第56話 判決
バフォメット族が部屋から立ち去ると、中に残ったのはノクスたちだけになった。
レティシアの入れた緑茶を飲みながら、部屋には沈黙が続いている。
ノクスやクロード、そして小さなコウモリの姿のセヴランが、何冊もある裏帳簿を一つ一つ確認していた。
「やはり、証言通りに全て領地の資材や投資に回しているようですね」
「取引をしていた商会側も調べなければならないな」
「今、私の部下が商会側の動向を監視しています。状況がまとまり次第、差し押さえ可能です」
ノクスたちが今後の方針を話す中、結衣の脳裏にベルンの小さな背中が過ぎる。
小さな背中をさらに小さくさせて部屋の外へ出ていく姿が、いつかのあの日を思い起こさせるのだ。
そのきっかけを作った、目の前にある黒い帳簿。
なんとなく複雑な気持ちで帳簿を開くと、さっきまで出ていたベルンのページが残っていることに気付いた。
───────────────
必要書類の取得を確認
「確定申告」が可能です
実行しますか?
───────────────
(確定申告……? これって、あの確定申告のことなのかな?)
不用意に口にすれば帳簿が反応してしまう。結衣は胸の内だけに留め、ノクスを呼んだ。
「ノクス、帳簿に続きが表示されてて……」
「確定申告? これは、結衣の世界で行ったものか?」
「多分、そうだと思う」
「確定申告……?」
小さなコウモリが首を傾げる。
「結衣の世界では、個人や商会が一年間の収入と経費をまとめ、国へ直接税額を申告する制度になっている」
ノクスの説明に、顔が見えないはずのセヴランが驚いたように羽を広げた。
「領主を介さず、国が個々の申告を直接受けるのですか……!?」
「うん。会社に勤めている人は会社が代わりにやってくれることも多いけど、自分で申告する人もいるよ」
「それでは、管理する資料の数は膨大になるはずですが……」
「パソコン…えっと、魔道具みたいなので、ある程度の計算とかはやってると思う」
「そのような素晴らしき道具があるのですか!?」
興奮したように羽をパタパタとさせるセヴラン。
(ちょっと可愛い…)
「結衣、試しにやってみろ」
「うん…”確定申告”」
───────────────
確定申告を開始します
対象
ベルン
帳簿を照合中……
───────────────
未申告所得 金貨3,684枚
未納税額 金貨1,105枚
───────────────
違法収益を検知しました
犯罪収益を照合中……
───────────────
違法収益総額 金貨3,684枚
現金残高 銀貨18枚
資産状況を確認……
───────────────
違法収益は既に
固定資産へ変換されています
・薬草乾燥施設 金貨620枚
・灌漑設備 金貨840枚
・研究施設 金貨1,120枚
・保管倉庫 金貨950枚
・その他設備 金貨154枚
───────────────
犯罪収益を確認しました
違法収益は
領地固定資産へ
変換済みです
没収対象資産 なし
個人責任のみ継続します
───────────────
「これは…」
息を呑むノクスに、セヴランが興奮したように飛び回った。
「魔王様!一体何が書かれているのですか!?」
日本語の読めないセヴラン達に代わりノクスが読み上げると、衝撃を受けたようにセヴランが机の上に落ちてきた。
心なしか足元がふらついているように見える。
「な、なんて…!!素晴らしい…!!!こんなにもあっさり数値を集計し、弾き出してしまうとは…!!」
「いや、あの…本当の確定申告はここまで出ないと思うけど…」
「私は奇跡を目の当たりにしているのでしょうか…!?」
(どうしよう、全然聞いてない気がする…)
結局、セヴランは終始興奮したままで、最後に急ぎ調べなければいけない事がありますのでと捲し立てるように喋った後に、影になって消えてしまった。
クロードもレティシアも退室し、部屋に残っているのはノクスと結衣だけだ。
レティシアが退室する前に入れ直した緑茶を飲みながら、ノクスが口を開いた。
「体に倦怠感はないか?帳簿の力を使った後で違和感を感じたりはしていないか?」
「特に平気だよ」
「それならいいが…」
ノクスが黒い帳簿を見つめながら言った。
「この力は見たことも聞いたこともない。だから、もし違和感を感じたらすぐに言ってほしい」
ノクスが結衣の手を取り、目を瞑る。
「…魔力は安定しているようだな」
魔力と言われても、結衣には全く分からない。
帳簿は勝手に動いているように見えるし、炊飯器を使う時だって感じるのはコンセントの金属の冷たさだけだ。
ゆっくりと開かれたノクスの目が、思いの外近くにいた結衣に改めて気付いて慌てて手を離す。
「すまない」
ギシリ、とソファがノクスの動きに軋んだ。
触れていた熱が離れたのが少し寂しいと、結衣は素直に思った。
「ねぇ、ノクス…」
