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第19話 全力の結果


ふわふわと、世界が揺れていた。

どこまでも続く白いモヤの中で、結衣の意識は浮き沈みを繰り返していた。

うつらうつらと、断片的に覚えているものがある。

誰かの背中。さらりと揺れる、銀色の髪。


(……キリ?)


たまに触れる、ひんやりした冷たい手。体の熱を、静かに吸い取っていくような。

視界の端で、金色が揺れる。


(……アイル?)


声を出したい。でも、うまくできない。

言葉にならないまま、また白いモヤの中に沈んでいく。





パチリ。

目が、開いた。

ふかふかとした柔らかなベッド。木漏れ日のように差し込む光が、まぶたの裏を温かく照らしている。


(……あれ)


起き上がろうとすると、体がギシギシと軋んだ。長い間眠り続けていたように、全身が固い。

ゆっくりと、腕に力を込める。上体を起こす。

周りを、見渡した。


ゴツゴツとした、歪な壁。でも、不思議と威圧感がない。壁に沿って、色とりどりの緑が這っていた。つる草や、名前も知らない植物が、部屋の隅々まで伸びていて——それがかえって、空間全体を柔らかく包んでいた。

天井も高い。木でできていて、年輪のような模様が薄く見える。


空気が、違う。

レヴァンの街の宿屋とは、雰囲気も空気もまるで違った。もっと——古くて、深くて、静かな匂いがする。


「ここは……」


声が、かすれた。喉が乾いている。

窓の外に目を向けると、光が差し込んでいた。木々の隙間から、この世界独特の青みがかった光が。

起き上がったまま、結衣はしばらく動けなかった。体が重い。頭が、ぼんやりしている。


不意に、扉の開く音がした。

つられて視線を向けると、そこには水差しを持ったアイルの姿だった。

視線が合った瞬間、アイルの表情がぱっと和らいだ。


「結衣ちゃん、起きたんだね!」

「アイル……」


掠れた声に気づいたアイルが、すぐに近づいてくる。そっと水差しとグラスを差し出した。


「まずは水分補給からだね」


受け取って、一口飲む。

冷たい水が、乾いた喉に染み込んでいく。体の隅々まで、じわりと広がっていくようだった。そのままグラスを飲み切ると、ようやく一息ついた気がした。


「今、キリを呼んでくるね」


アイルが部屋を出ていった。

少しもしないうちに、扉が開いた。

キリが、走り込んできた。


「結衣、体は平気か」


しゃがみ込んで、額に手を当てる。ひんやりとした感触。


「熱は……ないな」

次に、腕を持ち上げる。袖を少しだけ捲って、確認する。


「発疹も……消えた」

最後に、結衣の顔を覗き込んだ。至近距離で、まっすぐに見てくる。


「顔色も、良くなった」

そこで——キリが、深く息を吐いた。肩から、力が抜けていくのが分かった。


「良かった……」

小さく、呟く。

その声が、いつもより少しだけ、柔らかかった。



結衣は、ぼんやりとする頭で考えた。

私、どうして寝込んでたの……?


「あの……キリ、アイル。私……」


その時。

そっと、アイルが黒い表紙を差し出した。


「結衣ちゃん、気を失った後、熱を出したんだ」


アイルの言葉と、黒い表紙を見た瞬間に——記憶が、一気に押し寄せてきた。


「あ……」


左手の契約印が、消えていた。帳簿を開いたら、ノクスの欄が全部「不明」になっていて。接続切断、という文字が、頭の中でぐるぐると回って——

足元が崩れ落ちていくような感覚が、また蘇る。

心臓が、キュ、と縮こまるような錯覚。

震えそうになる手を、必死に膝の上で押さえた。


その手を、温かいものが包んだ。

キリの手だった。


「結衣、落ち着いて聞いてほしい」

静かな声。


「魔王の状態は、正直言って分からない」

「推測に過ぎないが——契約印の期限が切れたことで、表示されなくなった可能性が高い」

「……期限が切れた」

「そうだ。死んだから消えたのではなく、契約印がなくなったから帳簿に反映されなくなった——その可能性の方が高い」


結衣は、その言葉を頭の中でゆっくりと繰り返した。

死んだんじゃない、かもしれない。


「だからこそ」

キリが、続ける。


「実際に行って、確かめるしか方法がない」

「……うん」


震えは、少しだけ治まっていた。キリの手の温度が、じわりと伝わってくる。

その上から、アイルがもう一方の手を重ねた。


「じゃあ、次は魔王城に乗り込む感じだね!」


明るい声だった。


「任せてよ」

胸を張る。


「これでも僕たち、結構強いんだよ?」

「……知ってる」


結衣が、小さく笑った。


「ほんとに?」

「うん。盗賊をあっという間に片付けてたし、魔物も」

「そう! だから大丈夫」

アイルが、にっこりと笑う。


「もし魔王城に何かいても、僕とキリがいればなんとかなるって」

「なんとかなる、で乗り込むのか」


キリが、呆れたように言った。


「細かいことは現地で考えればいい」

「……お前は、本当に」

「でも、間違ってないでしょ?」


キリは、答えなかった。

結衣は、二人に包まれた両手を見た。

左手の甲に、契約印はない。でも。

二人と一緒なら、きっと大丈夫な気がする。





おまけ


ふと。

結衣は、自分の服に視線を落とした。


「……あれ」


着ていた服が、変わっている。

さらりとした着心地の、薄い布の服。形は少しだけ変わっているけれど、どこかTシャツに近かった。


「これ……」


不思議そうに袖を触っていると、アイルが「あ、それ」と声を上げた。


「昔、キリが着てたやつ」

「まだ残ってて良かったよ」

「キリの……?」


思わず、隣を見る。


「っていうか、そもそもここって……」

「エルフの里だよ」


アイルが、にこっと笑った。


「もー、キリが結衣ちゃんを離したくないって言うから、ずっと背負ってここまで来たんだよ」

「えっ!?」


結衣の目が、大きく開いた。


「キリが!? ご、ごめん!! 私……!」


だからこんなにキリの顔が疲れてるんだ。あんな道を人を背負っていくなんて…。


「違う!!」


キリの声が、珍しく大きく響いた。


「離したくないなんて言ってない」「途中で交代しようって言ったのにさー」


「必要だっただけだ」「意地張ってただけだよ」


アイルが肩をすくめながら続ける。


「僕も結衣ちゃん背負いたかったなー」


結衣は、ぱちぱちと瞬きをした。

二人の声が綺麗に重なって、ちゃんと全部聞き取れなかった。


ちなみに、着替えさせたのはアイル達ではなく、エルフの里の女性です笑

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