第22話 エルフの闇
朝。
目を覚ますと、外はもう明るかった。
窓の外では、エルフたちが静かに行き交っている。
誰も、大きな声を出さない。笑い声も。怒鳴り声も。子供の泣き声すら、聞こえなかった。
結衣は、ぼんやりとその光景を眺めた。
規則正しく。淡々と。まるで、最初から決められた役割をこなすように、全員が動いていた。
エルフの里は、美しかった。
世界樹の根元に築かれたその場所は、静かで、整っていて、どこを見ても幻想的だった。透き通るような水路。木々と一体化した建物。風に揺れる淡い光。
けれど。
(……静かすぎる)
散歩がてら里の中を歩きながら、結衣は思った。
誰もが、淡々としていた。畑を管理する者。薬草を調合する者。布を織る者。人間領へ交易に向かう者。それぞれ役割が決まっていて、皆、それを黙々とこなしている。
笑い声が、ない。怒鳴り声もない。喧嘩もない。
でも——楽しそうな顔も、ほとんどなかった。
「エルフは、生まれた時点で適性を判断されるんだ」
アイルが、ぽつりと言った。
「向いている役職を与えられて、そのまま生きていく」
「変えたりは……できないの?」
「できなくはないよ」
アイルが、苦笑する。
「でも、わざわざ変えたがる人がいないんだ」
「……」
結衣は、通り過ぎていくエルフたちを見た。皆、美しい。穏やかで、落ち着いていて、争いもない。
でも。
(まるで……)
決められた通りに動く、機械みたいだった。世界樹を守る。里を維持する。種を存続させる。そのためだけに、何百年も同じことを繰り返している。そこに疑問を持つ者は、ほとんどいない。
「僕とキリは、ちょっと変わり者なんだよね」
アイルが、笑った。
「外に興味持っちゃったから」
「……そっか」
結衣は、小さく頷いた。
この里は、間違っているわけじゃない。きっと、これがエルフにとっての"正しい形"なんだと思う。
でも。それでも。結衣には、ひどく息苦しいものに見えた。
(この服も、落ち着かない)
最初に着ていた簡易的な服とは違い、今の結衣はエルフの女性が着ているような、柔らかな素材のドレスのようなものを着ていた。
胸元と肩の生地は驚くほど軽くて、腰の部分で切り替わるように広がった裾が歩くたびにふわふわと揺れる。肩下の飾りから手首にかけて、何枚かの生地がレースのように重なっていて、露出自体は多くはない。とても可愛らしい服なのだけど——
(まるでコスプレしてるみたいで、ちょっと恥ずかしいんだよね……)
現代の動きやすい服が当たり前だった結衣には、少々刺激が強かった。
それでも外を普通に歩けるのは、里の中では誰も結衣を見ていないからかもしれない。皆、自分の仕事に専念している。
世界樹という巨大な木の中だというのに、その隙間から溢れてくる光は柔らかくて、ここが地上から遥か離れた高い場所にあるなんて、微塵も感じさせなかった。
のんびりと里の中を歩いて戻ると、アイルとキリが待っていた。
「長に呼ばれた。行こう」
連れていかれたのは、里の中でも奥の方にある建物だった。
他の建物より少しだけ造りが違う。
中に入ると、大きな円卓が置かれた広い部屋があった。
何か会議でもできるような場所だ。
そこに、一人の男性が座っていた。
プラチナブロンドに近い髪色。権威を示すようにつけられた金冠。里の長、だと分かった。
男性は、結衣たちが入ってきたのを静かに確認してから言った。
「座ってくれ」
アイルとキリに倣って、二人に挟まれるように座る。
「少々、聞きたいことがある」
そう言って男性が取り出したものを見た瞬間。
(あれは……!)
三人とも、息を呑んだ。
「それは……でも、なぜ長がそれを?」
キリが思わず口を開くと、男性はそれをそっとテーブルの上に置いた。
「お前たちが登ってきたと見られる山の手前に、ずっと繋がるように生えていたものだ。交易担当が見つけ、持ってきた」
テーブルの上に置かれたそれを、結衣はじっと見つめた。
まだ青みが残っていて、収穫するには早い。でも、それは立派な稲だった。
(おかしい)
レヴァンの街の宿で朝食を取った時、アイルから聞いた言葉を思い出す。
この世界に米はない、と。その言葉に、どれだけがっかりしたことか。
それが、どうして…
混乱する頭で、そっとアイルとキリを見る。
二人とも、考え込んでいた。
そのうちに、キリと視線が合った瞬間。
「あ」
小さく声を漏らしたのは、キリだった。
「まさか……」
隣のアイルも、結衣をまじまじと見ている。
「え……」
分かっていないのは、結衣だけのようだった。
「詳しく鑑定した者が言うには」
長が、続けた。
「この植物には、およそ植物が溜め込める魔素を遥かに上回るものが詰まっている」
「……」
「更に詳しく検証する必要があるが…汚染された魔素を取り込んでいる可能性がある」
「結衣ちゃん、アレ、出してみて」
アイルが、静かに言った。
「アレ?」
「玄米だ」
キリが続ける。
「道中、手から出していただろう」
「そ、そうだけど……」
三人からじっと見られて、結衣は緊張しながらそっと手を出した。
「……成米」
さらさらと、すぐに拳一杯分の玄米が現れる。
テーブルの上に、静かに広がった。
長が、玄米と稲を見比べた。
しばらく、沈黙が続く。
「……同じものか」
「おそらく」
キリが、静かに答えた。
「結衣が道中で出し続けた玄米が、山道に落ちていったのだと思います」
「それが、根付いた……?」
