第73話 やらかした?
(もう魔王様は小瓶を使われたかしら…?)
リシェルの機嫌はこの上なく良い。
何せここ100年、浮いた話一つない魔王にやってきた色恋沙汰。
(あの勇者ちゃんも何かありそうなのよね)
飛竜に乗って結衣の兄と一緒にやって来た、魔族の敵であるはずの勇者。
けれど、リシェルには勇者が男のフリをしている女性だということがすぐに分かった。
それに、やたらと勇者を気遣う結衣の兄…豊との雰囲気にも、リシェルには引っかかるものがある。
そして、エルフの双子の内の片割れの視線の先も…。
(もう!どうして結衣ちゃんの周りは面白くなるのかしら!)
スキップしそうな勢いで廊下を歩いていると、その先でぼんやりと窓の外を眺めている結衣がいた。
(あら…?)
いつもなら、この時間は魔王様の執務室にいるはずの結衣。
セヴランが財務部に、ガルドが兵士の訓練に結衣を欲しいと言った時、魔王様がきっちりと断っているという情報はしっかり掴んでいた。
独占欲の強そうな魔王様のこと。
きっと執務室で二人っきりを邪魔されたくないだろうと、なるべく報告は最小限に、と幹部間で情報共有したのはつい最近の話だ。
(これは何かあったのかしら?)
「結衣ちゃん」
「あ…リシェル」
やっとリシェルに気づいた結衣は、ぎこちなく笑った。
(これは重症ね…)
「久しぶりに、お茶しない?」
「えっと…でも…」
「大丈夫、魔王様には伝えとくから」
一瞬、魔王の言葉にぴくりと結衣の肩が跳ねる。
「さ!行きましょう?新作のお菓子が手に入ったの」
結衣の肩を掴んで、リシェルは自室へと連れて行った。
初めて入ったリシェルの、おそらく執務室は予想以上に普通だった。
書類の数はセヴランほど多くはないけれど、それでも普通の執務室だ。
少し違うのは、柔らかな色の家具が並んでいることぐらいだ。
「ふふ、仕事部屋は案外普通なのよ」
思わず周りを見る結衣に、リシェルが小さく微笑む。
「本当の私室は別室にあるけれど…結衣ちゃんにはちょっと刺激が強いかもしれないから」
「そ、そうなんだ…」
結衣を近くのソファに座らせて、リシェルは手際良くお茶とお菓子を用意する。
「いただきます」
一口飲んだお茶はほんのり甘くて、思わず肩の力が抜ける。
「美味しい…」
「良かった。こっちのお菓子も美味しいわよ?」
ころん、と丸い形のお菓子をつまんで口に入れた瞬間、ホロホロと口の中で溶けていく。
予想外の食感に結衣の目が丸くなると、リシェルがくすりと笑った。
(こんなに見ていて分かりやすいのに…魔王様ったら、何かしたのかしら?)
しばらくお茶を堪能していると、リシェルが結衣の横へ座り直して首を傾げる。
「それで?何か悩みがあるんでしょう?お姉さんに喋っちゃいなさい」
「…っごほ!」
思わず咳き込む結衣の背中を軽くさするリシェル。
「解決するか分からなくても、喋るだけで楽になることもあるのよ?」
「…。」
持っていたカップをテーブルに置いた結衣は、膝の上で指同士を擦り合わせた。
「その…」
「うん」
「あの…」
「ゆっくりでいいわ」
口を開いては閉じてを繰り返す結衣に、リシェルは囁くように言う。
「大丈夫。私は結衣ちゃんの味方よ」
優しい言葉に安心したのか、美味しいお茶に肩の力が抜けたのか、結衣は小さな声で喋り出した。
「その……ノクスって…恋人とか…」
(ノクスに恋人はいるのか…って聞いたら、変に思われるかな…?)
思わず言葉が小さく萎んでいく。
その様子に、リシェルは首を傾げた。
(恋人…?魔王様を射止めた結衣ちゃんでも、過去の女性遍歴を気にしているのかしら?)
リシェルは膝に乗った結衣の手を握った。
「分かるわ、魔王様ほどのお方ですもの!過去にどんな女性がいたのか気になるわよね」
「えっ…違…」
「求婚は、それはもう山ほどあったわ」
(やっぱり、そうだよね…)
「氷狼の姫、吸血族の令嬢、海魔族、夢魔族からも…その中に、私の従姉妹も入ってたの」
「すごいね…」
結衣の肩が少しずつ落ちていく。
「どの方も申し分ない方々でしたけれど、一番の有力候補は火竜の姫様と皆が噂していましたわ」
「家柄、魔力、寿命、どれを取っても魔王様の伴侶として申し分ないと、それはもうお祭り騒ぎで…」
段々と、リシェルの声が遠くなっていく。
(やっぱり、噂は本当だったんだ…)
火竜の姫。
家柄も、魔力も、寿命も。
魔王であるノクスの隣に立つのに、申し分のない女性。
(……そっか)
自分とは、何もかもが違う。
ただの人間で。
米屋で。
魔力だってまともに扱えなくて。
この世界のことさえ、まだほとんど知らない。
(何、期待してたんだろう……)
昨日、抱きしめられたこと。
今日、手を離してくれなかったこと。
熱を帯びた瞳で名前を呼ばれたこと。
もしかしたら、と。
ほんの少しでも期待してしまった自分が、急に恥ずかしくなる。
「結衣ちゃん?」
リシェルの声に、はっと顔を上げた。
「……ごめん、私、ちょっと行くね」
「え? でも、まだ――」
「お茶、ごちそうさま!」
慌てて立ち上がる。
「結衣ちゃん?」
「――もっとも、魔王様ご本人は――」
バタン。
扉が閉まった。
「…………」
リシェルは、途中まで伸ばしていた手を止めた。
「……どなたとの求婚もお断りしておりますけど」
誰もいなくなった部屋で、ぽつりと呟く。
数秒の沈黙。
「…………あら?」
リシェルはようやく、何かがおかしいことに気がついた。




