第87話 猪突猛進
(あれからもう1週間か…俺もいい加減気にするのやめないとだな)
体を動かすのが一番手っ取り早い方法だ。
ガルドのところで兵士の訓練に混ぜてもらうのは、思いの外気が紛れた。
今日も混ぜてもらおうと歩いていると、廊下の先に、ここ最近ずっと探していた髪色が見えた。
(落ち着け、俺。前回は全く知らない人だった)
廊下の片隅からそっと様子を見ていると、その人物の横顔が見えた。
(エレンだ)
見知らぬ男性の兵士と仲良さげに談笑している。
「勇者の剣術って、人間領ではそんな構えなのか?」
「いや、これは僕の癖。教会の型はもっと堅苦しいよ」
「へぇ。今度手合わせしてくれよ」
「いいよ。負けても知らないけどね」
エレンは楽しそうに笑っている。
笑うエレンの顔を見て、豊は胸のうちがざわつくのを感じた。
(……エレン、俺とはまともに喋らないのに)
いまだに避けられ続け、笑った顔など久しく見ていない。
一瞬だけ、エレンの視線が豊の姿を捉えた気がした。
けれど、そのまま何もなかったように背を向けて歩き出すエレン。
話しながら遠くなっていく背中に、豊はすっかり気分が落ち込んでいくのを感じた。
(……なんだよ、これ)
エレンが誰と話そうと、別におかしなことじゃない。
むしろ魔族領で話せる相手が増えたのなら、喜ぶべきことのはずだ。
なのに、少しも嬉しくなかった。
(俺も……普通に話したいだけなのかな)
ノクスは書類に目を通しながら、半歩後ろを歩くクロードの報告を聞いていた。
「では、北部の街道については予定通り補修を進めます。問題は——」
「資材か」
「はい。冬を迎える前に終えるのであれば、東部から回す必要があるかと」
ノクスは書類を一枚めくる。
「構わん。ただし、東部で進めている工事に影響が出ない範囲に留めろ。必要ならば人員を増やせ」
「承知いたしました」
「それから——」
ふと、ノクスの視線が前方で止まった。
廊下の端を、豊が歩いている。
いつものような大股ではない。
何かを考え込むように俯き、こちらにも気づいていない。
「……」
ノクスは手元の書類へ視線を戻した。
「この方向で進めろ。問題があれば再度報告を」
「かしこまりました」
書類をクロードへ渡す。
クロードは一礼すると、そのまま廊下の向こうへと歩いていった。
ノクスは改めて、豊を見る。
「豊」
「…………」
「豊」
「……ん?」
ようやく顔を上げた豊に、ノクスは眉を寄せた。
「どうした」
「……ノクスか」
それだけ言って、また豊は考え込む。
明らかにいつもの豊ではない。
ついこの間まで、白米が食べられると結衣と一緒にはしゃいでいた面影はどこにもない。
米屋にいた時から、基本的におおらかな性格の豊が、何か思い悩んでいるところなど見たことがなかった。
「ノクスってさ……」
豊はしばらく考える。
「どうしても気になる奴とか、いる?」
言われてすぐに思い浮かんだのは結衣の姿だ。
「最初は心配してるだけだと思ってたんだよ。そいつ、無茶するし」
(結衣も無茶をする…同じだな)
「気づくと目で探してるし、いないと気になる」
「……分かる」
「他の奴と楽しそうにしてるの見たら、なんか面白くなくて」
「……それも分かる」
何度エレンに対して魔術を使うのを我慢したことか。
深く頷くノクスに、豊はやっと理解してくれる人がいたことに身を乗り出して話す。
「ちょっと気まずくなることがあって…今はずっと避けられてて…」
「でも俺、また普通に話したいんだ!」
「けど、ずっと逃げられてて……自分でも、どうしたいか分からなくなった…」
結衣が自分を避けた時、触れたい気持ちと、無理強いはしたくない気持ちの間で揺れたからこそ、ノクスには豊の気持ちがよく分かった。
「豊はその者のことが本当に大切なんだろう」
「…大切?」
「そうだ」
結衣の背中を追いながら、何度手を伸ばして引っ込めたことか…。
「無理やり引き止めれば話は出来るかもしれない。だが、そうすることで相手が嫌がるのではないかと思うと行動することが出来ない」
「…!」
「今の豊の状態を表すとしたら、そんなところではないのか?」
何度も何度も頷く豊は、よほど参っていたらしい。
「豊。お前にとってその者は、他の者とは違うのだろう」
「……違う?」
「側にいたい。話したい。目で追ってしまう。他の者と親しくしていれば面白くない」
ノクスは少しだけ考えた。
「私なら、それほど大切に思う者は一人しかいない」
豊の頭に浮かんだのも、一人だった。
「……それって」
少しずつ、今まで分からなかったものが繋がっていく。
「俺、エレンのことがすげー好きってこと?」
「……そう、なるな」
一瞬、豊の口から出てきた名前に、ノクスの思考は止まった。
(勇者のエレン…?)
人間には同性を伴侶として望む者もいるとは聞いていた。
豊もそうなのだろう。
それ自体に何か思うところはない。
(いつの間にそんなことになっていたとは…)
最近、結衣が言っていたエレンと豊が変とは、このことだったのかもしれない。
終始、結衣しか見ていなかったノクスは全く気づかなかった。
「なんかスッキリしたわ!ありがとな、ノクス!」
先ほどとは打って変わって元気よく走り去った豊。
「陛下、一点お伝えし忘れたことが——」
「クロード」
「はい」
「人間では、同性を伴侶に選ぶことは珍しいのか?」
「…………何のお話でしょうか」
「エレン!」
ようやく見つけたエレンに声をかけた瞬間、肩が揺れた。
「……豊」
何かを言いかけて、でもやっぱり何も言わずに背を向けるエレン。
「待って!」
豊は肩を掴みたい気持ちを必死に堪えて声を出す。
「話したいんだ」
「……僕は、話すことなんて——」
「俺はある」
ゆっくりと振り返ったエレンの表情は、どこか迷っているようにも見える。
「この前のことなら、ごめん。僕もかなり酔ってたみたいで、あんまり覚えてなくて——」
「嘘だろ」
「……。」
「覚えてないなら、なんで一週間も俺から逃げてるんだ?」
はっきり言えば、今のエレンはらしくない。
いつも飄々と笑う姿が多いけれど、今目の前のエレンの表情は余裕がないように感じた。
「俺も、ずっと分かんなかったんだ」
「エレンがいないと気になるし、気づくと探してるし」
「さっきだって、他の奴と楽しそうに喋ってるの見たら、なんかすげー嫌だった」
「……豊?」
「でも、やっと分かった」
ノクスに言われたからじゃない。
今なら、自分でも分かる。
エレンがいないと寂しい。
笑っているなら、その隣にいたい。
豊はエレンをまっすぐ見る。
「俺、エレンのことが好きだ」




