第53話 バフォメット族
セヴランは帳簿を見つめたまま、静かに口を開く。
「……実は、この件には以前から違和感を抱いておりました」
クロードが息を飲んだ。
「やはりか」
ノクスの一言に、セヴランは小さく頷く。
「ただ、どれも一件一件はごく僅かな誤差でした」
「計算も税額も合っている、書類上の不備もない」
「それゆえ、単なる記載ミスや産地変更の可能性も否定できませんでした」
苦々しいものを思い出すように、セヴランの表情は曇る。
「私は独自に部下を送り、帳簿・流通・倉庫を調査させました」
「領内の記録は全て一致、倉庫も問題なし」
「違和感はある。…ですが、決定的な証拠には届きませんでした。」
ノクスは腕を組みながらセヴランに問う。
「怪しい者は」
「数名まで絞り込んでおりますが、推測だけで拘束することは出来ません」
「当然だ。憶測だけで人は裁けん」
憶測だけで拘束してしまえば、それは独裁者になり、目指す統治とは違ったものになってしまう。
話し込むノクスたちを横目に、結衣はなんだか大変なことになってしまったと思った。
(ただちょっとだけ疑問を持った鉱石の話が、まさかここまで大事になるなんて…)
「魔王様、リシェルに捜査協力を依頼しては?」
「そうだな。セヴランの部下で見つけられないのなら、より深く潜り込んで捜査する必要がある」
深く考え込んでいたノクスの視線が、不意に結衣に向けられる。
「…潜入捜査ではより時間がかかる。それよりももっと早い方法があるかもしれないぞ」
翌日、結衣は空飛ぶ竜車の中にいた。
馬車の竜バージョンのようなもので、人が乗れる部分を飛竜が空を飛んで引っ張るというものだ。
剥き出しの飛竜に乗って行くことになるのも嫌だけれど、このジェットコースターのような感覚も結衣には苦手だった。
進行方向に体は向いているけれど、ジェットコースターと違って持ち手も安全バーもない椅子に座っているのは、なかなかスリリングだ。
顔が引き攣る結衣が思わず拳を握り締めると、それを見ていたノクスが結衣の肩を引き寄せた。
「怖ければ寄りかかっているといい。安心しろ、怪我もさせないし、そんなことを許す私ではない」
体ごと引き寄せられて、思わずノクスと密着することになってしまった結衣の心臓が、今度は別の意味でドキドキし始める。
(…これはこれで緊張するんですけど!?)
「ようこそ、おいでくださいました魔王様」
深々と頭を下げるのは、真っ白なふさふさとした毛を持つ、見た目は山羊の男性だった。
頭をゆっくりと上げると、立派な角も相まってとても長身に見えるし、並ぶとノクスよりも大きく感じた。
「突然の来訪にも関わらず、手厚い歓迎を感謝する」
「いえいえ。魔王様がいらっしゃるのならば当然のことです」
ノクスと握手を交わす山羊の人…バフォメット族のエルバさんというらしい。
大きな体とは裏腹に、その物腰は穏やかで、どこか安心感を覚える人だった。
結衣から見れば、完璧に二足歩行の山羊にしか見えないのだけれども。
「こちらは結衣だ」
「初めまして、結衣といいます」
「初めまして。…おや?」
「あぁ。結衣は人間だ」
首を傾げたエルバさんに、ノクスが間髪入れずに答える。
(見た目だけで人間って分かるものなのかな…?)
「結衣には今、魔族領内について学ばせている。今回は、貴殿の薬草に興味があるということで連れてきたのだ」
「ほぅ…我が領内の薬草に興味をお持ちとはお目が高い!」
優しげに細められた目から、人間ということにはあまり嫌悪感を抱いていないように見える。
「エルバ様」
ふと、今までノクスの後に控えていたクロードがエルバの側まで歩み寄る。
(結衣様は、ゆくゆくは魔王妃となられるお方です。…今回のこれは、公にしていない公務ですが、くれぐれもこのことはご内密に)
(何と…!あの噂は誠でしたか!)
