第79話 始まったと思ったらいつも通り
バァン!!
「魔王様!!」
「「…!」」
「…。」
突然開いた扉。
結衣は驚きすぎて、身動き一つ取れなかった。
「…なんだ、騒々しい」
ノクスは恨めしげに部屋に入ってきた侵入者、クロードを見る。
けれど、結衣を抱きしめる手だけは離さない。
ハッとした結衣が離れようと力を込めるが、ノクスの腕はぴくりとも動かない。
「ちょ、ちょっとノクス…っ!」
「クロード。見ての通り今は忙しい。後にしろ」
「…忙しい、ではありません!転移術阻害術式の再構築には魔王様の力が必要なんです!」
「別にすぐに必要ではあるまい?」
「すぐに必要だからここに来ているんです!!」
「断る。今はここを動くつもりはない」
クロードのこめかみがピクピクと動くが、ノクスは見てみぬふりを決め込んで、すぐ側にある結衣の頭に頬を寄せる。
「今は非常に大事な時間を過ごしている故、決してここから動くつもりはない」
「…〜〜っ!!」
この阿呆が!と思わず罵りたくなるのを必死に抑えるクロードは、今度は結衣に向かって言った。
「ユイ様!ユイ様から魔王様におっしゃってください!」
「私!?」
未だにノクスは離そうとしないし、クロードはこのおかしな状況に何も言ってこない。
結衣は恥ずかしさに身を捩るけれど、全く抜け出せる気配がない。
(さっき私が嫌がることはしないって言ってたのに……!)
厳密に言えば、嫌なわけではない。
むしろ、もう少しこうしていたい気持ちだってある。
ただし。
クロードの目の前でなければ。
「ノクス!行ってあげて!他の人も困ってるんでしょう?」
「しかし…」
渋るノクスに、結衣は顔を上げてノクスを見上げた。
「ね、お願い」
「…っ」
思わず息を呑んだノクスが、渋々頷いてベッドから降りる。
「すぐに戻る」
結衣の頭を撫でて、名残惜しそうに結衣を振り返るノクスの顔が扉の向こうに消えていった。
ポスン
体の力が抜けて、そのままベッドに倒れ込む結衣。
「………。」
両手で顔を覆う。
熱い。
まだ頬が熱を持っている。
(……ノクスが、私を好き)
今になって、ようやくその言葉が現実味を帯びてくる。
「…………どうしよう」
(両想い、なんだ……)
口元が緩むのを、どうしても止められなかった。
最初はいつまでもベッドの上にいるのはおかしいと思って、部屋の横に置いてある椅子に座りながら、緊張した面持ちで待っていた結衣。
(走り回ったし、一度着替えた方がいいのかな…?)
窓ガラスに映る自分の髪を丁寧に整えてみたり、おかしなところがないか念入りに確認する。
(爪の手入れとか、もっとしておけば良かったかな…)
浮き足立つ気持ちと、次にノクスとどんな顔をして会えばいいんだろう、なんて考えてみたり。
けれど。
「…来ない」
お昼をすぎてもやってこないノクスに、結衣のお腹がキュルキュルと空腹を訴えた。
ノクスの部屋からそっと廊下に顔を出すと、慌ただしく兵士の人たちが走り回っていた。
「あっちの修復が終わってない!」
「術士はまだか!?」
仕方なく自分の部屋に戻ると、タイミング良くノエルがやって来た。
「ユイ様!今、城内が騒がしくて…昼食はお部屋にお運びしますね」
「ありがとう」
(騒がしくした原因の一人ですとは言えない…)
そうして、簡単な昼食を済ませると、結衣はクローゼットの扉を開いた。
(ノクスって、どんな服が好きなのかな…?)
いつも褒めてくれるけれど、どうせなら褒められたい。
(やっぱり、いつもは着ない大胆な感じがいいのかな…でも恥ずかしいし…)
幸せな気持ちと、つい昨日までだったらこんなにも悩まないのにという気持ちが半々。
(髪も、整えてもらおうかな…)
ノクスと出会ってから切っていない髪は、随分伸びた。
毎日レティシアがオイルで整えてくれているからツヤツヤだけど、やっぱり毛先は少しだけパサついている。
(私、こんなに悩むとは思わなかった)
人を好きになったことがなかったし、つい最近まで米屋で頑張ると息巻いていた自分にはほど遠い世界。
それが、1日でこんなにも変わるなんて。
着る服はノエルとレティシアに相談してから決めよう、と結衣は小さく決心した。
「すまない、修復に時間がかかって…」
「いいよ」
夕食の前になってやっと現れたノクスは、どこか疲れた様子だった。
けれど、結衣の姿を見て口元が緩む。
「…今日も良く似合っている…綺麗だ」
「…っ」
笑みを深めたノクスにエスコートされながら、食堂に辿り着く。
どうやら結衣たちが一番乗りらしく、まだ他の人たちは来ていない。
「きょ、今日のご飯は何かな?お腹空いちゃった…」
「そうだな。流石に私も腹が減った」
二人だけだと、妙に意識してしまう。
気持ちを落ち着けるように膝の上の拳に力を入れる。
「…。」
「…。」
(ど、どうしよう?私、ノクスとどんな感じで喋ってたっけ?)
