第61話 獣人の誇り
強靭な体、しなやかな筋肉、優れた嗅覚や聴覚…。
獣人に兼ね備えられた身体能力は、魔族の中でも優位にある。
魔王になるような種族に比べれば力及ばないかもしれないが、獣人族には不屈の精神と肉体がある…。
そのことを、ガルドは誰よりも誇っていた。
獣人族の長であるガルドだからこそ、本能的に魔王の強さに畏怖や忠誠心を抱く。
(あのお方は別次元の生き物だ…)
だからこそ、ガルドには納得できないものがある。
(何故、人間などに現を抜かすのか…)
強い種には強い者が相応しい。
それは魔族では共通の認識で、決して100年も生きられないような人間を選ぶような魔族は今はいない。
もちろん、昔は魔族と人が子を成した時期もあっていくつもの種族が生まれたわけだが、人と交流のない現代において、とっくに廃れてしまったものだ。
(最近ではセヴランまで人間に気を許していると聞いている…本当に、どうかしている!)
あの堅物のセヴランも一目置く人間。
ガルドから言わせれば、ただ珍しい能力があるとか言うだけで、決して忠誠を捧げる相手には到底なりえない。
戦争という戦いがなくなって100年あまり経てば、新兵たちも軟弱者が増えてきている。
今のガルドを悩ませるのは、その新兵たちの教育問題だ。
力の差がありすぎるせいか、たまに相手をしてやれば簡単に卒倒するような者が多くて本当に困る。
ため息を吐きながら歩いていると、兵士たちの部屋が妙に騒がしいことに気づいた。
「おおおおお!!!すげー!!」
「これで15人抜きだぞー!!!」
「もう勝てる奴なんていないんじゃないか?!」
「…なんだ?」
また兵士同士で賭け事でもやってるのだろうか。
息抜きにはちょうどいいかもしれないが、騒がしすぎるのも問題だ。
ガルドが部屋を覗くと、兵士たちが机の一角に集まって騒いでいる。
「おい、賭け事もほどほどにしろよ」
「た、隊長…!?」
ガルドの声に振り向いた兵士たちがサッと顔色を変える。
何をそんなに慌てているかと思えば、兵士たちの中心に場違いな小さな人間が一人。
「おいおい。お前ら誰を部屋に入れてるのか分かってるのか?」
のしのしと巨大な体で歩いてくるのは、最初にノクスに紹介された時以来の魔王幹部が一人、ガルドだった。
見上げるほどに大きな体が歩く度に、兵士たちは遠巻きに逃げて壁際にぴたりとくっついている。
唯一、次に結衣と腕相撲で対戦しようとしていた兵士一人が取り残され、その顔は真っ青になっていった。
「あの!私が無理にお願いしたんです」
兵士たちは何も悪いことはしていない。
ただちょっとした好奇心で覗いた結果、場の空気を壊してしまったのは結衣だし、そのままの勢いで腕相撲をしてしまったのも結衣自身だ。
(まさか対戦する人全部に勝ち続けるとは思わなかったけど…!!)
“剛腕”という力は、思っていた以上にすごいらしい。
現代の日本だったら勝てそうにない相手に簡単に勝ててしまった。
「本当なのか?」
「はい。ユイ様が負けたらすぐ戻ると仰ったのですが…」
レティシアは首を振って答える。
「挑戦される方全てに勝たれています」
「ほう?」
レティシアの言葉に、ガルドの表情が変わった。
「じゃあ、ちょっくら俺と勝負しようじゃねぇか」
「た、隊長が!?」
「まじかよ…」
途端にどよめく兵士たち。
それと同時に、結衣に向けられるのは同情するような眼差しだ。
兵士の訓練でガルドが出てくると、大体の建物は半壊するし、その後の負傷者の数は半端ないのだ。
そんなガルドの相手を、小さな人間がするなんて…。
「心配するな。俺は利き手は使わねぇ。ユイ様は両手でいいぜ」
目の前に座ったガルドの大きさに、思わず結衣が圧倒される。
「ガルド様、ユイ様は魔王陛下の…」
「分かってるよ。俺も本気じゃやらねぇって」
下手に傷つけでもすれば面倒なことになる。
(どうせ、また変な力でも使ってるんだろう?俺が獣人の底力を見せてやるよ)
小手先だけの力では、到底叶わないということを見せてやる。
そう、ガルドは意気込んでいたのだが…。
「…っぐぐ!!」
「〜っ!」
「す、すげー!」
「隊長を押してる!!」
丸太のような太い腕が徐々に押し倒され始めると、兵士たちの歓声がさらに大きくなった。
「ユイ様!!頑張ってください!」
「ユイ様!いけますよ!」
「ユイ様!隊長なんてやっちゃってください!」
(誰だ!俺なんてやってしまえと言った奴は…!!後で覚えとけよ!!)