ボソボソとエルバの耳元で喋るクロードの声は、残念ながら結衣には聞き取れなかった。
小さく咳払いをしたエルバが結衣たちに向き直る。
「魔王様、ユイ様。まずは旅のお疲れを癒せるよう、お部屋にご案内いたします」
続いて、エルバは側にいた従者に耳打ちする。
(急ぎ、魔王様のお部屋をユイ様のお隣へ。失礼のないよう、最上級客室をご用意するのだ。)
従者の目が一瞬だけ丸くなる。
(承知いたしました。)
一礼すると、従者は矢のように城内へ駆けていく。
「ささ、どうぞ」
エルバが手を広げ、結衣たちを城内へと促した。
「美味しい…」
馴染み深い色の緑色。魔王城でよく飲んでいたのは紅茶に似ていたけど、これは完璧に緑茶だ。
紅茶ももちろん嫌いではないけれど、やっぱり緑茶を飲むととても落ち着く。
「魔族領では紅茶が主流ですが、ここ西部地方では緑茶が有名なのです」
結衣の荷物を整理していたレティシアが教えてくれた。
「もしお気に召したら、城でも出せるよう買っていきますか?」
「うん!お願い!」
まさかこんなところで日本を感じられるとは思わなかった。
結衣が思わず笑顔で頼むと、レティシアはほんの少しだけ口角を上げた。
いつも昼間ついていてくれるのはノエルだが、ノエルには子供も沢山いるし、何より…。
「夫を残していくと、城が半壊しかねませんので」
「そ、そうなんだ…」
ニコニコと笑うノエルの言葉が嘘か本当かわからないけど、魔族だったらそういうことってあるもの…なの?
「さぁ、ユイ様。ノエルよりユイ様の魅力を魔王様へ遺憾無く発揮せよ、と命を受けておりますので、そろそろ後支度の方宜しいでしょうか?」
「お手柔らかにお願いします…」
「すごい…これ、全部薬草なんですか?」
「はい。我が自慢の薬草園になります」
目の前に広がる一面緑色は圧巻だ。
まずは城の近くの薬草園を、とエルバが直々に案内を買って出た。
ドーム状の幕に覆われた中に入ると、均等に並んだ緑色がぎっしりと生えている。
列ごとに色の違うものや背丈の違うものもあるから、多分種類が違うのだろう。
入る時に何の抵抗もなかった薄くドームのような幕は、術式で展開されたもので雨風をしのいでくれる物だという。
エルバが薬草の葉を一枚摘むと、そっと結衣の手に置く。
「どうか匂いを嗅いでみてください」
言われるがまま鼻先に近づけると、ミントのような爽やかな香りが広がった。
「良い匂い…」
「好き嫌いのある匂いなのですが、ユイ様のお気に召したようで安心しました」
そのままエルバがもう一枚薬草の葉を摘み取ると、そのまま口の中に入れた。
「匂いももちろんですが、薬草の良し悪しを決めるのは味なのです。私たちは、定期的に味を確認して、時期によって加工の方法を変えるのです」
(お米と同じだ…)
エルバの言葉に、結衣は小さく頷いた。
「ちょっと分かる気がします…」
お米も、見た目の良し悪しはもちろんある。
玄米の状態だと豊には叶わないけれど、精米した白いお米のことなら結衣の方が得意だ。
粒の大きさ、形、実際に炊いてみた加減から、お米同士のブレンドの配合を変える。
1年を通して、安定した味を提供するために食味はとても大事なのだ。
「私の故郷の食べ物も、必ず味を確認しないと、その時の水加減とか配合の仕方が変わるんです」
「なんと!人間の食べ物も奥が深いのですね…!」
「食べたい種類の食事に合わせて種類を変えてみたり、その年によって出来が違うので、毎年同じでは出来なくて…」
「そのようなものがあるのですか…。叶うことなら、いつか食べてみたいですね」
エルバとは通じ合えるものがあるかもしれない…結衣は話ながらそう思った。
おまけ
「やはり場所によっても味が微妙にことなったりするので、私たちも日々研究しているのですが、これがまたなかなか…」
「分かります!私の方は品種が多すぎて、ある程度絞ってブレンドしているんですけど、お客さんのニーズに合わせた配合って簡単に作れなくて」
「何枚も何枚も食べているうちに、腹も膨れてくるし、種類が増えれば増えるほど、しっかりした記録をつけないと訳がわからなくなったり…」
「本当にそうです!でも中途半端なものは出したくないしって…」
「えぇ!分かってくださいますか!」
エルバが思わず結衣の両手を握る。
「最高のものを届けたい、その一心なのです!」
「そうなんです!」
「「「……。」」」
結衣とエルバの後ろでは、完全に空気となっているノクスたちがいた。
(片方は薬草、片方は米について語っているのに、なぜこんなに意気投合しているのだ)
ノクスが小さくため息を吐く。




