第60話 意外な一面
ノルティアがバフォメット族の土地の調査に向かったと聞いたのは次の日だった。
その間にも結衣は帳簿の解析の続きをして、部屋の中にある書類の半分が解析終了になったばかりだ。
結衣が直接全ての数字を見るわけではないのに、妙に体が疲れるのは帳簿の力を使っているせいなのか、終わりの見えない書類の山に心が折れかけているのかは分からない。
けれど、ベルンが部屋の中をちょこちょこと歩く姿を見るだけで、何となく癒される。
午前中はずっと部屋に籠りきりだったせいで、何となく外の空気が吸いたくなった結衣は、休憩時間に中庭をベルンと散歩することにした。
いつもならノエルが一緒だが、今日はお休みらしくレティシアがついてきた。
「これは眠り草!こっちは痺れ花…こ、これは猛毒の…!」
流石は薬草で有名なバフォメット族なだけあって、一目見ただけで何の植物なのかすぐ分かるベルンがキョロキョロと辺を見渡している。
「素晴らしい!どの植物も、とても元気です!」
小さなピンクの花を前に、ベルンの白い尻尾がフルフルと振る仕草は何とも癒される。
その時。
ガサリ!
「「「…!」」」
草と草の隙間から、ひょっこりと小さな子供が出てきた。
小さな獣の耳がヒクヒクと動いているから、おそらく獣人の子供だろう。
突然目の前に現れた結衣たちに、子供は驚いたように目を丸くしていた。
「どうしたの?迷子?」
簡単に魔王城に入れるわけがないだろうから、きっとこの城に勤めている人の子供なんじゃないだろうか…
結衣がそう思って優しく声をかけると、子供は素直に頷いた。
「お兄ちゃんが迷子になっちゃったの」
「そう。お兄ちゃんを探してたの?偉いね」
見た目は5歳くらいの子に見える。
「レティシア、この子のお父さんかお母さんって探せる?」
「ユイ様、その子は…」
「あ!いた!」
レティシアが言いかけた時、急に声がして、次の瞬間わらわらとどこからともなく子供達が現れた。
「お前、勝手に歩き回るなよなー!」
「違うもん、迷子になったお兄ちゃんを探してあげてたんだもん!」
「見つかったのー?」
「もう、足速いよー」
「にーに?」
一体何人いるんだろうか。
一気に賑やかになった中庭に、見知った声が響いた。
「ユイ様?」
「え、ノエル?」
そこにはいつものメイド服ではなくて、動きやすいパンツスタイルのノエルの姿。
「ひょっとしてノエルの子たち?」
「はい。今日は子供達に職場見学をさせていて…」
普段昼間は魔王城の一室で他の魔族の子供たちと一緒に預かってもらっているが、今日は特別に城の中の仕事を見学する目的らしい。
「託児所まであるなんて、ノクスって本当にすごいな…」
「はい。今の魔王様になるまでは考えられなかったことです」
少しだけ誇らしげなノエルが、優しげな表情を見せた後、すっとその目を細めた。
「しかし…ユイ様の前でこのような振る舞いはいただけません…」
「全員、整列!!!」
鋭い声が響いて、ノエルの言葉と共にそれまで走り回っていた子供達がぴたり、と止まった。
途端に、大きい子から小さい子まで横一列で並んだ。
「右から二番目!五番目!半歩ズレている!」
今まで聞いたこともないような、まるで軍隊みたいな号令を出すノエルに結衣の目が驚きに開かれる。
「失礼しました、ユイ様。なにぶん、まだ幼いゆえにご容赦いただけると幸いです」
「全然気にしてないから…」
驚きなのは、見た目2、3歳くらいの子まできっちり整列していることだ。
「良いですか?この方は私が仕える主のユイ様です。ご挨拶は?」
「「「「「「初めまして、ユイ様!」」」」」」
「は、初めまして…」
子供たちの声に圧倒された結衣が苦笑いをしながら答えると、一番小さな子供が我慢しきれないとばかりに飛び出した。
「ままー!」
飛び出してきた子供を受け止めて、小さく笑うノエル。
「仕方ありません…整列は終わりです!」
その一言を合図に、子供達は一斉に列を崩した。
小さい子を抱きしめるノエルの表情は優しいお母さんそのもので、思わず結衣の口元も緩んだ。
「ぱぱにあいたい」
「それでは、ご飯を食べたら会いに行きましょうか」
(厳しい人なのかと思ったけど……ちゃんと、お母さんなんだ)
抱き上げた小さな子の頭を撫でたノエルは、結衣に頭を下げた。
「ユイ様、それでは失礼いたします」
「うん。楽しんできてね」
「今日はここまでにしようか」
「お疲れ様でした!」
ベルンが手伝ってくれたおかげで、午後の帳簿の解析もだいぶ進んだ。
残すところ後もうちょっと。
夕食はまだ早いけれど、一区切りがついたところで早めに切り上げることにした。
「夕食前にお茶をお入れしますか?」
「うーん…。ちょっと歩いて気分転換しようかな」
「かしこまりました」
部屋にこもりきりなのは、やっぱりどうにも落ち着かない。
外は少し肌寒いから、城の中を歩かせてもらおう。
レティシアがいてくれるおかげで、どんなに広い城の中でも迷子になることはない。
今まで通ったことのない道を通りながら、ぼんやりと歩いている時だった。
「うおおおおお!!」
「今だ!押せ!!」
「ばかっ!お前に賭けてんだから負けるなよ!」
「…何だろう?」
妙に熱気のこもった、騒がしい部屋がある。
「このフロアは軍部の一般兵がいるフロアです。ユイ様のお目汚しになるやもしれません」
「一般兵…」
実は結衣にはずっと気になっていたことがある。
ノクスやセヴランと関わることが多いからなのか、たまに廊下ですれ違う普通の兵士や、ノエルたち以外のメイドさんからは若干遠巻きに見られている気がするのだ。
魔王やその幹部の人と接することが多いからなのか、それとも人間だからなのか…
特に危害を加えられるわけでもないけれど、何となくずっと胸の内に引っかかるものがある。
(全員と仲良く出来るわけじゃないと思うけど、相手のことを知ってみないと話にならないよね…)
「ちょっと覗くだけ。ね?」
開け放たれた扉の中は広々していて、兵士たちが休憩をする場所のようだった。
皆、手には酒瓶を持っていたり、ご飯を食べていたり、そしてその中心で一つのテーブルを囲む団体がいる。
周りにいるものたちも、やんややんやと騒いでいた。
「おらっ!これで5人抜きだ!」
「おい!誰かこいつを止めてくれよー!」
自慢気に腕を振り回す兵士が一人。そしてその周りでは意気込む兵士や、手を痛そうにさする兵士もいる。
(何だろう…腕相撲?)
