第30章 セレナさんの行き先が決まります
第30章 セレナさんの行き先が決まります
魔王国では、タマちゃんとシロが地方行政の人員表を見直していました。
「この三人は北側の役所へ回します。こちらの二人は、旧帝国式の土地台帳を読めますので、境界整理へ」
「分かりました」
シロが印を付けます。
タマちゃんは次の紙へ手を伸ばし、そこで動きを止めました。
「そういえば」
「はい?」
「牢屋に入れっぱなしの、聖何たら国の三位のおばさん、どうしたっけ?」
シロは顔を上げました。
「セレナ・カルヴァですか」
「それです」
「今も牢にいます。タマさんが、そのまま入れておくよう指示されましたので」
タマちゃんの手が止まりました。
「……まだ?」
「はい」
カタリナも書類から顔を上げました。
「セレナさんですね」
タマちゃんは数秒、そのまま固まりました。
「陛下、申し訳ありません。本当に忘れていました」
大祭主グレゴールと次席祭主オルドを聖ネメリア国へ返したあと、三位の聖務総監セレナだけは魔王国の牢へ入れました。
その後、戦後復興、属国の行政整理、生産と物流の組み替え、聖ネメリア国の崩壊、連合国の成立と仕事が続きました。
タマちゃんの頭から、牢に残した一人が完全に抜け落ちていました。
「様子はどうですか」
カタリナが尋ねると、シロは収容記録を開きました。
「かなり弱っています。身体より精神の方です」
「牢の怪異ですか」
「はい」
カタリナが魔王となってから、牢の中には幽霊や怪異のようなものが出るようになっています。
看守や魔王国側の人間には害を加えません。看守たちにとっては、夜になると廊下を歩くものが増える程度の話です。
囚人に対しては違いました。
「血まみれのものが出る房は、朝になると床と壁に血が固まっています。掃除は囚人の担当です」
「夜中ずっと叫ぶところもありましたね」
「はい。眠れなくなるので、何日かで房を替えます。毎晩、胸から心臓を引き抜かれる夢を見る房もあります」
「セレナさんのところは?」
「比較的ましです。白い布をかぶったような姿で、目だけ見えるものが何体か出ます。急に後ろへ立ったり、寝台の横から見たりする程度です」
「それで、ましなのですね」
「ほかの房と比べれば」
シロは記録を一枚めくりました。
「最初の頃は何度か粗相もありました。今は、ほとんど話しません。質問にはうなずくか、首を振る程度です」
タマちゃんは額へ手を当てました。
「連れてきてもらえますか」
「手配します」
◇ ◇ ◇
しばらくして、囚人服を着たセレナが会議室へ入りました。
四十歳ほどだった顔は痩せ、視線は床へ落ちています。
看守が止まる場所を示すと、そこへ立ちました。
「セレナさん」
カタリナが呼びます。
少し遅れて、セレナが顔を上げました。
「タマちゃんが、あなたを牢へ入れたまま忘れていました」
セレナは何も言いませんでした。
「陛下、本当に申し訳ありません」
タマちゃんがもう一度頭を下げました。
シロは、セレナの収容記録とは別の書類を机へ置きました。
「人員として使う話でしたら、うちはいりませんよ」
タマちゃんがそちらを見ました。
「地方行政でも?」
「今は訓練した人を順番に配置しています。旧聖ネメリアの制度を知っている点は別として、こちらの土地制度も今の行政手順も一から覚えることになります。裏切りの危険も評価に入ります」
シロはもう一冊の資料を開きました。
「処刑相当の記録も揃っています。宗教税、徴兵、異端審問、巫女制度。中央から地方へ出た通達と決裁記録に、聖務総監として関わったものが残っています」
タマちゃんはセレナを見ました。
「では、ほかも呼びましょう」
ほどなく、ポチ、クロ、ペス、ミケ、それにフーベルトゥスが集まりました。
捕虜時代のプリズンネームがそのまま通称になった行政官たちです。
ポチは財政を担当し、予算、補償、費用計算を扱っています。
シロは地方行政。役所の再建、人員配置、現地行政の整理が仕事です。
