第67話 豊side⑤
ルーカスがエレンを支えながら、カシウスを見据える。
「カシウス枢機卿……これは、一体どういうことですか」
「どういうこと、とは?」
カシウスが、穏やかに首を傾げた。
「私は、勇者様を守っているだけですよ」
「守る……? 薬を使って閉じ込めておいて、守ると言うのですか!」
「当然のことです」
カシウスの声は、変わらない。
「長年、国のために戦い続けてきた勇者様が、どれほど傷ついてこられたか」
「それは——」
「俗世に染まった記憶を消して、誰の目にも届かないこの場所で、静かに過ごしていただく」
カシウスが、うっとりとしたように続けた。
「国に使われることも、教会が利用することも——私が許しません。私が生涯をかけて、勇者様をこの聖域で保護するのです」
「それは勇者様の意思ですか」
ルーカスが、真っ直ぐにカシウスを見た。
「勇者様が望まれていることですか?」
「勇者様は、まだ本当に自分に必要なものをご存知ないだけです」
「あの方は幼い頃から自由を知らない」
「ならば、その先も知らずに生きればよい」
「私だけを見ていれば、それで幸福なのです」
「…だ」
その時、豊の耳にはエレンの小さな声が確かに聞こえた。
“嫌だ”と。
「……あなたは間違っています」
カシウスの目が、わずかに細くなった。
「あなたには分からないようですね」
静かに、背後に向かって手を上げた。
廊下の陰から、聖騎士が数人現れた。
「……っ」
ルーカスが、エレンを庇うように前に出た。
聖騎士が剣を抜く。
「ルーカス!」
「聖人様は下がっていてください!」
ルーカスが剣を受け止めた。一人、また一人。エレンを背中に庇いながら、何とか捌いていく。
でも——数が多い。
「くっ……!」
ルーカスの膝が、わずかに折れた。
エレンを抱えたまま、壁に押されていく。
「ルーカス!」
豊が、前に出ようとした。
「来ないでください、聖人様……! あなたまで傷ついたら……!」
「馬鹿、そんなこと言ってる場合か!」
ルーカスの腕に、血が滲んでいた。
エレンを庇いながら、それでも下がらない。
(こいつ……)
豊の中で、何かが沸点を超えた。
「カシウス」
低い声が、廊下に響いた。
「お前の話は聞いた」
豊は、カシウスをまっすぐに見た。
「勇者様を守りたいとか、傷つけたくないとか、そういう気持ちは——まあ、本当なんだろうな」
「分かっていただけましたか」
「でも」
豊の目が、細くなった。
「本人が嫌だって言ってるのに、閉じ込めるのは守るって言わない」
「勇者様はまだ——」
カシウスが何かを続けている。
けれど、もう豊には聞こえていなかった。
目に映るのは、血の滲むルーカスの腕。
苦しそうに息をするエレン。
そして、その二人を前にしてなお笑みを崩さないカシウスだけだった。
「…そうか」
一歩、豊の足が前に出る。
「つまり」
もう一歩、カシウスへと近づく。
「お前は、自分が正しいと思って、みんな傷つけてるんだな」
カシウスが、何かを言いかけた。
その瞬間。
ドゴッ!!
米袋を何年も運んできた腕が、まっすぐに振り抜かれた。
鈍い音。
カシウスが、その場に崩れ落ちた。
廊下が、静まり返った。
護衛の聖騎士たちが、固まっている。
「お前らもやるなら来い」
豊が聖騎士たちを見据えると、騎士たちは少したじろいだ。
どんなに自分たちの直属の上司がカシウスとはいえ、聖人様に切りかかることなど出来ないからだ。
「……強い」
ルーカスが、呆然と呟いた。
「米袋のおかげだ」
豊は、手を振りながら言った。
それから、ルーカスに歩み寄る。
「大丈夫か」
「……なんとか」
「エレンは」
ルーカスの腕の中で、エレンがかすかに目を開けていた。
豊と目が合う。
「……ばか」
掠れた声で、エレンが言った。
「なんで来た」
「迎えに来た」
「……来るなって言っただろ」
「俺、馬鹿だからさ」
エレンが、小さく息を吐いた。
「……本当に、馬鹿だ」
でも——その目が、少しだけ緩んでいた。
「行くぞ」
豊が、エレンを抱き上げる。
その手が、豊の服の裾を掴むのを横目に、部屋を後にした。
扉を叩く音で叩き起こされた大司祭エルネストは、慎重に扉を開いた。
教会本部はどうにも窮屈で、こうしてたまに街外れの教会や孤児院を回っているのだ。
「どなたですかな」
「エルネスト様!聖騎士団所属、ルーカスと申します!火急の要件にて参りました」
ゆっくりと扉を開くと、そこには想像もしなかった人物がいた。
「せ、聖人様!?何故ここに…!」
「話は後で!今は怪我人を診て欲しいんだ」
豊の腕の中には、ぐったりとした金髪の人がいる。
「……その方は?」
「エレンだ」
「……勇者様?」
よくよく見れば、聖騎士ルーカスもあちこち血が滲んでいる。
「とにかく、早く中へ…」
簡素な作りの教会の奥でエレンをそっと横にする。
「何か変なもの飲まされたかもしれないんだ」
豊が教会で偶然会った、玄米に見えた男が喋った内容は、エレンを移動させたという話だけではなかった。
非常に危険な薬を売買していて、それを被験者に与える実験もしていた、と。
泣きながら、自分はなんてことをしたのだと懺悔し始める男を宥めるのは非常に大変だった。
”まさか勇者様にまで使うとは…!まだ調整の済んでいない、実験だというのに…!”
苦しそうに顔を歪めるエレン。
エルネストが詳しく診ようと、エレンのローブを取り払う。
けれど、エルネストは一瞬ぴくりと動きを止めた。
「…え?」
動きを止めたエルネストに、ルーカスも気まずそうに視線をそらした。
「その、聖人様は、ご存じだったのですか?」
ルーカスがモゴモゴと喋る。
「何がだ?」
「勇者様が、その…女性だということ、です」
ルーカスもエルネストも動揺しているというのに、豊だけはあっけらかんとしていた。
「え。見ればわかるだろ?」
「「…。」」
エルネストはそっと頭を抱えた。
「聖人様……世の中の人間が皆、そのように察せるわけではないのです」




