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第6話 結衣には甘いエルフ


「とりあえず、衣服と必要最低限の物資を揃える」

キリが、さっさと歩き出す。


「無駄な金は使えない。必要なものだけだ」

「はいはい」


アイルが、軽く返す。

結衣は、フードを深く被り直して、二人の間に挟まれながら歩き出した。


街は、近くで見るとさらに賑やかだった。

石畳の上を、様々な人が行き交う。商人。旅人。子供たち。時折、肌の色が少し違う人もいる。


(本当に、異世界なんだ)


当たり前のことを、今更実感する。


「ここだ」


キリが、布や衣類を扱う店の前で立ち止まった。

中に入ると、色とりどりの布が壁一面に並んでいる。


「結衣ちゃん、これどう?」


アイルが、さっそく何かを手に取った。


「え、でも……あんまりお金使えないし、適当なので——」

「ここは、ちゃんとしたの買わないと」

アイルが、真剣な顔で言う。


「動きにくい服じゃ、いざという時に困るよ」

「それは、そうだけど」

「キリもそう思うよね?」

「……」


キリが、黙って頷いた。


「え、キリまで」

「動きやすさは、安全に直結する」

「それはそうだけど!」

結衣は、気づいたら二人がかりで服を選ばれていた。


仕上がりは、こうなった。

淡い生成り色を基調にした服は、異世界の街並みに溶け込むような、旅装と普段着の中間のような装い。肩には薄紫の刺繍が入った短めのケープ。布地は軽く、動くたびにふわりと揺れる。日差しや風除けとして作られたものらしい。


内側には柔らかな白のブラウス。袖はゆったりとしているが、手首のあたりで軽く絞られていて、作業の邪魔にならない。胸元には小さな金具飾りが留められ、質素すぎない程度に上品さが添えられている。


腰には幅広のサッシュベルト。下半身は一見するとロングスカートに見えるが、実際はたっぷりと布を使ったワイドパンツ。歩けば裾が柔らかく揺れて、立っているだけなら完全にスカートにしか見えない。


そして。長い布の隙間から覗くのは、編み上げのショートブーツ。



「……やっと」

結衣は、足元を見下ろした。


「スリッパじゃなくなった」

「遅すぎたくらいだ」


キリが、淡々と言う。


「でも、ほんとに助かった……」


丈夫そうな革靴は、石畳の道も問題なく歩ける。踏み込んでみると、足にしっかりと馴染む感触がする。


(これだけで、だいぶ違う)


「似合ってるよ」


アイルが、満足そうに笑う。


「そう……かな」

「うん。ちゃんとこの街の人っぽく見える」

「それが一番大事だもんね」

「そういうこと」


その後も、薬や小道具を見て回った。


「これ何の材料だろ?」

キリが、棚に並んだ瓶を手に取る。


「……これは解毒草の抽出液だな。品質は悪くない。買っておけ」

次の棚に移る。


「この値段は高すぎる」

「え、そう?」

「この材質でこれだけ取るのは、ぼったくりだ。別の店にしろ」


さらに移動して。


「この材質でこれでは安すぎる。何かあるぞ、これは」

「怖い……」

(キリの市場調査が本格的すぎて、ちょっと追いつけない…)


