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第9章 カタリナは魔王になります。

第9章 カタリナは魔王になります



 その夜、カタリナは離宮の自分の部屋へ戻りました。


 八万人の帝国軍を低湿地で止めたあとも、生き残って王国側へ逃げ込んだ帝国兵の治療、低湿地に残った馬や装備の扱い、王国軍への指示など、昼のあいだは報告が続いていました。夜になってようやく一区切りがつき、侍女に寝支度を手伝ってもらうと、寝台へ入ることができました。


「おやすみなさいませ、陛下」


「おやすみなさい」


 扉が閉まり、部屋が静かになります。


 カタリナは掛布を胸まで引き上げ、目を閉じました。


 そして次に目を開いたとき、離宮の天井が消えていました。


 寝台も、窓も、壁もありません。明るいのに光源が見えず、どこまで続いているのかも分からない場所です。


 けれど、カタリナには見覚えがありました。


「……神様のところ」


「久しぶりだね、カタリナ」


 声を聞いた瞬間、間違いないと分かりました。


 この世界へ転生するとき、カタリナは一度だけここへ来ています。それ以来、神様に呼ばれたことはありませんでした。


「どうして、今になって呼ばれたのですか」


「確認したいことがあるんだ。カタリナ、君はどんなことが起こっても、自分の国の臣民を守る覚悟をしているのかい?」


 神様の声は穏やかでしたが、尋ねていることは軽くありません。


 カタリナの頭には、帝国軍に王都を落とされた日の記憶が浮かびました。父王や兄、姉、それにほかの兄弟姉妹たちは捕らえられ、処刑され、王宮の壁に吊るされました。王家が倒れたあとも国民の暮らしは続き、村は焼かれ、家や財産を奪われ、人も殺されました。


 自分まで父や兄弟姉妹と同じように捕まり、吊るされたあとには、守る者を失った臣民が残ります。


 カタリナは神様を見て、はっきり頷きました。


「守ります。嫌われても、怖がられても、自分の国の人たちを守ります。そのために私がいるのだと思っています」


「それなら、もう君は魔王になることができるよ。君は十三万人の魂を持っているからね」


 突然出てきた言葉に、カタリナは少し間を置きました。


「魔王、ですか」


「そう。最初の五万人と、そのあとに来た八万人。君自身が殺した十三万人の魂だ。その魂を使えば、君の国は誰にも攻め込めない国になる。君は魔王になるけれど、姿も考え方も人格も変わらない。使える魔法が増えて、普通の剣では傷つけられない身体になる。それから、魔物を従える力も持つようになるよ」


 カタリナは自分の手を見ました。十三歳の少女の手です。


「魔王になっても、私は今の私のままですか」


「そうだよ。姿も人格も考え方も、今のカタリナのままだ。この世界には魔王が必要だったけれど、今まで引き受ける人がいなかった。力だけ持っている人では足りない。自分の臣民を守るために、その役目を引き受ける人が必要だったんだよ」


「私が引き受けると、国はどうなるのですか」


「魔国になる。君の臣民は魔国の国民になって、国内でも国外でも魔物に襲われなくなる。魔物には、その人が君の臣民かどうか分かるんだ」


 カタリナはそこで初めて、少し眉を寄せました。


「外国人が私の国へ来た場合は、その人まで守られるのですか」


「その人は保護の対象には入らない。魔物は、その人が君の臣民かどうかで判断するからね」


「魔物は、私の国だけに現れるのですか」


「世界中に現れる。弱いものは人間に狩られるし、強いものは人間を狩る。君は魔王として従わせることができるけれど、一匹ずつ全部を動かす必要はないよ」


 神様の説明を聞きながら、カタリナは「魔王」という言葉を頭の中で何度も転がしました。


 前世の物語なら、人間の国を襲い、村を焼き、勇者に倒される側の名前です。けれど神様が説明している魔王は、自分の臣民を守るために、攻め込んでくる者を排除する力を持つ存在でした。


