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第38話 初仕事


契約印を眺めながら、結衣は気合を入れるように両頬を叩いた。

パン、と小気味よい音が部屋に響く。


(よし)


昨夜、ノクスにお願いした。

何か仕事が欲しい、と。


ただ部屋でじっと過ごすなんて、結衣の性分には全く合わなかった。

米屋にいた頃から、手を動かしていないと落ち着かない。

体を動かしていないと、頭の中がよくない方向に動き出す。

しばらく考え込んでいたノクスは、やがて口を開いた。


「お前ならできる仕事があるかもしれない」


どんな仕事かは教えてくれなかった。

でも、やるからには精一杯やらなくては。

朝食を終えて、ノクスに連れられて廊下を歩く。

後ろにはノエルがついていた。


やがて、ある扉の前でノクスが立ち止まった。


「セヴラン、入るぞ」


扉を開けると——両側にびっしりと埋められた本棚。

奥には大きな机と、その上に山のような書類。

そして、その椅子に腰掛けているのは。


(幽霊……?)


思わず、そう思ってしまった。

幽霊かと見間違えるほどに白い肌。白銀の髪。

そのセヴランが、入ってきた二人に視線を向けた。


「魔王様、定例報告にはまだ早いですが……」

「今日は報告ではない。お前の新しい助手を連れてきた」


セヴランの視線が、ゆっくりと結衣に向いた。

まさか冗談でしょう、とばかりに——胡乱げな目だった。

結衣は思わず、少しだけ後ずさりしたくなった。


「まずはこの書類にサインをして欲しい」


ノクスが、書類を差し出した。セヴランが受け取って、上から下まで視線を走らせる。


「……雇用契約書?」

「結衣の能力を試すための、形式上のものだ。とりあえず経過を見たいので、短期雇用となっている」

「これは、命令ですか」

「そうだ」


間髪入れずに、ノクスが答えた。

セヴランは、半ば乱暴に書類にサインを施した。


「これで良いですか」


私は忙しいとばかりに、手元の書類へ視線を落とす。


「結衣」

ノクスが振り返る。


「帳簿を確認してみろ」


───────────────

【従業員一覧】


■セヴラン

役職:財務・行政統括責任者


状態:過労


・稼働率:98%

・魔力残高:72%

・現在地:執務室

・契約接続:良好


【担当業務】

・財務管理

・予算編成

・税収管理

・貴族対応

・苦情処理

・損害補填

・書類監査


【保有技能】

・高速演算

・契約管理

・監査

・資産査定

・危機管理


【警告】

処理案件数が許容量を超過しています。


【備考】

休暇取得推奨。


───────────────


「過労って出てる…」

さらに帳簿のページが書き足されていく。



───────────────

【負債】

・未処理案件 2,431件

・精神的疲労

・ノルティア

・ガルド

・リシェル

───────────────



「ノクス、負債って…」


「これは早急に手立てが必要だな」


「なんですか、さっきからボソボソと」

(負債の項目にリシェルたちが入ってるんだけど…)


それはリシェルたち自身がセヴランさんの負担になっているっていうことでは…。


「結衣は仕事をしたいと言っている。帳簿もつけていた経験があるから、教えれば国家予算くらい動かせるようになるだろう」

「ちょ、ノクス!?」


(国家予算なんて聞いてないんですけど!?)


「頼んだぞ、セヴラン…結衣、何かあればノエルを通じて私に知らせろ」


頑張るんだぞ、そう言って結衣の頭をひと撫でしたノクスは部屋から出て行ってしまった。



「「…。」」


セヴランは、深い深いため息を吐き出した。

顔は垂れ下がった長い髪で窺い知ることが出来ない。


「あ、あの…セヴランさん?」


チラリ、と結衣の方を見る視線は射抜くように鋭かった。

思わずびくりと肩を震わせる結衣。


「全く…どいつもこいつも仕事ばかり増やして…」


(ど、どうしよう…完全に私邪魔なんじゃ…!?)


