第44章 残った3隻
第44章 残った3隻
離宮の庭に、夕方の長い影が伸びていました。
日差しの弱くなった芝生の上では、食事を終えて帰ってきた魔物たちが、思い思いの場所へ散っていきます。木の根元へ潜り込む子もいれば、重そうな身体をゆっくり横たえる子もいました。
カタリナは最後の交換を確かめ、窓辺から机へ戻りました。
「みんな、帰ってきたわね」
「はい。生息地ごとに確認できました」とタマちゃん。
「船の中に残っている子は?」
「全員回収できています」
「よかった。では、船を調べに行けるわ」
カタリナはうれしそうに笑いました。
マザーシップは、20隻。第3艦隊から、先遣部隊の消息を調べるために分遣された船です。その内部には、元航空エンジニアのカタリナがまだ見たことのない航法装置や動力系統が残っています。
「船を動かす人も残してあるのでしょう?」
「ええ。エンジニアさんたちはいます。厨房の方たちもね」
「それなら、食事も用意していただけますね」
捕虜の衣装から準備された士官用の軍服姿になった中佐が、5人を代表して礼を述べました。
「供食員を残していただいたこと、重ねて御礼申し上げます」
「こちらこそ。どんな料理が出るのか、ちょっと興味があるわ」
タマちゃんが机の書類を揃えました。
「陛下。降伏文書の受理も終わりました。次は船をこちらの管理下に置く手続きですね」
「そうね。まずは外から眺めて、それから中を見たいわ」
そのときです。
カタリナの指先が、紙の上で止まりました。
「あら?」
「どうなさいましたか」
「船が消えていくわ」
◇ ◇ ◇
火星軌道付近では、20隻のマザーシップが艦隊を構成していました。
降伏文書の提出後、船内の魔物はいなくなっています。防火シャッターと気密扉が開かれ、無事だった技術者たちが装置の点検を始めていました。厨房では、供食員が久しぶりに調理を再開しています。
けれど、すべての船が同じ判断をしたわけではありませんでした。
巡洋戦艦級の艦橋では、あの核融合ミサイルを発射させた艦長が航法担当者の報告を受けていました。旗艦からは、降伏文書を守って停船するよう命令が届いています。
「航行系統の準備が整いました」
「司令部からの指示は?」
「降伏手続きに従って、その場に留まるようにとのことです」
操縦席の前にいた責任者は、しばらく答えませんでした。
「……ここにいれば、船まで接収される」
「書面では、そのとおりです」
「恒星間航行の準備を進めてください」
「降伏文書を提出していますが」
「承知しています」
副長が言いかけました。
「旗艦の司令官から、再度の停船命令が――」
「聞こえています。私の命令が伝わっていないのですか」
「伝わっています」
「では、航行をお願いします」
副長は他の士官たちを見ました。反対意見を口にする者はいませんでした。
航法装置の表示が切り替わりました。外部から見た船体の輪郭が揺らぎ、次の瞬間、マザーシップがその場所から消えます。
1隻だけではありません。
別の位置でも船影が薄れ、また別の位置でも消えていきました。
降伏を守って留まっている旗艦の司令塔では、操縦担当者が次々に消える識別信号を見つめていました。
「今、何隻が離脱しましたか」
「17隻です」
「残っているのは?」
「当艦を含めて3隻。いずれも、その場に留まっています」
「17隻が、ワープを実行したのですね」
「はい」
司令官は、提出済みの降伏文書を見ました。艦橋には、いつでも恒星間航行へ移れるという報告も届いています。
「相手は、こちらが離れた場所へ逃げても追えないのでしょうか」
「判断できません。艦内の出現現象は、航行装置のどの記録とも対応していません」
「ならば、無事に逃げ切れると考える根拠はないですね。こちらは移動しません。降伏条件を守ってください」
「承知しました」
司令官は、旗艦に残った兵と技術者の人数を再確認させました。相手の能力が分からない以上、正式に受理された降伏を破るつもりはありませんでした。
