第85話 記憶はバッチリ
翌日の朝食の席は、いつもと違っていた。
どんよりとした顔の豊、俯いたままのエレン、アイルはいつも通りだけど、キリの姿はなかった。
「あれ…キリは…?」
「二日酔い。薬は飲ませたから、後は寝てれば大丈夫だよ」
(本当は泣き腫らして見せられる顔じゃないから、だけど…)
けれど、本当のことを言うほどアイルは野暮ではない。
アイルの言葉に、結衣の脳裏に昨日の出来事が蘇った。
廊下に倒れこむくらい飲んでいたのなら、二日酔いになってしまったのも納得だ。
「…それで、お兄ちゃんはどうしたの?」
「いや…ちょっと…眠れなくて…」
「…?」
どこでもすぐに寝られる兄にしてはとても珍しい。
「エレンまで…何かあった?」
結衣の言葉に、一瞬肩を震わせたのは豊もだった。
「いや、ちょっと…ね」
歯切れの悪いエレンも珍しい。
不思議そうに首を傾げる結衣に、エレンは冷や汗が止まらなかった。
エレンが目覚めた時、外はまだうっすらと光が差し込む程度の時間だった。
(まだ、もう少し眠れそうだ…)
それにしても、この布団は温かい…確認するようにモゾモゾと触っていると、布団だと思っていたものが声を出した。
「…エレン、起きたなら、どいてくれ…」
覇気のない、聞き覚えのある声。
「………豊!?」
「いてっ!」
思わず飛び起きた瞬間に、肘が当たってしまったようだ。
胸のあたりを押さえて唸っている豊に、エレンの頭は徐々に昨日の記憶を思い出していた。
最後に酒盛りでも、と考えて4人で飲んだ。
一口飲んでみた酒は思いの外美味しくて、一気に飲み干したのを覚えている。
そして、ふわふわとする頭に、高揚感も相まって、もっと酒を飲もうとして豊に止められた。
こんなに美味しい酒なのに何故止めるんだという気持ちと、豊への文句が入り混じって…。
(最悪だ…!!)
はっきりと覚えている。
豊を押し倒して、そのまま…。
赤くなったり青くなったりするエレンをよそに、豊はフラフラと立ち上がった。
「俺、部屋、帰る…」
「あ、あぁ…」
出る直前に扉に頭をぶつけながら豊は部屋から出て行った。
(少しだけ…少しだけでも寝るんだ…)
部屋に戻った豊がベッドに倒れ込む。
今だけはひんやりとしたシーツが気持ち良い。
そのままうとうとと意識が落ちそうになった瞬間。
目の前に現れたのはエレンだった。
(あ…これ、夢だ…)
何となく意識のなかでこれが夢なのだと分かる。
夢の中のエレンが、豊に抱きつく。
暖かくて、柔らかくて、少し良い匂いがして…。
「うわ!?」
思わず飛び起きた豊が冷や汗をかきながら周囲を見るが、そこには誰もいない。
「落ち着け、俺…夢だ。夢なんだ…」
もう一度目を閉じる。
(何も考えるな。寝ろ。寝るんだ…)
けれど浮かんでくるのは、昨夜のエレンの顔。
抱きつかれた時の温かさ。
そして——。
「〜〜〜!!」
豊は布団を頭まで被った。
結局一睡もできなかった豊は、そのまま朝食の席についたのだ。
「本当にやってくれるのか」
「うん。だから移動手段と、その間の資金が欲しいな」
「分かった。…出発はいつにする」
「…明日にでも発つつもり」
アイルの言葉に、ノクスの目が僅かに開かれる。
「結衣が寂しがるな…」
「結衣ちゃんなら大丈夫でしょ。豊もエレンも、最強の魔王様だっているんだから」
「何かあればすぐに連絡しろ。最大限の助力は惜しまない」
「…うん」
アイルが部屋に戻ると、キリはようやく治ってきた目の腫れを鏡で確認しているところだった。
「伝えてきたよ、例の件」
「…そうか」
いつもよりも声に力がない。
けれど、今はそれでもいいとアイルは思う。
「また二人旅に戻るだけだよ」
「…あぁ、分かってる」
キリと相談して決めたことだ。
…この魔王城を離れると。
ノクスが計画する、魔族領版の商業施設の建設地の視察。
魔王城の近くに作っても、既に人も物も集まるこの場所では、地域を発展させるという施設本来の価値を活かせない。
だからこそ、候補地を何個かに絞って、実際に出来上がった時の物流、人の流れ、そして発展を見据えた調査をする。
そのためには、キリの人と物を見る目が必要だし、アイルのデザインの力も必要になる。
ここに来たばかりの時は悩んだけれど、今のキリのためには、外に出るべきだとアイルは説得した。
何も言わずに、小さく頷いたキリ。
「今回はどこから行こうか。せっかくだから、まだ行ったことない街がいいよね」
「……仕事だぞ」
「分かってるよ」
「観光じゃない」
「分かってるって」
少しだけ、いつものキリの声に戻った気がした。
あと残り3話ほど、結衣の周りがわちゃわちゃしてます。