利き手でないとしても、ガルドは軍一番の腕力の持ち主だ。
それが…。
「か、勝った…!」
「隊長が負けた…!!」
兵士たちの間で、どよめきと困惑が広がっていく。
「くくくっ…!!」
肩を震わせたガルドが大きな口を開いて笑い出す。
「はーはっはっは!!いや、大したもんだ!!」
流石に疲れたのか、ぐったりとした結衣の肩を支えるレティシアは騒がしい笑い声に眉をしかめた。
「すげーなあんた!!」
こんなにちっぽけな人間が、まさか獣人の力を超えるとは…。
「気に入った!是非今度うちで新人どもに喝を入れてやってほしい!」
「えっ」
困惑したのは結衣だ。
ただ場の流れで腕相撲をしただけだし、個人的にはもうそろそろ部屋に帰ってゆっくりしたい。
「どうだ!?今度、新兵同士のトーナメントがあるんだ!良かったら…」
「ガルド様、ユイ様はお疲れなのでそろそろお暇させていただきます」
面倒なことになりそうだと察したレティシアが結衣を素早く立ち上がらせるが、ガルドは全く意に返さない。
「いいだろ?何、ほんのちょっと吹っ飛ばしてくれれば…」
「あの…私、そんなに強くないので…」
「何言ってるんだ!両手とはいえ、このガルドの力に勝ったんだぞ!?」
「い、いえ…あの…。本当に戦うとか無理なんで…!!」
「そんなこと言わずに…」
「ガルド?」
ピシリ
空気が一瞬にして凍った音がした。
それまで周りにいた兵士たちは、一斉に壁際に整列をする。
心なしか冷や汗をかいているように見えるのは気のせいだろうか。
そんな冷え切った空気の中で、子供達の無邪気な声が響く。
「ぱぱ〜!おうち帰ろう〜!」
「早く行こうよ!」
きゃっきゃと騒ぐ子供とは裏腹に、ガルドの顔も青くなっていく。
「これはどういうことかしら?私の目にはユイ様が困っているように見えるのだけど?」
あなた、どういうことか説明してくれる?
近くにいた兵士にニコリと笑顔を向けるのはノエルだ。
「はっ!力比べで負けた隊長が、新兵の指導をユイ様に頼んでいたところであります!」
「素直で良い子ね。…それで?ユイ様は困っているように見えるけど?」
「た、隊長が無理やりお願いをしていました!」
「…そうなの」
(隊長、すみません!自分はまだ死にたくありません!!)
兵士の心の声が聞こえた気がする。
「…ひょっとして、ノエルの旦那さんってガルドさんなの?」
「あら、私ったら言っていませんでしたっけ?」
嫌だわ、ついうっかりしてたのかしら…そうやって結衣に微笑むノエルは、その笑顔をガルドに向ける。
「それで?何か言い残すことはあるかしら?」
「ま、待て…!落ち着けノエル!俺は良かれと思って…」
「私は落ち着いています。さて皆さん。私はガルドと少々個人的なお話がありますので、廊下で子供達とお待ちいただけますか?」
「「「「「「はいっ!!!!」」」」」
一斉に部屋を飛び出した兵士たちの後に続いて、結衣もレティシアに背中を押されるようにして廊下に出た。
廊下ではブルブルと震えている兵士や、顔を真っ青にしている兵士が廊下の隅で固まっている。
「お、俺はまだ死にたくない…!」
「俺だって!」
結衣は震える兵士の一人に、躊躇いがちに聞いた。
「あの…ノエルってそんなに怖いの…?」
「こ、怖いなんて、それどころじゃありませんよ!」
「”首狩のノエル”…元暗部の首領ですよ!?」
「今まで一体何人の兵士が、見た目の可愛さに騙されていったことか…」
「ナンパ目的で声をかけたが最後、その後そいつは記憶を失って戻ってきたとか…」
「俺は戻ってこなかったって聞いたぞ?」
「いずれにしても…」
「「「「「恐ろしい…」」」」」
部屋の中から、絹を裂くような悲鳴が聞こえてくる。
それに、ドン、だとかバン、だとか鈍い何かがぶつかる音。
結衣はそっとレティシアに促されるように、部屋へと帰っていった。
おまけ
「ユイ様、それにしても強かったなー」
「あんな小さな手で隊長含めて16人抜きだもんな」
「あぁー俺も対戦しとけば良かった!」
「小さくてすごく柔らかい手だった…」
「おまっ…!いいなーちくしょう!」
「俺、この手は一生洗わない」
「また対戦してくれないかなー」
「…。」
「そんなに戦いたいなら、是非私が相手をしましょう」
「ひっ…!!ノエル様!?」
「い、いえ!我々は今後一切、ユイ様には近付きません!!」
「手は今すぐ洗ってまいります!!」