タマちゃんは秘書官として中央の調整と、各部署をまたぐ案件をまとめます。
クロは科学技術。研究組織と技術政策を担当しています。
ペスは農林水産。農地、森林、漁業、食料生産を見ています。
ミケは土木。道路、橋、治水、開発、測量を受け持っています。
フーベルトゥス――通称、鉛筆屋――は近衛側から呼ばれました。
「この人の使い道を考えます」
タマちゃんが言いました。
セレナは立ったまま、机の前に並んだ人々を見ています。
「読み書きはできます。計算もできます。聖ネメリア国内で使われていた複数地域の文書も読めます。中央宗教行政の実務経験があります」
タマちゃんは一項目ずつ確認しました。
「魔王国や現在の属国行政については実務経験がゼロです。裏切りの可能性も評価に入ります。旧聖ネメリア国の住民へ直接接触させると、本人の安全も含めて問題が出ます」
セレナの視線が少し下がりました。
「それから、巫女制度です」
タマちゃんは記録を開きました。
「少女や女性を巫女として取り上げ、聖職者や有力者へ『奉仕』の名目で渡し、その対価を寺院へ入れる制度がありました。実態は人身売買と性的奴隷制度です。中央までつながった制度で、聖務総監は運用と決裁に関わっています」
部屋が静かになりました。
「以上です」
タマちゃんは全員を見ました。
「で、ほしい人ー」
誰もすぐには手を上げませんでした。
ペスが先に口を開きました。
「魚の餌か肥料になら」
フーベルトゥスが続きました。
「まあ、武器の的になら」
クロは首を横へ振りました。
「研究部門とは畑が違います」
ミケも資料を閉じました。
「土木も同じです」
ポチだけは、別の方向から書類を見ていました。
「一つ、費用があります」
「費用?」
「収容費です」
ポチは項目を指で追いました。
「この方は単独房で、外の作業にも出していません。建物の償却が終わっているものとして計算しても、食事、衣類と寝具、衛生用品、監視、照明と燃料、清掃、医療、記録管理が毎日発生します」
「どのくらいですか」
ポチは一日分の計算額を示しました。
カタリナは内訳を見ました。食事だけの金額ではなく、単独収容を一日続けるために必要な費用を全部合わせた数字です。前世の日本円の感覚へ置き換えると、一人一日三千円から五千円ほどになります。
タマちゃんがセレナを見ました。
「置いておくだけでも毎日かかるのですね」
「はい」
カタリナは、聖ネメリア国から回収した記録の写しを読みました。
「セレナさん」
呼ばれて、セレナがわずかに顔を上げました。
「何か言っておきたいことはありますか」
唇が動きましたが、声が出るまで少しかかりました。
「……ありません」
それだけでした。
証拠資料の確認は終わりました。午後に残ったのは、正式な宣告と刑執行の手続です。
この時点で、結論を変える材料は出ていませんでした。
◇ ◇ ◇
机の端に置かれていた返信用封筒が、かすかに動きました。
「あ、アレックス国王からです」
タマちゃんが封筒を取りました。
国王からの正式な返書です。
自分が聞いてよい話ではないと思ったのでしょう。セレナは黙ったまま、部屋の外へ下がろうとしました。
「セレナさん」
カタリナが呼び止めました。
セレナが止まります。
「席を外さなくて大丈夫です。あなたはもう午後にはこの世にいませんから」
セレナの顔が動きませんでした。
「逆に、もう立っていないで、その椅子に座っていてください」
フーベルトゥスが近くの椅子を一脚持ってきて、セレナの後ろへ置きました。
「どうぞ」
セレナはゆっくり座りました。
それからタマちゃんは返信用封筒へ視線を戻しました。
この封筒は、送り手に魔力を求めません。返書を入れて封を閉じ、指定された場所を押すだけで、魔王国側へ移るよう作られています。
封を開くと、何枚かの文書が入っていました。
「ずいぶん丁寧ですね」
カタリナが一枚目を見ました。
