第2章 王都が落ちた日 第1章の少し前のできごとです。
第2章 王都が落ちた日
カタリナが「では、始めます」と言うまでには、まだ話していないことがあった。
その日の少し前まで、彼女は王位とは縁の薄い第3王女として、丘の上の離宮で暮らしていた。
13歳になった日、前世の記憶が戻った。
「姫殿下、お顔の色がよくありません」
「少しだけ待ってください」
額を押さえたカタリナの中へ、別の人生が一度に戻ってきていた。
前世の自分は20代の終わりに近い女性で、航空機メーカーの研究者だった。PCで解析し、風洞へ行き、必要なら現場へ出る。航空自衛隊や海上自衛隊の人たちと仕事をする機会も多かった。
その記憶が戻っても、いまの13年間が消えたわけではない。
カタリナは以前から転移魔法を使えた。
この世界では、人によって使える魔法が違う。カタリナが生まれつき持っていたのが転移魔法だった。転移魔法では、一方の場所から物を消して別の場所へ増やすことはできない。同じ体積のものを、2つの場所で交換する。
そこまでは、13歳のカタリナも知っていた。
前世の記憶とともに得た、知らないはずの言葉まで理解できる力は別だった。これは、この世界で普通に身につく魔法ではなく、転移者や転生者だけが持つ言語の力だった。
ただし、何を動かすと魔力を多く使うのかを、前世の研究者だった自分は別の目で見始めた。
水を少し。
距離を変えて、もう一度。
今度は密度の違うものを、ごく小さな量だけ。
大がかりな実験をする時間はなかったが、条件を変えれば何が効いているかは見えてくる。
必要魔力 ∝ 密度比 × 交換する質量 × 距離
「……これなら、使い方がずいぶん変わりますね」
「姫殿下?」
「こちらの話です」
そのとき、離宮の外が騒がしくなった。
「何がありました」
「近くの村から逃げてきた者たちです。1000人ほどおります」
「1000人も?」
「帝国軍が村を焼きながら進んでいます。逃げるのが遅れた者は、殺されています」
カタリナは立ち上がった。
「食べ物は?」
「持ち出せたものはわずかです。ただ、畑の麦にはまだ火が移っておりません」
「麦は守ってください。そこまで燃えたら、この先がありません」
離宮は丘の上にあるだけの小さな建物だった。城壁も堀もない。王家が持ついくつもの離宮の1つで、軍事的に重要な場所でもない。
そこへ、王都から数人の近衛兵が駆け込んできた。
1人は、布に包んだ箱を両手で抱えていた。
「姫殿下」
「王都からですね。父上は?」
近衛兵は兜を取り、一度だけ息を整えた。
「王都は落ちました」
「……そうですか」
「レオン4世陛下、皇后エイレーネー陛下、それから姫殿下より王位継承順位の上におられた方々は、帝国軍に捕らえられ、処刑されました」
「全員ですか」
「はい。遺体は王宮の壁に吊るされています」
父王は Λέων Δʹ ὁ Χάζαρος(レオン4世・ホ・ハザロス)を詐称し、皇后は Ἐιρήνη ἡ Ἀθηναία(エイレーネー・ヘー・アテーナイア)を詐称していた。
国そのものも Δυναστεία Ισαύρων(デュナステイア・イサウロン)を詐称している。
相手の帝国も Βασιλεία Ῥωμαίων(バシレイア・ローマイオン)を詐称していた。
どれも本当にその古い王朝や国家を継いでいるわけではない。この世界では、権威のある古名や称号を詐称することは珍しくなかった。
「父上たちは、逃げられなかったのですか」
「逃げようとはされました。しかし、帝国軍の進軍が早すぎました。ほとんど身1つで王宮を出られ、それでも間に合いませんでした」
「その箱は?」
「国璽など、王権を示す品々です。王宮に残されていました。陛下方の処刑を確認したあと、我々が持ち出しました」
