第8話 それぞれの始まり
翌朝。
朝食を済ませてから、三人はギルドへと向かった。
街の中心に構えた建物は、思ったより賑やかだった。依頼の貼り紙が所狭しと並んでいて、様々な人間が出入りしている。
「情報収集だ」
キリが、周囲を見渡しながら言う。
「魔族が人間領に転移してきたとなれば、すぐに噂が立つ。何か耳に入るかもしれない」
「ノクスの手がかりが掴めるかもしれないってこと?」
「可能性はある」
「あと」
アイルが続ける。
「魔王がいる場所の見当はついてる」
「え、どこ?」
「おそらく、魔族領だ」
キリが、静かに言った。
「根拠は二つある」
「うん」
「一つは、帳簿の表示だ。現在地が測定範囲外となっている。人間領であれば、もう少し情報が拾える可能性が高い」
「もう一つは?」
「あの時、いくつもの術式が重なっていた」
キリが続ける。
「その中の一つが——元の場所へ引き戻そうとするものだったはずだ。魔族領から来た魔王を、魔族領へと戻す。そう考えるのが自然だ」
「……じゃあ、ノクスは魔族領に戻されたってこと?」
「可能性が高い」
「……そっか」
「ここで一週間ほど様子を見る。それで何も出なければ——魔族領を目指す」
結衣は、頷いた。
「魔族領って……どうやって行くの?」
「それなんだが」
キリが、少しだけ表情を変える。
「選択肢が、多くない」
「どういう意味?」
「ルートが三つある」
キリが、指を折る。
「一つ目は、山越えだ。複数の山を超えていく陸路で——」
「あ」
結衣が、思い出したように言う。
「エレンが言ってた。大きい山を二つ三つ越えなきゃいけなくて、強い魔物だらけで補給もできないって」
「その通りだ。現実的ではない」
「二つ目は?」
「海路だ。距離としては一番近い」
「でも」
アイルが、苦笑する。
「海路は今、使えないんだよね」
「魔素溜まりがあるから」
「魔素溜まり……」
「海の上に、嵐みたいな形で渦巻いてて。船を出したら一瞬で終わる」
結衣は、思わず黙った。
(あれ、ノクスが設置したって言ってたやつだ)。
「……なんとも言えない気持ちになるね」
「まあ、そうだな」
キリが、わずかに遠い目をした。
「三つ目は?」
「……」
キリが、少しだけ間を置いた。
「エルフの里を通る」
「里を?」
「世界樹を伝って、魔族領へと入るルートだ」
「繋がってるんだ」
「繋がっては……いる」
キリとアイルが、同時に少し言い淀んだ。
「どうしたの?」
アイルが、口を開く。
「あのね、結衣ちゃん」
いつもより、少しだけ慎重な声だった。
「世界樹を伝っていくってことは——途中で、魔素溜まりの雲の中を進むのと同じなんだよ」
「……そこでも魔素溜まり?」
「海路で巻き上げられた魔素が、世界樹の周りにも溜まってる」
「……それって」
「瘴気に近いそれの中を進むことになる」
キリが、続けた。
「普通の人間なら——死ぬ」
「……え」
「魔素が濃密すぎて、酸素がほとんどない。それだけじゃなく」
「道が、切り立った崖のようになっている。足場も悪い」
「そ、それって……」
結衣の顔が、じわりと青くなった。
「本当に通れるの?」
「普通の人間なら、通れない」
キリが、まっすぐに結衣を見る。
「だが——里まで辿り着ければ、転移術で魔族領に入れる」
「怖い思いをするかもしれないけど」
アイルが、静かに続けた。
「途中は、僕たちが全力でサポートする」
「……」
「だから」
アイルの目が、真剣だった。
「僕たちを信じて、ついてきてくれる?」
結衣は、二人を見た。
キリの、揺らがない目。アイルの、穏やかだけど本気の目。
(怖い)
正直に言えば、怖い。魔素溜まりの中を進むなんて、想像しただけで足がすくむ。
でも。
帳簿の中の文字が、頭をよぎる。
状態、危険。生命維持限界域。
(ノクスが、待ってる)
結衣は、小さく頷いた。
「……うん。連れてって」
アイルが、ふっと笑った。
キリは、無言で前を向いた。
その横顔が——少しだけ、安堵しているように見えた。
一方、その頃。
結衣たちのいるレヴァンから遠く離れた場所で——聖都ルーメリアは、突然の騒ぎに包まれていた。
街の中心にある広場が、唐突に光ったかと思うと。転移術特有の光の残滓を残して、二人の人間が倒れていたのだ。
転移術は、国が管理する巨大術式だ。一般人がそう簡単に扱えるものではない。それが、何の前触れもなく街のど真ん中に現れた。
広場に居合わせた人々が、声を上げる。野次馬が集まってくる。騒ぎを聞きつけた騎士団が、足早に駆けつけた。
「何事だ——」
隊長が、倒れている人物の一人の顔を見て、言葉を失った。
「……勇者様?」
甲冑姿ではない。だが——見間違えようがない。この顔は、確かに。
「隊長、どうしますか?」
「とにかく、勇者様をお連れしなければ……」
「隣の男は?」
隊長は、もう一人の男を見た。
「重要参考人として、連行しろ」
「……ふぁ」
豊が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
ふかふかのベッドは柔らかく、大人が三人並んでも余裕がありそうだ。高級そうなアンティーク調の家具。映画でしか見たことのないような立派な暖炉。天井が、やたら高い。
(……ここ、どこだ)
頭が、じんわりと痛い。
ついさっきまで、変な夢を見ていた気がする。
なぜかリクルートスーツを着て、したこともない面接を受けていた。得意なことを聞かれて——気づいたら、精米の奥深さから玄米の色艶、品種ごとの特徴まで、張り切って熱弁していた。試験官らしき人物が、途中からものすごく焦った顔をしていた気がする。
(だいたい、大学にも行かずに米屋で働き始めたんだから、まともな面接なんてほとんどしたことないのに)
それより。
(マサツ?ってなんだ)
夢の最後に、誰かが「気をつけろ」と言っていた気がする。マサツ、という言葉と一緒に。
何かの名前だろうか。人の名前?場所?