低く呟かれたセヴランの言葉は、鋭い刃となって結衣の胸を抉る。

ニコリ、セヴランが貼り付けたような人形のような笑顔を作る。

おもむろに立ち上がったセヴランは、窓際に置かれた少し小ぶりな机に、自分の机の上にあった書類の半分をどさりと乗せた。


「さぁ、ユイ様。どうぞこちらに」

「は、はい…」


椅子に座ると、改めて書類の多さに目が回りそうだ。


「これを種類ごとに分けてもらえますか?日付や緊急性を考慮し、担当区分別に分けて下されば結構です」


「え」


「あぁ、もちろん。途中で嫌になったらどうぞ速やかにお帰りになってくださって構いません」


「あの」


「ユイ様のような高貴なお客人でしたら、このような雑事はさぞ耐えられないでしょう」


「…。」


「だから、もし無理だと思うのなら今すぐお帰りいただいて構いません」

さぁ、扉はあちらですと言うセヴラン。


(か、完璧に邪魔者扱いされてる…!!)


「…できるとこまでは、やってみます」

「左様ですか。では私は自分の仕事に戻りますので、くれぐれも邪魔をされないように」


「…。」


自分の机に戻ったセヴランは、結衣の顔も見たくないとばかりに書類の山で視線を遮った。


「ユイ様、魔王陛下に報告いたしましょうか」


ニコニコと笑っているけれど、小声で喋るノエルのこめかみがピクピクと動いている。


「だ、大丈夫。落ち着いて」

「ユイ様がそうおっしゃるのなら…」


渋々下がったノエル。

ここまで明らかに敵意を剥き出しにされたのは初めてだけど、それはひょっとしたら当然かもしれない。

魔族領に、ちっぽけな人間が魔王の客人としている。

それは魔族の人たちからみれば、非常に面倒な存在に見えるのだろう。


(まずは、仕事をこなして信頼を勝ち取らないと…)




しかし、いざ書類を前にして紙に視線を落とすけれど…


(どうしよう…全然読めないよ…)


何かの文字だと言うことはわかるけど、全く見知らぬ文字だ。

英語でもないし、もちろん日本語とも似ても似つかない。

かろうじて数字くらいは読めるけど…。


何枚か見比べて見るけれど、数字以外に読める部分は一つもない。


(ノクスたちも日本語を習得するのに大変そうだったけど、これは本当に大変だな…)


いや、ノクスに至ってはアイルやキリの比にならないくらい早く文字を覚えて行った気がする。

アイルとキリもとても優秀だったけど、ノクスは乾いたスポンジが水を吸収するように一度見たものはほとんど間違えていなかった気がした。


(エレンは文字を覚える間もなくって感じだったし)


エレンに至っては、勉強嫌いなんだよねーなんて言って、よく携帯の読み上げ機能を使ってた。


(地頭の良い人たちと比べれば、私はもっと努力しないと出来ない)


そう考えてしまうと、残念ながら今の結衣に何か出来ることは何もない気がして視線が下に落ちていく。


パラリ

急に開いた帳簿。

文字がじわりと浮き上がる。


(まさか…)


今までは魔物や脅威に対して帳簿を使っていたけど、こんなことにも使えるのだろうか…。


「”自動分別”」


途端に書類が浮き上がり、バサバサと勝手に順番が入れ替わっていく。

ものの1分もしないうちに、幾つかの紙の山が出来上がった。

恐る恐る振り返った結衣が、ノエルに声をかける。


「ノエル、これ、出来てるかな…?」


目を丸くして驚いているノエルに声をかけると、何枚かの書類を手に取ったノエルが小さく頷いた。


「ユイ様、今のは一体…」

「私の魔術?みたいなものなんだけど…」


ノエルとこそこそと喋っているのが聞こえたのか、大きく咳払いをするセヴラン。


「気が散るので、出来ないのなら外に出てもらっても良いでしょうか?」

「あの…セヴランさん」

「なんですか、一体!」


書類の山から顔を上げたセヴランが、目を釣り上げて結衣を睨みつける。


「出来まし…た?」

「は?何を言ってるんですか。渡してほとんど時間も経っていないではないですか」


ツカツカと歩み寄ってきたセヴランが、書類の山の一つを手に取った。


「大方、適当に振り分けたに決まって――」


一枚。


二枚。


三枚。


書類をめくる音だけが部屋に響く。


「……」

さらに別の山を手に取る。


「……」

もう一つ。


「……」


沈黙してしまったセヴランに、結衣は不安になった。


「あの……?」


セヴランは答えない。

代わりに、手元の書類と山を何度も見比べている。


やがて。


「完璧です」


ボソリと呟かれた言葉。



「これは一体、どういうことなのですか」


「え?」


「なぜ、この案件だけ別に積まれているのです?」


(…?)



帳簿の最後の一行にある文字が結衣の目に入る。



【要監査案件】



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