アレックスの返書は、属国化と保護国化を希望する各国の審査について、アレキサンドリア王国で引き受けるところから始まっていました。
タマちゃんが声に出して読みます。
「『属国化および保護国化を希望する各国の調査につきましては、アレキサンドリア王国でお引き受けいたします。財政、行政、食料、軍、交通、産業を国ごとに確認し、必要に応じて既存属国の専門家にも協力を求めます。魔王国へお返しする段階では、受け入れの可否と条件を整理し、決裁に使える形までまとめます』」
「こちらは進めてもらえそうですね」
「はい」
タマちゃんが次の紙をめくりました。
「もう一件あります」
旧聖ネメリア国地域の後始末についてでした。
「『先日お預かりした旧聖ネメリア国地域の処理につきまして、治安の回復、宗教税の停止、村落行政の復旧、人口と食料の確認は順次進めております』」
そこまでは進んでいます。
その先で、作業が詰まっていました。
「『一方、当国の官吏は世俗行政を中心に経験しており、旧聖ネメリア国特有の宗教行政について実務経験が空白です。地方寺院ごとに帳簿の名称と所属区分が異なり、巫女院から別の寺院へ移された方、聖職者や有力者のもとへ送られた方、討伐軍に伴って移動した方の記録が別々に残っています』」
タマちゃんは次の段落へ進みました。
「『家へ戻った方も確認しておりますが、行方の確認が取れない巫女が相当数おります。どの帳簿を組み合わせれば追跡できるのか、その判断に時間を取られています』」
カタリナがセレナの方を一度見ました。
タマちゃんは最後まで読みました。
「『恐れ入りますが、旧制度の実務に詳しい方がおられましたら、一人でもこちらへお預けいただけると助かります。身柄の扱いは魔王国のご判断のままで結構です。監視を付けた状態で十分です。専門家が加わるまで、巫女関係の整理はここで止まります。属国化希望国の審査と並行して進めますので、ご検討をお願いいたします』」
文面は最後まで丁寧でした。
中身を短くすると、宗教行政を知る人を送ってほしい。このままでは仕事が止まる、という話です。
カタリナとタマちゃんは、そこまで読みました。
タマちゃんが返書を机へ置きました。
「宗教税、寺院台帳、巫女院、地方祭主から中央への報告経路まで分かる人が必要なのですね」
「そう書いてありますね」
「旧制度の実務を知っていて、中央の決裁まで経験した人」
「はい」
部屋にいた全員の視線が、同じ方向へ動きました。
セレナは椅子に座ったまま、視線を床へ落としています。
タマちゃんが確認しました。
「この人、聖務総監でしたね」
「三位です」
シロが答えました。
「巫女制度の記録も分かりますね」
「決裁側ですから、地方から中央まで把握していたはずです」
カタリナはセレナを呼びました。
「セレナさん」
セレナが顔を上げました。
「立ってください」
言われたとおり、セレナが椅子から立ちました。
◇ ◇ ◇
その頃、アレキサンドリア王国では晩餐会が進んでいました。
壁際には、果物を盛るための高級な飾り卓が置かれています。磨かれた天板にはレースの飾りが掛けられ、その上へ梨、林檎、葡萄、柑橘など、まだ切っていない果物が山のように積まれていました。
アレックスはその前で梨を一つ取りました。
「これをお願いします。皮をむいて、食べやすい大きさに切ってもらえますか」
「承知しました」
シェフが受け取ろうとした、その瞬間でした。
◇ ◇ ◇
魔王国の会議室で、カタリナが交換魔法を使いました。
セレナの姿が消えました。
次の瞬間、セレナが立っていた場所と、その周囲へ未カットの果物が大量に現れました。
積み上げられていた形は床の上では保てません。
梨が転がり、林檎が机の脚へ当たり、柑橘が椅子の下へ入りました。葡萄の房が書類の横へ落ちます。
「……果物ですね」
タマちゃんが言いました。
「晩餐会だったのでしょうか」
カタリナが梨を一つ拾いました。
ポチも一つ拾い、傷がないか確かめました。
「これ、持って帰ってよいですか」
