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第77話 鬼ごっこの結末


「はぁ……っ、はぁ……」


さすがに、もう無理。

結衣は息を切らしながら廊下を走っていた。

健脚があるとはいえ、限界というものはある。


ちらりと後ろを見る。

いない。

けれど、もう安心はしない。

ここまで何度も同じことを繰り返したのだ。


どうせ――


シュン。


「結衣」

「ほらぁ!!」


(クロードさんもガルドさんもいたのに……!)


結衣は先ほどの光景を思い出す。

確かに自分は言った。


『クロードさん! ノクス止めて!』


なのに。

誰も止めてくれなかった。


(どうして!?)

(あんなに兵士さんたちがいたのに!)


誰一人としてノクスを止めなかった。

それどころか、ノクスが通るたびに綺麗に左右へ分かれて道を空けていた気さえする。


(なんで!?)


(というか……)


結衣は走りながら、ふと思う。


(私、なんでこんなに必死に逃げてるんだっけ?)


最初は、ノクスの顔を見るのが辛かった。

火竜の姫の話を聞いて。

昨日のことも、今日のことも、全部自分の勘違いだったのかもしれないと思って。

一人になりたかった。

それだけだったはずなのに。


気がつけば魔王城中を走り回り、警報まで鳴っている。


(…………なんで?)


今日、何度目かの階段を登っていると…。


シュン。


「結衣」

「もう!!」


階段の先に現れたノクス。


「ノクス……ちょっと、待って……」


壁に手をついて息を整える。

バクバクと激しく心臓が鳴っている。


「分かった……話すから……」


膝が震えている気がする。

低めの歩きやすいヒールだとはいえ、ここまで全力で走ったことなんて一度もない。

ぴたりと止まったノクス。


「……本当か?」

「話す……話すから……少し休ませて……」


ノクスの声はどこか嬉しそうで、けれど肩で息をする結衣はそれが少しだけ憎らしい。

片足を前へ出した瞬間だった。


「…っ!」


力の入らない足が滑った。


「結衣!」


ノクスは思わず手を伸ばすが、一瞬躊躇したように動きが止まる。

その間にも、結衣の体は後へ倒れて行った。


(…っ!触れずに結衣を助ける方法は…!)




ポスンッ



「…!」


やってくる痛みに身構えた結衣の背中は、柔らかい何かに包まれた。

恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに広がるノクスの顔。

ノクスは結衣を囲うように、両腕をシーツについていた。

身体には触れていない。

けれど、息遣いまで聞こえそうなほど近い。


「ち、近い近い!!」

「すまない…っ!」


慌てて起き上がったノクスは、結衣の横になぜか正座をして座る。

体を起こした結衣が周りを見渡すと、そこは落ち着いた雰囲気の寝室だった。

触り心地の良いシーツに、広々したベッド。


「ここは…」

「私の寝室だ」

「…!?」


「い、いや…結衣が怪我をしないようにと転移先に思いついた場所で…」


「…。」

「…。」


思わず黙り込んでしまう二人。

やがて、小さく咳払いをしたノクスが視線をそらしながら言った。


「その…話をしてくれる気になったのだろう?」

「…そ、そうですね」


妙な気恥ずかしさと、ほんの少しの緊張感から思わず敬語になる。

しっかりと起き上がった結衣は、ノクスと同じように正座をする。

けれど、なんとなくノクスの方は見れなくて、視線は膝に置いた自分の手を見る。


広いベッドの上で正座をしている結衣とノクス。

きっとクロード辺りが見れば、何か言われることは違いないのに、今ここには結衣とノクスの二人しかいない。


「結衣、体は平気か?先ほどまでは辛そうだった…」

「あれは走りすぎて疲れただけだから…」

「そうか…」


「…。」

「…。」


会話が続かない。

一体ノクスは何を話したかったんだろう。

ノクスの顔をチラリと見ると、普段のノクスの表情とは違っていた。


どこか苦しそうにしていて、口角も下がっている。

いつも落ち着いていて余裕そうな表情とはかけ離れている。

まるで、この世界で初めてノクスと会えた時のような…。


「ノクス…?」


結衣が気遣うように声をかけると、急にノクスは深く頭を下げた。


「すまなかった」

「え…何?どうしたの…」


困惑する結衣に、ノクスは頭を上げずに喋り出した。


「昨日も、今日も……結衣が嫌がっているとは思っていなかった」

「……え?」


「昨日、触れてもいいかと聞いた時、結衣は駄目ではないと言った」


ノクスは俯いたまま、自分の手を見る。


「抱きしめた時も、結衣は私の背に腕を回してくれた。だから……嫌ではないのだと思った」

「………。」


「今日も、そうだ」

「待って、ノクス――」


「だが、私の思い違いだったのだろう?」

「え?」


「結衣は優しいから」

(…一体、何の話をしてるの?)


「もう、結衣には触れない」

「…え?」


結衣が思わず顔を上げると、ノクスの瞳が揺れていた。


「結衣が嫌がることはしたくない」

「ちょ、ちょっと待って…」


「だから、もうしない」


(それって、もう触れてくれないってこと…?)



昨日抱きしめられた感触。

今日、手を包まれた感触。

それをもう二度とされない。

ノクスには相手がいる。

分かっているのに、思わず心臓が掴まれたみたいに、ぎゅっと胸が詰まった気がした。


「ただ…」

膝の上で僅かに拳を握るノクス。


「避けるのだけは、やめてほしい」

「…。」


(違う、私は恥ずかしくて、情けなくて、ノクスの顔を見られなかっただけで…)


「今日、結衣に避けられて…思っていた以上に辛かった」


(私だって、アイルやキリやエレンに避けられたら辛いもんね…)


たとえノクスから向けられる感情が、親しい者に向けられるものだとしても、距離が出来るのは苦しい。


「その……どうして、私に触れたかったの?」


昨日、抱きしめてくれたことも。

今日、手を握ってくれたことも。


「どうして……抱きしめてくれたの?」


ノクス本人の口から、キッパリと言ってほしい。

家族のように思っているからだ、と。


そうしたら、米屋にいた頃みたいに戻ればいいだけだから。

他愛ない会話をする、一緒に仕事をする仲間。

1年近く一緒に暮らしていたんだから、もう他人とは呼べない。

思わず目の奥が熱くなる。


(駄目だ…ここで泣いたら、ノクスがまた心配する…)



必死に堪えるように奥歯を噛み締める。



「それは」






「好きだからだ」

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