第12話 帳簿の力
翌朝。
疲れも出たのか、結衣はぐっすりと眠れた。
朝の早い時間に目が覚めて、ぼんやりと起き上がる。
「……あれ?」
テーブルの上に、見たことのないものが置いてあった。
花、だと思う。半透明の、不思議な花。朝の陽光を受けて、きらきらと輝いている。まるで、ガラスか水晶で出来ているみたいだった。
(昨日は、こんなのなかったはずなのに)
結衣は、振り返った。
ベッドの横に置かれた、キリの靴。その先が、泥で汚れていた。
(夜中に、取りに行ったのかな……)
帳簿を出して開いてみる。じわりと文字が浮かんだ。
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・不明な花
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知らないものは反映されないからか、それだけしか出てこない。
そうこうしているうちに、あくびをしながらアイルが起き上がってきた。
「おはよ、結衣ちゃん」
「おはよう」
結衣は、テーブルの花を示した。
「……これって、ひょっとしてキリが?」
アイルが、花を見て少しだけ表情を和らげる。
「ごめんね」
「え?」
「どうしても必要だったんだけど、夜にしか取れない素材で」
「結衣ちゃんが心配すると思って、黙ってたんだ」
「……」
結衣は、泥のついたキリの靴を、もう一度見た。
胸の奥が、ざわつく。
危険なことはしてほしくない。
でも——自分が行っても、足手纏いだっただろう。それに、黙っていたのは心配させたくなかったからだ。キリなりの、アイルなりの、気遣いなのだと分かっている。
「複雑な気持ちは分かるけど」
アイルが、穏やかに言う。
「できたら、キリには笑っていてほしいな」
「……笑って?」
「そっちの方が、キリも喜ぶから」
結衣は、少しだけ考えてから——小さく頷いた。
「……うん、分かった」
素直な頷きに、アイルはたまらず結衣の頭に手を乗せた。
「うん、いい子だね」
優しげに細められた目。
「もう、またそういうことする」
「だって、可愛いんだもん」
「可愛くない」
「可愛いよ」
結衣は、少しだけ口をもごもごさせて、花に視線を戻した。
「それで、これってどんな花なの?」
「これはね」
アイルが、花を指先でそっと示す。
「風晶花っていうんだ。崖の高所、強風が吹くような場所にしか咲かない」
「だから、夜に崖へ……」
「うん。日中だと風が強すぎて、採取が難しくて」
「……無茶するなぁ」
「キリだから大丈夫だよ」
あっさりと言う。
「加工すると、一時的に心肺機能を上げてくれるんだ」
その瞬間。
帳簿の文字が、じわじわと更新されていく。
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風晶花
崖の高所、強風が吹く場所にしか咲かない。 半透明の花。
【効果】 乾燥・粉末化すると、肺機能を一時的に強化 ・酸欠耐性
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「……学習した」
「早いね」
アイルが、微笑む。
結衣は、帳簿から顔を上げた。
「これって……世界樹を通って行くのに使うから、取ってきてくれたの?」
「そう」
「……キリに、ちゃんとお礼言わないと」
「うん」
アイルが、嬉しそうに言った。
「喜ぶと思うよ、きっと」
そのとき。
奥のベッドで、むくりと人影が起き上がった。
「……騒がしい」
寝起きの、低い声。
キリだった。
銀髪が、ぼさぼさになっている。
「おはよう、キリ」
結衣が言うと、キリはぼんやりとこちらを見た。
「……ああ」
「風晶花、取ってきてくれたんだね」
「……」
「ありがとう」
キリは、少しの間だけ黙っていた。
それから、視線をわずかに逸らした。
「……必要なものを揃えただけだ」
「それでも」
結衣が、笑う。
「嬉しかった」
キリの耳が、わずかに赤くなった。
アイルは、横を向いて笑いを堪えていた。
別の採取場所へと向かう道中。
「これは解熱草。葉脈が左右非対称なのが特徴だ」
「これは鎮痛根。土が湿った場所に生える」
「これは——」
「また毒草?」
「違う。傷口に当てると止血が早まる」
「ごめん、ちょっと訳がわからなくなってきたかも」
キリが、淡々と説明するたびに、帳簿の文字がじわじわと更新されていく。アイルも時折補足を入れながら、三人は並んで歩いていた。
(こうやって知識を得るたびに、帳簿が育っていくんだな)
結衣は、更新されていく文字を見ながら思った。
不明だったものが、少しずつ分かるものに変わっていく。
ノクスが帳簿の使い方を教えてくれた時みたいに——
そのとき。
アイルとキリが、同時に足を止めた。
「……っ」
結衣も、つられて立ち止まる。
空気が、変わった。
さっきまでの穏やかな森の空気が、張り詰めた何かに塗り替えられていく。
帳簿の文字が、書き換わっていく。
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【対象確認】
灰牙狼
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茂みが、揺れた。
低い唸り声が、地を這うように響く。
草をかき分けて現れたのは——狼のような魔物だった。体は普通の狼より一回り大きく、毛並みは灰色。黄色い目が、じっとこちらを見ている。
「灰牙狼か」
キリが、低く呟く。
「群れで狩る魔物だ」
「正面より、側面を警戒しろ」
帳簿の文字が、するすると変わっていった。
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灰牙狼
・群れ行動 ・側面奇襲を好む ・喉元が脆弱
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「アイルは他の個体を警戒しろ」
