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余計な荷物は宿に置き、準備を整えた一同は港に集合した。現在、漁に出ている船は一隻もなく、ずらりと汽船が係留してある。その端で、ダグが小型の帆船を用意して待っていた。
「小さくねえか?」
「人魚の出たとこは岩礁が多いよって、このぐらいのがええのよ。それに漁に使う汽船が万が一にでも沈められちまったら大損害やし」
「そうかよ」
「ありがとうございますダグさん。よろしくお願いします」
「や、こちらこそ。この程度のことしか協力できなくてすまんね」
海は変わらず暗いが、メルがアンセムを歌ったおかげで波が低く穏やかになっており、出航した船は大きく揺れずおおむね順調だった。この辺りの海を知りつくした男の腕は確かなもので、人魚が出たという切り立った岩壁の多い場所に来ても、水底の見えない岩礁まで容易にかわし、船を進めた。
「話やとこの辺りだけんど」
「しばらく回ってみください」
「あいよ」
四方に分担し、海の底や岩壁の上をザンらは見回した。かくいうメルは同じ動作をしながらも一人密かにドラゴンの姿を求めて、落ちるぎりぎりまで顔を突き出し、暗い水底を懸命に覗きこむ。
「――?」
一瞬、きらりと光るものが見えた。
上体を起こし、仲間に伝えようと振り返ると、不意に歌が聞こえてきた。
「? これって・・・」
真っ先に反応したのはロイだった。
「っ、全員耳を塞いで!」
目前の岩壁の上に、鳥の羽と足を持つ異形が降り立った。それが高らかに歌うのにつられて、人間たちはなぜか無性にその異形のもとへ行きたくなる。
「ン、だっ、こいつっ・・・!」
「セイレーンですっ! 歌を聞くと惑わされますよ!」
両の耳を塞いでいる状態では、銃を撃つこともできない。とはいえ手をはずしてしまえばもっと強く歌の影響を受けるようになり、完全に意志を失って、なりふり構わず海へ飛び込み溺れ死ぬ。
どうしようもない状況である。が、唯一、この場で歌に魅了されない者があった。
「―――」
メルは胸に手を当てて、セイレーンに負けない声量で歌い出した。魔を打ち消す歌が響き渡ると、ザンらの中から不思議な衝動は嘘のように消えた。体に自由が戻り、動けるようになる。
セイレーンも更に高らかに歌い上げるが、メルの声量はそれに勝った。
「そのまま歌ってろ!」
メル以外の四人が素早く拳銃を抜いてセイレーンに発砲する。二発が足に当たり、魔物は痛みに慄き、歌を止めて飛び立った。
「逃がすかよっ!」
船を飛び出したザンが岩壁を蹴り、上空でセイレーンの足を捕まえる。人を吊り下げていては飛んでいられず、セイレーンが落ちる間にザンはポーチから取り出した手榴弾の安全ピンを外し、無理やり魔物の口の中に突っ込んだ。反動をつけて近くの岩に飛び移ると同時、爆発し、肉片が四散して海に降る。
メルは歌を止め、息を吐いた。
「ちょ、あの、どうなってん?」
ダグは、ザンの異常な身体能力を見せないためウィリーに咄嗟に目を塞がれており、状況がわからず困惑している。ザンが無事、船の上に戻ってから目隠しを外され、すでに肉片となって浮いているセイレーンの残骸を見て驚愕した。
「うわもう退治できたん? すっご早業やなあ! でもなんで退治するとこ見せてくれなかったん?」
「企業秘密ってやつ。それより、人魚じゃなくてセイレーンが出たけど?」
「この辺りはセイレーンも出没するのですか?」
ダグは首を捻る。
「いや~? 最近見たって話は聞いとらんが」
「そうですか。ともかく、もう少し見回りを続けてみましょう」
しかし、それからも人魚の姿は見当たらず、船は岩礁帯を出てしまった。
「他に人魚の目撃現場はありませんか? 最近のことでなくとも、何十年か前のことでもいいので」
「うーん、親父にでも訊かんと、俺はわからんなあ」
「そうですか。では、戻って確認したほうがいいかもしれませんね」
「めんどくせえな」
船首が再び港へ向けられる間も、メルは先程見えた光を探して、海を覗く。
すると今度は、影が見えた。
「ねえ」
メルは仲間たちに声をかけ、海を指す。
「あ――」
言いかけた瞬間、船が天に舞い上がった。
「はああぁぁぁああっ!?!?」
海の奥底から、何かが船を持ち上げたのだ。巨大な波を受け、船から身を投げ出された一同が見たものは、肉も皮もない、骨だけの巨大な魚だった。
「――っ!」
冷たい海水に落ちた人間たちは、魚が起こした波に翻弄される。その中でザンはかろうじて海面に頭を出した。急いで周囲を見渡すと、波の間に金色のものが一瞬見えた。
「メルっ!」
船に乗っていたメンバーの中で、泳げないのは少女だけだ。
即座にザンは海に潜った。力強く波を掻き、海中でも目立つ金髪を目指す。メルは気を失って、波に振り回されているようだ。
早く陸に上げなければかなり危険な状態である。しかし焦って強く水を蹴った時、メルの傍に異形の影が現れた。
(っ、人魚!?)