「この世界に米はないはずだ」
長が、眉をわずかに寄せた。
「だが、これは明らかに根付いている。しかも、魔素を取り込みながら」
「……汚染された魔素を」
アイルが、ゆっくりと言う。
「浄化しながら、育っているということでしょうか」
「おそらく」
長の言葉に、結衣は手のひらの上の玄米を見た。
くず玄米。低品質。ずっとそう表示されてきた、地味なやつ。
馬にあげて、道に落として。ただの練習のつもりだった。
それが…この世界の土に根付いて、育っていた。
「……私が、出してたやつが?」
「そう、だね」
アイルが、柔らかく笑った。
「結衣ちゃんの玄米が、この世界で育ってた」
「で、でも…。出してからそんなに時間経ってないよ?お米だったら、もっと時間が…」
「この世界樹の周辺は、魔素が濃密だ。植物の成長速度も、人間領とは比べ物にならない」
長が、結衣を見た。
「お前が、これを出したのか」
「は、はい……」
「どんな力だ」
「その…成米、っていうと、手から米…その、テーブルに置いてあるものを乾燥させたものが出るんです」
長の目が、わずかに細くなった。
「成米……」
その言葉を、口の中で繰り返す。
「この世界樹の周辺には、長年にわたって瘴気に近い汚染された魔素が溜まり続けている」
静かに、続ける。
「それを、この植物が吸い取っている可能性がある」
「もし、そうであれば……」
長の視線が、結衣に向いた。
「お前の力は…人間も魔族も、喉から手が出るほど欲しがるものになるだろう」
「そ、そんなこと急に言われても……」
結衣は、困惑しながら答えた。
「私、そんな大層なものじゃ……」
ただの米屋だ。それ以外、何者でもない。
「もし、その力が本物であれば、確認しておかなければならないことがある」
「……?」
長が、静かに続けた。
「お前はどちらの伴侶になるつもりだ」
「「は?」」
アイルとキリの声が、綺麗に重なった。
「その力を残すなら、血統管理は必要だ」
淡々と続ける長。その目はどこまでも静かで、まるで温度がない。まるで、作物の品種改良について話しているような口調だった。
結衣の心臓が、嫌な音を立てた。
「どちらでも構わないし、二人ともでも良い。子供さえ産めば、後はこちらで管理する」
「ちょっと、何言っ…」
「話は以上だ」
アイルの言葉を遮るように、長はそのまま立ち上がった。
「詳しい解析結果が出るまでは、転移術の使用は認められない」
奥の部屋へ続く扉が、静かに閉まった。
戻る道中、三人はしばらく無言だった。
足音だけが、里の静かな空気に響く。
最初に口を開いたのは、アイルだった。
「結衣ちゃん、ごめんね。変な話になっちゃってさ」
「う、ううん」
首を横に振る。でも、正直に言えば胸の内は複雑だった。
「エルフは、とても長命だ」
キリが、静かに口を開く。
「だからこそ、一度種の存続の危機に陥ったことが、過去にあるらしい」
「そこからだ。徹底した血の管理をすることで、ここまで発展したらしいが……」
「その分、色々大切なものを忘れたみたいなんだよね」
アイルが、周囲を見渡す。無機質で、色のない、日常。里の人々は今日も黙々と、決められた役割をこなしていた。
そのとき。
「戻っていたのか」
不意に、声がかかった。
振り返ると、金髪の男性のエルフが立っていた。どこかキリに面影が似ている。
「長から聞いている」
男性が、淡々と言った。
「その人間との子供を早く作ることだ。禁忌の双子としての贖罪をしろ」
その隣から、銀髪の女性が口を挟む。アイルに似た面影の女性だった。
「早く里のために貢献しなさい。あなたたちはまだ、何も里の役に立っていないのだから」
随分な物言いだった。
思わず、一歩前に出ようとした結衣の腕を、アイルがそっと引いた。
「行こう」
また、三人は歩き出した。
「あの……さっきのって」
たまらず結衣が聞くと、アイルが苦い笑みを浮かべながら言った。
「あれ、僕たちの両親」
「えっ!?」
足が、止まりそうになった。
そこから、アイルとキリは話し出した。
血の管理のために、エルフは長が決めたもの同士で子供を作る。そこに情もなければ、親しみもない。薬草と魔術で強制的に感情を昂らせて、子供を作る。ただの決められた作業でしかない、と。
人間でいうところの親子の絆もない。一度も褒められたことも、笑いかけられたこともない。
「そんな……」
声が、出なかった。
あの二人が、アイルとキリの両親。
さっきの冷たい言葉が、まだ耳に残っている。贖罪をしろ。役に立っていない。それが親が子に言う言葉だというのか。
「だから」
アイルが、そっと結衣の頭を撫でた。
「結衣ちゃんや豊が、僕たちのことをたくさん褒めてくれるの…とっても嬉しかったんだよ?」
「……」
「簡単に好き、とかいうのは感心しないがな!」
キリが、耳を赤くしながら言った。
「えっ! キリってば結衣ちゃんに好きなんて言われたの!? 僕言われてない! ずるい! 結衣ちゃん言って!」
「……二人とも」
普段だったら、恥ずかしくて絶対言えない。でも、今だったら…いくらでも言える気がした。
「大好きだよ」
ぎゅ、と両手を握る。
「アイルも、キリも……大好き」
アイルが、目を細めて優しく笑った。
キリは、真っ赤になって横を向いた。
でも…握った手を、離さなかった。
三人は、そのまましばらく歩く。
里の静けさは、変わらない。
でも、この三人の間だけは、少しだけ、温かかった。




