第44話 ヘタれる魔王
クロードが魔王の部屋を尋ねると、どこか沈んだ表情を浮かべてソファに座る統治者の姿。
気晴らしに手に取った本を眺めているだけなのか、ページは一向に進んでいない。
「なぜだ」
「何がですか」
「なぜ私ではなくお前を頼る」
(まさか拗ねているのですか!?)
今までずっと側で仕えてきて、これほど子供じみたことを言う魔王様など見たこともない。
結衣と関わってからと言うもの、良くも悪くも魔王様の色々な表情が見れて嬉しいのか悲しいのか。
クロードは小さく咳払いをして、姿勢を正した。
「魔王様。ユイ様への気持ちを自覚された…という認識でよろしいでしょうか?」
「あぁ。私は結衣が好きだ」
「…それをユイ様に伝えられましたか?」
「…?いや、伝えていないが」
なぜそんなことを聞くのか、まるで分からないとばかりの表情に、クロードの頭が痛み出す。
「お気持ちを知らないのに、急にベタベタと触り出したから、ユイ様が戸惑っていらっしゃるのです」
「…結衣は私を好きと言った。私も結衣が好きだ。それ以上、何を言う必要がある?」
「…魔王様。ユイ様は魔王様のことを好き”かも”とおっしゃったのですよね?」
「…そう、だな」
「まだご自分の気持ちがはっきりとしないのに、急に態度を変えられたらユイ様はどうしていいのか分からないのです」
「…そう、なのか?」
「はい」
喋りながら、クロードは一体自分は何を喋らされているのだと叫び出したくなるのをぐっと堪えて、幼子に諭すように口を開いた。
「ですから、ユイ様が魔王様を好きなのだと実感させるよう、振る舞わなくては」
「振る舞う…」
「試しにデートにでも誘えばよろしいのではないですか?」
飛龍に乗って空を楽しむのも良し、城から離れて二人で連れ立って歩くのでもいい。
本人が希望することを叶えてやるのでもいいし、何か欲しいものがあれば買い与えるのでもいい。
「とにかく、ユイ様がやりたいと思うことを叶えられては?」
「ふむ…結衣に度量を認めてもらうべく行動せよ、と言うことだな」
「…えぇ、大体そんな感じです」
クロードはそっと諦めた。
(申し訳ございません、ユイ様。私には魔王様をお導きするほどの技量はございません…)
「いいですか。今からユイ様をお呼びしますので、落ち着いてよく話し合ってくださいね」
「…分かった」
「ノクス?」
恐る恐ると言ったように扉を開けて入ってきた結衣。
「契約印の更新をしていいか?」
「うん、いいけど…」
ソファに座っているノクスの隣に、そっと腰を下す結衣。
結衣の手を取ろうとして、不意にノクスの動きが止まる。
(ベタベタ触るとはどの辺りまでのことだ…?これもそうなるのか?)
「ノクス?どうかした?」
「いや…」
歯切れの悪いノクスなど、結衣にとっても初めてだ。
ついさっきまであんなに距離を縮めて肩に触れたりエスコートしたりしていたのに、今は何かに怯えているように見える。
「その…触れても、いいか?」
「…?いつもしてるじゃない」
(これはいいのか…)
ほっとしたように息を吐くと、いつもと同じように契約印の更新をする。
(なんだろう…さっきとまた全然違うんだけど…)
淡い光が収束すると、契約更新は無事に終わった。
けれど、二人の間には妙な沈黙が漂う。
(オドオドしているように見えるんだけど、気のせいかな…?)
(くっ…一体どこまで触れて良くて、どこからがダメなんだ!?)
「ノクス?終わったなら部屋に戻っていい?今日の分の復習したくて」
「あぁ…そうか。遅くなりすぎないようにな」
「うん。ノクスも仕事、ほどほどにね」
パタリと閉まる扉。
しんとした室内で、ノクスは大きく肩を落とした。
次の日。昨日と同じようにノクスは待っていた。
一瞬身構えた結衣だが、ノクスは視線を彷徨わせて、最終的に先に歩き出した。
(なんていうか、普通に戻ったのに…これはこれでちょっと寂しく感じる…)
いつもだったら他愛ない話をしながら歩く廊下も、朝の挨拶をしたきりで、ひたすら無言の時間が続く。
(普通に戻ったと言うより、むしろ距離を置かれてる…?)
結衣の中で不安が大きくなると、自然と視線も肩も落ちていく。
そんな様子を後ろから見ていたクロードは、思わず頭を抱える。
(どれだけ不器用なんですか!?魔王様!!)
朝食の時間も、ただただ無言の時間が続く。
聞こえるのは、食器が擦れる音と、遠くで何かの鳥が鳴く声。
すっかり落ち込んでしまった結衣が視線を下に向けていて、ノクスがチラチラと結衣のことを気にして見ていることなど気付いてもいない。
側から見ているクロードたちからすれば、歯痒い以外の何者でもない。
やがて、温かい湯気がたちのぼるスープがやってきて、テーブルの上に置かれた時に、ようやく結衣は視線を上げた。
「あれ…これ…」
どこかで嗅いだことのある、優しい匂い。
一口掬って飲んでみると、いつか亀のおばあさんが出してくれたスープとどこか似た味がした。
「…おいしい」
思わず溢れた言葉に、ようやくノクスが口を開いた。
「あっさりしたものが食べたい、と言っていただろう?料理長に頼んで作らせた」
「料理長の出身の街で、よく食べられるものらしい。…ちょうど、結衣達と再会した、あの村の辺りのものだと言っていた」
「…!」
「口にあったなら、良かった」
今日初めてノクスが笑った気がした。
それも、ぎこちない笑みではなくて、本当に嬉しそうに。
(こういうところが、ずるいんだよなぁ)
思わず、きゅぅと締め付けられるような胸。
「ありがとう。すごく嬉しい」
今日初めてまともに見た結衣の笑顔は、ノクスには刺激が強かったらしい。
(…ずっと見ていたいのに、なぜ目を背けてしまうのだ…)
「…結衣」
「?」
ノクスが、視線を彷徨わせながら言う。
「何か、欲しいものはないか?」
「欲しいもの?…特に、今はないかな…強いて言えばお米が食べたい、くらい」
「そ、そうか…」
「…。」
「…。」
急にどうしたんだろうか。
首を傾げる結衣に、ノクスは更に続けた。
「行きたい場所、は?何かないか?」
「行きたい場所?」
こちらの世界については知らないところばかりで、特に行きたい場所も思いつかない結衣。
「特に思いつかないけど…街の中がどんな風なのか、見てみたいって言うのはあるかも」
「街?」
「ほら、日本で見られる風景とは全然違うし…。それに、アイル達と人の街の中を見て回った時に、色々見慣れないものばっかりで楽しかったから」
「ふむ…街を散策して見聞を広げたい、と…」
「(単純に見てみたいだけだけど…)そ、そんなところ、かな?」
しばらく考え込んだノクスは、おもむろに立ち上がって結衣の側にやってきた。
そっと差し出された右手に結衣が首を傾げていると、優しく笑うノクスが言う。
「では、行こうか」
「…え?」
(今から!?)




