額装
私立由永川女学院。
2-Aクラス、窓際の一番前の席に座る誰もが目を奪われる綺麗な女の子。
サラサラの黒髪は腰までのストレートで、日に透けると時々金色の鱗粉みたいにキラキラ、キラキラ。
黒曜石みたいな瞳は穏やかに細められて、口元はゆるく笑みをたたえている。
永嶺葵、葵ちゃん。
「おはよ〜、葵ちゃん」
遠くを見ていた視線が振り返る、教室へと向けられる。
それだけで世界の空気も温度もかわる。ざわめきは緩やかに絞られてスポットライトがあたったみたいに、今、この場所が一番キラキラしている。
「白崎さん、おはよう」
窓の外、淡く舞い散るピンクの花弁が教室へ流れ込む。カーテンが大きくはためいて彼女の髪をさらっていく。
「きれい」
「え?」
「きれいだね、葵ちゃん」
「…ありがとう、ゆきさんはとってもかわいいのね」
そっと伸びてきた白く細い腕が私の頭上へと伸ばされる。
目の前に花びらを差し出してにこりと笑む美しさに、私は美術館に並べられたいくつもの絵画を思い浮かべた。
額縁にいれて飾ったら、人がたくさん集まる名画になることだろう。
「わあ…!ありがとっ」
そのまま彼女からみっつ後ろの席へと座る。
今日の授業は古語、数学、美術、ええと。
ちら、とそちらを向けば。
人に囲まれて口元を隠して笑う彼女の姿が目に入る。
クラスの人気者、明るくて優秀で誰にでも優しくて困っている人を放っておかない、いつでも正解を選ぶ人。
仲良くなりたくないな、と思った。
仲良くなりたいな、と思った。
きっと一生踏み込まれることのない関係、踏み込まなくていい関係。それは私にとって気が楽でもっとも望む関係の形。
だから声をかける、だから笑う。だから、
「ゆきちゃん、移動教室だよ?」
「あおいちゃん…?」
教室をぐるっと眺める。3-Aクラス、見慣れた教室。
窓の外は夢とは違う景色、緑の木々が豊かに光を浴びている。
「起こしてくれてありがとう〜」
昼休みがあけて、次は美術だったはずだ。
一緒に行こうと伸ばされた手をとって廊下を歩く。
変わらない距離、変わらない、関係?
名前の呼び方が変わった。いつも側にいるのはもしかしたら私だけかもしれなくて、それは友達と呼ぶ関係のなかでも、きっと少しだけ彼女にとっては深い。
ふと、耳元で揺れる三つ編みに目がいった。
「あ、三嶋さんが結んでくれたの」
「かわいいね〜!咲花ちゃん器用だあ」
「ええ、とっても」
お昼をとる相手はランダムで、だけど月曜日は私。
放課後は複数人と帰るけど、時折二人きり。
移動教室は一緒。
だから知ってるよ。
無意識でも、あなたは私と同じ。
踏み込まれるのが嫌いだってこと。
高い窓から差し込む光は校舎を白く見せて、今日も磨かれた廊下の床はキラキラ、キラキラ。
「葵ちゃん」
「なあに?」
「ん〜…忘れちゃった」
言い淀み、否定の言葉を吐けばそれ以上は聞いてこない。
いつも正解を選んで、いつも正しい。
だけどそれはとても息苦しそうに見える時があって、藻掻いているように見えて、それでも私は「たすけて」がないからみなかったことにするの。
「ゆきちゃん」
「な〜に?」
「今日のペア、私でいいかな?」
「あれ、さなちゃんは?」
「春野さんと組むことにしたって」
「そうなんだぁ。いいよ!」
変わらないまま続いていく。
ずっとずっと、変わらないように。
美術室にたどり着けばみんなの楽しげな声が聞こえてくる。
空いている席に並んで座って、画材を広げて。
先生に言われたとおりにお互いの似顔絵を描く。
輪郭をなぞるようにキャンバスへ鉛筆をはしらせる。
曲線はかわいくて美しくて、なんてときめくんだろう。