上半身は人間、そして下半身は魚の魔物が、メルの腕を掴んであっという間に水底へ引っ張っていく。
(待っ・・・!)
ザンの手は届かず、ごぼりと空気が漏れた。一旦息を吸い、再び潜って探しても、もう、メルの姿はどこにもなかった。
「――ちっくしょうが!」
怒りにまかせて海面を叩くがすべては虚しい。骨の化け物魚も水底に潜ってしまったのか、影すら見えない。
他にどうしようもなく、近くの岩場に泳ぎ着くと、ロイ、ウィリー、ノア、ダグもなんとか泳ぎ着いて海水を吐いていた。
「メルちゃんは!?」
「人魚に持ってかれた!」
声を荒げるザン。仲間内にも動揺が広がる。
「あいつはなんでこう毎回っ、くっそ腹立つ!」
「落ちついて」
殊更に冷静な声音で、ロイがなだめる。
「人魚が海で溺れた人間を助けた例はいくつもあります。人のいない陸地、例えば孤島や洞窟などに運んでいるかもしれません。おそらく直接的な危害を加えることはないでしょうし、メルさんには自衛能力があります。落ちついて、まずは港に戻って態勢を整えましょう」
「そ、そだな。俺らが焦っても仕方ないもんな」
「ザンも、いいですね?」
「・・・わかってる」
ザンは低い声で答えた。
「ただ、気になるのは先程船を襲った骨の魚――化け鯨が、セイレーンや人魚に加えて現れたことです。なぜかこの海域に魔物が集中している」
「おかしいことなわけ?」
「このような狭い範囲に固まっていた例はありません。何かがあるのか・・・なんにせよ、他にもまだ厄介な化け物がいるかもしれません」
「それ、メルちゃん大丈夫なのか?」
「・・・」
四人の不安を映すように、海は再び荒れ始めていた。
**
ぴちょん、ぴちょん、と規則正しく水滴の叩く音がする。
冷たい雫が頬に落ちて、メルはうっすら瞼を開けた。瞬間、激しく咳き込む。全身ずぶ濡れで、ぶるりと震えた。
咳が落ちついてから起き上がると、周りを視線が囲んでいる。目を覚ましてからずっと、うるさい声がして、背中をさする手があったり頭をなでる手があったのだが、ひとまずメルはそれらをまとめて無視することにした。
そこは洞窟のようだった。メルが寝かされていた場所の傍には水を湛え、ずっと高いところから生える鍾乳石から水滴が落ちてきていた。光る苔が岩壁を覆い尽くして昼のように明るく、息苦しくもない。どこかに空気の出入りする隙間があるのかもしれなかった。そして奥の岩壁には明らかに人工的な、巨大な扉が嵌め込まれている。
「おい、おい、耳が聞こえないのか?」
マイペースに辺りを確認しているメルを、傍の人魚が揺さぶった。水を湛えている場所と、洞窟内のあちこちに、体のどこかしらが鱗に覆われた者たちがいて、メルを興味津々に観察している。人魚は女もいたが、話しかけてきたのは男だ。
(男の人魚っているんだ)
絵本では女の人魚しか見たことがなかったため、メルは意外に思った。
「なんか喋れ」
乱暴な命令に応えるためではなく、状況を把握するためにメルは口を開く。
「ここ、どこ?」
「喋った!」
途端に人魚たちがざわめいた。
「きれいな声だ。姿がきれいだと声もきれいなんだな。こんなに何もかもきれいな人間は初めて見た」
「いいなあ、やっぱり俺にちょうだいっ」
「私もほしい! 大事にするからいいでしょ?」
質問など聞いてもおらず、人魚どうしでメルの所有権を争い始める。
「ダメだ! この人間は俺が見つけたんだから、俺の花嫁なんだっ」
そのうちはじめに話しかけた男の人魚が水から上がり、仲間に取られまいとしてメルに抱きついた。
「人魚の花嫁になんかならない」
言ってメルは大音量の悲鳴を上げる。洞窟なのでいつもの倍よく響き、たまらず人魚たちは水に潜り、逃げ遅れた者はその場で気絶した。
メルは立ち上がって、奥の扉へ向かう。
「待て、開けたらならんぞっ」
慌てて駆け寄って来たのは、二足歩行の魚だった。顔は髭を生やした老人で、頭が円錐形をしている。ヒレの位置に手首から先の部分がある。腕はない。そして背中と顔の横から幅広いヒレが生えている、シー・モンクという半魚人なのだが、メルはそんな怪物の名など知らなかった。
気にせず扉を眺め、エンブレムを見つけた。魚のようなものの上に二本の鎖が交差している絵。そして下には読めない文字。
「ここ、《遺跡》なの?」
シー・モンクは「いせき?」と繰り返す。
「そこはならん。この先は立ち入ってはならぬ場所」
「なにがあるの?」
