第28章 人民解放軍は国境へ届きません。
第28章 人民解放軍は国境へ届きません
収穫期が近づくと、連合国の国境地域では魔王国側から食料が密輸されるようになっていました。
「麦袋を三つだ」
「昨日より高いぞ」
「こちらでも余っているわけじゃない。運ぶ量にも限りがある」
属国民の商人は、国境から少し離れた森で袋を下ろしました。
「よくこの道を通れるな」
連合国側の買い手が周囲を気にしながら言いました。
「何がです?」
「この辺りは大型魔獣が出る」
「わたしたちは襲われませんから」
「魔王国の外なのに?」
「場所は関係ないですよ」
遠くで枝が折れる音がしました。買い手は顔をこわばらせましたが、属国民の商人は荷縄を結び直しただけでした。
「帰りは気をつけてください」
「そっちに言われると腹が立つな」
食料は少量ずつ、国境周辺の町へ流れていました。流通量は国境地域で消費される程度に限られていましたが、住民にとっては大切な食料でした。
◇ ◇ ◇
アルデン公国では、その同じ収穫期に合わせて軍事作戦が準備されていました。
「一か所へ集中した侵攻は、これまで魔王にまとめて処理された」
連合軍総司令官ヴォルフガング・ライナーが、大きな地図の前で言いました。
「今回は国境全域から入ります。侵入地点は百か所です」
「一地点の兵力は減る」
「主目標は農村と食料です。魔王が一地点へ対応している間に、残る地点で作戦を進めます。一種の飽和攻撃です」
「目標を確認しましょう」
「農村、穀倉、収穫直後の畑です。持ち帰れる食料はすべて回収します。運べない分は焼却します」
「村落そのものは?」
「食料生産を継続できない状態にします。翌年分の種子、家畜用飼料、倉庫も対象です」
「住民に死者が出る」
「魔王の支配から人民を解放するためには、解放の過程で犠牲が出ることもやむを得ません」
会議室に反対する者はいませんでした。
作戦名は人民解放作戦。参加部隊は人民解放軍と呼ばれました。
対外発表には、別の文章が用意されていました。
「魔王国とその傀儡政権のもとで、不自由と貧困に苦しむ人民を解放する」
アルデン公国内に置かれた私書箱政府も、国際連合で軍事支援を要請しました。書類上は、正統政府が自国民の解放を連合国へ求めた形になっています。
人民解放軍では、幹部を除く兵士は全員が飢えていました。幹部用の食料は確保されていても、一般兵の配給は少なく、農村から奪う収穫物の存在は作戦目的であると同時に、兵士自身にとって目の前の食料でもありました。
「国境を越えたら村まで何日だ」
「早い隊なら半日だ」
「麦はもう刈ってあるらしい」
「向こうへ着けば食える」
「持ち帰る分を先に確保しろと言われているぞ」
「腹が動かなければ運べない」
兵士たちはそう話しながら、それぞれの侵入地点へ向かいました。
◇ ◇ ◇
ところが、人民解放軍が国境へ到着するより先に、森の中で別の動きが始まりました。
属国化によって人間を食べられなくなったあと、人を獲物にしていた魔物や大型魔獣の多くは、連合国側へ狩り場を移しています。
そこへ百か所に分かれた部隊が、国境沿いの広い範囲へ同時に近づいてきました。
「前方、何か動いています」
「斥候か?」
「違います。大きいです」
先頭を歩いていた兵士が立ち止まりました。
林の奥から大型魔獣が出てきました。国境へ近づいてくる兵士の匂いと気配は、すでに周囲の魔物や魔獣に察知されていました。別の方向からも、数頭の魔物が兵士たちの匂いを追っていました。
「隊列を組め!」
「国境まではあとどれくらいだ!」
「まだ三キロあります!」
兵士たちは武器を構えました。
その頃、別の侵入地点でも同じことが起きていました。
「第十二隊、連絡が途絶えました」
「第二十一隊、予定時刻を過ぎても国境確認地点へ到着していません」
「第三十八隊、伝令が戻りません」
魔物は、一頭で何人もの獲物を確保できました。久しぶりに大量の人間が狩り場へ入ってきています。捕らえた兵士をすぐに食べず、木の枝や岩場へハヤニエのように残し、保存したまま次の獲物を追う個体もいました。
国境から少し離れた村へ向かう道では、属国民の荷車が大型魔獣とすれ違いました。
「今日はずいぶん機嫌がよさそうですね」
御者が言いました。
「向こうで何か捕れたんじゃないか」
大型魔獣は足取りも軽く、二人には興味を示さず森へ戻っていきました。
その先の木立には、見慣れない軍服を着た人間が何人も保存されていました。
「……あれか」
「国境の向こうから来た人ですね」
「だから今日はみんな嬉しそうなのか」
別の街道でも、魔物や魔獣がいつもより満ち足りた様子ですれ違っていきました。百か所へ分散した人民解放軍は、魔物にとっては広い範囲へまんべんなく投入された久しぶりの食料になっていました。
人民解放軍の多くは、魔王国や属国の村落へ到達する以前に捕食されました。国境そのものまで近づけた兵士も、ほとんどいませんでした。
◇ ◇ ◇
その日、カタリナはタマちゃんと輸送路の表を見ていました。
「この製錬所へ鉱石を集めると、完成品を西側の三国へ送る道が長くなりますね」
「はい。こちらの橋を補修すれば二日短縮できます。現在の人員で直す場合、住宅建設班から石工を十二人だけ移す必要があります」
「住宅の方は遅れませんか」
「三日ほど遅れます。その代わり、橋が完成した後は輸送人員を減らせます」
「では、その方がよいですね」
そこで、国境担当の文官が入ってきました。
「魔王陛下、連合国軍が国境へ向けて多数の地点から動いたとの報告です」
カタリナは顔を上げました。
「何か所ですか」
「予定されていたものだけでも百か所近くあります。ただ、国境まで到着した部隊はほとんどありません」
カタリナは地図へ目を落としました。
「……魔物ですね」
「はい。国境周辺の魔物と大型魔獣に、各地で捕捉されています」
タマちゃんが報告書を受け取りました。
「広く分かれたぶん、各地の魔物がそれぞれ近い部隊を襲っています」
「こちらの村の被害は?」
「現在まで、人民解放軍による村落被害は確認されておりません」
「そうですか。では、橋の続きを決めましょう」
「はい。石工十二人の移動からです」
連合国が魔王国の対応を飽和させるために準備した百か所同時侵入は、カタリナが対応する前に終わりました。
魔王国側では、その日も収穫と復興作業が続きました。後にこの侵攻は、連合国が自分たちだけで作戦を始め、自分たちだけで滑って終わった事件として語られることになります。