◇ ◇ ◇
高速輸送艦では、貨物庫が荷で埋まり、通路沿いにも固定具付きの積荷が並んでいました。機関も航法装置も正常です。
「他の船は離脱しています。こちらも加速すれば、先に距離を取れます」
航法士官の報告に、艦長は首を振りました。
「この船は速い。しかし、向こうが速いか遅いかさえ分かっていません。逃げ切れるという計算は、どの情報に基づいているのですか」
「……追跡の能力は不明です」
「積荷を満載したまま、未知の相手との競争に賭けるつもりはありません。航行準備は解除し、停船を維持してください」
艦長は降伏受理の書簡を航法士官にも見せました。無事な荷と乗組員を守るには、守ると決めた条件を破らないことが確実でした。
◇ ◇ ◇
兵員輸送艦兼工作艦の艦橋には、各区画の生存者名簿が集められていました。大人数を乗せる船だけに、すでに失われた人員の数字も大きくなっています。
「艦長。恒星間航行の準備は可能です」
「ここで失敗したら、残っている兵員まで失います。旗艦と輸送艦の整備はどうなっていますか」
「こちらの工作設備を使えば、両艦を支援できます。技術者も残っています」
「では、その能力を残しましょう。降伏した3隻の整備は、当艦が引き受けます」
艦長は、逃亡艦の整備計画も確認しました。
「向こうが軍港へ帰れれば、工廠で修理を受けられますね」
「はい。宇宙軍港には大型ドックと工廠があります。工作艦が同行しなくても、帰港後の整備は可能です」
「分かりました。当艦は残ります。工作区画の人員と設備を守ってください」
3隻のマザーシップは、それぞれの判断で同じ場所に留まっていました。
◇ ◇ ◇
「3隻、残っていますね」とタマちゃん。
「ええ。17隻は行ってしまったわ」
「呼び戻されますか」
カタリナは遠くの船体の大きさと、移動した距離を確かめました。
「マザーシップごと恒星間距離を交換するのは、さすがに魔力がかかりすぎるわ。3隻あるから、いいかしら」
「研究する船は確保できていますものね」
「そうなの。しかも、動かし方を知っている方たちもいるし」
技術士官の大尉は、思わずカタリナを見ました。
「陛下。逃走した艦の行き先は、分かるのでしょうか」
「ええ。どこへ行ったかは調べられるわ」
「それでも、追わないのですか」
「大きな船を持ち帰るのが大変なのよ。3隻もあれば、まずは十分でしょう?」
タマちゃんがうなずきました。
「では、残った3隻の方々へ、受理の書簡をお送りしましょう。逃走した艦は条件に違反したものとして記録します」
「お願いします」
カタリナは、書面を作るタマちゃんの横で、別の物体の位置を確認していました。
「そういえば、まだ1発残っていたわね」
「地球へ向かっている化学ロケットでしょうか」
「ええ。核融合弾頭を付けた、あの古い仕組みのロケットよ」
カタリナは、紙に描いてあった軌道を見直しました。小さな機体が、地球を目指して長い道のりを飛んでいます。推進剤の残量も、再点火の仕組みも、以前調べたとおりでした。
「燃料を正確に使って、よく軌道に乗せたわね。質量が変わることも計算している。やっぱり面白い機械だわ」
「ですが、弾頭は危険ですね」
「そう。だから弾頭だけ、片付けましょう」
カタリナはロケットの先端にある弾頭を選びました。ロケット本体、再点火機構、燃料タンク、誘導装置はそのままです。
「弾頭は10Gtくらいね。さっきの4,096発の処理を考えると、ここから戻せる魔力はちょっぴりだけど」
「どこへ送るのですか」
「逃げた艦隊のワープ先へ。ちょうど、そこにいるもの」
王族の中佐が、はっと顔を上げました。
「陛下……」
「では、返しますね」
その瞬間、地球へ向かっていたロケットの先端から、核融合弾頭だけが消えました。
弾頭は、逃走艦隊がワープした先へ届きます。
そして、起爆しました。
