第47章 アグネスの自己紹介 『にゃ』
第47章 アグネスの自己紹介
離宮の会議室には、カタリナ、タマちゃん、フーベルトゥス、それに勇者召喚で姿の変わった女の子がいました。会議の記録を取る事務官も、少し離れた席で待機しています。
庭で突然現れた女の子は、人間の姿を基本としていました。ただ、頭には猫の耳があり、腰からは長い尻尾が伸びています。手には指が5本ずつありますが、手のひらには肉球のような柔らかい部分がありました。
カタリナが話しかけると、女の子はきちんと顔を上げます。言っていることも理解しているようでした。
「突然のことで驚いたでしょう。少し落ち着きましたか」
「にゃ」
「よかったわ。では、まず名前を聞かないといけませんね」
タマちゃんが、机の上に紙と鉛筆を用意しました。
「こちらへ書いていただければ、私たちにも分かると思います」
女の子はうなずき、鉛筆を手に取りました。
指は器用に動きます。鉛筆の持ち方も、文字を習った人の持ち方でした。
ところが、紙の上へ先端を近づけたところで、動きが止まりました。
女の子の目が、鉛筆の先を追っています。鉛筆を右へ動かすと目も右へ、左へ動かすと目も左へ動きました。やがて、細かった瞳孔が丸く開いていきます。
「にゃ……」
書こうとしている本人は真剣でした。けれど、線を引こうとするたびに、動く鉛筆の方へ注意が引き寄せられます。文字の最初の形さえ、なかなか書けません。
「指はきちんと動きますね」とフーベルトゥス。
「そうなのよね。鉛筆も持てるし、持ち方も知っているわ」とカタリナ。
タマちゃんは、その様子をしばらく見ていました。
「……少し、失礼します」
「どうしたの、タマちゃん」
「確かめたいことがあります」
タマちゃんは会議室を出て、庭の方へ向かいました。
少しして戻ってきた手には、エノコログサが1本あります。緑色の穂を、女の子の前でそっと動かしてみました。
女の子の視線が穂を追いました。
右へ動かすと右へ。左へ動かすと左へ。
また、瞳孔が丸くなっていきます。
タマちゃんが穂を少し揺らすと、女の子の手が思わず伸びました。
「にゃっ」
穂をつかもうとしてから、自分の手に気づいたように動きを止めます。女の子は耳を伏せ、少し困った顔をしました。
「ああ、やっぱり」とタマちゃん。
「どうやら、動くものを目で追いかける反応が強くなっているみたいね」とカタリナ。
「鉛筆の先まで追いかけてしまうんですね。これでは、書こうとしても難しそうです」
タマちゃんはエノコログサを机の端へ置きました。
フーベルトゥスは女の子の手を見て、鉛筆を片付けます。
「文字の練習は、別の方法を考えましょう。今の状態で無理に書かせても、うまくいきませんね」
「そうしましょう。でも、自己紹介は聞きたいわね」
カタリナは女の子の方を向きました。
「では、自己紹介してください」
女の子は、その意味をすぐに理解したようでした。姿勢を正し、口を開きます。
「にゃ」
タマちゃんとフーベルトゥスが、そろってカタリナを見ました。
「分かりました。皆さんにも伝えますね」
カタリナは、女の子から伝わってきた内容を話し始めました。
「彼女は、ここから見れば別の世界で暮らしていた14歳の女の子だそうです。学校の教室にいたとき、突然、教室全体が明るくなったそうですよ」
「教室で、ですか」とタマちゃん。
「ええ。クラスの全員を取り囲むように、光の線が現れたんですって。線が幾重にも重なって、繭を作るように皆さんを包んだそうです」
カタリナは女の子の顔を見て、確かめながら続きを伝えました。
「その繭は、だんだん小さくなっていったそうです。最後には、彼女1人が中に閉じ込められていました」
「ほかの生徒さんたちは、どうなったのでしょう」とフーベルトゥス。
「それは本人にも分からないみたい。光の中で周囲が見えなくなって、気が付いたら1人だったそうです」
女の子がうなずきました。
「にゃ」
「本人の感覚では、そこに10日くらいいたそうですよ。でも、お腹はすかないし、トイレにも行かなかった。だから、本当に10日たったのかは分からないそうです」
「時計はなかったのでしょうか」