(結衣が可愛すぎてずっと見ていたい…だが)
ノクスの脳裏に浮かぶのは、クロードから昼間受けた忠告だ。
「魔王様。一つ申し上げてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「ユイ様と何があったのかは存じませんし、伺うつもりもございません」
「結衣も私が好きだそうだ」
「聞いておりません」
「そうか」
「……とにかく。ユイ様のお気持ちが分かったからといって、急に距離を詰めすぎるのはおやめください」
「何故だ」
「何故って……」
「結衣は触れてもいいと言った」
「そういうところです」
「今日だけで城中を追い回し、寝室へ転移し、その後も離そうとなさらなかったのでしょう」
「……」
「いくら好意を持たれていても、あまりしつこくなされば嫌われますよ」
“嫌われますよ”
その一言は、ノクスの心に絶大なダメージを残した。
「嫌われる…だと?」
「はい。ユイ様にもお一人で過ごす時間が必要でしょう」
「……どれくらいだ」
「は?」
「どれくらい離れていればいい」
「そういうものを時間で測るのは――」
「一時間か?」
「違います」
「では二時間」
「ですから!」
…そんなやりとりをしたせいで、ノクスは先ほどから抱きしめたい衝動を必死に抑えている最中だ。
(髪に触れたい…この腕に閉じ込めてしまいたい…)
今にも伸びそうな手に力を入れて、膝の上に置いたまま。
やがて、アイルとキリがやってきて、遅れて豊とエレンも入ってきた。
「腹減ったー」
やがて始まった食事の最中、豊は思い出したようにノクスに尋ねた。
「そういえば。昼間のあれ、何だったんだ?」
ぴくりと、ノクスと結衣の動きが一瞬止まる。
「あれは抜き打ちの訓練だ」
「へー。そんなことやるんだな」
(結衣とノクスで走り回ってたけど、そんなことまでやるのか…?)
「普通、訓練で防御術式壊してまでやるもんなの?」
「緊張感を与えるためだ」
エレンの探るような視線に、ノクスはしれっと答える。
「へー?結衣ちゃんを追いかけるのが訓練とは知らなかった」
「ごほっ」
エレンの言葉に、結衣がむせる。
「み、見てたの…」
「窓から見えたんだよ。結衣ちゃん、足早いね」
「ありがとう…?」
ニコニコと笑うエレンに、結衣の冷や汗が止まらない。
「あれは結衣の能力について調べるものだった。”健脚”という能力があるらしい」
ノクスの言葉に反応したのは豊だ。
「お!結衣もか!俺もあるらしいぜ!」
「お兄ちゃんも?」
「やっぱり米の配達は足腰大事だもんなー!」
その後も、終始賑やかな会話が続いた。
その時。
「結衣」
「な、なに!?」
思わず大きな声が出た。
ノクスが僅かに目を瞬く。
「……いや。その料理、口に合わないのか? 先ほどからあまり進んでいないようだが」
「えっ……あ、違う! 美味しいよ!」
「そうか」
「う、うん……」
「ならいい」
何事もなかったように食事へ戻るノクスとは対照的に、結衣の心臓はまだうるさい。
(名前呼ばれただけなのに……!)
「……。」
その様子を、キリだけが黙って見ていた。
夕食を終えて、それぞれが部屋へと戻っていく。
結衣はもちろんノクスと二人で。
(ど、どうしよう…緊張してきた…)
昨日と同じ道なのに、何もかもが違う気がして自然と早くなる鼓動。
いつもと同じようにノクスの部屋へ行き、ソファへ座って契約の更新をする。
ノクスの吐息が手の甲へかかる頃には、結衣の心臓は爆発しそうだった。
「結衣…?いつもより体温が高い気がする…まさか熱か?」
ノクスがそっと結衣の額に手を触れる。
そのまま流れるように結衣の首筋にノクスの指が滑り落ちる。
「…脈も早い。やはり体調がすぐれないのでは…!」
表情の変わったノクスに、結衣は首を盛大に横に振った。
「ち、違うよ!体調が悪いわけじゃないの!」
「本当か?」
「本当!」
(やめて!そんなに覗き込まないで!)
ノクスは真偽を確かめるように結衣の顔を覗き込む。
「…!」
上気した頬。ほんの少し潤んだ瞳。
むしろダメージを喰らったのはノクスの方だった。
(くっ…!落ち着け!)
今すぐにでも腕に閉じ込めてしまいたい衝動を、深く息を吸って落ち着かせる。
行き場を失った手は、そのまま結衣の頭を撫でることで落ち着いた。
「今日は疲れたんだろう。ゆっくり休むといい」
部屋に戻った結衣は、ゆっくりとベッドに倒れ込んだ。
思わず緩む頬を隠すように、そのまま頭まですっぽりと布団を被った。
今日1日を思い出す。
ノクスに好きだと言われた。
自分も好きだと言った。
その後に抱きしめられて…。
思い出すだけでジタバタとしてしまいそうだ。
(両想い……)
改めて思うだけで恥ずかしい。
でも――
「…………あれ?」
そこで初めて引っかかる。
(……両想いになったんだよね?)
(私、好きって言ったよね?)
(ノクスも好きって……)
「……。」
今日の夕食を思い返す。
いつもの食堂。
いつものメンバー。
いつもの会話。
二人で何か特別なことをしたわけでもない。
契約の更新の後、いつも通りのノクスだった。
頭を撫でられて…。
抱きしめられるかも、なんてちょっと期待してた自分がいる。
「……。」
(……昨日までと、何が変わったんだろう?)
(そういえば……)
(これって、付き合ってる……ってことでいいんだよね?)
「…。」
布団の中で、結衣は何度か瞬きをした。
(……いいんだよね?)




