第43話 暴走する魔王
昨日は、結局ノクスの部屋で寝てしまって、気づけば部屋のベッドの上だった。
多分、ノクスが運んでくれたんだろうけど…。
ずっと見知らぬ文字との格闘で、随分疲れていたのかもしれない。
いつもより長く寝たせいか、頭は大分スッキリしていた。
朝食の席に向かおうとすると、ちょうどノクスも扉を開けて出てくるところだった。
「あ、ノクスおはよう」
「あぁ、おはよう」
「…?」
なんだろう…ノクスの視線が、いつもより優し気に細められていて、口角も上がっている。
(今日は機嫌が良いのかな?)
「昨日、私寝ちゃったよね。運んでくれたの、ノクス?」
「あぁ」
「ごめんね、重かったでしょ」
恥ずかしいのと、照れくさいのとで冗談まじりに言えば…
「むしろ軽すぎる。もっと食事の量を増やした方がいい」
さぁ、行くぞ、そう言って、何故かノクスの手が腰の辺りに添えられて、エスコートされるように歩き出す。
(あ、あれ!?ちょっといつもより距離が近いんですけど!?)
いつもなら半歩先をノクスが歩いて、それについていくような感じなのに。
なんだろう…
疑問に感じる部分は他にもあって。
いつもだったら、食事が始まるまでは控えてくれているノエルやクロードさんが椅子を引いて、さながら令嬢にでもなったかのような気分で座るのだけど…。
「ありがとう…」
今日は初めてノクスが椅子を引いて座らせてくれる。
なんでもない他愛のない話をしている時も、ずっとノクスがこちらを見ながら微笑んでいる。
そう、微笑んでいる。
(何なの、その無駄に色気を振りまいた笑みは…!)
お皿に視線を落としながら、その間にもずっとこちらを見ている視線を感じる。
(落ち着かない…!!)
食べ終わって、部屋を出ればそのまま各々の向かう場所は別なのに、今日はわざわざセヴランさんの部屋まで送るとか言い出すし。
そしてセヴランさんの部屋の前で。
「気をつけるのだぞ。あまり無理はしないように」
そう言って、ふと取られた右手。
契約印の上から、囁くようにノクスの吐息が肌に当たる。
「約束だ」
「…!?」
そう言って、何でもなかったかのように背を向け、戻っていくノクス。
絶対におかしい!!
昨日と同じように、セヴランさんの書類の手伝い。
今日こそは机の上のノルマを片付けるべく、帳簿を併用しながら書き込んでいく。
自動分別で書類の重要度で振り分け、簡単なものは早く終わらせて、そこから少し難しい時間のかかる書類に取り掛かる。
もちろん、書類を見る時も帳簿の分析を使って、誤字脱字や計算ミスがあったり、記入漏れで通らない書類は差し戻しの箱へ。
最初の頃に比べれば、大分慣れた方だと…思う。
今日はしっかり、机の分の書類は終わりに出来そうだ。
ただ、相変わらずセヴランさんの机の上の書類は壁のようにそびえ立っている。
(…全部手作業だから、時間がかかるのは仕方ないけど)
それにしても、この書類の地獄は何とかならないものなんだろうか。
結衣の脳裏には、期日ギリギリに迫って、ノクスに助けてもらった確定申告の出来事が頭を過ぎる。
(あの時は本当に目の前が真っ暗になったもんなぁ)
時折、イライラしたように指をコツコツと叩く音が聞こえてきたり、思わずといったように髪をぐしゃりと握る音が聞こえるから、セヴランさんには本当に休息が必要な気がする。
(今までは私がみんなに助けられてきたんだから、今度はそれをお返ししないと)
小さく決心した結衣は気づかなかった。
帳簿のページに小さく現れた文字。
───────────────
可動領域が拡大しました。
集計が出来ます。
───────────────
何とか1日終わって、無事に夕食の時間。
今日も嬉々としたノエルにドレスを選ばれて、夕食のためだけにお着替えの時間。
「ちょっと露出多くない?」
「いいえ!このくらいがちょうど良いのです!!」
(何がちょうどいいの!?)
今日はいつものふんわりした系統のドレスではなくて、少しシックでタイトなものだった。
髪はハーフアップにして、いつもと違う雰囲気でそれはそれで良いのだけど…。
(足がスースーするー!!)
