第13話 "こ"から始まる何か
数日間の素材集めの中で、結衣の帳簿に現れる内容は少しずつ増えていた。
仕訳、分別——最初は戸惑うばかりだったものが、使うたびに自然になっていく。他の項目も、じわじわと書き加えられていって。
ある朝、帳簿を開くと。
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経験蓄積を確認
【記帳領域を拡張しました】
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「……拡張?」
ページをめくると、自分のステータス欄に新しい文字が浮かび上がっていた。
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【無形固定資産】
・剛腕 ・健脚 ・成米 ・炊飯
【有形固定資産】
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「剛腕と健脚は……まあ、分かる」
米袋を運んで、配達で鍛えた体だ。納得できる。
「でも」
結衣は、指先で文字をなぞった。
「成米と……炊飯?」
成米。炊飯。
試しに、小さく口にしてみる。
「成米……」
次の瞬間。右手に、違和感があった。
さらさらと、何かが落ちていく。
「……え」
手のひらを見ると——米だった。玄米。ひと掴み分の、くすんだ色の粒が、手の中に収まっている。
そっと手に取ってみると、帳簿がひとりでに開いた。
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【取得物】
・くず玄米(低品質)
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「くず米って……」
低品質という評価が、ちょっと地味に刺さる。
気を取り直して、もう一つも試してみることにした。
「炊飯……」
恐る恐る、口にした瞬間。
ぽん。
小気味よい音を立てて、何かが現れた。
「「「……」」」
三人、揃って固まった。
そこにあったのは——炊飯器だった。
白くて、丸みのある、見慣れた形。蓋の部分に、うっすらと傷がついている。
「……これ」
結衣は、思わず手を伸ばした。
「うちで使ってたやつじゃ……」
傷の位置が、完全に一致している。帳簿の文字が、じわりと浮かび上がってくる。
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【有形固定資産】
炊飯器 ・米を炊くことができる ・電気の代わりに魔力を使う必要あり
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「魔力で動くのか……」
アイルが、興味深そうに炊飯器を覗き込む。
「それはまあ、なんとかなるかもしれないけど」
「でも」
キリが、腕を組んで言う。
「玄米のままでは炊けない」
「そう!」
結衣が、手の中のくず玄米を見せる。
「精米しないといけない。でも精米する道具なんて——」
とりあえず、炊飯器の出番は当分なさそうだった。
出発の朝。
空はまだ薄暗く、街の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。どこかで鳥が羽ばたく音がして、市場では商人たちが準備に追われていた。
結衣は、ブーツの紐を結び直した。
(これから、全く違う場所へ行く)
心臓が、ドキドキと音を立てている。手のひらを、一度ぎゅっと握った。
これから向かうのは、エルフの里。そこへ至る世界樹の道は、とても危険だとアイルとキリから聞いている。魔素溜まりの中を進み、切り立った崖を歩く。普通の人間なら死ぬ、と。
でも——ノクスのいる魔族領に行くためには、そこを通るしかない。
(行くしかない)
緊張気味の結衣を横目に見ながら、キリは最終確認をしていた。魔術で収納と重さを軽くした荷物を一つ一つ確かめて、よし、と前を向く。
「じゃあ、世界樹ツアー出発!」
アイルが、元気よく手を上げた。
「観光じゃないぞ」
キリが、即座に否定する。
「ツアーにも色々あるじゃん」
「命がけのツアーを観光とは言わない」
「冒険ツアーってことで」
「……黙って歩け」
いつものやり取り。それだけで、結衣の胸がちょっとだけ軽くなった。
「行こうか」
アイルが、結衣を振り返る。
「うん」
一歩を踏み出した。
静かな部屋の中で、ノクスは眠り続けていた。
規則正しく、かろうじて。ただそれだけの呼吸。
「……魔王様」
クロードは、ベッドの傍らで静かに膝をついた。銀灰色の髪が、俯いた拍子に肩から流れる。執事服の襟を正して、また顔を上げる。その表情に、感情はほとんど出ていない。ただ——目の奥だけが、わずかに揺れていた。
部屋の隅で、機械音が低く鳴り続けている。
「数値、確認する」