 判断すべきなのは名前より、その力が何のために使われるかです。


 そう考えたとき、前世の記憶からカーチス・ルメイという一人の軍人が浮かびました。


 ルメイがマリアナのB-29部隊を指揮する以前、日本本土への爆撃では、ノルデン照準器を使って高高度から航空機工場などの軍需工場を狙う昼間の精密爆撃が中心でした。しかし高高度では強い風や雲の影響が大きく、思うような命中率を得られませんでした。


 そこでルメイは攻撃方法を変えました。B-29の飛行高度を下げ、夜間に飛ばし、大量の焼夷弾を積ませ、人が暮らしている木造市街地を焼き払うよう命令しました。


 焼夷弾を落とす木造市街地には、家と一緒に住民がいます。ルメイが命令したのは、人が暮らしている市街地を焼夷弾で焼き、そこにいる民間人を焼き殺す攻撃でした。その命令のもとでアメリカ軍は東京をはじめ日本各地の都市を焼き、民間人を何十万人という規模で焼き殺しました。市街地を焼くこの攻撃方法を採用し、実行するよう命令したのがカーチス・ルメイでした。


 ところが戦後、その同じルメイは日本の航空自衛隊の創設と育成に協力した人物として評価され、日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されています。


 カタリナは、その二つの事実をどちらも知っていました。


 日本の民間人を焼き殺す大量殺人の命令と、戦後に航空自衛隊の創設と育成へ協力した行為は、どちらも同じ人物の履歴として残っています。片方だけを見れば、もう片方を見失います。


 それでも、神様がいま話している「魔王の資格」という点では、カタリナにははっきり違いが見えました。


 カーチス・ルメイは大量殺人の命令を下しました。しかし、神様が説明した意味での魔王になる資格はありません。


 神様が求めている資格は、自分で手を下し、そのうえで自分の臣民を守るために力を引き受けることでした。ルメイの立場は命令者で、実行したのは部下です。日本の都市を焼いた攻撃も、王として自分の臣民を目前の侵略者から守るための戦いではありません。アメリカ本土の市民が、その瞬間に日本軍へ襲われている状況でもありませんでした。


 戦争を早く終わらせることや、将来行われるかもしれない本土上陸で米軍兵士が受ける損害を減らすことは、軍事上の理由として語られていました。それは、自分の村へ入ってきた兵から、そこにいる自分の臣民を守るために敵を排除するのとは違います。


 自分の場合はどうなのかと考えると、違いはさらに明確でした。最初の五万人も次の八万人も、カタリナ自身が時機を選び、交換転移を発動して殺しています。十三万人すべてに自分の魔法で直接手を下し、その判断も自分でしました。そして今、その十三万人の魂を使えば、これからは自分の村を焼かせず、自分の臣民を外国兵に殺させず、傷つけさせない国にできると神様が言っています。


 魔王という名前が怖いから断れば、その力を使わずに臣民を危険へ残すことになります。


 父王や兄弟姉妹たちは、すでに王宮の壁へ吊るされました。カタリナまで同じところで終われば、その先に残る臣民を守る者がいなくなります。


「神様、私は魔王になります」


 答えを聞いた神様は、すぐには何も言いませんでした。


 カタリナは続けます。


「私は女王です。女王には、自分の国の臣民を守る義務があります。魔王になっても私が私のままで、その力で村を焼かせず、人を殺させずに済むのなら、名前の方を理由に断ることはできません」


「分かった。では、君が引き受けるんだね」


「はい」


 カタリナがもう一度頷いたところで、何かが変わりました。


 十三歳の少女の姿はそのままで、角も翼も生えず、光に包まれることもありませんでした。けれど、自分の内側に昨日までは使えなかった魔法が増えていることが分かります。同時に、自分の身体へ普通の剣を突き立てても通らないことも、理屈ではなく感覚として理解できました。


