目覚めの言葉
「――――知らない天井です」
確かこういう時はそう言うらしい、と目覚め一番にどうでもいいことを考える。
まずはなるべく静かに意識を覚醒されること。間違ってもバッと起き上がったり、ベッドの上でゴロゴロとしてはいけない。
それがこのセリフを言う条件である。
しかし残念ながら意識してのことではなかった。もともと、彼女の寝相は決して良いほうとは言えないのだが、今回ばかりはそれは発揮されなかったようだ。
体の中に残る僅かばかりの倦怠感とそれを覆い隠す妙なすっきり感が体内を占めている。
それによって寝ながら暴れることもなくやけにはっきりとした意識の覚醒を促し、寝起きの彼女に冷静にさせるだけの思考能力を与えるに至った。
「しかもこのお布団、すっごくふわふわです」
冴えてきた頭で現状把握をするより早く体を包むその感触に思考が持ってかれてしまう。
今まで使ってきたどのベッドよりも柔らかく己の身体を飲み込み、ふわふわなそのシーツで体をとろけさせてしまうほど。
「しかもしかも、これ真っ白すぎませんか。こんなの汚したら一生借金地獄ですねぇ……」
見た目も、触り心地もとい寝心地も極上のこの一品。購入はもちろん、クリーニングや弁償だけでも一体どれほど値が張るのか想像もできない。
「まぁでも、こうして使わせてもらってるわけですし、全力で甘えさせていただきましょう」
せっかくのチャンスである。ここぞとばかりに身の丈に合わぬ快楽に溺れよう。
幸せな気分に包まれながらもう一度目をつむり、沈み込む半重力に身を委ねる。脳内の端のさらに向こうのほうで思考されてる、汚した時の弁償代を見て見ぬふりをしながら。
「――――さて、そろそろホントに起きないといけませんね」
時間にして数十分。未知の快楽もとい、高級なベッドの感触を存分に堪能した彼女はようやくその体を起こして本当の意味で起床する。
上体だけを起こした彼女は一度ぐるりと部屋を見渡し、周囲をくまなく観察していく。
「はい、予想通り知らないお部屋でした」
ベッドの上質さからイメージしてたものとは違い、そこは普通の部屋であった。木造の家に、シンプルな机と本棚。中に丁寧に飾られている本はパッと見て難しそうなものばかりで彼女の興味を一瞬で消してしまうが、いたって普通の部屋であろう。
いや、よくよく見てみれば部屋全体に敷かれている絨毯がちょっとおかしい気もする。一般的な平民の木造家の一室に不似合いなほどの綺麗なカーペットが敷かれてある。触れなくても分かるその艶はまさに貴族をあつらえるようなものと同等かそれ以上か。
ベッドも含めたそれらのアンバランスさが妙な違和感を生んでいた。
「貴族の家……? にしては、ちょっと違うような……。不思議なお部屋ですね。名残惜しいですが、動きましょう」
後ろ髪を引かれる思いでベッドから足を出し、柔らかな絨毯の上に立ち上がる。
何ら傷のない手のひらを見つめ、次に肩や腕を回し体のあちこちを触って異常がないか確認する。幸い、どこも痛むことなく外見上は万全の状態であると言える。
「どこにも傷がない……。どうやら治療されたみたいですね」
あまり鮮明に思い出したくない記憶を掘り返し、その時あったであろう数々の傷が全て癒えている事実を認識する。はたしてそう簡単に治るほどの軽症であっただろうか。はたまた、傷が自然完治するほどの時間を眠っていたのか。
考えても仕方ないことだとサッと思考を切りかえてもう一度部屋を一巡し――――止まる。
「……ふう。ずっとここにいるわけにもいきませんし、仕方ありません。そう、仕方がないのです」