結衣が小声で言うと、アイルがくすっと笑った。


屋台が並ぶ通りに差し掛かった時。


「あ」


結衣の足が、少しだけ遅くなった。

いい匂いがする。揚げたような、甘いような、食欲をそそる匂い。屋台の前に、地元らしき人たちが並んでいる。


「……美味しそう」

思わず、ぽつりと漏れた。


「この値段は相場に見合わない」

キリが、即座に言った。


「観光客向けだ。割高だぞ」

「そっか……」


結衣は、未練がましく屋台を見た。それから、すぐに視線を前に戻す。

「うん、じゃあいいや。無駄遣いできないし」

「……」


キリは、歩き出した。


二歩。三歩。

「……」

立ち止まる。

小さく、ため息をついた。


「待っていろ」

「え?」


振り返る前に、キリは屋台の方へ戻っていた。

アイルが、結衣の隣でにこにこしている。


「アイル、キリって」

「うん」

「今、買いに行った?」

「うん」

「割高だって言ってたのに」

「うん」


あっさりと頷くアイル。

しばらくして、キリが戻ってくる。無言で、結衣に差し出した。


「……いいの?」

「無駄遣いとは言っていない」

「でも、さっき割高って」

「体力の維持も、重要な投資だ」

「……すごい言い訳」


アイルが、くすっと笑う。

結衣は、受け取って一口食べた。


「……美味しい」

「そうか」

「キリも食べる?」

「いらない」


即答だった。


「本当に?」

「いらないと言った」

「……ほんとに?」

「……少しだけなら」

「はい」


差し出すと、キリは無言で受け取った。一口食べて。


「……悪くない」

「やっぱり食べたかったんじゃん」

「そういう話ではない」


顔を背けるキリの耳が、心なしか赤かった。

アイルが、結衣に小声で言う。


「結衣ちゃんが美味しそうって言ったら、絶対買うと思ってたんだよね」

「え、そうなの?」

「うん。わりとすぐ折れるよ、結衣ちゃんには」

「聞こえている」

「あ、聞こえてた?」

「全部」

「てへ」


結衣は、小さく笑った。

不安が全部消えたわけじゃない。ノクスのことが頭から離れるわけじゃない。

でも。

この二人と一緒にいると。

なぜか、大丈夫な気がしてくる。


必要なものを揃えると、三人は宿へと戻ることにした。


宿に戻ると、三人は買ってきたものをベッドの上に広げた。

薬草の束。小さな瓶に入った薬液。包帯。着替え。旅に使えそうな小道具の数々。


「……案外、色々買ったね」

結衣が、ベッドの上を見渡す。


「必要最低限だ」

キリが、淡々と言いながら並べ始める。


「薬草はここ。保存食はここ。着替えは——」

「キリ、それより先にこっちの方が——」

「順番がある」

「でも——」

「順番がある」


アイルが苦笑しながら、キリの指示に従い始める。

結衣は、その様子を眺めながらベッドの端に腰を下ろした。


(何にいくらくらい使ったんだろう)


街で支払う時、キリが全部やってくれたから、自分では把握できていない。銀貨とか銅貨とか、単位は分かったけど——それが実際にどのくらいの価値なのか、感覚がまだ掴めない。


(日本円に換算したら、どのくらいなんだろう)


ぼんやりとそんなことを考えていると。

パサ、と音がした。

顔を上げる。机の上に置きっぱなしだった、あの黒い帳簿が、ひとりでに開いていた。


「……え」


パラパラ、とページがめくれていく。誰も触っていないのに。

アイルとキリも手を止めて、帳簿を見ている。

やがて、ある場所で止まった。

そのページに、じわじわと文字が浮かび上がってくる。



───────────────

【所持資産】 ・銀貨:3 ・銅貨:48

【本日支出】 ・衣服:銀貨2 ・保存食:銅貨18 ・薬草類:銅貨22 ・その他:銅貨8

───────────────


「……」

三人、しばらく無言だった。


「家計簿」

アイルが、ぽつりと言った。


「つけてる」

「自動で」

「……」

キリが、腕を組んだまま帳簿を見ている。


「これは……便利だな」

「便利って言うか」


結衣が、帳簿を恐る恐る手に取る。

「なんか、全部把握されてる感じがして……ちょっと…」

「有用だろう」

「有用だけど!」

「残高も分かる。今後の行動計画が立てやすい」

「キリ、もうちょっと怖がってよ」

「なぜ怖がる必要がある」


アイルが、くすっと笑う。


「多分、結衣ちゃんの力だから、結衣ちゃんに都合よく動くんじゃないかな」

「私の力……」

「さっきも、触った瞬間に開いたでしょ」

「……そうだね」


結衣は、もう一度帳簿を見た。

銀貨3枚と銅貨48枚。これが今の全財産。


(少ない、のかな。多いのかな)


「キリ、これって——」

「宿代が銅貨15。食事が一人一食銅貨3から5程度だ」

即答だった。


「……もう計算してたの?」

「当然だ」

「じゃあ、どのくらい持つ?」

「節約すれば、四、五日といったところだ」

「そっか……」


思ったより、余裕がない。

帳簿が、また少しだけ光った気がした。まるで、そうだよと言っているみたいに。


(不思議だな)


結衣は、帳簿をそっと机に戻した。

何なのかは、まだ分からない。でも——嫌な感じはしない。

むしろ。

(ノクスと一緒に帳簿つけてた時みたいだな)

そう思ったら、少しだけ胸が温かくなった。



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