 神様が言ったとおり、人格も考え方も変わっていません。父や兄弟姉妹のことも、五万人と八万人を自分で殺したことも覚えています。十三万人を殺した責任も、そのまま残っています。


「これで、この世界には魔王ができたよ」


「世界の方も変わるのですね」


「うん。ここから魔物が出始める」


 神様の声を聞いた直後、景色が消えました。



◇ ◇ ◇ ◇



 目を開くと、カタリナは離宮の寝台にいました。


 窓の外はまだ暗く、侍女が来る時刻にもなっていません。身体を起こし、自分の手や腕を見ても、見た目は昨夜までと同じです。


 朝になって侍女が入ってきても、何も気づきませんでした。


「おはようございます、陛下。よくお休みになれましたか」


「はい。少し変わった夢を見ましたけれど」


 夢と呼ぶには、あまりにもはっきり覚えています。


 朝食もいつもと変わらず食べられました。離宮の人たちも普段どおり動いています。王国が夜のうちに魔国へ変わったことを知っている人は、カタリナ以外にはいませんでした。


 最初の変化が報告されたのは、その日の昼前です。


「陛下、北の森で見たことのない獣を見た者がおります。犬より少し大きく、背中に硬い板のようなものが並んでいたそうです」


 カタリナが人や家畜への被害を尋ねると、近くにいた農民には近づかず、獣の方から道を外れて森へ入ったという返事でした。家畜にも被害は出ていません。


「捕まえようとした人はいますか」


「怖くて近づかなかったそうです」


「それで構いません。襲ってこないものを、正体も分からないまま追い回さないでください。見つけた場所と様子だけ記録しておきましょう」


 午後には別の村からも似た報告が届きました。


 形の違う生き物が林の中にいたものの、人を見ても襲わず、畑の脇を横切って消えたという話です。村人たちの反応は、「最近、変な獣が増えた」という程度でした。


 王国の人々には、国が魔国になったという自覚がありません。昨日まで王国だったものが今日から魔国になったと知らせる布告も出ておらず、国民の身体に特別な印も現れません。農民は畑へ行き、商人は荷物を運び、役人は帳簿を開きます。その日から変わったのは、今まで見たことのない生き物が増え始め、その生き物がカタリナの臣民を襲わないことでした。



◇ ◇ ◇ ◇



 数日たつと、国外からも魔物の話が入ってくるようになりました。


 帝国側の村では、見慣れない小型の魔物を捕らえて肉を試した者がいる一方、別の地域では、人間より大きな魔物に旅人が襲われたという報告も届きました。弱い魔物なら人間の方が狩り、強い魔物なら人間の方が狩られます。


「帝国側では、もう死者も出ております」


 報告を持ってきた近衛兵が言いました。


「王国の人が国外へ出た場合はどうですか。商人や旅人から何か聞いていますか」


「何人か帝国側へ出ていますが、魔物に襲われたという報告はありません。見かけても、向こうから離れていったという話ばかりです」


「分かりました。続けて記録してください」


 神様が言ったとおりでした。


 魔物の判定基準は、その人がカタリナの臣民かどうかです。カタリナの臣民なら国境を越えても襲われず、外国人は魔国へ入っただけでは保護の対象に入りません。


 それでも、王国の人々はまだ、自分たちだけが魔物から襲われないことに気づき始めた程度でした。


「森に変なのがいるらしいぞ」


「うちの村にも出た」


「近くを通ったけど、何もしなかったよ」


 そんな会話が増えただけです。


 離宮では、十三歳の女王が昨日と同じ顔で報告書を読んでいました。国民は、その少女が世界で最初の魔王になったことも、自分たちの国が魔国になったことも知りません。ただ世界には魔物が現れ始め、カタリナの臣民だけは、国内にいても国外へ出ても、その魔物に襲われなくなっていました。





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