勝手に動き回るのはよくないのだろうが、助けてくれたであろうこの家の持ち主を探すためなので仕方ない。そう内心で言い訳しながら目線の止まった先――――部屋のドアの前まで行き手をかけ、外に出る。
その扉は力を入れるまでもなく音を立てず滑らかに開いた。
◆◆◆◆◆
「目が覚めたんだね」
眠っていた部屋から出て廊下を渡り、まっすぐの部屋に入ってきた彼女を迎え入れたのは少し幼さの残る少年の声。大人というには高く、子供というには低いその声に無性の心地よさを覚えてしまう。
声の出所に目を向けると、そこには一人で使うには少し大きめのソファの真ん中に深く腰掛け、本を読んでいる黒髪の少年がいた。
男の子にしては長めの黒髪はうなじほどで綺麗に切り揃え、癖っ毛なのだろう毛先がところどころ跳ねている。前髪は目にかからんとし、その奥から覗く目はこちらではなく手元の本へと向いている。
しかしすぐに目の前の少年は本から視線を上げ、この部屋への来訪者たる彼女へと目を向ける。
「――――ッ」
長いまつ毛の奥で、灰色の瞳が静かに光る。
その視線が彼女を捉えた瞬間、胸の奥がひやりと震えた。
まるで心の底まで見透かされているような錯覚。
呼吸を忘れ、反応が遅れる。
「うん? どうかしたの?」
「っ……あっ、い、いえ! あの、勝手に歩き回ってしまってすみません!」
慌てて頭を下げる。
目と目が合っただけで思わず息をするのを忘れてしまった。見惚れていた、とはちょっと違う気もするが恐らくは自分を助けてくれた相手。初っ端から無視を決めてしまうのは非常に印象が悪すぎる。
「うん? あぁ、いやいいよ。それより、身体のほうは大丈夫?」
「あ、えと、はい大丈夫です。どこも痛くないです。あなたが助けてくれたんですよね、ありがとうございます!」
ガバッと大きく頭を下げるオーバーアクションに少年はクスリと笑う。
チラリと覗けば口に手を当て薄く微笑んでいる少年の優美な振る舞いに心臓が一際大きな音を立てて暴れまわる。
「なに、偶然だよ。何だか森が騒がしいと思ってね」
「それでも、あなたに助けられていなければ今頃どうなっていたか……」
「気にしなくていいさ。一応傷は一通り治したんだけど、それでも疲労は抜けてない。こうして意識を戻すのに三日もかかったんだ。色々聞きたいことはあるだろうけども――――」
瞬間、彼女のお腹から空腹を知らせる鐘の音が鳴る。
全身からブワッと汗が吹き出し、頬が熱を帯びていくのがはっきりと感じる。
擬音としてはきゅ~、といったところだろうか。
そんなどうでもいいことを考えながら羞恥と混乱で大パニックを起こしている自分の脳内を無理やり抑えつけ落ち着けさせる。
「――――うん、お腹すいてるだろうと思って準備はしてたんだ。ちょうどいいし、食事にしようか」
「…………はぃ、すみませんありがとうございます…………」
少年は手元の本をそっと置き、軽く指を鳴らした。
その瞬間、部屋の奥からふわりと湯気が漂ってきた。
香ばしい匂い。
温かい匂い。
それにつられ再びお腹からがきゅう、と音を奏でてしまうのは致し方のないことではないだろうか。
「…………」
絶対聞こえているだろうが、わずかの聞こえていない可能性に賭ける。そうでもしないと今にでも恥ずか死んでしまう。
そもそも、少年の言う通りならば三日間も寝込んでいたらしい。つまりはそれほど迷惑をかけたということだが――――とりあえず、数日もの間何も口にしていないということになる。
よくよくしてみれば確かに強い空腹感と栄養失調からくる倦怠感があった。
――――ならお腹が鳴ってもおかしくないですね! しょうがないことですしょうがない!