「それも、時間を確かめられるような状況じゃなかったみたいね」
カタリナは、女の子の猫耳と尻尾へ目を向けました。
「それから、繭の中からぽんと出されたら、今の姿になっていたそうです。頭には猫の耳、腰には尻尾。本人もずいぶん驚いたそうですよ」
「にゃ」
「そのあと、誰が自分を連れ去ったのか、その人たちが何をしようとしていたのか、ここで私から説明を受けた、ということですね」
タマちゃんは、会議の記録を取っていた事務官へ目を向けました。事務官は、繭の話を聞き漏らさないよう、紙に書き留めています。
「なるほど。召喚の前に、ずいぶん長い過程があったのですね」
「そうね。まだ分からないことが多いわ。でも、まずは本人のことを聞きましょう」
カタリナは、女の子に微笑みかけました。
「お名前はなんて言うの?」
「にゃ」
「アグネスっていうのね」
カタリナは皆へ向き直りました。
「名前はアグネスだそうです。家の名前や土地の名前がそのあとに付いて、正式な名前はもっと長いそうですけれど、みんなはアグネスと呼んでいたそうですよ」
「アグネスさんですね」とタマちゃん。
「にゃ」
アグネスは、今度はうれしそうにうなずきました。
「アグネス、学校では何を勉強していたの?」
「にゃ」
「数学や外国語、自然科学なんかを勉強していたそうです」
「14歳なら、いろいろ教わっている時期ですね」とフーベルトゥス。
「それが、学校へ行くのは週に1回くらいだったそうですよ。ほかの日は、先生が家へ教えに来てくださっていたんですって」
「家庭教師の先生ですか」
「ええ。家庭教師の先生から習う方が、学校の授業よりずっと先へ進んでいたので、そういうことになったみたいです」
タマちゃんは、アグネスを見ました。
「それなら、書類の計算を手伝っていただけるかもしれませんね」
アグネスはうなずき、机の端に置かれた鉛筆をちらりと見ました。
鉛筆は動いていません。アグネスも、落ち着いたままでした。
「計算ができても、記入する方法は考えないとね」とカタリナ。
「はい。そこは、少し工夫してみます」
カタリナは、先ほどから気になっていたことを説明しました。
「それから、アグネスの世界には、言葉を圧縮して伝えて、伝達そのものを効率化する話法があるらしいですよ」
「言葉を、圧縮するのですか」とタマちゃん。
「そうみたい。普通に長々と話すより、短く伝える方法があるんですって」
「にゃ」
タマちゃんは首を傾げました。
「うーん。私にはよく分かりませんけれど、圧縮をやめると『にゃ』が増えるわけですよね。きっと」
アグネスはタマちゃんを見ました。
「にゃーにゃ」
会議室が静かになりました。
タマちゃんは、もう1度アグネスを見ます。
「……増えましたね」
フーベルトゥスが小さく笑いました。
アグネス自身も何か言いたそうでしたが、その口から出てくるのは、やはり猫の鳴き声です。
カタリナは、その様子を楽しそうに見ていました。
召喚によって言葉を理解し、伝えたい内容も考えられるようになっています。それでも、新しくなった喉や声帯を使いこなすには、まだ時間が必要でした。言葉が分かることと、思いどおりに発音できることは、別の能力です。
「少しずつ慣れていけば、ちゃんと話せるようになるかもしれませんね」
アグネスは大きくうなずきました。
「にゃ」
カタリナはアグネスの耳を見てから、机に置かれた召喚の報告書へ目を移しました。
「それにしても、アグネスは可愛いわね」
「はい。本当に」とタマちゃん。
「でも、次に何を使って勇者を召喚するつもりか分からないのよね。ノミやシラミやダニを使われたら、困るわ」
カタリナは少し考えました。
「召喚した連中を、潰してしまいましょうか」
タマちゃんの表情が変わりました。
アグネスは、カタリナの言葉を理解したように顔を上げます。
「アレックスを呼んできて」
カタリナが言うと、立ち会っていた事務官が席を立ちました。
「承知しました。お呼びしてまいります」
「食事をしながら考えましょう。ダイニングルームへ移動しますね」
カタリナ、タマちゃん、アグネス、フーベルトゥスの4人は、会議室を出ました。