カタリナは放出されたエネルギーの一部を、ほんの少しだけ魔力として回収しました。
「これで危ないものは片付きました」
タマちゃんが尋ねました。
「ロケット本体はいかがなさいますか」
「残しておきましょう。せっかく正確な誘導装置があるんですもの。こちらへ近づいたら、もらうことにします」
「承知しました」
カタリナは、地球への長い軌道を飛び続けるロケットを見届けました。弾頭のない機体が、遠い宇宙でゆっくり位置を変えていきます。
◇ ◇ ◇
残った3隻――調査分遣隊の旗艦、満載の高速輸送艦、兵員輸送艦兼工作艦――では、司令塔の通信装置が動いていました。
小型艇の通信機は電磁波を使うため、火星軌道付近と地球との交信にも時間がかかります。しかし、マザーシップどうしには、恒星間距離でも遅延のない専用通信系統がありました。
残った3隻には、ワープした艦隊からの情報が届いていたのです。
「逃走した艦隊から通信です」
「状況は?」
「ワープを終えたとのことです。各艦の確認を進めています」
表示には、遠く離れた艦隊の様子が映っていました。
「……待ってください。あれは何ですか」
通信士官の声が変わります。
映像の中に、突然、強烈な光が現れました。映っていた艦の輪郭が光に呑まれ、通信が途切れます。艦の識別信号も次々に失われました。
「通信を再確認してください」
「確認しています。逃走した艦隊の信号が戻りません」
「爆発の規模は?」
「極めて大きいものです。記録を保存します」
司令塔に沈黙が落ちました。
艦隊はワープで遠くへ逃れたはずでした。ところが、その逃走先に核融合弾頭が届いています。逃走の成否と、降伏文書を守ったかどうかは、まったく別の問題になっていたのです。
旗艦の司令官は窓の外を見ました。
近くには、同じように残った高速輸送艦と兵員輸送艦兼工作艦がいます。どちらも、降伏条件に従って位置を保っていました。
「こちらの降伏文書は、受理されていますね」
「はい。魔王国から正式な返書も届いています」
「では、こちらの船を動かす指示があるまで、待機を続けてください」
「承知しました」
司令官は、通信記録をもう1度見ました。逃走先から最後に届いた映像は、既に保存されていました。
高速輸送艦の艦長から、積荷と残存乗員が無事だという連絡が届きました。工作艦からは、3隻の設備点検に入るという申し出が来ています。
「3隻の記録をまとめてください。本隊へ送るのは、こちらで確認した結果です。地球との書簡のやり取りや船内の出来事を、本隊が直接見ているわけではありませんから」
通信士官は、消えた17隻の最後の映像と、残留した3隻の報告を分けて保存しました。
◇ ◇ ◇
離宮には、3隻から新しい書簡が届いていました。
「陛下。残った船の責任者から、降伏条件を守るとの確認が届いています」
「分かりました。こちらもお返事しましょう」
タマちゃんが書面を整え、中佐と秘書官が文面を確認しました。
技術士官の大尉は、マザーシップの恒星間通信について説明するため、別の紙を広げています。
「マザーシップどうしは、遠く離れていても遅延なく通信できます」
「本当? あの小型艇の通信機とはずいぶん違うわね」
「はい。艦隊の航行と、離れた艦との連絡に使います」
カタリナの目が輝きました。
「それも調べてみたいわ。どういう仕組みなのかしら」
「私の知る範囲で、ご説明します」
「ありがとう。航法装置も、動力も、推進機関も見たいものがたくさんあるの」
タマちゃんは、書類の端を揃えて封筒に入れました。
「では、3隻の管理と研究の準備を進めます」
「お願いします。楽しみね」
窓の外では、夕陽が木々の先を赤く染めていました。食事を終えた魔物が静かに横たわり、庭を渡る風が葉を揺らしています。
遠い火星軌道付近には、恒星間航行できるマザーシップが3隻、約束どおりに残っていました。
カタリナはその船の内部を思い浮かべ、次に調べる装置の順番を考え始めました。