深いスリットが太ももの部分まであって、歩く度に肌が露出する。
特別太っているわけでも痩せているわけでもない標準体型の私が、こんなセクシー路線の服なんて…!!
デコルテの部分は透けている素材で出来た同系色のもので、露出していなくても、何となく恥ずかしい。
「女は度胸です。さぁ、レティシア、仕上げてしまいなさい」
「はい」
笑顔のノエルに見送られながら部屋を出ると、すぐ横にノクスが立っていた。
「の、ノクスっ?」
(どうしてこんなところに…いつもだったら食堂で待ってるのに)
今すぐに部屋へ逃げ帰りたくて後を振り向けば、レティシアがしっかり扉を閉めていた。
「結衣?行くぞ」
(平常心…ノクスはいつも通りだし…)
朝と同じようにノクスがエスコートするように歩いていく。
肩が触れ合う距離にいて、心臓は落ち着かない。
「今日はいつもと雰囲気が違うな」
(えぇ、分かってます。こういうのはリシェルみたいな人が着るべき服で、私には似合ってないの!)
「いつものドレスもいいが…」
ノクスが立ち止まって、結衣の姿をジッと瞳に映す。
「それもよく似合っている」
小さく笑みを浮かべたノクスが、結衣の手を持ち上げる。
「今度は仕立て屋を城に呼んで、お前の希望を聞きながら一から作ろう」
ノクスの吐息に混じって、一瞬。
指先に、何か温かいものが触れた気がした。
「構わないか?」
「〜〜っ!?」
ノクス本人は、ただ首を傾げて言っているだけなのに、あまりの色香に結衣は一気に顔に熱が集中するのが分かった。
(い、今!!ノクスのくちびるがっ…!!)
勘違いでなければ、確かに指先に感じたのは柔らかな感触。
あまりのことに結衣が何も言えないでいると、背後から咳払いをする声が聞こえた。
「早く行かなければ、夕食が冷めてしまいます」
「そうだな。では急ぐとしよう」
(誰か助けてー!!!)
「お呼びでしょうか」
「クロードさん!!!!」
「…はい、ユイ様」
夕食が終わり、部屋に戻るところで結衣の限界はきてしまった。
昨日と違いすぎるノクスの距離感。
帰り道も、肩を自然と掴まれて、やたらと密着しながらの帰路。
結衣の心臓はもう持ちそうになかった。
そのまま行けば、いつもと同じように部屋の中で契約印の更新になるのだろうけれど、結衣は部屋の前でストップをかけた。
「私、どうしてもクロードさんに相談したいことがあるから、ちょっとノクスは部屋で待ってて!」
「結衣!?」
ノクスが引き止める間もなく、クロードを引っ張って結衣は部屋に入った。
「ノクスは一体どうしたんですか!?昨日と今日と、なんだか雰囲気が全然違うんですけど!?」
「それは…」
クロードが思い当たるのは、ただ一つ。
ガルドを呼び出して妻の何が好きかを聞かされたあの地獄の時間。
あの話をした次の日…まさに今日から魔王様は手に取るようにご機嫌がよろしい。
そして結衣への距離のつめ方も、確かに違う。
考えられる憶測は一つだけなのだが、それをクロードが結衣に言うのはいささかよろしくない気がする。
「…魔王様は、ずっと悩まれていた事案が解決し、現在浮き足立って喜んでいる状態なのです」
「…喜んでる?」
「はい。それはもう、普段は笑わないことで有名な魔王様が笑みを溢してしまうほどに」
「そんなに悩んでたの?ノクスが?」
「はい。恐らく人生最大の難問だったのでは、と」
「…そんなに悩んでたことが解決したなら、浮き足立つのもわかる…気がする、けど」
あのノクスが?と首を傾げる結衣だが、クロードにはそれ以上何も言えない。
「はい。ですから、どうかユイ様の広い広いお心で、どうか魔王様を受け止めてあげてください」
「ん〜〜」
恥ずかしいのよ…そうポツリとこぼす結衣の状態は正しい、とクロードは思った。
「我ら魔王幹部もお手上げの事案です。魔王様の雇用主とされるユイ様であれば、その寛大なお心で魔王様を包み込み、やがて事態は収束すると思われます」
「…分かった」
渋々納得した結衣に、クロードは心の中で謝罪をする。
(申し訳ありません、ユイ様。どうか安泰な治世のため、犠牲になってください)




