第32話 魔王様の好きなところは?
魔王幹部との初顔合わせが終わり、ノクスとクロードは執務室へと戻っていった。
メイドに連れられて部屋へと戻る結衣の後ろ姿を見ながら、クロードはそっとノクスの表情を確認した。
満足げな顔をしている。
(魔王様……)
結衣の立場からすれば、エルフの知り合いも今はいない。
魔族領に他に人間がいるわけでもない。
頼れるのは、魔王ノクスただ一人だということを——自覚しているのだろうか。
「クロード、後でリシェルとノルティアを呼べ」
「……はい」
部屋に呼び出されたリシェルとノルティアは、揃ってノクスの前に立った。
「女性の些細なことは、私には配慮が行き届かない部分がある」
ノクスが、静かに口を開く。
「すまないが、リシェル。結衣をよく見てやってくれないか」
「かしこまりました」
リシェルが、柔らかく微笑んだ。その目の奥に、楽しそうな光が宿っていたが、ノクスは特に触れなかった。
「それから、ノルティア」
ノルティアの眠たげな視線が、ゆっくりとノクスへと向いた。
「結衣の体の状態を、調べてほしいのだ」
「……?」
「人間が長期間魔族領で過ごせば、汚染された魔素によってどんな不具合が出るか分からない。世界樹の実を預かっているから浄化については問題ないが——体内の魔力測定と並行して頼みたい」
「分かった」
ノルティアが、短く答えた。
それだけで、ノクスは頷いた。
結衣は、ベッドの上でゴロリと横になりながら、帳簿のページをめくっていた。
ノクスの欄は、契約切断状態のままだからなのか、同じ城の中にいても詳細までは確認できなかった。
アイルとキリの欄は——飛龍に乗って旅立ってから半日もしないうちに「測定範囲外」に変わっていた。
(二人は強いし、大丈夫……)
そう言い聞かせながら、それ以上不安になるのが嫌で、そっと帳簿の表紙を閉じた。
携帯一つで連絡の取れる現代と違って、遠くの人と連絡を取る手段がない。
現代なら今頃、既読がついているかどうかを確認して、返事が来るたびに少しだけ安心できたのに。
不安を吐き出すように、息を吐いた。
初めて着たドレスは、初日こそちょっとテンションが上がったものの、ソファでくつろぐには明らかに不向きだった。
結衣は丁寧に辞退して、代わりにレヴァンの街で買ったような、動きやすい服を選ばせてもらった。
そして今、一番の問題は——
「……ひま」
とにかく、やることがない。
テレビも携帯もない。かといって仕事もない。
これは早めにノクスに相談しないといけない案件だ。
米屋の時だって、何もしない時間というものがほとんどなかった。
体を動かしていないと、どんどん頭の中がよくない方向に動き出す気がして、落ち着かない。
そう思っていると——扉を叩く音がした。
「は、はい! どうぞ!」
慌てて起き上がり、身だしなみを整える。
扉を開けて入ってきたのは、色香を振りまく魔王幹部——リシェルだった。
「ごめんなさいね、突然」
ニコリと笑って、首を傾げる。
(……笑うだけで、こんなに色気が出るものなのか)
思わず、ぽかんとしてしまった。
「まずはお茶でも飲みながら、お話しませんか?」
「は、はい」
メイドがお茶を入れる間、リシェルはニコニコとしながら結衣を見ていた。
何を考えているのか全く読めない笑顔だ。
結衣は少しだけ引き攣ったような笑みを返した。
やがて、ふわりとお茶の香りが部屋に広がった頃。静かに下がったメイドを確認して、リシェルが口を開いた。
「まずは、謝罪を」
「え」
「私達が勘違いをしてしまったばかりに、あなたに怖い思いをさせてしまって——本当に申し訳ありませんでした」
そのまま、深く頭を下げた。
「い、いえ! その……何もなかったので、大丈夫です!」
怖い思い、というのは多分、あれのことだろう。全身黒ずくめの一行に囲まれた、あの場面。
結衣は慌てて手を振った。
本当は——今も、一人で部屋にいる時に、廊下で何かが横切るたびにドキリとする。夜の暗闇も、まだ怖い。
でも、それをわざわざ口にする結衣ではなかった。
「まぁ! 本当にお優しいのですね……ユイ様、とお呼びしても?」
「は、はい」
緊張気味に頷くと、リシェルは笑みを深めた。
(いやだわ……すごく純粋そうで、からかいたくなっちゃう)
リシェルは、カップを持ち上げてお茶を一口飲んだ。
それから、首を傾げながら聞いた。
「それで——魔王様のどのようなところが好きなの?」
「……っごほ!」
思わず、お茶が変なところに入った。
「す、好きって……!?」
「あら」
リシェルが、目を細める。
(これはやっぱり、アタリかしら)
「やっぱり、どこか気に入る部分がないと、魔王様と"雇用契約"、なんてしないでしょう?」
(な、なんだ……そういう好きか……びっくりした)
「あ、あれはなんというか……流れ的に? そうなっただけで……」
「流れで魔王と契約する人間がいるの?」
「い、いないとは思うんですけど……!」
「じゃあ、やっぱり気に入っているんでしょう?」
「それは……」
結衣は、口ごもった。
否定しようとして——できなかった。
気に入っている。それは、嘘ではない。
でも、それを今ここでこの人に言っていいのか。
リシェルが、にっこりと笑った。
(あらあら)
返事が詰まった時点で、答えは出ているようなものだった。
「……なんでもないです」
「まぁ」
「本当になんでもないです」
「そう」
リシェルがカップを置いて、話を続ける。
「ユイ様は…その、ここではない世界の方だとお聞きしましたが…どんな場所なのですか?」
リシェルの瞳に映るのは、純粋な好奇心。
「えっと…魔術とかない代わりに、電気で動くものがいっぱいあって…説明が難しいんですけど、色々便利な道具があるんです」
「魔術がないのに、魔王様と会ったの?」
「はい、うちの炊飯器から出てきて」
「すいはんき?」
「この世界にはないみたいなんですけど、私の国で主食として食べられる米を炊く機械があるんです」
結衣は、実物を見せた方が早いと思って小さく呟いた。
「”炊飯”」
ぽん、と音を立てて現れた、馴染みのある白い色。艶やかなボディ。
小さくついた傷。少々年季の入った炊飯器。
「…これから?」
「はい」
「魔王様が?」
「えぇ」
「「…。」」
リシェルの考えるような表情から、一体こんな小さなものからどうやってあのノクスが出てきたのか想像しているのだろうか。
しばらく無言の後…。
「…ふふっ」
口元を押さえても、肩の震えが止まらない。
こんな小さなものからあの魔王様が、という想像が追いつかないらしかった。
「すみません。あまりにも予想外で」
「いえ。私も最初驚きすぎて、ノクスに中にあった米を食べられたことへの怒りしか…」
「やだ、もう。笑らせないでっ…!」
ひとしきり笑ったリシェルは、結衣の方を向いて微笑みながら言った。
「本当に…普通の方なのね」
「?」
「もっと、特別な方だと思っていたの」
「いえいえ。私はごくごく普通の人間です」
結衣は真面目に言ったつもりだけど、リシェルは頭を横に振った。
「普通だけど…あなたのためなら、きっと魔王様は国一つ滅ぼせるわ」
国一つ滅ぼす…その言葉に固まったのは結衣だ。
「魔王様が100年で取り乱した相手なんて、あなたが初めてだもの」




