第31章 一日千リラを守ります
第31章 一日千リラを守ります
会議テーブルの中央には、梨、林檎、葡萄、柑橘が山になっています。
その周囲に、ポチ、シロ、タマちゃん、クロ、ペス、ミケ、フーベルトゥスが座っています。
カタリナも席へ戻りました。
「では、通貨と予算を見ましょう」
ポチがすぐに書類を一番上へ出しました。
「最初にリラの基準を確認します。前回の通貨統合で、魔王国を含む関係国全体について、一人が一日暮らす標準的な費用を千リラ前後に置きました」
「今も、その基準でよいですか」
「はい。食料、水、住居、衣類、燃料、日用品、最低限の移動費を合わせて見ています。地域差はありますが、圏内全体の通貨価値を見る基準として使えます」
カタリナは千という数字を見ました。
前世の日本円の感覚なら、一リラはおよそ十円です。
千リラなら一万円ほど。
一人が一日生活する費用として考えれば、感覚をつかみやすい数字でした。
「目標は千リラのままにしましょう」
「承知しました」
ポチが書き込みます。
「最低賃金も確認します。関係国共通の下限は、八時間労働で一日二千リラです」
「二千リラを払えない事業所は?」
クロが答えました。
「解体対象にします。設備、原料、人員は、必要な事業所へ移します。人手が足りない状況で、最低賃金を払えない事業所へ人を残す理由は薄いです」
「その方針を続けましょう」
「承知しました」
魔王国本国だけは数字が違います。
ポチが別の欄を示しました。
「本国の最低賃金は五千リラです」
「上げたあと、人は増えましたか」
シロが人口移動の表を見ました。
「増えています。関係国からの出稼ぎも増えました。住民登録、宿泊、家族帯同の数字もすべて上向いています」
「それでも足りませんね」
「かなり足りません」
答えたのはミケでした。
「道路、橋、河川、建物の補修だけでも、募集人数に届いていない現場が多いです。五千リラを出しても埋まりません」
ペスも帳簿をめくりました。
「農業も同じです。農地はあります。水もあります。種もあります。収穫したものを食べる人より、作業する人の方が不足しています」
「鉱山もです」
クロが続けました。
「鉱石はあります。採掘量を増やしたくても、坑夫、選鉱、製錬、設備保守の人が足りません」
カタリナは五千リラの欄を見ました。
前世の感覚へ置き換えると、一日五万円ほどです。
最低賃金がそこまで上がっても、求人が埋まりません。
魔王国の人口が戦前の三割ほどまで減った影響は、賃金表の数字にもそのまま残っていました。
「関係国の二千リラと、本国の五千リラは維持しましょう。本国へ来たい方は来ていただいて構いません」
タマちゃんがうなずきました。
「関係国の住民なら国境を越えて働けます。魔物からも同じ家来として扱われます」
「はい」
ポチが次の紙を出しました。
「関係国外から来る方の税率も、そのままでよいでしょうか」
通常の税率は累進で五パーセントから二十パーセントです。
関係国外の者には、その五倍が適用されます。
「目的は変わっていませんね」
フーベルトゥスが答えました。
「魔物による事故を減らすためです。関係国の外から来た方は、魔物から陛下の家来として扱われません。高い賃金だけを見て本国へ入り、そのまま山道や農村へ出れば危険です」
「では、五倍を維持します」
ポチが決定欄へ印を付けました。
「属国から魔王国へ納める分も、税収の一パーセントで据え置きます」
「それでお願いします」
各国の税収の大部分は、その国に残ります。
ポチは財政表を一枚めくりました。
「次は物価です」
ペスが食料関係の表を、ミケが輸送関係の表を前へ出しました。
「食料、水、それから馬車など、生活と物流の基礎になるものは協定価格があります」
「国ごとの差は?」
「圏内平均から上下二十パーセントまでです」
カタリナは表を横へ追いました。
同じ穀物でも、産地に近い国では安く、山地や島では少し高くなっています。
「二十パーセントは残しましょう」
ペスがうなずきました。