豊が頭を悩ませていると。
重厚な扉が、ゆっくりと開いた。
入ってきた顔を見て、豊は思わず声を上げた。
「おぉ、エレン!」
「おぉ、じゃないよ」
げっそりとした表情。目の下にうっすらとクマがある。こちらを見る目に、明らかに恨みが込められている。
「三日も、グースカ寝やがって」
「三日?」
「そう、三日。その間こっちがどれだけ大変だったと思ってるんだ」
「いや、俺には全く——」
「全く心当たりがない、って顔してるね」
「してる」
「最悪だ」
エレンが、盛大なため息をついた。
「なぁ」
豊が、部屋を見渡す。
「ここ、どこなんだ?」
エレンは、無言で窓に向かった。
分厚いカーテンを、バサリと引き開ける。
眩しい光が、部屋に流れ込んでくる。
窓の外には——白い石造りの建物が立ち並ぶ、広大な街が広がっていた。街の中心には、巨大な塔がそびえている。その頂上に、金色に輝く何かが掲げられていた。
「ようこそ」
エレンが、窓の外を見たまま言った。
「人間の欲望渦巻く、聖都ルーメリアへ」
「すごいな……」
窓の外を見ながら、豊が率直に言った。
白い石造りの建物が、整然と立ち並んでいる。街の中心にそびえる巨大な塔。その頂上で金色に輝くものが、朝の光を受けてきらきらと反射している。
「でかい街だな」
「まぁね」
「あの塔、何?」
「聖堂だよ。この国の女神様を祀ってる」
「へぇ……」
豊は、目を細めて遠くの建物を眺めた。しばらくして、思い出したように振り返る。
「そういえば、結衣たちは?」
エレンは、首を横に振った。
「分からない。ここに飛ばされたのは、君と僕の二人だけだよ」
「そっか」
「……心配じゃないの?」
「心配は心配だけど」
豊は、あっけらかんとした顔で言う。
「結衣には頼もしい奴らがついてるから、きっと大丈夫だろう」
「……」
(出たよ)
エレンは、心の中で深くため息をついた。
(根拠のない自信。本当に、なんでこいつまで飛ばされたんだか)
魔王と勇者が引き寄せられたのは、まだ分かる。でも、この人は——米屋の経営者だ。なぜ一緒に巻き込まれているのか、今もって理由が掴めない。
しかも三日も寝ていた。その間、エレンは一人でこの国の人間たちの相手をしなければならなかった。
(本当に、なんなんだ)
「……まぁ」
エレンは、窓の外に視線を戻した。
せっかく、自分の本当の性別を知る同性の友人が出来たような感覚で、楽しかったのに。どうせなら結衣ちゃんが一緒だったら良かった。
でも。
エレンは、思い直す。
(もし結衣ちゃんがこの国に来ていたら)
目に浮かぶのは、この国の人間たちの顔だ。
勇者と分かった瞬間に、ぐっと距離を詰めてきた貴族たち。愛想笑いの裏に、はっきりと打算が見えていた。
(いいように使われるのが、目に浮かぶ)
結衣は、悪意に対して無防備すぎる。この国の人間のような相手には、特に。
(来なくて、良かったのかもしれない)
小さく、ため息が漏れた。
「あれ、なんだ?」
豊が、また別の建物を指さして声を上げる。
「あっちの広場、すごくでかくない?」
「ただの広場だよ」
「でもなんか集まってるぞ」
「朝市だよ、毎朝やってる」
「へぇ! 行けるの?」
「……今は、あんまり自由に動けない」
「え、なんで?」
「色々あって」
「色々って?」
「だから、色々だよ」
豊は、少しだけ残念そうな顔をした。それでも、すぐにまた窓の外に目を戻す。子供のように、あれこれと指さしながら声を上げている。
エレンは、その様子を見て——肩を落とした。
(この三日間、一人で全部やってきたのに)
(こいつは、今日起きたばかりなのに、もう楽しんでいる)
理不尽だと思う。
思うのだが。
「エレン、あの旗に描いてあるの何の絵?」
「……女神様だよ」
「なんか怖い顔してない?」
「そういうデザインなんだよ」
「へぇ……エレンって、この国のこと詳しいんだな」
「当たり前でしょ、勇者なんだから」
「そっか。じゃあ頼りになるな」
あっさりと言われて、エレンは少しだけ言葉に詰まった。
(頼りになる、か)
これまでの人生で散々頼りにされた。でも——それは「勇者として」だ。
豊の言い方は、少し違う気がした。
「……まぁ、任せといて」
気づいたら、そう答えていた。
豊は、にかっと笑った。
「よし、じゃあよろしく!」
エレンは、またため息をついた。
でも。
今度のため息は、さっきより少しだけ軽かった。