キリが、静かに指示を出す。
「俺は正面を叩く」
「了解」
アイルが、すでに手に魔術の光を纏わせながら答えた。その目が、素早く周囲を見渡している。
「結衣」
キリが、こちらを向く。
「後ろにいろ。動くな」
「うん」
頷きながら、結衣は帳簿を強く握りしめた。
(側面奇襲を好む……正面の一頭だけじゃない)
帳簿を開いたまま、周囲に目を走らせる。茂みが、左右で微かに揺れていた。
帳簿の文字が、素早く書き換わっていく。
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【優先処理対象】
灰牙狼(右)
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「右からくる!」
その言葉と同時に、アイルの魔術が飛んでいった。光の筋が空を裂いて、茂みから飛び出してきた灰牙狼を直撃する。
正面ではキリが、目の前の魔物を魔術で吹き飛ばしていた。着地と同時に次の一手を放つ、無駄のない動きだった。
また、帳簿の文字が書き換わる。
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【仕訳】
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「……しわけ?」
思わず、声に出した。
帳簿で見慣れた言葉。でも、今この状況で出てくる意味が分からない。
結衣の言葉に反応するように、文字がまた変わった。
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脅威を再分類します
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次の瞬間。
左側からキリを狙っていた灰牙狼の動きが、突然ぶれた。まるで見えない何かに弾かれたように、軌道がずれて——そのまま太い木の幹に激突する。
その隙を逃さず、キリの魔術が横から炸裂した。灰牙狼が、吹き飛ぶ。
沈黙。
森の中に、静けさが戻ってきた。
三人とも、しばらく動かなかった。
「今のは……」
キリの視線が、アイルに向く。
アイルは、小さく首を横に振った。
「僕じゃない」
そのまま、二人の視線が——結衣に向いた。
「え」
結衣は、思わず両手を振った。
「わ、私、何もしてないよ!?」
「帳簿が光っていた」
キリが、静かに言う。
「仕訳、という言葉が出た直後に」
「そ、それは、なんか自動で——」
「帳簿に触れていたのは、お前だ」
「……」
「無意識だったかもしれないが」
アイルが、穏やかに続ける。
「帳簿の"仕訳"っていうので、力を動かしたのか弾いたのか。つまり——結衣ちゃんが、危険を認識したから動いたんだと思う」
「認識って……でも、帳簿に浮かんだ文字を言っただけなのに——」
「戦い方は、色々ある」
キリが、短く言った。
結衣は、手の中の帳簿を見た。
表紙は、静かだった。何も光っていない。さっきの出来事が嘘みたいに、ただの黒い帳簿に戻っている。
「……仕訳って」
ぽつりと呟く。
「帳簿の言葉だよね」
「うん」
「脅威を、整理したってこと……?」
「みたいだね」
アイルが、柔らかく笑った。
「結衣ちゃんらしい、やり方だと思うよ」
「……私らしい」
空気が、ゆっくりと元に戻っていく。
倒れている灰牙狼を見て、キリが頭をかいた。
「しまった……解体用のナイフは買っていない」
「素材取れれば売れるんだけどねー」
アイルが、こともなげに言う。
「か、解体……」
結衣の口から、思わず声が漏れた。
解体。読んで字の如く、魔物を解体するということ。つまり、あの灰牙狼を——
(やめよう、想像するのは)
でも、一度頭に浮かんだものは消えない。現代日本で生きていて、動物の解体現場を見たことがある人なんてそういない。スーパーで売っているお肉が、どんな過程を経て並んでいるのか、なんとなく知ってはいても、それを目の前で見た経験はない。
血の気が、じわりと引いていく。
顔が、青くなっているのが自分でも分かった。
その瞬間。
帳簿の文字が、また変わった。
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【分別】
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「……分別?」
思わず呟いた、その瞬間。
ばさりと。
灰牙狼の体が、まるで霧のように掻き消えた。
そして。代わりに現れたのは——
毛皮。それと牙。小さな石のようなもの。
そして。
あまり見たくない、肉の塊的な何か。
「わっ」
反射的に、両手で目を覆った。
ばさり。
帳簿が、地面に落っこちた。
「……」「……」
しばらく、誰も声を上げなかった。
「結衣ちゃん」
アイルが、恐る恐る声をかける。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……目は覆ってたから……なんとか」
「なんとか、ね」
「はい、拾っておいたよ」
アイルが帳簿を差し出す。
「あ、ありがとう……」
受け取りながら、おそるおそる目を開ける。
素材が、きれいに分かれて地面に並んでいた。
肉の塊的なものは——布で巻かれていた。
「キリが隠してくれたの……?」
「見るか?」
「見ない!!」
「なら問題ない」
キリが、素材を手際よく回収し始める。毛皮。牙。石。
「これで、今日の解体問題は解決した」
「私は何もしてないんだけど……」
結衣の持っていた帳簿のページが書き換わる。
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【取得資産】
・灰牙狼の牙 ×2
・灰牙狼の毛皮 ×1
・魔石(小) ×1
推定売却額:
銀貨4枚
銅貨8枚
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