「産地の特価を目当てに買いに来る方もいます。全部同じ価格にすると、その動きまで消えます」
クロも続けます。
「地域ごとの賃金や生産方法に差を残せるので、人件費の比率が高い産業も何とか成立します」
「馬車は道路でも変わります」
ミケが地図を指しました。
「舗装や橋の状態がよいところは、一日に運べる量が増えます。二割の範囲なら、輸送条件の差も価格へ出せます」
「平均から二割まで。そのままにしましょう」
「承知しました」
ポチは、通貨の紙をもう一枚出しました。
「旧通貨の処理です。各国の旧通貨は、あと二か月だけリラと並行して使えます」
「帝国通貨もですね」
「はい。帝国通貨も同じ二か月です」
「交換比率はどうしますか」
「各国の中央銀行と相談します。帝国通貨を導入したときの交換方法が残っていますので、基本はそれを使います。貨幣残高、流通量、物価、税収、預金、債務を確認して、中央銀行ごとに交換比率を決めます」
シロが地方側の予定表を開きました。
「役所、銀行、市場へ二か月の期限を通知します。価格表示はリラを主にして、旧通貨の併記を認めます。税の納付と公務員給与は順次リラへ寄せます」
「二か月後は?」
「関係国内の決済はリラだけです」
「旧硬貨はどうなりますか」
クロが答えました。
「通貨としての額面は終了します。金、銀、銅などの貨幣なら、金属としての価値は残ります。回収した分は地金として買い取ることもできます」
「捨てる必要はないのですね」
「素材ですから使えます」
「では、それで進めてください」
決まりました。
すでに動いている統合通貨を、二か月後に完全な一本化へ持っていく作業です。
ポチは次の束を持ち上げました。
「ここから予算です」
書類が厚くなりました。
「まず、魔王国本国の対外収支です。物の取引だけを見ると、大幅な輸出超過です」
ペスが食料の表を重ねました。
「穀物、豆、芋、果物、畜産物。国内で食べる人数が少ないので、収穫できた分のかなりが関係国へ出ています」
「人が少ないから余るのですね」
「はい。耕す人が足りないのに、それでも国内消費より生産が上です」
クロが鉱物資源の表を加えました。
「鉄鉱石、銅鉱石、石材も輸出超過です。こちらも採掘する人は足りません。ただ、本国で使う人数と工場が減っていますので、掘れた分のうち外へ回せる割合が大きくなっています」
「食料と鉱物は黒字ですね」
「物の収支では大きな黒字です」
ポチはそこで別の欄を指しました。
「一方、働く人に関する収支は大きな赤字です」
「出稼ぎですね」
「はい。本国で働く関係国の方へ五千リラ以上を払い、その一部が出身国へ送られます」
タマちゃんが紙を見ました。
「物を外へ出して、人に来ていただいて、お金が外へ戻っていく形ですね」
「そうなっています」
ポチは貿易収支と国庫収支の表を分けました。
「この二つは別々に管理します。輸出が多いことと、国庫にお金が残ることは同じ数字になりません。税収、政府支出、属国からの一パーセント、国有資産の収入は国庫側で見ます。貿易と出稼ぎ送金は対外収支側で見ます」
「その形が分かりやすいですね」
「では、予算書も分けます」
カタリナがうなずきました。
次に出たのは、職業訓練の予算でした。
シロが一覧を読みました。
「各地の職業訓練養成学校ですが、校舎は予定数までかなり建っています」
「教員は?」
少しだけ間がありました。
クロが人数表を出しました。
「足りません」
「どのくらいですか」
「校舎を全部使う前提なら、大幅に不足します。石工、鍛冶、鉱山、測量、機械、建築、農業、役所実務。どこも指導者が足りません」
ペスが農業学校の欄を見ました。
「教室も実習農地もあります。教える予定だった方の名簿には、戦争で亡くなった方がかなり入っています」
ミケも土木学校の紙を出しました。
「こちらも同じです。橋を架けられる人を増やしたくても、橋を架けられる人が現場に出ていて、学校へ回せません」
カタリナは名簿を見ました。
校舎はあります。
机もあります。
実習場もあります。
教員だけが、決定的に足りません。