「とてつもなく恐ろしきものだ」
「中を見たの?」
「見ない」
「見ないのにわかるの?」
「わかる。丘の女王が教えてくれた。ゆえに我らはここに立ち入る者がないよう見張っている」
「ずっと?」
「ずっとずーっとずっとだ。これまでも、これからもずーっとだ」
「ふうん」
「お前も開けたらならんぞ」
「うん、開けない」
素直にメルは頷いた。
「わたしも、開けたらいけないと思う」
それはこの扉と言うよりも、以前別の《遺跡》に入った時に見つけた、鎖でがんじがらめに縛られた扉のことを指している。あれはきっと、開いてはいけないものなのだと、メルは直感的に悟っていた。
「開けたらならん。これから楽しいことがあるのに」
「? なに?」
するとシー・モンクは不気味に笑う。
「レヴィアタンを呼ぶのだ」
「・・・それなに?」
「レヴィアタンだ」
シー・モンクの説明は以上だった。メルは諦め、他の質問に切り替えることにした。
「どうやって呼ぶの?」
「人魚の祈りを海へ解き放つのだ。この海のすべての人魚の祈りを血と共に少しずつ吸わせた玉を使えば、レヴィアタンが来る」
「ぎょく、って?」
「ここにはない。日と月と星の光が降る場所にある」
「ふうん」
気のない返事をして、メルは水辺に戻った。水面から頭だけを出して、怖々と人魚たちが様子を窺っている。
メルはそんな彼らに尋ねた。
「この海にクエレブレはいる?」
メルが口を開くと人魚たちは反射的に水の中に潜ったが、しばらくしてまた出てくる。
「なぁにそれ?」
「ドラゴン。いる?」
「知らんぞ」
あっさりと否定され、メルは落胆した。何百年もこの海に棲んでいる人魚が知らないのならば、いないに決まっている。であればもう、メルがここに留まる理由はどこにもなかった。
「帰る」
洞窟の中に外へ繋がる道はない。考えられる出口は、人魚たちが浮いている水の底。そもそも足のない人魚に連れて来られたのなら陸路ではないはずだった。
「外に出して」
「ダメだ」
泳げない、というより泳いだことがないため、メルは試しに人魚たちに頼んでみたが、断られた。
「お前はずっとここに棲むんだ」
「やだ」
「嫌でも棲むんだ」
人魚たちはメルの容姿をとても気に入り、絶対に地上へ帰したくはなかったのだ。メルは小さく、息を吐いた。
「・・・わかった。そのかわり」
頭のリボンを取り、一番近くにいた人魚の前に突きつける。
「これをザンかノアかロイかウィリーに届けて」
「誰?」
「わたしと一緒にいた人間」
「俺見たよ。でも嫌だ、人間のところへ行くなんて」
人前に姿を現すことを好まない人魚は当然拒否したが、ここはメルも引き下がらない。
「だったら叫ぶ」
「イヤっ!」
人魚たちが悲鳴を上げる。よほどメルの叫びが不快だったらしい。すると人魚たちの中に、「口を塞いでしまおうよ!」と言い出す者があった。
「大丈夫、口を塞いでもこの人間はきれいだよっ」
「確かに」
「そうね。きれいな声が、聞けなくなるのは残念だけれど」
人魚たちが手を伸ばして来たため、メルは水際を離れ、静かに歌い出した。
曲はアンセムであるが、人魚たちを追い払うものではない。波や、心など、荒らぶるものを鎮める歌。
美しい歌声に人魚たちは動きを止めた。目を閉じ、聞き入って、歌が終わるとメルの口を塞ごうと考える者などいなくなった。
「きれい・・・」
「もっと歌って!」
「これを届けてくれたら」
メルは再び、リボンを人魚の前にかざした。
「そしたら歌う」
「わかった!」
はじめにここへメルを連れてきた男の人魚が、一も二もなくリボンをもぎ取り海へ潜る。人魚たちは歌が大好きだった。
「さあ歌って!」
せがまれるまま、メルは何曲か歌って聞かせた。すると気分が高揚してきた人魚たちが我慢できずに歌い出し、だんだんとメルが声をすぼめていっても気づかない。
メルは手ごろな岩場に座って休みながら、楽しげな人魚の大合唱をよそに、つまらなそうに腿の上に肘をついた。
「・・・ドラゴン、どこにいるのかな」
怪物メモ
・セイレーン
下半身が魚バージョンもある。尾が2本あることが多い。歌唱力で負けると身投げする。
・化け鯨
島根県の妖怪。
鯨の亡霊らしい。実体ないかもしれない。
・人魚
女がマーメイド。男がマーマン。
男が大概狂暴。北欧の人魚は優しい。
沖縄にはザンという人魚がいる。
・シー・モンク
別名ビショップ・フィッシュ。
海の司教、または修道士。UMA?