そう己の羞恥と戦っていると、部屋の奥のほう――おそらくはキッチンと思われる方から数々の食器が一人でに宙を浮き、次々とテーブルへと並べられていく。
幻想的とも思えるその光景に先程の痴態と言訳を忘れ、ただただ茫然とその様子を眺めてしまう。
スープ。
焼きたてのパン。
香草の香りが漂う温かい料理。
最後に手元にフォークとスプーンが運ばれ、食卓が完成する。
「目覚めたばかりで動くのもしんどいだろうし、まずは食べたほうがいい。大丈夫、料理は逃げないよ」
「……っ」
いやまずはさっきの現象に突っ込ませてほしい。
そう頭の中の困惑と疑問がしかし、もう一度食卓に目を向けた瞬間にはすべてが吹き飛んでしまった。
胸の奥がじん、と熱くなる。
優しさに触れたからか、単純に極度の空腹のせいか、涙が出そうになる。
「どうぞ。遠慮しなくていいよ」
「……いただきます」
スプーンを手に取り、スープを口に運ぶ。
――温かい。
胃に落ちていく感覚が、全身に染み渡る。
味は優しく、どこか懐かしい。
涙がこぼれそうになり、慌てて瞬きをする。
「美味しい……です……」
「そう、それはよかった。どうぞゆっくり、ゆっくりお食べ」
少年は微笑み、また本を開いた。
どうやら少年は食べないようで、謎の力で配膳された料理は全て食べていいらしい。
気が付けば無我夢中で食べていた。よっぽど身体が栄養を欲していたようで、その食欲はいまだ衰えずにいる。目の前のソファに座る少年はこちらを急かすこともなくただ静かに本を読み続けている。
そうしてしばらく、少年はそれなりのページを読み進め彼女はテーブルの上にある料理の全てを平らげたタイミング。
少年は再び本から視線を上げ、静かに言った。
「さて、それじゃあお話ししようか」
◆◆◆◆◆
「さっきも言ったけど、今から三日前。ボロボロの状態で倒れている君を見つけた」
「それより、テーブルの上にあった食器がいつの間にか無くなってるんですけど」
ほんの数秒目を離しただけのはずなのだが、もう一度目を戻した時にはテーブルの上には何もなくなっていた。
それはもう驚愕の現象に話をするどころではないのだが、彼女の突っ込みに少年は反応することなく言葉を続ける。
「このままじゃ命が危ないと思ってね、こうしてここ、僕の家に運んで治療した」
「あ、はい。その節はどうもありがとうございました。」
無視されたな、と内心で思いながら、改めて感謝とともに頭を下げる。
「でもここがあなたの家、ですか」
眠っていた部屋から出る際に目に入ってきた窓の外の景色。改めて、この部屋にもある外を映す窓の方を見てみるもそこから覗いている景色はさっき見たものと全く同じもの。
ここ何日かで嫌というほど見た。見慣れたといっていい、頂点が見えないほどの巨大樹。
家を囲むように少し開けた周辺とそれを囲うようにすぐ先にある木々の群れ。
「あぁ、僕はこの森に住んでいるんだ。どうも一人の方が気楽でね、こうしてこんな場所に居を構えさせてもらってる」
「――そ、そうなんですね……」
ずっと一人だと、目の前の少年は言う。その顔には出会った時からずっと穏やかな微笑みだけがあって、それが変わることはない。
淡々と話を続けるその姿に無性に胸が締め付けられ、言葉にならなかった空気だけが口から漏れ出てくる。漏れた空気の掠れた音が耳を通り脳に突き刺し、言いようのない苦しみだけが心中を支配する。
「あ、でも安心していいよ。この家を囲む木に――――え?」
気が付けば身を乗り出してテーブルを跨いで少年を抱きしめていた。無意識か、行動してからそうするべきだと遅れて気持ちが追いついてくる。
そうして少年の表情に驚愕の――――初めての変化を起こしたのだが、力いっぱい抱きしめている彼女の知るところではない。
「えっ、と、あの、うん? え、なに?」
「大丈夫、大丈夫ですよ……、もう一人じゃありません。ここまでよく頑張りましたね……!」
「えぇ? いや、うん……。何?」
耳元で聞こえてくる声は、ずっと一人で生きてきた孤独を映すように弱弱しく震えている。
人なんて近くには一人もいないのだろう。いつ魔物が現れるかも分からないこんな森の中で一人孤独に過ごすことの心細さと恐怖を考えれば、何をするのが正解かわからない。
どんな過去があってそうしているのか、どんな闇を抱えているのか。何も分からない彼女はそれでも、小さな子供が一人でいること、独りでいなければいけないことの絶望は理解してあげなければいけない。