「どうした?やはり体に何か不調が…!?」
「そうじゃなくて」
小さく笑いながら、結衣は机に置かれたままの黒い帳簿を見ながら言った。
「ベルンさん、どうなっちゃうの…?」
「…私欲のために使ったわけではないが、禁制薬草を流通させてしまったのが問題だ」
浮かない顔の結衣に、ノクスは眉間にシワを寄せた。
「結衣が気に病むことではない。これは見落としていた我々の責任でもあるし、何よりそれを治める私の問題でもある」
確かに、悪いことをしたのは良くない。
禁制薬草というものの恐ろしさを結衣は知らないし、この先バフォメット族の人がどうなっていってしまうのかも想像できない。
けれど、結衣の脳裏にはベルンと重なる影を思い出してしまう人物がいる。
「スーパーにいた人のこと覚えてる?」
「…結衣を怒鳴っていた者のことか」
「うん」
人手が足りない、時間がない、どうしてちゃんとやらないのか…。
結衣のアルバイト先にいた一番古株のベテランの人は、仕事も出来たし責任感も強かった。
結果、感情のままに怒鳴り散らして、他の人は萎縮するし誰も何も言えなかった。
やり方を見直す…ノクスの言葉で奮い立った店長が話をしたけれど、その人は今までの自分を否定されてしまった気がして、結局辞めてしまった。
最後に見せたあの背中が、どうしてもベルンと重なってしまう。
「やり方は間違ってると思うけど、何かのために一生懸命だっただけだと思うの」
「…そうだな」
ノクスはいつも肯定してくれる。そしてもし違うと思えば、それを正す道を示してくれた。
「だから、チャンスをあげてほしいの。間違ったことはしてしまったけど、それを正しくできるようなチャンスを」
「結衣…」
「私、あの時なんて声をかければいいのか分からなかった」
扉の向こうに消えていった背中に、どんな言葉をかけたらいいのか、今もまだ正直言って分からない。
「甘いな」
ノクスの言葉が響く。
「だが、お前らしいとは思う」
結衣が視線を上げると、ノクスの目が優しげに細められた。
「善処はしよう」
「ありがとう」
ほっとしたように笑う結衣。
(結局、私はこの笑顔に弱い…)
「ベルン、エルバを呼べ」
「畏まりました」
結衣は部屋に戻り、ノクスは一人残った部屋でクロードに声をかけた。
やがて部屋に入ってきたベルンとエルバ。
ベルンはずっと震えが止まらないのか、足だけでなく体もブルブルと震えている。
「ベルン、エルバ。全ての事実確認は終了した。これより判決を言い渡す」
「魔王様、不正を見落とした私に責任があります!どうかベルンには慈悲を…!」
「エルバ、口を閉じろ。判決は既に決定している」
エルバが開きかけた口を閉じ、力なく肩を落とす。
「エルバ様、ありがとうございます。私はそのお気持ちだけで十分です」
ベルンは魔王へと覚悟したように向き直った。
「禁制薬草の栽培、流通。ならびに虚偽報告」
「これは極刑に相当する」
(あぁ、僕はもう終わってしまうんだ…)
バフォメット族の中では体が小さく力もない、いつも周りに馬鹿にされてきた。
けれど、そんな自分を救ってくれたのがエルバ様だ。
読み書きや計算を学び、仕事を与えてくれて、居場所を作ってくれた方。
そんなエルバ様の領地を守りたくてやったことだ。
(エルバ様、本当に申し訳ありません)
ただ一つ不安なのは、禁制薬草のことが公になってバフォメット族の…エルバ様の顔に泥を塗ってしまうことだ。
「…しかし」
魔王が続ける。
「違法利益は全て領地へ投資され、私腹を肥やした事実は認められなかった」
「また、長年に渡り領地維持へ尽力した功績も考慮する。よって…」
魔王の意外な言葉に、ベルンの呼吸が止まった。
「ベルン、極刑は免ずる」
「…え?」
「しかし、その罪は非常に重く軽視できるものではない」
「魔王城財務部預かりで、80年、無償にて国へ奉仕せよ。」
「魔王様…!」
エルバが思わず顔を上げる。
「勘違いするな、これは恩赦ではない。お前が生み出した損害を、この国へ尽くすことで償え」
80年は決して軽い数字ではない。
獣人の寿命は200年ほど。
ベルンの年を考えても、残りの人生の半分以上だ。
「お前には才能がある。だからこそ、その才能を誤った道に使ったことを私は許せん」
「残りの人生で証明しろ」
「お前を生かした私の判断が、間違いではなかったと」
「…っ!!」
ベルンは肩を震わせながら深く、深く頭を下げた。
「続いてエルバ、領主としての監督責任は免れない…が、領地を立て直せるのはお前しかいない」
「よって一年間、領主としての査定を保留とする」
「四半期ごとに魔王城へ直接報告を提出せよ」
「改善が認められなければ領主を解任する」
部屋に重い沈黙が落ちる。
涙を堪えるエルバに、ノクスは静かに続けた。
「立て直せ。それがお前に課す罰だ」
「…はっ!…必ず、必ずや、西部地方を立て直してみせます」
「期待している」




