第31話 幹部との初顔合わせ
「私も行く」
そう言った結衣に、三人とも首を横に振った。
「危険だ」
ノクスが、静かに言う。
「アイルとキリの二人の方が、移動も速い」
「それに、勝手も知ってるしね」
アイルが、穏やかに続けた。
「結衣ちゃんは、ここで待っててくれた方が——」
「……分かった」
結衣は、それ以上言えなかった。
言い方を変えれば、足手まといになってしまう。
三人は優しいから、そんな言葉は使わない。
でも——ここまで来るのだって、アイルとキリに何度も助けてもらった。迷惑をかけてしまった手前、強く言い出すことができなかった。
出発の朝。
飛龍は、思いの外大きかった。
翼を広げると、城の一角がすっぽり覆われるくらいある。
黒みがかった鱗が、薄暗い朝の光を照り返している。
近くに立つと、地面が微かに震えるくらいの存在感だった。
「……大きい」
思わず、後退りそうになる。
「大丈夫だよ、人には慣れてるから」
アイルが、飛龍の首のあたりを軽く叩く。飛龍は、ふんと鼻息を一つ吐いた。
「慣れてても、大きいものは大きいから……」
「乗ってみたら気持ちいいよ、きっと」
「乗らないけど!」
荷物を固定したキリが、こちらに向き直った。
「では、行く」
「うん……気をつけてね」
心配そうな結衣を見て、キリは一瞬、口を開いた。
「結衣……」
「……?」
首を傾げると、キリは小さく頭を振った。
「……いや。行ってくる」
飛龍が翼を広げる。一気に舞い上がった風が、結衣の髪を揺らした。
アイルが、高くなっていく場所から手を振る。
「すぐ帰ってくるから!」
やがて、二つの影は雲の向こうへと消えていった。
「……行っちゃったね」
ぽつりと、呟く。
「そうだな」
隣で、ノクスが静かに言った。
しばらく、二人して雲の彼方を見つめていた。風が、低く唸っている。
(これから、どうしよう)
アイルもキリもいない。豊もいない。エレンもいない。
ノクスはいるけれど——昨日の今日で、ちょっと気まずい。まぁ、ノクスはそんなこと思っていないかもしれないけれど。
城の中を一人でうろうろするのも怖いし、かといって部屋に閉じこもっているのも落ち着かない。
何か役に立てることがあればいいのに、でも何ができるのかも分からない。
どんどん、思考が内側に向かっていく。
「結衣」
ノクスが、不意に言った。
「……うん?」
「紹介したい者たちがいる」
「……?」
振り返ると、ノクスはもう城の方へ歩き出していた。
「来い」
「え、あ——待って」
慌てて後を追いながら、結衣はもう一度だけ空を見上げた。
雲の向こうは、もう何も見えない。
(気をつけて、ね)
心の中だけで、呟いた。
連れて行かれた先は、広い部屋だった。
天井が、高い。両側に並ぶ柱が、重厚な存在感を放っている。
足元の石畳は磨き上げられていて、自分の姿がうっすらと映り込んでいた。
(……ここは)
奥に、段差があった。その上に、重厚な雰囲気を放つ椅子が一つ。
玉座だ。
そして——なぜか、その隣にも椅子が一つ置かれていた。
玉座ほど豪華ではないけれど、普通の椅子とも明らかに違う。
細かな細工が施されていて、背もたれが高い。
(……あの椅子、なんで二つあるんだろう)
考えている間に、ノクスは当たり前のように段差を上がり、玉座に腰を下ろした。
「さぁ、ユイ様。あちらへ」
クロードが、小声で結衣の背中を促す。
「えっ」
促された先は——ノクスの隣の椅子だった。
「い、いやいやいや」
思わず、足がすくんだ。
「あそこって、私みたいな一般人が座る場所じゃないんじゃ……!?」
一方のノクスは、何をしているとでも言わんばかりの表情でこちらを見ている。
「来い」
「で、でも……!」
「来い」
「……」
顔が、青くなっていくのが自分でも分かった。
クロードは、内心で結衣に同情した。
椅子を用意しろ、と魔王様に指示されて用意はした。
でも——これまでの結衣の様子を見る限り、こういう場が得意な方ではないことは明らかだ。
今にも踵を返して逃げ出しそうな顔をしている。
(魔王様、もう少し配慮というものを……)
もちろん口には出さない。
結衣は、恐る恐る段差を上がった。
周囲の兵士の視線を感じながら、おそるおそる椅子に腰を下ろす。
座面が、思いのほか柔らかかった。
ノクスが、小さく頷く。
それを確認した兵士が、謁見の間の扉に向かった。
重厚な音を立てて、扉が開く。
入ってきたのは——四人だった。
先頭は、白銀の男。白い肌に、切れ長の目。
その後ろに、見上げるほど大きな体躯の男。
次に、深い赤紫の髪を揺らした女性。
最後に、ぼんやりとした目つきのエルフ。
全員が、順番に入室してくる。
横一列に並び直し——深く、玉座にかしずいた。
部屋の中が、しんと静まり返った。
「表を上げろ」
ノクスの声が、部屋全体に響いた。
低く、威厳があって——いつものノクスじゃない。
改めて、突きつけられる。
この人は、本当に魔王なのだ。
米屋で一緒に帳簿を眺めていた人が、今この空間の頂点に座っている。
伏せられていた者たちの目が、ゆっくりと上がった。
そして——一斉に、玉座と、その隣に座る結衣に注がれた。
(全員に見られてる……!)