取り溢そうとしていた命を掬ってくれたこの恩人、少しでも安らぎを与えることができるのであれば――――――――
「いや違うから」
「――――えっ?」
パッと押しのけられた反動でバランスを崩し、倒れるように椅子に座る。
「あの、ごめん……一人で盛り上がってるところ悪いんだけど、僕子供じゃないよ?」
「……はい?」
中腰になっていた身体を座り直し、服のしわをパッパと伸ばして佇まいを正した少年は頬を掻く。
その表情はどうも困ったようで、苦笑いを浮かべながらこちらを見ている。
「多分、変なことを想像して同情してくれたんだろうけど、僕君より年上だしここには好きで住んでるんだよね」
「……ふむ――――」
はて、目の前の少年はおかしなことを言う。その外見は確かに幼子というわけではない。しかし線は細く、その体躯は華奢な少年そのものだ。まずなにより、自分の頭一個分ほども身長が低い。顔なんて大人のような精悍さもなくきめ細かいそれはもう綺麗な肌をして――――脱線。
パッと見での外見的特徴は12~15くらいだろうか、立派な子供そのものである。なんともかわいらし――――脱線。
あぁ、そういえば世の中には外見では年齢が判別できない場合もよくあるという。なるほど、確かに言われてみれば見た目こそ子供のようではあるものの彼を包む雰囲気は静かに落ち着いていてどこかミステリアス。実はおじいさんだと言われても妙に納得できそうな不思議なオーラを纏っているように感じる。
なれば勘違いなのだろうか。確かに姿見と年齢が一致しないことはあるが、その多くは亜人で、普通の人間ではまずありえないのではないのだろうか。
いや、そもそも自身の姿を変える種族や魔法も存在すると聞いたことがある。目の前の少年もそういった類なのだろうか。
そうだとしたら大変失礼なことをしてしまった。
はてさて、何が事実で何が現実なのか分かりはしないものの、己がやらなければならないことは一つ、ハッキリとしている。
まずはそれをさせてもらうとしよう。誠心誠意、真心を込めて。
「――――すみまっせんでした!!」
◆◆◆◆◆
「――――それで、その男の人――ギーサさんっていうんですけど、その人に私の剣を預けてあるんです」
姿勢を正し、背筋をピンと立ててソファに座る彼女はこれまでのいきさつを語る。
護衛任務で近くの街へ来たこと、武器のメンテナンスのために鍛冶師を探していたこと。――あえてその目的を忘れて一日遊び惚けたことは伝えてないが、それは決して深い意味があるわけではなく不必要なことは伝えない深慮である。できる女とはこういうことを言うのだ、と見栄に見栄を重ねた虚栄心が心中を蝕むのを感じながら、彼女は続きを話す。
「中々鍛冶師が見つからない私を聞きつけてわざわざ私の元に来て、それはもう親切に対応してくれたんです!」
「ふぅん、あの街を歩いて鍛冶師が見つからないってことあるんだね」
なにやら鋭い指摘がされたような気がするが都合の悪いことなのでスルーする。視線をそらし、リズムになってない口笛を吹き誤魔化す。
それを見た少年があまりにもなあからさまっぷりに苦笑し、まぁいっかと呟いて脱線しかけた話を戻す。
「で、それで? この森にいて、生死を賭けたジャングルサバイバルをしていた理由とどう繋がるの?」
「うぐっ、それはですね……」
思い出したくもない嫌な記憶。右も左も分からない広大な森に、背後から迫ってくる捕食者の雄たけび。
無駄に背の高い大木のせいで満足に日の光も届かず、一体どれだけの時間その森にいたのかも分からない。
数時間なのか、数日なのか。時間間隔もあやふやになっていった中で自分を食べようと躍起になるものに追われ、眠ることも、あまつさえ何かを口にすることもなくただひたすらに限界を超えて駆けていた記憶。
そもそも何故、そんな事態になってしまったのか。
「ギーサさん曰く、私の剣は特殊な金属で作られているそうなんです。なので刃の研ぎ直しをしようにも普通のではダメで、この森にある希少な鉱石から採れるものでないらしく、私はそれを採りに来たんです」
「希少な鉱石? なにそれ」
「私も詳しくは……。ただそれが必要と言われたので、こうして森に入ったというわけです。こう見えて私、優秀な”冒険者”なので!」
「うん、それで君は死にかけて僕に助けられたわけなんだけどね」