ノルティアが、魔力供給装置の前にしゃがみ込んだ。深緑の髪をざっくりと束ねたまま、眠たげな目で計器を眺める。細い指が、いくつかのつまみを調整した。
「……魔王様、まだあまり回復してない」
「どの程度ですか」
「横ばい。上がってはいる。でも、ゆっくり」
クロードは、小さく息を吐いた。
「あの魔王様の魔力量がここまで枯渇するなど、到底考えられません」
歴代の魔王の中でも、一、二を争う魔力の持ち主だ。魔族領を統一し、飢饉の年には食糧管理を一人で組み直した。その圧倒的な力が——ほとんどなくなっている。
「原因、考えられるのは二つ」
ノルティアが、計器から目を離さずに続ける。
「一つ。魔王様より強い存在がいた」
「それはあり得ません」
クロードが、即座に否定した。
「二つ目。魔力を抜かれた際に、魔王様が抵抗して余計に消費した」
「……」
そちらの方が、あり得る話だった。簡単に負けるような御方ではない。だからこそ、最後まで抵抗して——その結果がこれだ。
クロードの脳裏に、あの言葉が蘇る。
『ゆい、は……わ、たしの……こ』
よりにもよって、人間を探せと言われるとは思ってもみなかった。だが、魔王の忠実な右腕として、与えられた使命はきちんと果たさなければ。
「ノルティア」
「うん」
「本当に、魔王様の魔力反応が人間領の方からしたのですね」
「うん。魔導装置に、ごく微弱な反応があった」
クロードは、窓の外に視線を向けた。
(一体、そのユイという人間と魔王様は、どんな関係だったのか)
「……"こ"で始まる何か、か」
思わず、声に出た。
「子供?」
ノルティアが、さらっと言う。
「なっ——まさか!?」
クロードの声が、珍しく跳ね上がった。
「隠し子が魔王様に……!?」
「嘘」
ノルティアは、表情を変えない。
「もし人間との間の子供だったら、もっと魔力反応出る。違う」
「そ、そうですよね……失礼しました」
普段は微動だにしない右腕が取り乱す様子を、ノルティアはじっと見ていた。その目の奥に、かすかな面白さが宿っている。
「こ……」
「こ……?」
二人して、頭を悩ませる。
沈黙が落ちた、その時。
「恋人……とかだったら、素敵ね」
甘ったるい声が、部屋に滑り込んできた。
振り返ると、扉のところにリシェルが立っていた。深い赤紫の髪が、肩から流れている。その唇が、弧を描いた。
「恋人!?」
「婚約者、とかね」
ふふ、と笑いながら部屋に入ってくる。その足取りは、音もなく優雅だった。
「もう……そうなったら妬いちゃうわ」
ベッドに横たわるノクスに、視線を向ける。
「こんなに美しい私に、ずっと見向きもしなかったんだもの」
ペロリ、と下唇を舐める。その目が、暗く細くなった。獲物を見る時の目だ、とクロードは思った。
「リシェル様、まだ魔王様が目覚めていない時に——」
「分かってるわ」
あっさりと返される。
「ちゃんと仕事の話もあるの」
クロードは、一度口を閉じた。
そして、考え直した。
あの局面で。魔力が尽きかけていたあの瞬間に。国のことでも、魔族領のことでもなく——ノクスが真っ先に伝えようとしたのは、一人の人間の名前だった。
(それは、魔王様にとって、何より大事な存在だからではないのか)
「……あり得る話、かもしれません」
ぽつりと、言葉が漏れた。
「でしょう?」
リシェルが、にやりと笑う。
魔王が就任して、はや百年。早く魔王妃をと、様々な種族の女性を紹介してきた。だが、ノクスは「無駄だ」の一言で全て退けた。歴代の魔王の中でも若く、実力も容姿も申し分ない。引く手数多であるのに、全く興味がないと言わんばかりに、ひたすら国の統治に全力を注いできた。
こちらとしては、早く世継ぎを産んでもらって、魔族領の安定を図りたいところだというのに。
「それで?」
クロードが、気を取り直して言う。
「一体、何用でこちらへ?」
「魔王様の、微弱な魔力反応の詳しい場所が分かったわ」
リシェルが、懐から地図を取り出して広げた。
「この——レヴァンという人間の街よ」
地図の上を、細い指がなぞる。
「今、私の配下に向かわせているわ」
クロードは、地図に載る人間の街を見た。
「いいですか」
静かに、でもはっきりと言う。
「魔王様の大切な方かもしれません。くれぐれも、行動は慎重に」
「あら、ちょっと味見くらい……」
「駄目です」
「……つまらない」
「他の幹部にも、同様に伝えてください」
リシェルは、唇を尖らせてから——ふっと笑った。
「ええ、伝えるわ」
「魔王様に、恋人がいるらしい、ってね」
「それは語弊が——」
「じゃあね」
さらりと部屋を出ていくリシェル。
残されたクロードは、額に手を当てた。
「……ノルティア」
「うん」
「噂が広がる前に、なんとかなりませんか」
「無理」
「そうですよね……」
ノルティアは、また計器に視線を戻した。
部屋の中に、機械の低い音だけが残る。
ベッドの上のノクスは、相変わらず静かに眠っていた。
小さく、ぴくりと反応した指には誰も気づかない。




