第75話 強硬手段
「結衣、待ってくれ」
「今は無理!」
長い廊下を、結衣は早足で進んでいた。
その数歩後ろを、ノクスがついてくる。
「話がしたい」
「だから、あとで!」
「先ほどもそう言って私を避けただろう」
「避けてるわけじゃ……!」
(どうして、こんなことになってるの……!?)
ことの発端は、ほんの10分ほど前に遡る。
リシェルの部屋から飛び出した結衣は、行くあてもないまま廊下を歩いていた。
今更ノクスの部屋に戻るのも気が進まず、なんとなく気の向くままに歩いているだけだ。
すれ違うメイドや兵士は不思議そうな顔で結衣を見る。
結衣が何度目かのため息をついた時だった。
「結衣」
「……!」
突如背後から聞こえた声に、結衣の肩が跳ねる。
振り返った先にいたのは、今一番顔を合わせたくない相手だった。
「……ノクス」
”一番の有力候補は、火竜の姫様と皆が噂していましたわ”
先ほど聞いたリシェルの言葉が、嫌でも頭の中に蘇る。
「探した」
「……私を?」
「ああ。話がしたい」
そう言ってノクスがこちらへ一歩近づく。
結衣は反射的に、一歩下がった。
「……結衣?」
(違う……)
ノクスが嫌なわけじゃない。
むしろ逆だ。
昨日抱きしめられたことも。
今日、手に触れられたことも。
あんなことをされて、もしかしたら、と期待してしまったから。
だから今は、顔を見るのが辛い。
「ご、ごめん。ちょっと今は……」
「待ってくれ」
「あとでちゃんと話すから!」
これ以上ノクスの顔を見ていられなくて、そのまま踵を返した。
けれど。
コツコツと廊下を歩く音は二つある。
一つは自分のもの。
そして、もう一つは…。
チラリと後を振り向けば、ノクスの姿。
付かず離れず、ついてくる。
「結衣、話を…」
「だから、今は無理だって…!」
ノクスと距離を取るために、歩くスピードを上げる。
けれど、息ひとつ切らさずノクスはついてくる。
むしろ余裕さえ感じる表情がちょっとだけ腹立たしい。
(……だったら)
結衣はさらに歩調を速めた。
コツコツコツ、と廊下に響く靴音の間隔が短くなる。
けれど。
コツ、コツ、コツ。
背後の足音は変わらない。
「…………」
結衣はさらに速く歩いた。
「結衣」
「……」
「待ってくれ」
「待たない!」
「何故だ」
「今は話したくないから!」
「では、いつならいい」
「あとで!」
「あと、とはいつだ?」
「もう! そういうところ!」
結衣は近くの角を曲がった。
(このまま別の廊下に――)
「結衣」
「……っ!」
いる。
当たり前のようについてきている。
「ノクス!」
「なんだ」
「ついてこないで!」
ノクスの足が、一瞬だけ止まった。
「……それはできない」
「なんで!?」
「このままでは、また結衣が私を避ける」
「だから避けてないって!」
「ならば何故、私から離れようとする?」
「それは……!」
「と、とにかく今は一人にして!」
再び歩き出す。
ノクスも歩き出す。
「ノクス!」
「話を聞くまでは戻れない」
「頑固!」
「結衣に言われたくはない」
(……もう知らない!)
こうなったら、ノクスが諦めるのを待つしかない。
結衣はさらに歩調を速め、とうとう廊下を走り出した。
「結衣!」
(……速い)
思わずノクスも足を速める。
追いつくこと自体は難しくない。
ほんの少し手を伸ばせば、その腕を掴んで止められる。
ノクスは結衣の腕へ手を伸ばした。
けれど、指先が触れる寸前で、その手が止まる。
(……また触れられるのは、嫌かもしれない)
先ほど、結衣は自分から逃げた。
近づけば、一歩下がった。
いつもなら迷うことなく腕を掴んでいただろう。
けれど今は、それができない。
手を伸ばせば届く。
それなのに、触れられない。
躊躇している間にも、結衣はどんどん先へ行く。
(……それにしても、速いな)
想像していた以上だった。
油断すれば、角を曲がったところで姿を見失ってしまいそうだ。
もっとも。
契約印のある結衣がどこにいるのか、ノクスにはおおよその位置が分かる。
そのことを結衣本人には伝えていないが。
(…………)
今は言わない方がいいだろう。
何故か、そんな気がした。
しかし、あまり走り回って結衣が怪我でもしたら大変だ。
曲がった先で兵士やメイドにぶつかったら?
もし転んでしまったら?
ノクスの中で、不安がどんどん膨らんでいく。
(……止めなければ)
だが、腕を掴むことはできない。
ならば、先に回り込めばいい。
そう考え、転移術を発動しようとして、ノクスは眉を寄せた。
魔王城の内部では、転移術は使えない。
外部からの侵入を防ぐため、城全体に強固な転移阻害術式が幾重にも張り巡らされているからだ。
それは魔王であるノクスも例外ではない。
普段ならば転移可能な中庭まで移動してから術を使う。
だが。
廊下の先で、結衣の姿が角を曲がった。
「…………」
ノクスは片腕を上げた。
軽く薙ぐように腕を振るう。
その軌跡を追うように、淡い光の輪がいくつも浮かび上がった。
輪の周囲を、古い文字にも似た術式が高速で巡っていく。
次の瞬間。
バリンッ!
まるで巨大な硝子が砕けたような音が、城内に響いた。
一方、結衣は走りながら後ろを振り返った。
「……あれ?」
そこにノクスの姿はなかった。
(……諦めてくれた?)
そう思った、その瞬間だった。
バリンッ!!
何かが砕けるような音が、廊下中に響き渡る。
「……え?」
思わず辺りを見渡す。
けれど、何かが壊れた様子はない。
その時。
足を止めた結衣の前に、淡い光の粒子が集まり始めた。
「結衣」
「……!?」
光の中から現れたのは、ついさっきまで後ろにいたはずのノクスだった。
「話を――」
「なんで!?」
これは、あれだろうか。
ついこの前にも体験した、転移というやつだろうか。
結衣は慌てて踵を返した。
「ちょ、ちょっと今は無理だから!」
別の廊下へ向かって走り出す。
けれど。
シュン!
「結衣」
「ちょっと!?」
方向を変える。
シュン!!
「結衣」
「怖いって!」
行く先、行く先にノクスが現れる。
「ノクス! ついてこないで!」
「ついてはいない」
「先回りも同じだから!!」
その時だった。
キィィィィン――!
耳を刺すような甲高い音が、城内に鳴り響いた。
結衣が思わず足を止める。
「……な、なに?」
『――警告』
低く無機質な声が、城内に響き渡る。
『城内転移阻害術式の破損を確認』
『城内に転移反応を検知』
『全軍、第一警戒態勢へ移行せよ』
「…………」
『繰り返す。これは訓練ではない』
遠くから、慌ただしい足音が聞こえ始めた。
結衣は、ゆっくりとノクスを見る。
「…………ノクス?」
「……。」




