絵画 (額装)
額装の続き。
由永川女子大学前駅、静かで緑の並木道が駅を出ると大学まで続く、穏やかで余裕のある人たちが暮らす高級住宅街のある駅。
私が卒業した女学院に通っている生徒の殆どがエスカレーター式にこの大学へと入る。
私は父が卒業した大学に入るためにここではない場所を受けて入学したけれど、私の友人と呼べたであろう皆はここに通っているのだろう。
だからこの駅とその周辺には来ないようにしている。
していた。
「いい天気だ〜」
空は晴れ、風は緩やかで文句のないお出かけ日和。
胸元あたりまで伸びた髪は緩く巻いて、ひらひらのスカートとブラウスは日傘の似合う女の子って感じ。空色の日傘もさして歩き出せばどこからどう見ても白崎ゆき、を知っている人からはそうとは見えない姿になっているだろう。
ダボッとしたカーディガンも左右対称にならないリボンも他の子より少しだけ短いスカートも、全部私の好きなものだったけど、それは学校にいる時の白崎ゆきであって、家や外向きの姿はそうではなかった。
切れる関係を望む私にはその場で求められる振る舞いをするのは簡単で、だから興味も関心もあまりない。
だけど、永嶺葵、彼女にだけは見つかりたくない。
「ん〜でもな。あの娘にとって本当に必要な関係だったとは思わないし」
じゃあいっか。
とんっと地を蹴ってくるりと回る。
広がるスカートに木漏れ日が落ちてキラキラと揺らめく。
卒業生の意見が聞きたいとかで呼ばれた用事はすぐに終わって、この後はどうしようかなと空を見上げる。
背後から聞き慣れた声が響いてきた。距離はまだ遠い。
日傘をさして背を向けているのだから向こうが気づいたりはしないだろうけれど。
「三嶋さん、これで大丈夫ですか?」
「ありがとう〜!葵さん。もうほんと、勘違いしてた…」
「ちょっと分かりにくかったですよね。あ、じゃあ月長教授の課題も一応皆さんに期日の確認は大丈夫か確認したほうがいいのかな…」
「あ〜私やっとくよ、仲いい子もいるし」
「いいんですか?ありがとうございます」
「こっちこそ〜いっつも葵さん助けてくれるもん」
変わらない温度の変わらない声が二つ。
少しだけ安心した。
変わらないならそれがいい。
変わるならそれがいい。
今変化を求める必要なんてない。
空は雲ひとつないままで、風の速度も変わらない。
通り過ぎていく、まだ、まだ、まだ。
「…やっぱりキラキラだあ」
去っていく二人の姿を一瞬だけ目にいれて、私はその場を後にした。次は本屋にでも行こうかな。
図書館もいいかも。くるくると日傘を回して反対へ反対へ、もう交わることのありませんように。
「……」
「葵さん?」
「…ぁ、」
振り返る。
もうどこにも見当たらない林檎の花の香りが、そこにあった気がしたのに。
「ごめんなさい、気の所為だったみたい」
「ん〜気になるなら戻ってみる?」
「いえ…いいの」
歩き出す。反対へ反対へ。
まだこたえのないままに。
「あ」
たまたま入った個展、その一角に飾られた大きな絵。
その中に閉じ込められているのはどう見ても彼女。
「この絵は私の生徒が描いたものなんですよ」
「生徒さんが?」
「ええ…あ、山本くん、こっち」
自分と同い年か、少し歳下に見える青年が呼ばれてかけてくる。同時に個展の主は知り合いであろう男性へと話しかけにいき、気まずい沈黙が数秒流れた。
「あーえっと…山本、です。この絵、をかいた…」
「とても繊細で、優しい絵だなって思って観てたんです。透き通る瞳が本当に綺麗」
「わかりますか!」
「ええと、」
「っすみません、その、でも、僕も、とても綺麗だと思って」
「……モデルの方が、ですか?」
ばっと口元を出て覆った青年のやってしまった、という顔をみればあまり突っ込まれたくない話題なのだろうと察せられる。だからただもう一度「きれいですね」とだけ呟いた。
「…はい」
頷いた横顔が、その絵に向けられた視線が、あまりにも優しいから。
なによりも絵のなかの彼女が優しく描かれているから。
「この絵をお迎えすることってできますか?」
「あ、え、あ、すみません、これは売ってなくて」
「そうなんですね。じゃあ貴方が描いた絵で売っているものはありますか?あれば観てみたいんですけど」
