第57話 抑えきれない衝動
帰りも飛竜の馬車に乗り、独特の浮遊感を味わいながら魔王城へと帰ってきた。
「平気か?」
「やっぱりちょっとフラフラする…」
ノクスが差し出した手に捕まりながら歩くけれど、地面を歩く感覚がふわふわしているような気がしてちょっと変だ。
帰り道で聞いた、ベルンたちの処遇。
極刑ではなくなったことで、結衣は少しだけ胸を撫で下ろした。
「今日はゆっくりするといい」
「…後で、ニコに会いに行っていい?」
「分かった、その時は声をかけろ。共に行く」
「やった」
喜ぶ結衣の姿に、ノクスの口も小さく緩む。
「ユイ様!!!」
魔王城から、無数の小さな影の塊が飛んできたかと思うと、それは結衣たちの目の前でセヴランの姿へと変わった。
「セヴランさん?」
「お待ちしておりました」
心なしか、セヴランの表情がキラキラと輝いているように見える。
(セヴランさんってこんな風だっけ?)
書類の手伝いをしていた時はイライラしていたり不機嫌そうな表情しか見ていなかった気がして、こんなに優雅に微笑む姿は見たことがない。
「是非、ユイ様に見ていただきたいものが…」
「待て、結衣は疲れている。今日はこのまま休ませる」
「そんな…!」
セヴランの目が、絶望したように暗く沈んでいくのを見て、慌てて結衣が手を振った。
「ちょっとくらいなら平気だから…」
「流石はユイ様です!」
「…!!」
ガシリ、とセヴランが両手で結衣の手を握る。
手袋越しでも分かるほど、セヴランの手は冷たかった。
ノクスの視線がたちまち冷たく睨みつけるようなものに変わると、我に返ったセヴランは小さく咳払いをして手を離した。
「では、お部屋に運びますのでお待ちください」
「こ、これは…?」
「商会から押収した、およそ過去30年分の帳簿です」
セヴランが持ってきたのは、山のような書類の束と帳簿。
「ちなみに、別室にて商会関係者を待機させております。こちらには簡易雇用契約書を…」
「待て。まさか結衣の力を使うつもりか」
「ご安心ください。書類一枚、塵一つ残さず漏れのないよう、持ってまいりました」
「全てとは言いません。お疲れでしょうから、ざっと…」
結衣の肩が一瞬ぴくりと震えた。
「15年ほどの分を今日見るのはいかがでしょうか?」
「待て。少しだけだと結衣は言ったぞ」
「はい。ですから、ほんの少し…15年ほどで。本当は、過去50年ほどの分を見ていただきたいのですが…」
困ったようにセヴランが首を傾げた。
「50年になると、この部屋には入り切りませんので、それはまた後日…」
「後日…!?」
思わず顔が真っ青になる結衣を、ノクスがそっと背中に庇う。
「却下だ」
「なぜですか!?この目でその帳簿の神秘なる輝きを見られるかもしれないというのに…!!」
「セヴラン、お前それが目当てだろう」
「いいえ、全てはこの国のためです」
「却下だ」
結局、セヴランの押しに流された結衣は、半日かけて帳簿の解析を行った。
帳簿が自動的に計算してくれるにしても、量が多すぎて時間がかかるらしい。
その間中、ずっと机に帳簿を持ってきて、また別の帳簿と変えての繰り返しだ。
心なしか体も少し気怠い。
ソファで体を沈める結衣を見て、ノクスはため息を吐いた。
「全く…無理にでも断れたというのに」
ノクスは最後までダメだと言い続けてくれたけど、あまりにも必死にセヴランが言うものだから、結衣は罪悪感を覚えてつい、了承してしまった。
「セヴランさんがあまりに必死だったからつい…」
苦笑いする結衣の手を取るノクス。
「…魔力が乱れている。力を使いすぎだ」
商会の記録は凄まじい量で、バフォメット族の城で見た量とは明らかに違った。
そのせいなのか、ノクスの手から伝わる結衣の魔力にも乱れがある。
「結衣、お前には私の二の舞はさせたくない。魔力が枯渇すれば、脆弱な人の身であるお前は壊れてしまう」
「頼む…心配をさせるな」
「ノクス…」
憂うように結衣の手を握るノクス。
ため息にも似た深い吐息が手にかかった。
「じゃあ、ノクスも無理しないって言って」
結衣の言葉に、ノクスの視線が結衣とぶつかった。
「ノクスとの契約印が消えた時、本当に怖かった…」
死んじゃったかも…そう思って…そう続けた結衣の表情は、とても痛そうに見えた。
「結衣…」
そっと頬を撫でると、その熱を確かめるように結衣は目を瞑る。
ノクスはいても立ってもいられず、結衣の体をそのまま引き寄せ…
互いの距離がゆっくりと縮まっていく。
結衣は目を瞑ったまま。
あと少し。
本当にあと少しで…
コンコン
「…!」
「お食事の準備が整いました」
クロードだ。
「ご飯行かないの?」
目の前には、無防備に首を傾げる結衣。
「あぁ、行こうか」
(私は、今一体何をしようと…)
あのまま引き寄せてしまえば、そのまま唇が…。
「…っ!」
途端に早鐘を打つように鳴り出す鼓動。
「ノクス?」
不思議そうな声に我へ返る。
「あぁ……すまない」
耳が熱い。
幸い、その赤さに気付いた者はいなかった。




