第88話 始まりの日
「俺、エレンのことが好きだ」
「…何、言って…」
豊の目から見ても、明らかにエレンは動揺しているように感じた。
思いもよらない言葉だったのか、表情を隠すことさえ出来ていない。
「エレンのことが好きだ」
「…っ」
繰り返す豊に、静かに息を呑むエレン。
けれど、不意に廊下の片隅で息を殺してこちらを見ていたメイドたちの存在に気づき、ここが魔王城の廊下だということを思い出した。
「ちょっと、こっち…!」
「うわっ」
豊の手を掴んで引っ張り、そのまま近くの部屋へと転がり込んだ。
幸いにも、部屋の中は誰もいなくて、エレンは大きくため息を吐いた。
「お前さ、白昼堂々廊下で何言ってるんだよ…!」
「え?いや、だってすぐに言わないとエレン逃げるし…」
「…そうだけど!…そうじゃなくて…!!」
頭を抱えて項垂れるエレンに、豊は首を傾げる。
「好きなやつに、好きって言っただけだ」
「……豊、分かってる?僕、表向きは男ってことになってるんだけど」
「知ってるよ」
「…じゃあ、その好きって普通に友達として、みたいなことだよね?」
「それは違う。エレンのこと、異性として好きだ」
「〜〜っ!」
「側にいたい。笑って欲しいし、もっと頼って欲しい。それが無理なら、俺が勝手に支えたい」
こういうところが、嫌いだった。
すぐに人を信じて、まるで裏切らないとでもいうような目。
疑って、偽って、何もかもが自分と違う、この真っ直ぐな目が大嫌いで、それでいて羨ましかった。
「……簡単に言うなよ」
「え?」
「そんなこと……簡単に言うな」
エレンの手が震えていた。
「豊は知らないから言えるんだ」
「僕がどういう身体なのか」
全身傷だらけで、お世辞にも見せられる綺麗な体ではない。
「勇者としてどう生きてきたか」
貴族に擦り寄って、時には令嬢を唆して、全ては生き残るためにやってきた。
「人間領に戻ればどうなるか」
逃げ出した勇者など、一般の民衆の怒りを買うだけだ。
「豊まで巻き込む」
その時に一緒にいる豊が無事でいる保証はどこにもない。
「いつか後悔する」
一緒にいなければ良かったと、お前なんていらないんだと。
「僕はもう…期待したくないんだ」
もう、ひとり置いていかれるのは嫌なんだ。
目の奥が熱い。
ぽたぽたと、雫が落ちていく。
豊は、だらりと力なく垂れ下がったエレンの手をそっと包んだ。
「エレンは綺麗だ。思わず、見惚れちゃうくらいにな」
はは、と笑う豊。
「俺は勇者とか聖人とか、今でもピンとこない。けど、エレンはすごく頑張るし、どんな人にも優しいのを知ってる」
豊よりも小さい手なのに、毎朝鍛錬していたのを知っている。
メイドが失敗してエレンの服が濡れた時、最初に心配したのはメイドが怪我をしていないかだった。
「もし人間領に戻りたくないなら、ノクスに相談しようぜ。瘴気なんて、俺の精米でどうにかなるかもしれないだろ?」
一人で出来ないなら、他の人に頼ればいい。だって天下の魔王がいるのだから。
「それでも信じられないなら、俺が勝手にエレンについてくよ」
信じられないなら、信じてくれるまで待てばいい。
エレンは何も言わなかった。
肩を震わせて、豊の手をそっと握り返す。
それがたまらなく嬉しくて、豊はその手を自分の頬に当てた。
こちらを見上げるエレンの瞳は濡れていて、けれどその顔はどんな人にも負けないくらい眩しくて綺麗だった。
「すごく、綺麗だ」
「…っ」
込み上げてくる気持ちを抑えきれずに、エレンの額に唇を寄せた。
「エレン、綺麗だよ」
もう一度、今度は濡れた瞳のすぐ横に唇を落とす。
「エレン…」
心臓がうるさい。
「もし、本当に嫌だったら、止めて」
エレンの頭を引き寄せるように、顔が近づく。
ほんの少しだけ、唇に温かい熱がうつった。
緩む口元。
豊がそっと手を離そうとした時、エレンが豊の胸元を引き寄せた。
「…っ!」
噛み付くように、エレンの唇が豊のそれを奪う。
「責任、とってよ、ね…」
「…あぁ」
もう一度、離れてはくっついて、数えきれないほどの熱が、何度も交わされた。
豊とエレンのお話はこれで一区切りです。
次回はまた焦ったい結衣とノクスに変わります。
両思いなのに、じれじれな二人をどうか応援してあげてください笑




