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クインテット!  作者: 日生
4章 人魚
18/25

1

 荒れ狂う黒い波が、渦を巻いて立ち昇る。天の高くまで上がった水の塊は急激に落下し、轟音と共に岩壁を砕く。

 まるで、世界の終末だった。


「―――・・・」


 無力である。ひたすらに無力である。

 ぱらぱらと降りかかる潮水を全身に浴び、ザン、ノア、ロイ、ウィリーは呆然と岩場に立ち竦む。この状況で彼らに為す術などない。


「なんでこーなった・・・?」


 壮絶な地獄の中心で、ザンは誰にともなく問いかけた。



**



 揺れる汽車の途中で、窓を開けるとすでに潮の匂いが届く。


「生臭い」

「そーゆー言い方はねえだろ」


 メルの端的な感想に対し、向かいの席に座っているザンが苦言を呈す。


「海の匂いは海藻やプランクトンの死骸の腐敗臭なんだそうですよ」

「気色悪ぃ知識を披露すんなっ」

「メルちゃんは海初めてなの?」


 ウィリーの問いに、メルは景色から目を逸らさないまま頷きを返した。

 ザン、ノア、ロイ、ウィリー、そしてメルは、例のごとく仕事のため、海の傍の漁村に赴いていた。依頼の内容は広大な海に面した地域ならではのもの。


 半月前、この辺りの漁師たちが海で《人魚》を見たという。人魚とは下半身が魚、上半身が人の姿をした海の怪物である。これらが現れるのは不漁または嵐の前兆と言われており、漁に出ることができなくなるのだ。


 漁村の者たちにとって漁ができないのは死活問題だ。しかしまだ誰かが被害に遭ったというわけではなく、嵐が起きたわけでもない。よってザンらは船を出しても安全かどうかの調査と、あるいは人魚が嵐を起こすのならば事前に防ぐようにと、仰せつかったのである。


 駅に降りると、すぐ目の前が海岸であり、いきなり走り出したメルにつられて他のメンバーも波打ち際へ行った。


「てめっ、自分の荷物持ちやがれっ」


 別の荷と共にメルのキャリーバッグを肩に担いだザンが怒鳴るが、メルは無視して寄せては来る波にはしゃいでいた。


「おい、行くぞっ」

「少しくらい待ってあげましょう」

「そうそ。初めての海だもんなー、そりゃはしゃぎたくもなるって」

「お前ら甘やかし過ぎじゃねえか?」


 そうは文句を言いつつも、ザンは砂浜に荷物を乱暴に降ろし、その上へどっかと腰かけた。ノアは直接砂の上に腰を降ろし、いつも持っている本を読み始める。


「リラの漁村は海水浴場でもあるんだよなー」


 ウィリーはメルと海を眺め、深い溜息を吐く。


「人魚が出なきゃ、ここには今頃水着美女がわんさかいたんだろーなー・・・」


 曇った空の暗さを映した海は、高波を上げて岩壁にぶつかり、白いしぶきを飛ばす。生ぬるい風が海のほうから吹き、不吉さの漂う中、ウィリーの期待する海水浴客がいるはずもなかった。


