第46話 竜のすみか
そこは巨大な岩がごろごろとひしめき合う場所だった。
乾いた風が容赦無く頬を叩く中で、結衣は必死にノクスの腕に捕まっていた。
バタバタと服がなびいて、後ろからノクスが支えてくれなければ、あっという間に吹き飛ばされてしまいそうだ。
「見えてきたぞ」
「…!」
黒い影があちこちに飛んでいる、岩肌の大きな窪みの中。
すり鉢状になった場所に、無数の個体がひしめき合っている。
ふわりとした独特の浮遊感の後、重い音と共に地面に降り立つ飛龍。
結衣は今、飛竜の巣の中へ降り立った。
急遽、街の散策をした次の日の朝、ノクスから視察に一緒にきて欲しいと言われて、やってきたのがここだ。
(昨日といい今日といい、どうしたんだろう。…まさか、セヴランさんからクレームでも入ったのかな)
やっぱり使い物にならないから、来て欲しくないとでも言われたのかな、と言う結衣の思考は、次の瞬間。
視界の片隅で動く小さなものに心奪われた。
「可愛い…!」
よたよたと歩く姿は、小さな小鳥を思わせる。
もちろん、小鳥なんかよりもよほど大きいけれど、結衣の足元くらいにしかならない、小さな姿はふわふわとした体毛も相まって、可愛らしい。
クリクリとした目は、初めて会った頃のノクスの姿を思い起こさせた。
突然やってきた侵入者を警戒していた飛竜たちは、ノクスが魔力を放出することで大人しくなった。
「ノクスの時もそうだったけど、竜って小さい時はふわふわしてるんだね」
「大きくなるにつれ、魔力を身に纏って鱗状に変化していく」
大人の飛竜は怖がっていたのに、小さい子供は平気なようだ。
目を輝かせながら飛竜の子を見る結衣に、ノクスは小さく安堵の息をこぼした。
「触れてみるか?」
「いいの?」
「健康状態を確認するためでもある。噛まれないようにだけ注意しろ」
見知らぬものにも興味を示す小さな個体が、わらわらと周りに集まってくる。
しゃがみ込んだ結衣は、近くで小さな頭を必死に持ち上げて結衣の様子を見ている子供に、そっと手を伸ばした。
「あったかい」
頭を撫でると、気持ちよさそうに目を瞑る飛竜の子。
自分もやれと言わんばかりに、他の子供が結衣の膝にグリグリと頭を擦りつける。
「ふふ。順番ね」
次から次へやってくる、小さなふわふわとした塊に、結衣は嬉しそうに笑う。
「似合うな…」
「何か言った?ノクス」
「いいや」
ノクスはつい漏れ出た言葉に、慌てて口を閉じた。
昨日、クロードに散々注意されたばかりだというのに。
『いいですか、魔王様。絶対に、”子供が欲しいか”などと聞いてはいけませんからね』
『なぜだ』
『…魔王様。もしあなたが他の魔族の女性に子供が欲しいなどと言われたらどう思いますか』
『それは…』
『そういうことです』
『しかし、結衣は私のことを好いていると…』
『好いている”かも”です』
『…。』
魔族は、確かに情よりも血を重んじる部分が多い。
感情よりも、合理性やその後の強い血筋を残すことが大事だからだ。
ガルドのような、心底惚れ込んでと言うのは、魔族の中ではとても珍しい例なのだ。
けれど、小さな飛竜の子と戯れる結衣を見ていて、ノクスの脳内では、以前の自分なら想像もしなかったことを思い描いてしまう。
“もし、結衣との間に子が出来たら、と”
自分の側に結衣がいて、その腕の中に小さな命を抱いていたら、それはどんなものにも変え難い光景だろう。
ノクスの思考を遮ったのは、結衣の小さな悲鳴だった。
「わっ!?」
「!」
いつの間にか沢山の飛竜の子に囲まれ、そして力に押し負けて後に倒れる結衣。
「く、くすぐったい…!」
ぺろぺろと結衣の頬を舐めて甘える飛竜の子供に囲まれ、もみくちゃにされている。
(そこまでは許容できん…!)