「は、はいっ」
案内されるままにいくつかの絵を観て、小さめの絵画をひとつ迎えることにした。住所を書いて届けてもらうようにお願いする。
深々と下げられた頭にこちらも礼を返して外に出ればもう昼過ぎで、あの頃から道が舗装され直して変化した並木道を抜けていく。
大学を卒業してもう三年がたっている。
街並みが変わるには十分すぎる月日だと思う。
ふと前方からやってくる女性が目に入った。他の人々の視線を奪う美しさ、相変わらずそこだけがスポットライトに当てられたみたいにキラキラと輝いて。
無色透明の温度と世界を映した瞳は、もう、なかった。
目を閉じる。
そのままを映した瞳がキラキラと輝いていて好きだった。
目を開く。
色と温度のついた世界を映した瞳は変わらずきれいで、ああ、やっぱり。
貴女が絵画だったなら、私は毎日会いに行っただろう。
額縁にいれて飾りたかったな。
きっととてもきれいで、キラキラとして、世界のありのままを映していただろうから。
けれどもう、貴女は飾られたらしい。
飾られる場所をみつけて、選んだらしい。
飾りが落ちる日は来なかったのだ。
ね、それは。
「ふふ、よかった」
とんっと横を過ぎていく。
ひらりとかわしてするりと解けて。
「ぁ」
もう踏切はどこにもない。
境界の向こうなどありはせず、君の世界に私はいない。
「まっ–」
だって、ほら。
そうでしょう?
あの絵が証明で、あれこそが貴女の答え。
私の世界に貴女は居ない。
「私、葵ちゃんのキラキラが大好きよ」
林檎の花の香りが、ある。
そこに、ここに。
けれどどこにも居ないから、幻想みたいに、私だけが探しているみたいに。
「–って…」
伸ばそうとした手は誰を、何を、掴めばよかったのだろう。
去っていく人々、その中に。
確かに居た気がした、彼女が、ゆきが。
大好きよ、と声だけが残っている。
それも幻聴かもしれなかった。
ふらりふらりと心はうつつ。
目的にたどり着いても林檎の花の香りは消えていない。
「…」
「っ葵さん、来てくれたんですか」
「うん。折角だから」
「あ、あの。褒めて、貰いました。モデルがいいから、ですけど」
「そんなことないと思う。山本くんの絵だったからだって、私は思うけどな」
彼女に描いてもらった私は、もっと整えられていて、もっと冷たかった気がする。
たしか、そう。
「冬の粉雪みたいって言われたことがあるの」
「…それは、僕もわかります。けど、葵さんはもっとこう…」
「菜の花とか、そういうのも似合うと思うんですよ」
「そっか。なんだか照れるな。ありがとう」
正しいとか正しくないとか。
わからないけれどそう答えたいから、そうしたいから。
それでいいんだよね?
「あの、でも、粉雪みたいな葵さんも、その、好きなので!」
林檎のように染まって差し出された言葉の花束が日を浴びて輝く。描かれた自分をもう一度観る。
微笑んでいた。
綻ぶように、穏やかに。
春が似合うふわふわとした女の子みたいに。
だけど、たぶん、私で。
「私も、キラキラとした私を好き…よ」
魔法みたいに残った言葉に無理やり答えを返すなら、きっと。
「え…と」
「ありがとう、描いてくれて。とても繊細で優しい絵だなって、思ったの」
ぽかん、として。
それから何が面白いのか彼は笑い出した。
「さっきも言われたんですよ。なんか、嬉しいですね」
どうぞ、と差し出された手を取った。
これがきっと、答えなんだろう。
林檎の花の香りは変わらずに。
まだ、ずっとここに。
残っている。
・白崎ゆき
人との関わりは薄くていい。
良好な関係を維持することを惜しまないが、維持する意味や場所を失うとあっさりと手放してしまう。
多分本当に誰にでも優しくて、誰にも優しくない。
・永嶺葵
完璧であれ、平等であれ、正しくあれ、そう言われてきたしそれで良かった。
どうして怒るのかも泣くのかもあまりわかっていないけどそれが正しいらしいからそういうものなんだ、と理解して生きてきたのに、あったはずのものがなくなり正しさに疑問がわいた。
きっとそれはいいことで、そのきっかけは自分よりもよほど平等な友人だった。