アーモンドの形、光がよく通る瞳、口元は笑みの形、なぞる様に描けばいいだけの簡単な授業。
だけど難しいのは、本人らしさで。
私の目に映る彼女はキラキラとした冬の粉雪。
「でーきたっ」
「あ、じゃあ先生呼んでくるね」
「うん!ありがとう」
席を立った葵ちゃんのキャンバスを覗き込むと、ふわふわと笑っている私がいた。絵を描いているときの私はこんな顔をしていないから、これは葵ちゃんの想像する私なんだろう。
「なるほどぉ」
「どうかな?」
「上手だね〜葵ちゃん」
先生を連れて戻ってきた葵ちゃんに笑いかければ、彼女からも笑顔が返ってくる。
合格をもらって、次回からは色をつけていきましょうってことで授業はおしまい。
ホームルームが終わったらみんな部活へとかけていく。
私は帰ろう、と鞄に教科書や筆箱を詰め込んでいたら頭上から柔らかな声が落ちてきた。
「ゆきちゃんから見た私って、なんだか、その…」
「なんか変だった?ごめん」
「そうじゃなくて。とても良く描いてくれてありがとう」
彼女が言い淀むなんて珍しい。
「葵ちゃんはいつもとってもキラキラだよ」
これは私の嘘偽りのない本心。
美術館に飾られていたらきっと毎日会いに行く。
だって美しくキラキラとそのままの世界を映している。
だけど貴女は生きているから、私は貴女を額縁にいれて飾ったりできない。
ここを卒業したらきっともう関わらない。
そうだ、それじゃあ最後だけ。
最後だけ、私は君にお節介をやこうかな。
卒業式が迫ってくる、冬が溶けて春が近づいて。
だけどまだ変わらない毎日が来るとみんな信じている。
「ねえ、葵ちゃん」
「どうしたの、」
「葵ちゃんは、疲れたりしないの?」
きょとんとして、瞬いて。
ゆっくりと首を傾げて微笑む。
「ええと…どういう意味?」
「ん〜いつもたくさん頑張ってて、すごくて、だから?」
「なぁに、それ」
「綺麗なんだもん。とっても」
細められた瞳の奥は今日も変わらず無色透明。
なんの揺らめきもなくて、私はなんだか、それが。
「でもね、たまにね、」
「うん」
「こわいなぁって、思うときもあるよ」
少しだけ先に出て、くるりと振り返ってみせた。
駅はもうすぐそこで。
もう時期別れがやってくる。
「そうなんだ」
「うん」
何も言わない。
何も言わないから、私も何も言わない。
これ以上は踏み込まないから、これでお終いでいい。
ねえ、そうでしょう?
「また明日ね〜」
「また明日」
その明日はもう数えられる程度だけど。
「私、葵ちゃんのキラキラ、だいすき!」
だから別にわからなくていいよ。
だからそのままでいいし、変わってもいいよ。
誰もがそれを否定しても、私は変わらないから。
きっと変わってあげられないから。
また明日。
さようなら。
いつか飾りが落ちる日が来たら、私は踏切の向こうで手を伸ばそう。
もう二度と出会わなくても、そこにはいるから。
ふと隣を見る。
私の方が背が高いから、少しだけ視線を落とす。
だけどそう、そこには居なくて、今度は少し先の道を見る。その向こう側で手を振っている彼女を探す。
やっぱり見つけられなかったから、私はようやく卒業してしまったんだと思って、そして。
彼女の連絡先を知らないことにようやく気がついて。
グループラインを覗いてももうそこに彼女の名前はない。グループを抜けていて、その跡を追うことはできなくて…私よりよほど、彼女は世界を曖昧に見ていたのだと気がついた。
きっとさびしいというものが、これなんだろう。
ふわりと解けるように笑う、穏やかに緩やかに。
もうみつけられない。
私は貴女が明日も側に居ると思ってたんだ。
ほんと、もう、どうしようもないね。