無言で結衣を抱き起こすと、そのまま横抱きにして歩いていく。
下では不満そうにノクスの足に頭をぶつける飛竜の子供。
「の、ノクス!歩けるよ!」
「……ダメだ」
「ちょっと!?」
「このまま、他の個体の状態も調べる。大人しくしていろ」
「〜っ!」
ノクスが断固として降ろさないことが分かったのか、結衣は顔を赤くしながら大人しく縮こまった。
(私は独占欲が強いらしい…)
大人しくなった結衣に、ノクスの中で感じたことのない優越感や満足感が広がる。
しばらくそのまま歩いていると、黒い毛の塊たちの中に、一際目を引く存在に気づいた。
「あれ。あの子、真っ白だ」
弱々しく、動きも鈍い。他の個体に押されて、上手く立ち上がることが出来ないようだった。
色の濃淡はあれど、飛竜は基本的に黒い個体だ。
けれど、たまに生まれる白い個体は、生まれつき体が弱く、長生きすることが出来ない。
恐らく、放っておけばこの子供も空を一度も飛ぶことなく死んでしまうだろう。
その白い飛竜の側に、心配そうに様子を見る一際大きな飛竜。
「お前の子供だったか」
「グルル…」
体中には古傷が沢山ついていて、片方の目は潰れている。
飛竜たちの中でも最古参と言っていい、ノクスが幼少期から見ていた飛竜がそこにはいた。
かつて戦場でも活躍し、その力を奮っていた面影は、今はもうすっかりない。
もう年齢も年齢だから、これがこの飛竜の最後の子供になるだろう。
けれど、その子供は放っておけば死んでしまいそうなくらい弱っている。
何年もかけて腹で卵を育て、ようやく生まれた飛竜の子。
その一生を、戦場で明け暮れたこの飛竜にとって最初で最後の子供だろうに。
「ねぇ、ノクス…この子…」
結衣の言いたいことは分かっている。結衣から見ても、この子供は弱っているように見える。
つまり、そのままでは死んでしまう。
飛竜に限らず、竜種は執着が強い。
子供を引き離すのは親が許さないだろう。
結衣を降ろせば、小さな体で立ちあがろうとする白い子供の側にしゃがみ込む結衣。
「頑張って。大丈夫、できるよ」
他の飛竜の子供に押し倒されないように、腕でガードをする結衣。
プルプルと足を震わせ、ようやく立ち上がった白い個体は、一歩一歩と歩き出す。
母親に甘えるようにキュルキュルと鳴くと、母親の飛竜が喉を鳴らしながらそっと頭を近づけた。
その日の夜のことだった。
ノクスが結衣の部屋を訪ねてきて、重い口を開いた。
「昼間見た、白い飛竜の母親が死んだ」
「え…」
「元々、体が弱っていたからそろそろだと思っていたが、先ほどもう一度確認に行った時には、もう虫の息だった」
子供を産むには体力が重要だ。
若い個体ならまだしも、年齢を重ねてからの飛竜にとっての産卵は、母体にも大きな影響を残す。
念の為と一人確認に向かえば、岩場の影で息も絶え絶えな飛竜が横たわっていた。
その側には、母を求めて羽の中で体を縮こませる白い子供。
ノクスが側に立つと、母親は小さく目を開けてぐるぐると甘えるように鳴いた後、最後に大きな呼吸をして動かなくなった。
「よく生きた」
大きくできた古傷を撫でるが、もう反応は返ってこない。
若い時には誰にも手がつけられないほど暴れる個体だったが、ノクスが教育的指導として何度かやり合った結果、戦場ではどの個体よりも活躍したものだ。
その後も、飛竜の仲間たちをまとめ上げるリーダーのような存在で、やっと出来た子供を産んだと言うのに、その子供が大きくなる前に息絶えてしまうとは。
「子供は…?」
「そう言うと思って、こちらに連れて返ってきたが…」
状態は良くない…そう言ったノクスの言葉に、結衣の中で弱々しくも立ち上がった小さな飛竜が思い起こされる。
「会ってもいい?」
「あぁ」
ノクスに連れられてやってきた部屋には、柔らかな布に包まれ、ぐったりと体を横たえる白い飛竜。
「体温が低い。もって2、3日ほどだろう」
「そんな…」
ショックを受けたように飛竜の子を見る結衣。
ジッと飛竜の子を見ていた結衣は、やがて決心したように口を開いた。
「私の部屋に、連れて行ってもいい?」