「うっ、それを言われてしまっては何も言えなくなっちゃいます……」
がっくりとこれ見よがしに肩を落とし、分かりやすく意気消沈する彼女。
少年はそれを横目で見ながら顎に手をやり頭にわいた疑問を口に出す。
「なら君の剣は今そのギーサって男が持ってるってことだよね。まさか武器も持たずに森に入ったの?」
「それこそまさかです。ちゃんと違う武器は用意しました。といってもギーサさんから借りたもので、貸出用の簡易的なものだったんですけど」
「君を助けた時、そんな武器持ってなかったよ?」
「……森に入ってすぐに失いました」
「……そう」
無手で危険地帯に飛び込むような馬鹿な真似はしないという彼女に、その結果の死に体を知っている少年は何とも言い難い表情で頬をかく。
武器を持っていようと持ってなかろうと、死んでしまうのならどちらでも同じことだ。大事なのは身の丈に合わないことを見極め、自分に出来ることをすることなのだから。
その点、彼女の現状はそれを怠った結果といえる。
それが分かって居るのだろう、少年のまっすぐな視線にバツが悪いのを隠すことなくスッと目線を逸らして逃げる。
「……ま、まぁとにかく、私はその特殊な鉱石を探してここまで来たんです! ギーサさんと、私の剣の為にも何とかその特殊? 希少? な鉱石を見つけないと!」
「う~ん、鉱石ねぇ……」
彼女が立ち上がって拳を握って意気込んでるが、対する少年の顔はどこか冴えない。
再びその手を顎にやって何かを考えこんでいるようだ。
その様子に気づいた彼女はこの家の家主であり命の恩人である目の前の少年の思考の邪魔をしてはいけないと思い、静かに座り次の言葉が発せられるのを待つ。
「……いや、分からないね。結構長いことこの森に住んでいるけど、そんなレアな鉱石なんて見たことがない。君の言う、希少で、わざわざ危険なこの森に入らないと手に入らないような物なんて見たことも、聞いたこともない。全くと言っていいほど心当たりがない。申し訳ないんだけど、それに関しては力になれそうにないかな」
「――――」
そう困惑気味に告げられ、彼女はしばし閉口する。
目の前の少年はいたって真面目に、嘘なんて付いている様子なんてかけらもなく、どこまでもそれが本当のことだと思わせてくる。
「……そう、ですか。それは困りましたね……」
それが無ければ目的を果たせないし、彼女よりずっとこの場所に詳しい人がそんなものは無いと、検討が付かないと言っている。
つまり、目的の鉱石を見つけるのは不可能ということだ。そもそものお目当ての物に対する情報も少なく、広大な森の住人すら見たことが無いようなものを見つけなければいけないなんて。
それは言い方を変えただけの不可能と同じである。
頭を抱えてうんうんと唸る彼女を少年はジッと感情の映らない瞳で見つめていた。
「確かにギーサさんはこの森にあるって言ってましたし……。でもその森に住む人はそんなものはないって言ってて……。頑張って探してみようにも生きて帰れる自信もありませんし……。うぅ、私はどうしたらいいんでしょう……」
「……」
テンパり、次にどうすればいいのか分からず必死に考える彼女は気付かない。命の恩人たる少年が、今もなおずっと彼女を見つめていることに。まるで何かの答えを待っているかのように。
しかし彼女の意識は唐突に少年に引っ張られることとなる。
ひたすらに悩み続ける彼女を見ていた少年が大きくため息をついて、
「あのさ、とりあえず街に帰ったら?」
「――え?」
「僕が君を見つけてから既に三日。それ以前にどれだけ森の中にいたのかは知らないけど、少なくともそのギーサって人に剣を預けてから数日は経っている。本人も心配してるんじゃない? 一度帰って状況報告だけでもしたらどうさ」
「状況、報告……」
思い返してみれば確かに一度聞いていた。命の危険があるところを助けられ、三日も目を覚まさなかったと。それでなくても、正確には分からないでも長い時間を森の中でのサバイバル鬼ごっこに費やしたのだ。あまりにも時間がかかりすぎている。
それだけの時間が経っているのにギーサが何も思わないわけがない。
そこまで考え、彼女は次の行動を決める。
「分かりました! 私一度帰ってギーサさんにも相談してみます! きっと心配してくれてるでしょうし、このまま闇雲に探しても見つかりませんしね!」
「うん、それがいいよ」