「メルちゃんの可愛い水着姿を見てさ、目の保養、とか考えてたのによー。裏切られた俺の心をどーしてくれるわけ?」

「それができる状況なら我々は呼ばれませんよ」


 背後のやり取りなどいざ知らず、波の不思議な動きにも慣れてきたメルは、靴と靴下も脱ぎ、スカートを膝のくらいまでまくり上げて、ざぶざぶと荒れる海へ進んで行った。


「メルちゃん!? 待った、ストップ!」

「あまり行くと危ないですよっ」


 ロイやウィリーが慌てて止めると、メルは波間の小岩の上に飛び乗った。スカートを降ろしても、そこなら濡れない。

 滑りやすい足場の上で器用に背伸びし、遠くまで見渡そうとする。宝石のような青い瞳は、暗い空に反してきらきらと輝いていた。


「クエレブレ、いるかなっ?」

「へっ?」

「クエレブレですか? さあ、どうでしょう」


 メルの問いを理解できているのはロイだけで、ウィリーなどは首を傾げていた。


「なにそれ?」

「ドラゴンの一種ですよ。本来は森や洞窟にいるものですが」

「年を取ったクエレブレは海に棲むのっ」


 ロイの説明は途中でメルが引き継いだ。


「クエレブレに会えるかなっ?」

「どうでしょう。目撃情報は特にありませんが」

「でも、いるかもしれない?」

「そうですね。可能性はゼロではないと思います」


 メルは、すぅっと息を大きく吸い込んだ。

 透き通った歌声が、潮風に乗って響き渡る。美しい旋律は、不思議なことに荒れる波を凪ぎ、暗い海が穏やかになっていく。


「お? なになに?」

「・・・鎮めの歌、といったところでしょうか」

「荒れた海を鎮める歌ってこと? これもアンセム?」

「アンセムの効果は、我々が想像するよりずっと多彩なのかもしれませんねえ」

「魔術みてえだな」


 傍観していたザンも波打ち際に来て呟いた。

 一通り歌いきり、メルは閉じていた目を開ける。


「せ、セイレーンやっっ!」


 いつの間にか、海岸にいた見知らぬ男がメルを指して叫んだ。離れた場所にいたため、誰も気づいていなかった。


「ちょ、おい待て!」


 耳を塞ぎ、転びまろびつ逃げる男をザンがすぐに追って捕まえる。メルが小岩を降り、靴を履き直す頃まで、男は取り乱していた。


「もう終わりや! セイレーンが陸まで来とるなんてっ!」

「落ちつけって、おらよく見ろっ」


 ザンは暴れる男を引きずり、メルの前に突き出した。


「こいつがセイレーンか?」


 メルはきょとんとして男を見つめている。取り乱していた男も、視界の真ん中に少女を捉え「・・・あれ?」と動きを止めた。


「ちなみにセイレーンは上半身は人間の女性ですが、下半身は鳥の姿で翼を持っています。さすがに浜辺までは来ないと思いますよ。来ても沈める船がない」


 さらにロイの説明が加わると、男は完全に正気を取り戻した。


「――いや、すまんかった。海で歌声が聞こえたもんだからてっきり」


 男はダグと名乗り、白い歯を見せた。小麦色の肌と筋骨たくましい体をした、いかにも漁師らしい、二十そこそこの青年だ。ザンらとあまり変わらない年頃である。勘違いで取り乱したことを恥じ、しきりに頭を掻いている。


「グラウクスってーのには女の子までおるんか」


 五人を漁村まで案内しながら、ダグは一番後ろを付いてくるメルをちらりと見やった。


「戦闘員の一割は女性ですよ。魔物には男を惑わせる類が多いですから、男女ともいたほうが何かと都合がいいんです」

「じゃあ、お嬢ちゃんも、その細っこい体でドンパチやるんか? 想像できねえな」

「ああ、いえ、彼女はコーリスターなので」


 ロイが歯切れ悪く答えた理由はダグの反応にある。


「コーリスターっ!?」


 天使信仰の浸透したこの大陸において、かつて天使が地上に残したと言われている奇跡の歌を歌うコーリスターたちは、彼らにとってご神体に近い存在なのだ。

 ダグは両手を組んでメルを拝み出した。


「ありがたやありがたや~、コーリスター様が来てくれたなら、人魚もセイレーンも寄って来んようになるわな。シュトラールにおるもんかと思っとったけど、グラウクスにもおったとは」

「いえ、グラウクスに所属しているわけではなく、彼女はあくまでシュトラールからの助っ人でして」

「なんでもええわ。こんな辺鄙なとこまでコーリスター様が来てくれたんや、こら村のモンに言ったら祭りになるで」

「ですからできるだけ、内密にお願いします。騒ぎが起きては肝心の仕事がしにくくなりますので」

「そーか? でもなあ、しばらく漁に出とらんで皆落ち込んどるよって、救いの歌を聞かせてもらえたら慰められると思うんやけど」

「それはまた後ほどに」


 漁師の願いはやんわり断られた。

 シュトラールの教化が進んでいるところはもとより、そこまで熱心ではない場所でも、希少なコーリスターは人々を惹きつける。中には希少ゆえにありがたがる者、疑う者の二つがあるが、どちらにせよ関心を持たれていることには違いなかった。