結衣は、背筋を伸ばしたまま、ひたすら真顔を保つことに全力を注いだ。
「私が信を置く幹部達だ。クロードとはもう何度か話しているだろう。彼は私の身の回りの雑事や城の管理をする者だ」
クロードが、静かに頭を下げた。
「それから——」
ノクスの目が、長い白銀の髪の男に向けられた。
男が、深く頭を下げる。
「私はセヴランと申します。種族は吸血鬼。この国の国庫管理、戦時には軍略を担当しております」
病的なまでに白い肌。髪の隙間から覗く真っ赤な目が、鮮血を思わせた。声は低く、静かで——どこか温度がない。
次に、巨大な体格の男が口を開いた。
「俺はガルド。種族は獣人。主に軍隊の管理、教育、そして警備を担当する」
見上げるほどの体躯。それだけで圧がある。そして、声が大きい。
「私はリシェル」
赤紫の髪を揺らしながら、その女性は柔らかく微笑んだ。
溢れる色香が、立ち姿だけで伝わってくる。
「種族はサキュバス。主に情報統制と索敵を担当しております」
リシェルの目が、ちらりと結衣を見た。
品定めするような——でも、どこか興味深そうな目だった。
最後に、深い緑色の髪をゆるく結んだ、少女のような外見の者が口を開く。
「私はノルティア。ダークエルフ。担当は魔道具の開発と魔術構築の研究」
淡々とした声だった。
他の幹部と比べて短い自己紹介。
でも、その目は静かに、しっかりと結衣を見ていた。
全員の自己紹介が終わると、部屋の中に静寂が戻った。
ノクスが、幹部達を一瞥してから口を開いた。
「この者は稲宮結衣という。私が異世界にて契約を結んだ人間だ」
「結衣の世界とこちらの世界は、かなり勝手が違う。お前達には、結衣が不自由なく過ごせるよう、サポートを頼みたい」
「はっ」
全員が、深く頭を下げた。
その光景に、結衣は思わず背筋が伸びた。
(これが、魔王の幹部……)
それぞれが強烈な存在感を放っていた。吸血鬼。獣人。サキュバス。ダークエルフ。現代の日本にいたら、一生出会わなかったような面々が、今自分のために頭を下げている。
「結衣」
ノクスが、静かに言った。
「何か、言っておくことはあるか」
「え——」
思わず、全員の視線が自分に向いた。
(え、私が何か言うの!?)
慌てて頭を回す。何を言えばいいのか。でも、何か言わなければいけない気がした。
「えっと……」
声が、少し上ずる。
「稲宮結衣です。その……ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、よろしくお願いします」
深く、頭を下げた。
顔を上げると、幹部達がそれぞれの表情でこちらを見ていた。
セヴランは、無表情のまま。
ガルドは、少しだけ目を細めた。
リシェルは、口元に手を当てて微笑んでいた。
ノルティアは、じっと結衣を見たまま、小さく頷いた。
(どんな反応……?)
よかったのか悪かったのか、全く分からない。
「魔王様、一つ確認を」
セヴランが、静かに口を開いた。その目が、そっと結衣に向けられる。
「なんだ」
「こちらの方は、魔王様の大切なお客様と伺っておりましたが——どの程度の権限をお持ちでしょうか」
「権限……?」
結衣は、思わず首を傾げた。
権限って、何のことだろう。
自分にそんなものがあるとは思っていなかった。
隣で、ノクスがこともなげに言った。
「私と同等だ」
「えっ」
「「「「「……!?」」」」」
幹部全員の息を呑む気配が、部屋に広がった。
「契約上は私と同じ、もしくはそれ以上だ。結衣は私の雇用主と言っただろう」
「ちょ、ちょっと待って!?」
「私は結衣に雇われている」
「いや、それ米屋での話だから!」
「何が違う」
「全部違う!」
結衣の声が、思わず上ずった。
広い謁見の間に、しばらく沈黙が漂う。
幹部達はそれぞれ、表情こそ動かしていないものの——内心は明らかに違った。
(魔王様……それは客人とは、もはや呼べないのでは……)
クロードは、頭が痛いとばかりに静かに目を伏せた。
(人間が、我ら魔族よりも上……?)
セヴランの眉が、ごくわずかに動いた。
(こんな細い体で立場が上って言われてもなぁ……)
ガルドが、腕を組みながら結衣をじっと見た。
(あらあら、やっぱり面白くなってきたわ)
リシェルが、口元に手を当てて肩を揺らした。
(早く魔道具の組み立てやりたい)
ノルティアは、すでに視線がどこか遠くに向いていた。
「あ、あの……」
全員の視線を受けながら、結衣はなんとか声を絞り出した。
「私、そんな大層なものじゃないので……普通に接していただければ、その……」
「駄目だ」
ノクスが、即座に遮った。
「えっ」
「お前はここに滞在する間、私の名代として扱われる。それが筋だ」
「名代って……私、魔王でもなんでもないんですけど……!」
「契約上の話だ」
「契約ってそういう意味だったの!?」
謁見の間に、結衣の声が響いた。
幹部達は、揃って視線を交わした。
リシェルが、こらえきれずに小さく笑った。
ノクスは、至って真剣な顔のままだった。
クロードは、深く、深く息を吐いた。
(この先が、少々不安でございます……)