「ありがとうございます。危ない所を助けてもらっただけでなく、色々とご迷惑をおかけしまして……」
「はいはい、それこそお気にせず、ってね」
方針は決まった。
まずはタートの街へ帰り、鍛冶師ギーサと合流する。
何日もかけて収穫なしの報告と、改めて必要な鉱石の情報を聞く。
この地に住む人が見たこともないのであれば、普通に探し回るだけではだめなのだろう。そこらへんも含めて、鉱石について知ってる本人から情報収集をしなくては。
慎重に、行き当たりばったりではだめなのだから。
◆◆◆◆◆
玄関の外に出てくるまで、何度目か分からないほど頭を下げる。同じように何度も気にしなくいいと言ってくれる彼ではあったが、それは礼を尽くさない理由にはならない。
そうして改めて周りを見渡してみると、やはり森の中なのだと再実感する。
巨大な樹の群生地とでも言うかのように壮大な樹々が聳え立ち、やっとこさ届いてくる光は大量の葉と枝に揉まれ弱弱しく足元を照らす。
かなりの時間を消費してしまった。
ここまでこの地に長居をする予定もなく、すぐに王都へ帰る予定だったのだが、何事もうまくはいかないようだ。
考えても仕方ない。
今大切なのは、大事な大事な愛剣をツルツルテカテカピッカピカの状態にすること。そしてそのために必要な情報を得ることなのだから。
「では、お世話になりました! また今度、絶対にお礼をしに来ますので待っててくださいね! 絶対ですよ!」
「はいはい、分かったってば。気を付けてね」
そうヒラヒラと手を振る少年。ちらっと見て、やはりどこか不思議な人だと感じてしまう。
この森の大地で、一人暮らしているのだという少年。――いや、本人の言う通りならば少年というのは誤りなのだろう。
見た目に釣り合わない年齢は、亜人のような長命種かはたまた精霊のような類なのか。
不思議で、分からないことはいっぱいあるが分かってることもある。
彼女は彼に命を拾い上げられ、今があるということ。
これが今生の別れではない。否、そうはさせない。
これまた不思議なことに、こうして彼と別れることに妙な寂しさが生まれてきている。初対面で、そういえば名前も知らない彼の存在が、どうしてか心中でかけがえのないものだと叫んでいる。
「なんでしょうね、この気持ち。やっぱり不思議な人」
いずれ全てが終わった時に、美味しい物でももってお礼をしに来なくては。
その時に、また色々と話を聞いてみよう。
「――――道がわかりません」
呆れた表情の彼に、こんなにすぐの再会になる予定ではなかったんです、なんて言う顔は誰がどう見ても真っ赤に茹で上がっていただろう。
◆◆◆◆◆
「――――私は今から一度街に帰って話を聞いてみます。色々報告しなければいけないこともありますし」
そう言って森の中へと消えていった女の、もう見えない後ろ姿をただジッと見つめる。
ついぞ離れる時まで感謝の言葉を繕い、壊れた玩具のように頭を上下に振り回していた女。
一時生死の境を彷徨っていたとは思えぬ程陽気に囀り、数えるのも馬鹿らしくなるほど謝罪と感謝を述べ、大手を振りながら木々の群れに飲み込まれていった女。
不思議の、とは言わない。短時間とはいえ、あれの気性は分かりやすく見て取れる。
人を信じ、己を信じ、妙なところで自他の境界線がぼやけているあれは、果たして己の在り方と相対するときまで同じく在れるであろうか。
運命を背負い、宿命を背負い、想いを背負い、邁進し続けられるだろうか。
ちっぽけなその身で、己が夢を見続けられるだろうか。
――――絶対にお礼をしに来ますので、待っててくださいねー!
脳裏に去り際の、朗らかで純真な笑顔が浮かび上がり、思考の海に沈んだ意識が戻ってくる。
これまでを知らず、これからも分からない。
だが、糸は繋がってしまった。
偶然か必然か。何の因果か誰かの仕業か。
一度繋がれてしまった糸は千切ることも叶わず、無遠慮に、無作為に、無秩序に手繰り寄せられてしまう。
だから、仕方がない。
あの子があの子の思うように生きるように、自分が自分の思うように生きるために。
覚悟とは、そういうものなのだから。
――――だからとりあえずは、
ガサリと音のなった方の、茹蛸のように真っ赤な顔で立ち尽くしている、彷徨う迷子のお嬢様を見やる。
「道がわかりません……」
「――――とりあえず、汚いから水浴びてきて」
少しだけ、この流れに身を任せてみるとしよう。




