつもりだったんです! まさかそもそも会えないなんて思わないじゃないですか!」
「いやいやいやいや……」
衝撃の告白に一瞬頭が真っ白になる。
聞き間違いでなければ目の前のこの”馬鹿”は、灰炉組合の代表が面会に応じてくれるのを当然の前提として考えていたというのか。
確かに相手が貴族というのはここにたどり着いてから発覚したことだ。したことではあるが、そうでなくても相応の規模の組織なのは分かり切ったことだというのに。
信じられない物をみるかのように愕然とクラリスを見ると、当のクラリスも不満ですと隠すことなくエルを見返す。
「そもそも、変な話し方をしたエルさんのせいで拗れちゃったんじゃないですか! 今からでも素直に謝って、話を聞いてもらいましょう!」
「うぐっ、それを言われたらその通りなんだけども……、はぁ分かったよ。ひとまず君のは奥の手ってことね」
痛い所を突かれてしまったと顔を顰めたエルだが、ここで言い争っても仕方がないと諦める。
深めの深呼吸で息を整え、ゆっくりと振り返って目下の強敵と視線を合わせる。
相手にしなくていい、なんて言っていた割には会話もしてくれるし、こうしてこちらを待っていてくれている。どうやらいい子ではあるようだ。
再度、改めて目の前のメイドの女の子を見やる。
先程はその外見しか観察していなかったが、いくつか言葉を交えることでその内面も大雑把な形だけだが把握出来てきた。
本人曰く、エルたちが中に入れないのは先触れで伝えず、旦那様とやらの許可が取れていないから。それ自体は相手が貴族ならばそれ程おかしなことではない。
ただ、『相手しなくていい』と使用人に伝え、使用人もまた主人に確認せずに追い返すというのは中々ないだろう。それこそ、こうして訪ねてきたのがより身分の高い者だった場合、かなりまずいことになるだろう。
「いや、そこは普通にそうじゃないって見破られてるだけ、かな」
見た目からして貴族らしからぬ装いの二人だ。その線は捨てての門前払いということだろう。
ならば今この時まで対応を続けてくれているのは何故なのか。恐らくはそれはただ単に彼女の人が良いだけなのだろう。
先ほどの会話でも、特にエルが嘘をついたことに目くじらを立てていた気がする。それならば、やはりエルの最初の行動はかなりの悪手を選んでしまったというわけだ。
その上でまだチャンスがあるとすれば、クラリスの言う通り素直になるのが一番、か。
そうと決まればエルの行動は早い。メイドの少女に向き合い、その目をまっすぐに見て、
「さっきは適当なこと言ってごめんね」
「……意味のない嘘だったから許す」
子供のようなやり取りで二人の間にあるわだかまりを解消する。
さほど怒ってはいないようだが、何分表情に変化がないので分かりづらい。とはいえ、何とか許しは得たのでホッと一安心。
問題はここからだが、打てる手はそうない。どっちに転ぶにしろ、エルが出来ることはたった一つだけ。
この場に第三者がいたならば、そもそも意味不明な余計なことをせずに最初からそうしろと言っていたに違いない。
エルは謝罪の後にバツが悪いのを隠すように、ここへ来た原因を簡潔に言葉にする。
「実は、この街の鍛冶師を名乗る人に騙されて武器を奪われたんだ。挙句命を落としかけもした。僕たちは、その鍛冶師を探している。灰炉組合なら何か知っているんじゃないかってここに来たんだ。どうか、話を聞いてほしい」
情報を求めて、力を貸してほしいと頭を下げる。後ろでクラリスも慌ててお願いしますと頭を下げる。
何の捻りもない言葉だが、今さらながらに最初からこうすれば良かったと冷静な思考がめぐる。相手が貴族と分かり表には出ずとも動揺をしていたのか、どちらにせよ言い訳にしかならないが。
数秒、いや数分かもしれない。体感でやけに長く感じた沈黙は、一回目の時よりは気まずくはなかった。
頭を上げて感情の映らない、しかし目だけはやけに眠たそうに見えるメイドの少女と視線を交わす。その目の奥で何を考えているのか、静かな時間だけがじわじわと世界を支配し、咥内に渇きを生んでいく。
次の言葉は紡がず、ひたすら相手の反応を待つ。
目を逸らさず、真正面から向き合って、そして――――、
「……客室に案内するから、着いてきて。紅茶、出してあげる」
――――逆転勝利である。
長い間一人森の奥で引き籠っていたエルは、今では立派なコミュ障です。
言動に若干違和感を覚えるかもしれませんが生暖かい目で見てあげてください。