 ダグは五人を自分の家に案内した。

彼は村長の息子で、家には老いながらも屈強な肉体を持つ長がいた。


 食卓を借り、長からロイたちが詳しい話を聞いている間、暇なメルは部屋の中をうろつく。

 何もおもしろいものなどなかったが、一つだけ、見たこともない生物を見つけて、メルはその前で足を止めた。


 それは、部屋の隅で椅子に座った人間の女の腕に抱かれていた。とても小さく、しかし中身がみっちり詰まっているのか全身がぷくぷくとしている。開いた口に自分の指などを入れるものだから、よだれが垂れて服にシミを作っている。

 目を丸くしているメルに向かって女は微笑み、己が抱いている奇妙な生き物をわざわざ見せるようにしてきた。


「お姉ちゃん、こんちには~」


 女、ダグの妻のアンが、かわりに挨拶しながら軽く揺らすと、腕の中の生き物はうめき声を上げた。


「・・・これ、なに?」


 メルは、窓辺で同じく暇そうにしていたザンを引っ張って来て、尋ねた。


「あ? 何が。赤ん坊のこと言ってんのか?」


 あかんぼう、とメルは口の中で繰り返す。


「・・・生まれて間もない、人間の、子供」


 傍にやって来たノアが説明を重ねると、メルはぱちぱち瞬いた。


「これが、人間?」


 赤ん坊と、周りの人間たちを見比べて首を傾げてしまう。メルにはまるで違う生き物に思えたのだ。


「触ったら噛む?」

「まさか」


 アンには笑われてしまった。

 メルはそーっと、指先で赤ん坊の頬や、頭をなぞる。やわらかく、すべすべで、触り心地はとてもよい。


「お嬢ちゃんも抱っこしてみる?」

「え?」

「ここを、こういうふうに持ってな? 落とさんように」


 アンの見よう見まねで、メルも子を抱いてみる。

 小さいのにずっしりと重く、ミルクのような匂いがした。


「重い。ザン、重い」

「うわこっちよこすな、返せ返せっ」


 メルの細腕では長く抱いていられず、赤ん坊はすぐに母親のもとへ返された。赤子がいなくなっても、触れていた腕や胸の辺りに熱が残る。まるで生命が凝縮された塊のようだった。


「・・・ザンたちもこーゆーのだった?」

「お前もな」

「わたしも・・・」


 メルは考え込んでしまう。


「皆さんご結婚はされていないんですか?」

「ンな暇ねーよ」


 何気ないアンの尋ねに、ぶっきらぼうにザンは答えた。


「ないのは暇じゃなくて相手だろ」


 そこへ、ウィリーがやって来て話に加わる。ザンの肩に腕を乗せ、意地の悪い笑みを浮かべている。ザンはうっとうしそうにそれを払った。


「ちなみに、俺は婚約者いますよ。こう見えて」

「行方不明のだろ」


 ザンは鼻で笑った。

 それを聞き、善良な妻は言葉を失う。


「あら、まあ・・・すみません、不躾なことを訊いてしまったようで・・・」

「いえいえ、お気になさらずっ。俺に甲斐性がなくて逃げられただけなんで。生きているのはわかってるんです」

「結局いねえのと同じじゃねえか」

「容赦ないねお前」


 遠慮の欠片もない同僚の言動にウィリーは苦笑を漏らす。


「でも実際さー、同年代の奴が美人な奥さんもらって可愛い子供までいたら焦るってか、純粋に羨ましいよなー」

「別に」

「結婚願望ないの? そもそも女の子と付き合ったことある?」

「あ? なめんなよ。万年引きこもりのお前よか、よっぽどあるわ」

「そこまで長く引きこもってないっ! いや、そもそも引きこもってないから! やめろよ、誤解されるだろ!?」

「うるせえなあ。つか、仕事の話はどうしたよ?」

「それはロイにまかせれば大丈夫っしょ。俺らがまざると茶々入れて長引くしな」

「わかってるなら黙って聞いていればいいと思うんですけど」

「うわ」


 村長との話を終えたロイが、ウィリーの背後に現れた。


「人魚を目撃した地点まで船を出してもらえることになりました。乗り込みの用意をしますよ」

「はーい先生」

「ウィリー、私もいい加減怒りますからね」


 笑みを消したロイに、調子に乗っていたウィリーも「は・・・すみません」と思わず真顔で謝った。

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