第14話 道標は玄米
世界樹へ向かう道は、まず山越えから始まった。
「馬で行けるのは、途中まで」
キリが、前を見たまま言う。
「道が細くなったら、そこから歩きだ」
「どのくらい?」
「半日ほど」
「……そっか」
結衣は、馬の背の上でアイルの腰に掴まりながら頷いた。
今回は、アイルと同じ馬だ。
「快適でしょ?」
アイルが、振り返らずに言う。
「うん。アイル、揺れが少ない」
「でしょー。上手いから」
「キリ、変わろうか?」
アイルが、ニヤニヤとした声で隣を向く。
キリは、一人で馬に乗ったまま、さっと横を向いた。耳が、わずかに赤い。
「……途中で疲れたなら交代する」
「疲れてないけど」
「ならいい」
アイルが、くすっと笑った。結衣は、前を向いたまま小さく笑いを堪えた。
ふと、思いついたことがあった。
(帳簿だって、使い続けることで機能が増えていった)
ならば——成米も、使い続ければ何か変わるかもしれない。くず玄米が、いつか白米になるかもしれない。
「成米」
小さく呟いてみる。
さらさらと、手のひらに玄米が落ちてくる。くすんだ色の、低品質なやつ。
「また出た」
「何やってるの?」
アイルが、振り返る。
「練習。使い続けたら、品質上がるかなと思って」
「あー、帳簿みたいに?」
「うん」
「なるほど」
アイルが、なるほどと頷く。
「試してみる価値はあるかも」
「成米……成米……」
馬に揺られながら、ぽつりぽつりと玄米を出し続ける。
さらさら。さらさら。
道に、玄米がこぼれ落ちていく。
「……なんか、パンくずみたいになってる」
アイルが、後ろを振り返って言った。
「迷子になっても帰れるね」
「玄米で道しるべ」
「鳥に食べられそう」
「……確かに」
キリが、前を向いたまま淡々と言った。
さらさら。さらさら。
手のひらの玄米を、また馬の脇にこぼす。
帳簿を出して確認してみる。
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【無形固定資産:成米】
・くず玄米(低品質)
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「……そう簡単にはいかないか」
結衣は、また玄米を一粒つまんだ。くすんだ色。形は歪。どう見てもくず米だ。
(でも、続ければきっと)
「成米」
さらさら。
休憩のために馬を止めた時。
手のひらに溜まった玄米を、地面に広げてみた。
馬が、鼻先を近づけてくる。
ふんふん、と匂いを嗅いで——ぱくりと食べた。
「あ、食べた」
もぐもぐと、実に美味しそうに咀嚼している。また鼻先を押しつけてくる。もっとくれ、という感じだ。
「……可愛い」
思わず、笑みがこぼれた。
手のひらに残りを乗せると、温かい鼻息を感じながら、ゆっくりと食べていく。
「喜んでるね」
アイルが、隣に並んで馬を撫でる。
「くず米でも、美味しいのかな」
「馬には関係ないんじゃない?」
「そっか」
結衣は、もう一度玄米を出して馬に渡した。
ぱくり。もぐもぐ。
「……なんか、元気出た」
「癒し系だよね」
「うん」
キリが、少し離れた場所で水筒の水を飲みながら、その様子をちらりと見た。
何も言わなかった。
でも——視線が、少しだけ柔らかかった。
帳簿を確認する。
───────────────
【無形固定資産:成米】
・くず玄米(低品質)
───────────────
まだ、品質は変わらない。
でも、結衣は構わずまた呟いた。
「成米」
さらさら。
馬が、期待したように鼻先を向けてくる。
「はいはい」
手のひらに乗せてやると、また嬉しそうに食べ始めた。
(続けていれば、きっと)
足元の道が、少しずつ山の斜面へと変わっていく。
山道が細くなってきた頃、アイルとキリが馬を止めた。
「ここから先は、馬では無理だ」
キリが、道を見渡して言う。確かに、道幅が一人分ほどしかない。岩が張り出していて、馬が通れる幅ではなかった。
「じゃあ、ここでお別れか」
アイルが、馬の首を撫でながら言う。
キリが、手際よく鞍を外した。馬の背から取り外して、茂みの端に置く。
「鞍は置いていく。馬は、このまま自由にしてやれ」
「大丈夫なの?」
「馬は頭がいい。よっぽどのことがなければ、魔物に襲われずに済む」
「どこかの人間に拾われるだろう」
アイルが、続けた。
「この辺を通る旅人や行商人が見つけてくれるよ、きっと」
「……そっか」
結衣は、馬の前に立った。
大きな目が、こちらを見ている。
「ありがとね」
そっと、鼻先に手を当てる。温かい。
「盗賊の所から勝手に連れてきちゃったけど、次はちゃんとした人に拾ってもらってね」
馬は、ふんと鼻息を一つ吐いた。
「成米」
最後に、ありったけの玄米を出した。
手のひらからこぼれそうなくらい、めいっぱい。
馬が、目を輝かせるように近づいてきた。
モリモリと、勢いよく食べ始める。
いつもより量が多いからか、ご機嫌そうだ。もぐもぐと、実に幸せそうな顔をしている。
「……本当に美味しそうに食べるね」
アイルが、目を細める。
食べ終えると、馬はもう一度だけ結衣の手のひらを鼻先で押した。
「もうないよ」
ぽんぽんと、首を叩いてやる。
馬は、少しの間だけそこに立っていた。
それから、ゆっくりと来た道を戻っていった。
「……行っちゃった」
「うん」
アイルが、その背中を見送りながら言う。
「ちゃんと、いい人に拾ってもらえるといいね」
「うん」
結衣は、まだ温かさの残る手のひらを、そっと握りしめた。
「行くぞ」
キリが、前を向く。
「うん」
三人は、馬の歩けない細い道へと踏み出した。
道というより、獣道に近い。石がごろごろしていて、根が張り出していて、歩きにくい。
「気をつけろ」
キリが、さりげなく結衣の前を歩く。足元の悪い場所では、手を差し伸べる。一言も言わずに、自然に。
「ありがとう」
「問題ない」
それだけのやり取り。でも、結衣には分かった。意識してやってくれている。
(気を遣ってくれてるんだな)
一時間。二時間。
歩き続けた。
ふと気づくと——不思議と、疲れていない。
「あれ」
思わず、足を止めた。
「どうした?」
「……なんか、全然疲れてない」
アイルが、振り返って笑う。
「健脚のおかげじやない?」
「これが……」
現代の結衣なら、こんなに何時間も歩き続けることはできなかった。配達で鍛えているとはいえ、山道を半日歩けば普通はへばる。なのに——足が、まだ動く。
「米袋、運び続けた賜物だな」
キリが、淡々と言った。
「そう言われると、なんか複雑な気持ちになる」
「なぜだ」
「米袋のおかげって、すごく地に足がついてる感じがして」
「悪いことじゃない」
キリが、少しだけ前を向いたまま続ける。
「地に足がついているのは、強さだ」
「……キリって、たまにそういうこと言うよね」
「そういうこと、とは」
「なんか、ちょっと嬉しくなること」
「……」
キリは、答えなかった。
ただ、また前を向いて歩き出した。
アイルが、結衣の隣に並んで小声で言う。
「照れてるんだよ」
「聞こえている」
「あ、聞こえてた?」
「全部」
「てへ」
結衣は、小さく笑いながら歩き続けた。
足元の石を踏んで、根を避けて、坂を上る。
(普通に、歩けてる)
米屋で過ごしてきた日々が、こんな形で自分を助けてくれている。
帳簿の中の「健脚」という文字が、今は少しだけ誇らしく感じた。




