表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/64

第13話 "こ"から始まる何か


数日間の素材集めの中で、結衣の帳簿に現れる内容は少しずつ増えていた。

仕訳、分別——最初は戸惑うばかりだったものが、使うたびに自然になっていく。他の項目も、じわじわと書き加えられていって。

ある朝、帳簿を開くと。


───────────────

経験蓄積を確認

【記帳領域を拡張しました】

───────────────


「……拡張?」

ページをめくると、自分のステータス欄に新しい文字が浮かび上がっていた。


───────────────

【無形固定資産】

・剛腕 ・健脚 ・成米 ・炊飯

【有形固定資産】

───────────────


「剛腕と健脚は……まあ、分かる」


米袋を運んで、配達で鍛えた体だ。納得できる。


「でも」

結衣は、指先で文字をなぞった。


「成米と……炊飯?」


成米。炊飯。

試しに、小さく口にしてみる。


「成米……」


次の瞬間。右手に、違和感があった。

さらさらと、何かが落ちていく。


「……え」


手のひらを見ると——米だった。玄米。ひと掴み分の、くすんだ色の粒が、手の中に収まっている。

そっと手に取ってみると、帳簿がひとりでに開いた。


───────────────

【取得物】

・くず玄米(低品質)

───────────────



「くず米って……」


低品質という評価が、ちょっと地味に刺さる。

気を取り直して、もう一つも試してみることにした。


「炊飯……」

恐る恐る、口にした瞬間。

ぽん。

小気味よい音を立てて、何かが現れた。


「「「……」」」


三人、揃って固まった。

そこにあったのは——炊飯器だった。

白くて、丸みのある、見慣れた形。蓋の部分に、うっすらと傷がついている。


「……これ」

結衣は、思わず手を伸ばした。


「うちで使ってたやつじゃ……」

傷の位置が、完全に一致している。帳簿の文字が、じわりと浮かび上がってくる。


───────────────

【有形固定資産】

炊飯器 ・米を炊くことができる ・電気の代わりに魔力を使う必要あり

───────────────


「魔力で動くのか……」

アイルが、興味深そうに炊飯器を覗き込む。


「それはまあ、なんとかなるかもしれないけど」

「でも」


キリが、腕を組んで言う。

「玄米のままでは炊けない」

「そう!」


結衣が、手の中のくず玄米を見せる。


「精米しないといけない。でも精米する道具なんて——」


とりあえず、炊飯器の出番は当分なさそうだった。





出発の朝。

空はまだ薄暗く、街の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。どこかで鳥が羽ばたく音がして、市場では商人たちが準備に追われていた。

結衣は、ブーツの紐を結び直した。


(これから、全く違う場所へ行く)


心臓が、ドキドキと音を立てている。手のひらを、一度ぎゅっと握った。

これから向かうのは、エルフの里。そこへ至る世界樹の道は、とても危険だとアイルとキリから聞いている。魔素溜まりの中を進み、切り立った崖を歩く。普通の人間なら死ぬ、と。

でも——ノクスのいる魔族領に行くためには、そこを通るしかない。


(行くしかない)


緊張気味の結衣を横目に見ながら、キリは最終確認をしていた。魔術で収納と重さを軽くした荷物を一つ一つ確かめて、よし、と前を向く。


「じゃあ、世界樹ツアー出発!」


アイルが、元気よく手を上げた。


「観光じゃないぞ」

キリが、即座に否定する。


「ツアーにも色々あるじゃん」

「命がけのツアーを観光とは言わない」

「冒険ツアーってことで」

「……黙って歩け」


いつものやり取り。それだけで、結衣の胸がちょっとだけ軽くなった。


「行こうか」


アイルが、結衣を振り返る。


「うん」


一歩を踏み出した。






静かな部屋の中で、ノクスは眠り続けていた。

規則正しく、かろうじて。ただそれだけの呼吸。


「……魔王様」


クロードは、ベッドの傍らで静かに膝をついた。銀灰色の髪が、俯いた拍子に肩から流れる。執事服の襟を正して、また顔を上げる。その表情に、感情はほとんど出ていない。ただ——目の奥だけが、わずかに揺れていた。