亡くなった人は、予算を増やしても戻ってきません。
「新しい校舎を増やす予算は止めましょう」
シロがすぐに書き込みました。
「既に着工しているものは?」
「必要性を確認しましょう。完成間近なら終わらせます。まだ土地をならしている程度なら、教員確保の方へ回しましょう」
「承知しました」
「教員は関係国から募集できますか」
タマちゃんが答えました。
「できます。常勤だけで集めると各国側が困りますので、一定期間の派遣、巡回講師、現場との兼務を組み合わせます」
「では、その条件で各国への照会をお願いします」
クロが続けました。
「優秀な訓練生を早めに助手へ上げて、教える側を増やす仕組みも入れます」
「お願いします」
ポチが予算欄を書き換えました。
「校舎建設費の一部を、教員手当、旅費、宿舎、教材、実習材料へ移します」
「それで決定します」
この会議で決定したものは、そのまま実行へ移せます。
女王であり魔王でもあるカタリナが決め、財政、行政、農業、技術、土木の担当者が同じテーブルにいます。
ポチが数字を直せば予算案が変わります。
シロが通知様式を作れば各地の役所へ送れます。
ペスが食料配分を変え、ミケが輸送路を合わせ、クロが設備と人員を組み替えます。
タマちゃんが各部門をつなぎます。
「次です」
ポチが連合国側の資料を出しました。
「比較用です。連合国の最低賃金をリラへ換算すると、一日およそ五百です」
「こちらの標準生活費の半分ですね」
「はい」
さらに一枚。
「私書箱政府が集まっている連合国中心国は、賃金統計の平均だけ見ると、およそ五千リラです」
ミケが数字を見ました。
「魔王国本国と同じくらいですか」
ポチは、その下の数字を指しました。
「中央値は、およそ五百二十です」
全員が表を見ました。
平均五千。
中央値五百二十。
少数の非常に高い所得が、平均を大きく押し上げています。
「平均だけを見て、こちらの目標値を変える理由にはなりませんね」
カタリナが言いました。
「はい。圏内の生活費と賃金を直接見た方がよいです」
「では、連合国側の平均値は参考資料にします。リラの価値は、こちらの生活を基準にしましょう」
「承知しました」
ポチが最終欄を読み上げました。
「本日の決定をまとめます。標準生活費の目標は一人一日千リラ。八時間の最低賃金は関係国二千リラ、本国五千リラ。協定価格は圏内平均から上下二十パーセントまで。通常税率は累進五から二十パーセント。関係国外の者は五倍。属国から魔王国への支払いは税収の一パーセント。旧通貨と帝国通貨はあと二か月併用し、その後はリラのみ。交換比率は各中央銀行と協議し、帝国通貨時代の方法を基本にします」
「はい」
「予算は、職業訓練校の追加建設より教員確保を優先。食料と鉱物の輸出、出稼ぎ労働者への支払いと送金は、対外収支として別に追います」
「それで進めてください」
「承知しました」
ポチが決定済みの束を閉じました。
タマちゃんが各担当へ写しを分けます。
シロは各国の中央銀行と地方役所への通知。
ペスは協定価格と食料配分。
ミケは馬車運賃と輸送路。
クロは事業所整理と職業訓練。
ポチは予算と税収。
この場で決まったものが、そのまま仕事になっていきます。
「今日の分はここまでにしましょう」
カタリナが言いました。
そこで、会議テーブルの中央にずっと置かれていた果物へ、全員の視線が戻りました。
「これは、どうしますか」
ポチが梨を見ました。
「皆さんの部署へ持って帰って、分けてください」
「では、財政でいただきます」
「地方行政も少し」
「農林水産もいただきます」
会議中は書類の間で山になっていた果物が、今度は本当に分けられていきました。
フーベルトゥスも近衛へ持っていく分を受け取ります。
最後にタマちゃんが、カタリナの前へ梨を一つ置きました。
「陛下の分です」
「ありがとうございます」
通貨と予算の会議は終わりました。
決定書の写しは、その日のうちに各部署と関係国へ回り始めました。
千リラという一日の基準を守る仕事は、もう動き始めています。