まるで学生が部活で騒ぐような賑やかさに結衣が笑っていると、扉の近くにいた兵士の一人が結衣の存在に気付いた。
「何だー?嬢ちゃん迷子かー?」
「お、可愛い子じゃん」
「おいおい、ナンパしてんじゃねえぞ」
一気に3人の兵士の壁が出来ると、そこそこ迫力がある。
思わず結衣が1歩下がると、レティシアがすかさず結衣の前に出た。
「下がりなさい」
兵士たちを睨みつけるレティシアに、兵士の一人が小さく口笛を吹いた。
「可愛いメイドちゃんじゃん!」
「めっちゃ美人!」
「黙りなさい。魔王様の客人であるユイ様の前で無礼な振る舞いは許しません」
「魔王様の…」
「客人…?」
兵士たちの顔からサッと色がなくなった気がした。
騒ぎに気付いた他の兵士が、次々と静かになっていく。
ヒソヒソと、囁くように聞こえるのは戸惑った兵士たちの声だった。
「魔王様の客人って…」
「要注意って伝達のあったやつじゃ…?」
「お、おい!どうすんだよ!?」
さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返ってしまって、結衣は完璧にやらかしたと思った。
レティシアが結衣をその場から促そうとする前に、咄嗟に声を上げた結衣。
「ごめんなさい。その…邪魔するつもりはなくて」
どうしたらいいのか。
このまま立ち去ってしまえばいいのだろうけれど、邪魔したのはこちらなのだから、兵士の人は何も悪くない。
「その!もし良ければ私もやってみようかな!なんて…」
「ユイ様!?」
焦って口に出した言葉に、結衣自身が更に焦る。
(何言ってるの私!?もっと上手い言葉があったでしょ!?)
「い、いえ…その…。お客様に怪我をさせるわけには…」
「私、結構力あるので!」
(こうなったら勢いあるのみ…!)
どうにでもなれという気持ちで部屋の中へ足を踏み入れる結衣。
部屋の中心へ足を進める度に、波が引くように人が割れて道ができる。
テーブルの前で足を止めると、戸惑った様子の兵士たち。
「ユイ様、本当にやるのですか?」
レティシアも戸惑ったように聞くけれど、ここまで来た以上戻れない。
「負けたらすぐ帰るから。ほら、どうしたの?出来ないの?」
「そ、そこまで言うのなら…」
恐らく、それまで勝ち続けていたであろう兵士の人が、躊躇いながら前へ出た。
腕は結衣の何倍もあるし、背丈も全く違う。
まるで大人と子供のようだ。
「それじゃあ、いきますよ?」
「3、2、1…ゴー!!」
ドンっ!!
「…え?」
結衣の手の下敷きになっているのは兵士の手だ。
あまりに一瞬のことで部屋の中がシン、とする。
「も、もう一度!もう一度お願いします!」
我に返ったのは対戦した兵士だ。
(今のは、手加減しすぎたせいだ…)
魔王様の客人に怪我をさせるわけにはいかないが、一瞬でやられてしまうほど弱いと思われても困る。
「うん。いいよ」
「それじゃあ、3、2、1…ゴー!」
結衣の言葉に、すかさず審判役の兵士がカウントをとった。
けれど…。
「…?」
手を組んだまま、全く動かない両者。
兵士は更に力を入れる。
「…え?」
それでもぴくりとも動かない。
更に力を入れていき、最後は顔が真っ赤になるまで力を入れるけれどぴくりとも動かせない。
「…!?」
驚く兵士を他所に、結衣はすかさず力を込めて兵士の腕を倒した。
「勝負あり!」
「おぉ〜!」
「まじか!」
「いやいや…」
呆然とする兵士の肩を叩き、笑う兵士もいる。
「良い演技だったぞ。手加減したんだろ?」
小声で言ってるつもりらしいけれど、結衣の耳にはバッチリ聞こえている。
「つ、次の人!いませんか!?」
結衣自身もびっくりしているのだけど、これが演技だと思われるのは嫌だった。
「じゃあ、僭越ながら俺がやってもいいですか?」
ヘラヘラと笑う兵士は、余裕そうに手をプラプラとさせる。
(ずっと勝ち続けるなんて無理だろうし、ほどほどで早く帰ろう…)
次の挑戦者を前に結衣は思った。