「会議のあとで、皆さんの部署へ分けましょう。まず、こちらへ集めましょうか」
「分かりました」
シロが椅子の下へ転がった林檎を拾いました。クロは柑橘を、ペスは葡萄と梨を、ミケは林檎を集めます。タマちゃんも書類の横へ落ちた葡萄の房を持ち上げました。
フーベルトゥスも壁際まで転がった梨を拾います。
集めた果物は、会議テーブルの中央へ置かれていきました。
未カットの梨、林檎、葡萄、柑橘が、会議用の書類の間に大きな山を作りました。
◇ ◇ ◇
アレキサンドリア王国では、果物の山が消えた高級テーブルの上に、囚人服姿の女性が立っていました。
レースの飾りはそのままです。
磨き上げられた晩餐会用の卓上に、痩せた囚人服のおばさんが一人だけ載っています。
「陛下!」
護衛が一斉に動きました。
剣へ手を掛ける者もいます。
「待ってください」
アレックスが片手を上げました。
手には、さきほど取った梨が残っています。
アレックスは囚人服の女性を見て、次に果物の消えた卓上を見ました。
そして、つい先ほど魔王国へ送った返書を思い出しました。
「……さすがに魔王陛下は仕事が速い」
護衛がアレックスを見ました。
「ご存じの方ですか」
「こちらが頼んだ方でしょう」
アレックスはセレナへ手を差し出しました。
「足元にお気をつけください。こちらへ降りましょう」
セレナは少し迷ってから、その手を取りました。
アレックスはセレナをテーブルから床へ降ろしました。
「聖ネメリア国の宗教行政をご存じですね」
セレナは小さくうなずきました。
「お名前は?」
しばらく間がありました。
「……セレナ・カルヴァ」
「分かりました。明日の朝からお願いしたい仕事があります」
アレックスは女性の侍従を呼びました。
「この方をお願いします。明朝の打ち合わせへ入れるよう、今夜のうちに整えてもらえますか」
「承知しました」
「まず入浴と着替えを。食事と寝室もお願いします。筆記具と、旧聖ネメリア関係の資料の用意もお願いします。身柄は魔王国から預かった状態のままです。移動には女性職員と護衛を付けます」
「分かりました」
「明朝は、宗教税の台帳、寺院の組織図、巫女院関係の記録から始めます」
侍従はセレナへ近づきました。
「こちらへどうぞ」
セレナは振り返って、果物の消えた高級テーブルを一度だけ見ました。
そのまま侍従と一緒に部屋を出ていきました。
アレックスは護衛へ向き直りました。
「警戒を解いて大丈夫です」
「承知しました」
次に、晩餐会を担当していた者たちへ目を向けます。
「このテーブルは交換をお願いします。新しいものを同じ位置へ置いて、装飾も同じ形でお願いします。果物も新しく用意をお願いします」
「すぐ整えます」
古いテーブルが下げられました。
新しい高級テーブルが運び込まれ、レースの飾りが掛け直されます。皿と籠の位置を整え、その上へ梨、林檎、葡萄、柑橘がもう一度山のように積まれました。
およそ十分後。
晩餐会の一角は、見た目だけなら先ほどとほとんど同じ状態へ戻っていました。
アレックスは、騒ぎの間も手元に残っていた梨をシェフへ差し出しました。
「では、先ほどの続きをお願いします。皮をむいて、食べやすい大きさに」
「承知しました」
晩餐会は、そのまま十分前の続きから再開しました。
◇ ◇ ◇
魔王国の会議室では、床に転がっていた果物がすべて拾われていました。
会議テーブルの中央には、アレキサンドリア王国の晩餐会から届いた未カットの果物が山になっています。
ポチ、シロ、クロ、ペス、ミケは、それぞれ元の席へ戻りました。
タマちゃんもカタリナの横へ座ります。
フーベルトゥスも椅子を戻して着席しました。
さきほどまでセレナが座っていた椅子だけが空いています。
カタリナは、書類の間に積まれた梨や林檎を見てから、集まった皆を見ました。
「せっかく皆さんがそろっています。もう少しだけ相談しましょう」
全員がそのまま席に着きました。