「父上から、わたくしへ渡すよう命じられたのですか」
「いいえ」
近衛兵は首を振った。
「何も譲られてはおりません」
「では、なぜこちらへ?」
「姫殿下より上位の継承者が全員亡くなられた時点で、法律により王位は自動的に姫殿下へ移っています。国璽は、そのあとでお届けしただけです」
カタリナは箱を見た。
「わたくしが、もう女王なのですか」
「はい。カタリナ女王陛下です」
母だけは、彼女をカトリーヌと呼んだ。
異国の王女だった母は、側室としてこの国へ迎えられた。父や宮廷の者は、この国の呼び方でカタリナと呼んだ。
皇后エイレーネーは母ではない。
異母の兄弟姉妹とはもともと距離があり、カタリナ自身も王家の中で大切に扱われてきたわけではなかった。家族と離れ、この離宮で暮らす生活はすでに日常だった。
王族が処刑されたと聞いて悲しくないわけではない。
けれど、突然世界に1人だけ残されたような感覚とも違った。
「わたくしは、まだ13歳です」
「存じております」
「年齢で王位継承が止まる制度ではありませんものね」
「はい」
近衛兵の返事は真面目だった。
「それで、帝国軍は?」
「こちらへ向かっています。およそ5万。ほぼ全軍です。離宮にいる我が方の兵は、全部合わせても20人ほどです」
「5万対20」
「戦いにはなりません。陛下だけでも逃がすべきだと考えます」
カタリナは窓の外を見た。
丘の周囲には、村から逃げてきた1000人ほどの人々がいる。
「わたくしだけ逃げたら、その方々はどうなります」
近衛兵は答えなかった。
「王都で王族を全員処刑した帝国が、次の女王だけ見逃すとも思えません」
「……はい」
◇ ◇ ◇ ◇
王都では、その少し前まで帝国軍の勝利処理が進んでいた。
「第3王女の居場所は分かったのか」
「はい。捕らえた王族から聞き出しております。丘の離宮です」
「王位継承は?」
「上位者が死ねば、自動的に次順位へ移るとのことです」
帝国軍の指揮官は短くうなずいた。
「では、その娘が新しい女王ということか」
「そうなります」
「国家を残すな。全軍を向かわせる」
すでに王都は落ちていた。
王宮にいた王族は処刑され、占領行政のための帝国貴族も入り始めていた。帝国軍にとって、丘の離宮に残った13歳の少女は、戦争を終わらせるための最後の対象にすぎなかった。
帝国軍は牧草地へ入った。
5万人近い兵が隊列を作り、騎兵も荷車も続いた。丘の上に見える離宮には、城壁も堀もない。
「これが王宮か?」
「違います。王女が住んでいる離宮です」
「兵は?」
「わずかだそうです」
将校は丘を見上げた。
「それで全軍を呼びつけたのか」
「確実に終わらせろ、との命令です」
「まあいい。今日で帰れる」
兵たちの間にも、戦いが終わった空気があった。
王都を落とした。王族を処刑した。残るのは小さな離宮と、13歳の新しい女王だけだった。
やがて、牧草地の端で兵が1人倒れた。
「どうした」
「分かりません」
別の場所でも兵が座り込んだ。
馬が急に脚を折り、騎手が投げ出される。旗が落ちる。列の中央でも人が倒れ始めた。
「何が起きている」
「敵襲ではありません」
「では、何だ」
答えられる者はいなかった。
矢は来ない。丘から兵も下りてこない。爆発もない。それなのに、立っている兵が急速に減っていった。
「隊列を――」
命令は最後まで届かなかった。
伝令役も、将校も、荷車の御者も、騎兵も、同じ牧草地にいた。
誰も、何が起きているのか分からなかった。
そして、その理由を帝国へ持ち帰る者もいなかった。
初日なので、3章分をアップロードしました。
明日以降は毎日1章ずつのアップロードです。




