第32章 3人前で1人分です
第32章 3人前で1人分です
国境からの報告を読み終えたカタリナは、机の上に置かれた地図へ目をやりました。
連合国が約100か所から送り出した人民解放軍は、魔王国や属国の村へ到達する前に、各地の魔物や大型魔獣に捕捉されました。森の枝や岩場にハヤニエとして残された兵士もいます。
「連合国の兵士もハヤニエになったし、当分あの子たちのご飯にも困らないわ」
カタリナはタマちゃんに言いました。
「そうですね。狩り場へ入ってくる人間が急に増えましたから」
「みんな、しばらくはお腹いっぱいね」
カタリナはそこで、ふと考えました。
あの子たちのご飯。
ご飯。
「……ねえ、タマちゃん」
「はい、陛下」
「私って、魔王になってから何を食べたっけ?」
第三王女として離宮で暮らしていた頃は、いろいろと抑圧されていました。それでも王族として、人並み以上の食事が毎日出ていました。料理長が献立を考え、決まった時間には食卓に料理が並んでいました。
ところが、魔王になってから何を食べたか考えても、すぐには浮かんできません。
「2週間くらい前に、梨を私と半分ずつにして食べましたよ」
「ああ、そうだったわ。その前は?」
「1か月前に、キャベツを1玉食べていました」
「……キャベツを1玉?」
「はい。丸ごと1玉です」
カタリナは記憶をたどりました。確かに、そんなことがあった気はします。
「その前はどうだったかしら」
「私が覚えている範囲だと、もっと前になりますね」
「ずいぶん食べていないのね」
「陛下、以前おっしゃっていましたよ。魔王になってからは地脈から魔力が供給されるので、食事はいらないらしいって」
「ああ、そうだったわね」
空腹を感じないので、食事の時間が訪れても仕事を続けられます。会議が終われば次の報告が届き、承認した書類はそのまま各部署の仕事になっていきます。
兵士、捕虜、裁判、属国の行政、道路と橋、物資の配分、通貨と賃金。最近だけでも、片づける仕事はいくらでもありました。
「それにしても、仕事のしすぎですよ」
タマちゃんが言いました。
「そうかしら?」
「2週間前の梨が半分、その前は1か月前のキャベツ1玉ですよ」
「確かに、ほとんど食べていないわね」
「私は、変わったものばかり食べているなと思っていました」
変わったもの。
その言葉が、カタリナの頭の中で何かにつながりました。
「……あっ」
「どうなさいました?」
突然、前世の記憶が現在の意識に重なってきました。
博士課程まで在籍していた大学。その近くにあった店。テーブルに置かれた、大きなお皿。
そして、その店のメニュー。
「タマちゃん、ちょっと離宮へ行きましょう」
「離宮ですか?」
「ええ。料理長さんにお願いしたいことがあるの」
「何か召し上がるんですか?」
「そうなの。急に思い出した料理があるのよ」
タマちゃんも席を立ちました。
かつて王族が暮らしていた王宮は、今では博物館になっています。料理長がいるのは離宮の厨房です。
「それでは、お供します」
「お願いね」
カタリナは、前世の店で食べたあの料理を、もう一度頭の中に浮かべました。
◇ ◇ ◇
離宮の厨房で、カタリナは料理長に尋ねました。
「料理長さん、小豆ってある?」
「はい、ありますよ。乾燥させたものを保存しています」
「少し使わせていただけるかしら」
「もちろんです。何をお作りになるのですか?」
「小豆を甘く煮たものを作りたいの」
「どのように仕上げましょうか?」
「小豆を柔らかく煮て、砂糖と混ぜるの。豆の粒は残してね」
料理長が小豆の袋を持ってきました。
「これでよろしいでしょうか」
「ええ、これよ。水で洗って煮ましょう。柔らかくなったら砂糖を入れて、甘さを調整してね」
「承知しました」
小豆を洗い、鍋に水を張って火にかけます。
タマちゃんは鍋をのぞき込みました。
「陛下、今日は豆を召し上がるんですか?」
「まだ秘密よ」
カタリナは次の材料を思い出しました。
「料理長さん、発酵させていない茶葉はあるかしら?」
「はい。東方の国から献上されたものがあります」
料理長は棚から2種類の容器を取り出しました。
「こちらは焙煎されたリーフです。もう1つは、焙煎せずに粉砕した粉になります」
「粉の方を見せていただける?」
容器の蓋が開けられると、鮮やかな緑色の粉が見えました。
「これよ、これ!」
「その粉なら、クッキーやケーキに入れると美味しいですね。焼き菓子にも使っています」
「そうでしょうね。香りも色もいいもの」
カタリナは緑色の粉を指しました。
「これ、スパゲティーを作るときにセモリナ粉に混ぜて、スパゲティーを作ってくれる?」
「はい。できますよ。どのくらい混ぜましょうか?」
「そうね。スパゲティーが緑色になるくらい」
「緑色のスパゲティーですか?」
「ええ。お茶の色がきれいに出るようにお願い」
料理長はセモリナ粉に茶の粉を少しずつ加え、生地の色を見ながら調整しました。水を加えて練ると、淡い緑色の生地になります。