部屋の隅で、機械音が低く鳴り続けている。


「数値、確認する」


ノルティアが、魔力供給装置の前にしゃがみ込んだ。深緑の髪をざっくりと束ねたまま、眠たげな目で計器を眺める。細い指が、いくつかのつまみを調整した。


「……魔王様、まだあまり回復してない」

「どの程度ですか」

「横ばい。上がってはいる。でも、ゆっくり」


クロードは、小さく息を吐いた。


「あの魔王様の魔力量がここまで枯渇するなど、到底考えられません」


歴代の魔王の中でも、一、二を争う魔力の持ち主だ。魔族領を統一し、飢饉の年には食糧管理を一人で組み直した。その圧倒的な力が——ほとんどなくなっている。


「原因、考えられるのは二つ」

ノルティアが、計器から目を離さずに続ける。


「一つ。魔王様より強い存在がいた」

「それはあり得ません」


クロードが、即座に否定した。


「二つ目。魔力を抜かれた際に、魔王様が抵抗して余計に消費した」

「……」


そちらの方が、あり得る話だった。簡単に負けるような御方ではない。だからこそ、最後まで抵抗して——その結果がこれだ。

クロードの脳裏に、あの言葉が蘇る。


『ゆい、は……わ、たしの……こ』


よりにもよって、人間を探せと言われるとは思ってもみなかった。だが、魔王の忠実な右腕として、与えられた使命はきちんと果たさなければ。


「ノルティア」

「うん」

「本当に、魔王様の魔力反応が人間領の方からしたのですね」

「うん。魔導装置に、ごく微弱な反応があった」


クロードは、窓の外に視線を向けた。


(一体、そのユイという人間と魔王様は、どんな関係だったのか)


「……"こ"で始まる何か、か」


思わず、声に出た。


「子供?」


ノルティアが、さらっと言う。


「なっ——まさか!?」

クロードの声が、珍しく跳ね上がった。


「隠し子が魔王様に……!?」

「嘘」

ノルティアは、表情を変えない。


「もし人間との間の子供だったら、もっと魔力反応出る。違う」

「そ、そうですよね……失礼しました」


普段は微動だにしない右腕が取り乱す様子を、ノルティアはじっと見ていた。その目の奥に、かすかな面白さが宿っている。


「こ……」

「こ……?」


二人して、頭を悩ませる。

沈黙が落ちた、その時。


「恋人……とかだったら、素敵ね」


甘ったるい声が、部屋に滑り込んできた。

振り返ると、扉のところにリシェルが立っていた。深い赤紫の髪が、肩から流れている。その唇が、弧を描いた。


「恋人!?」

「婚約者、とかね」


ふふ、と笑いながら部屋に入ってくる。その足取りは、音もなく優雅だった。


「もう……そうなったら妬いちゃうわ」

ベッドに横たわるノクスに、視線を向ける。


「こんなに美しい私に、ずっと見向きもしなかったんだもの」

ペロリ、と下唇を舐める。その目が、暗く細くなった。獲物を見る時の目だ、とクロードは思った。


「リシェル様、まだ魔王様が目覚めていない時に——」

「分かってるわ」

あっさりと返される。


「ちゃんと仕事の話もあるの」


クロードは、一度口を閉じた。

そして、考え直した。

あの局面で。魔力が尽きかけていたあの瞬間に。国のことでも、魔族領のことでもなく——ノクスが真っ先に伝えようとしたのは、一人の人間の名前だった。


(それは、魔王様にとって、何より大事な存在だからではないのか)


「……あり得る話、かもしれません」


ぽつりと、言葉が漏れた。


「でしょう?」


リシェルが、にやりと笑う。

魔王が就任して、はや百年。早く魔王妃をと、様々な種族の女性を紹介してきた。だが、ノクスは「無駄だ」の一言で全て退けた。歴代の魔王の中でも若く、実力も容姿も申し分ない。引く手数多であるのに、全く興味がないと言わんばかりに、ひたすら国の統治に全力を注いできた。

こちらとしては、早く世継ぎを産んでもらって、魔族領の安定を図りたいところだというのに。


「それで?」

クロードが、気を取り直して言う。


「一体、何用でこちらへ?」

「魔王様の、微弱な魔力反応の詳しい場所が分かったわ」


リシェルが、懐から地図を取り出して広げた。


「この——レヴァンという人間の街よ」

地図の上を、細い指がなぞる。


「今、私の配下に向かわせているわ」

クロードは、地図に載る人間の街を見た。


「いいですか」

静かに、でもはっきりと言う。


「魔王様の大切な方かもしれません。くれぐれも、行動は慎重に」

「あら、ちょっと味見くらい……」

「駄目です」

「……つまらない」

「他の幹部にも、同様に伝えてください」

リシェルは、唇を尖らせてから——ふっと笑った。


「ええ、伝えるわ」


「魔王様に、恋人がいるらしい、ってね」

「それは語弊が——」

「じゃあね」


さらりと部屋を出ていくリシェル。

残されたクロードは、額に手を当てた。


「……ノルティア」

「うん」

「噂が広がる前に、なんとかなりませんか」

「無理」

「そうですよね……」


ノルティアは、また計器に視線を戻した。

部屋の中に、機械の低い音だけが残る。

ベッドの上のノクスは、相変わらず静かに眠っていた。

小さく、ぴくりと反応した指には誰も気づかない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