「もう少し濃い方がいいわ」
「では、少し加えますね」
緑色が均一になったところで、カタリナはうなずきました。
「そのくらいでいいわ」
タマちゃんは小豆の鍋と緑色の生地を交互に見ました。
「陛下、ずいぶん変わった組み合わせですね」
「そうでしょう?」
「小豆とスパゲティーを一緒に使うんですか?」
「できあがってからのお楽しみよ」
「それから料理長さん、ホイップクリームも作っていただける?」
「はい。生クリームはありますよ」
「砂糖は多めにして、しっかり甘くしてね」
「どのくらい泡立てましょうか?」
「スプーンですくっても、形が崩れないくらいがいいわ」
「分かりました。少し固めに仕上げます」
料理長が生クリームに砂糖を加えて泡立て始めました。
タマちゃんは小豆、緑色の生地、泡立てているクリームを順に見ました。
「……甘いスパゲティーですか?」
「ふふふ。もう少しよ」
カタリナはさらに思い出しました。
「あとはイチゴ。今日、採れたてが納品されたはずだから使いましょう」
「はい、今朝届いています。とてもよいものですよ」
料理長が保管庫からイチゴの籠を取り出します。
「まあ、きれいね。洗ってヘタを取ってね。形のよいものは飾りに使いたいから、そのまま残しておいて」
「承知しました」
小豆が柔らかく煮上がると、砂糖を加えて粒を残した甘い餡に仕上げました。緑色の生地から作ったスパゲティーもゆで上がり、甘いホイップクリームとイチゴが調理台に並びます。
カタリナは大きな皿を用意してもらいました。
「では、そのお皿にスパゲティーを3人前ずつ盛ってください」
「3人前、ですか?」
「ええ。たっぷり盛るの」
料理長は大皿へ、緑色のスパゲティーを山のように盛り付けました。
「次は、上に生クリームをたっぷり載せて」
「はい」
「さらに、この小豆の餡を載せるの。この餡は小倉あんって言うのよ」
「はい。粒が残っていて、つやがありますね」
白いクリームの上に、小倉あんがこんもりと載りました。
「最後に、緑の補色の赤いイチゴをトッピングすれば、できあがり」
鮮やかな緑色のスパゲティーに、白い生クリーム、濃い色の小倉あん、真っ赤なイチゴが並びます。
タマちゃんは、できあがった大皿をしばらく見つめていました。
「陛下」
「なあに?」
「でも、さっき3人前って言いませんでした?」
「言ったわよ」
「では、3人分を盛り付けたんですよね?」
「そうよ」
「……完成品は何人分なんですか?」
「1人分よ」
「えっ?」
「完成品は1人分なの」
タマちゃんは大皿を見ました。
料理長も、改めて皿の大きさを確かめました。
「陛下、変わったものどころの話じゃないですね」
タマちゃんが真顔で言いました。
「変わっているけれど、ちゃんとした料理よ」
「本当にですか?」
「ええ。味は食べてからのお楽しみね」
料理長が尋ねました。
「この料理には、名前があるのでしょうか?」
「抹茶小倉スパよ」
タマちゃんはもう一度、大皿を見ました。
「スパゲティーですよね」
「そうよ」
「甘いですね」
「ええ」
「3人前ですね」
「そうよ」
「それで、1人分なんですね」
「そうなの」
カタリナは満足そうにできあがった料理を眺めていました。
地脈から魔力が供給される身体です。食べなくても空腹にはなりません。それでも、前世の記憶を呼び起こしたこの料理は、今すぐ食べたくなりました。
「料理長さん、では、これをペット名の事務官たちの分も作っていただける?」
「はい。何皿ご用意しましょうか?」
「ポチ、シロ、クロ、ペス、ミケ、それからタマちゃん。6人分ね」
「承知しました。6皿ですね」
「ええ。どれも今作ったものと同じように、スパゲティー3人前を使ってね」
料理長は、大皿をもう一度見ました。
「……こちらと同じ量を6皿ですね」
「そうよ。生クリームも小倉あんもたっぷり。イチゴも忘れないでね」
「承知しました」
カタリナはタマちゃんに向き直りました。
「では、みんなで一緒に食べてね。私はこのままお部屋へ持って帰って、今からいただくわ」
「私も、みんなと一緒にですか?」
「もちろんよ。タマちゃんも一緒に食べてくるといいよ」
タマちゃんは、山盛りの緑色のスパゲティーを見ました。
「陛下、全員がこの量を食べるんですか?」
「そうよ。1人分なんだから」
「……分かりました」
「感想は夕方でいいわ。みんなが食べられるように手配してあげて」
「はい。ポチたちに連絡して、食事の場所と時間を調整します」
「お願いね」
料理長はカタリナの大皿を運ぶため、しっかりした盆を用意しました。
カタリナは礼を言い、自分の抹茶小倉スパを持って部屋へ戻っていきました。
タマちゃんはその後ろ姿を見送り、料理長へ振り返りました。
「……本当に、これをあと6皿ですね」
「魔王陛下は、そのようにおっしゃいました」
「分かりました。お願いします」
タマちゃんは事務官たちを呼びに向かいました。
夕方までに、全員の感想を聞いておかなければなりません。




