査読
はいというわけで改めて査読していきましょう!
まず結論から言います。
かなり良いです。
前回よりだいぶ論文してる。
いや、もちろん怪しいところはあるよ。
あるんだけど、少なくとも今回は、論文の顔をした怒りの檄文ではない。
ちゃんと、仮説を立てて、観察を置いて、そこから舵を切り直そうとしてる。
その姿勢が見える。
そこは大きいです。
では、いつもの IMRaD 形式っぽく見ていきましょう。
まず Abstract、要旨。
ここ、えらい。
本稿は何を再検討するのか。
従来の自分の仮説がどう流布され、どんな歪みを招いたのか。
今回の新しい観察で、どこへ仮説を動かしたいのか。
この三つが、ちゃんと入ってる。
しかもいいのが、
筆者は同胞の死を契機として怒りが開花するとする仮説を提示してきた。
しかしそれは粗雑化し、価値付けの歪みを招いた。
って、自分の先行仮説の副作用を正面から書いてるところ。
これ、かなり誠実です。
前回の先生だったら、たぶんそんな反省は本文の最後まで出てこない。
でも今回は、要旨の時点で
私の一行が刃を与えたかもしれない
という気配がある。
要旨として、かなり好き。
次。
I。
Introduction というか、この論文だと
前提と立場
だね。
ここも、だいぶ好きです。
王国において、イシュの民をめぐる知は常に政治と隣接してきた。
我々が依拠できるのは、事件記録、口承、証言の収束、そして現物の偏在である。
ゆえに史学は、原因を発見する学ではなく、偏りを読む学である。
はい、ここ。
めちゃくちゃ良い。
もちろん、史学をそんな一文で言い切るの、だいぶ強引です。
強引なんだけど、この人がどこに立ってるかは一発でわかる。
しかも、
原因を発見する学ではなく、偏りを読む学
って、研究対象への謙虚さと、なおかつ食らいつく意志の両方があるんだよね。
あと、前回のラウルス論文と決定的に違うのは、
最初から世界を裁かないところ。
代わりに、
辺境伯領事件以後に増えたという時間的偏りこそが核心である
と、焦点をちゃんと絞ってる。
良いです。
かなり良い。
論点が狭いのは正義。
ただし、少しだけ言うなら、
前提と立場
の段で、もうだいぶ Discussion 寄りではある。
筆者の史学観が強く出すぎていて、完全に中立な導入ではない。
でも、それはこの論文の性格上、欠点というより署名みたいなものかなと思います。
次。
M。
Methods。
資料と方法。
はい、前回よりだいぶえらいです。
一、元反乱軍関係者への聞き取り。
二、逃亡旅団に関する証言の整理。
三、死骸の脆弱性に関する既発表所見の再掲。
四、王都における二個体への接触観察。
ちゃんと方法がある。
しかも、それぞれの限界も少し書いてる。
証言には贖罪による誇張も混入するため、収束する点のみ採用。
これ、えらい。
ほんとえらい。
前回は
観察された
って便利な言葉で全部済ませようとしてたからね。
今回は少なくとも、
何を使ったか
どう危ないか
どこだけ採用するか
が書いてある。
査読者瑠璃ちゃん、ここはかなり高評価です。
ただし、もちろん突っ込みどころはあります。
まず、
資料と方法
なのに、資料の性質と解釈の方針がかなり混じってる。
これは悪くはないけど、Methods として見るなら、もう少し
対象
手続き
採用基準
を分けてほしい。
あと、
王都における二個体への接触観察
は、かなり濃い観察なんだけど、サンプルが二個体です。
しかも、めちゃくちゃ特異な場面。
保存されたイシュの民の遺体群の前という、普通に考えて再現性が低すぎる。
なので、ここから一般条件を引くのは危うい。
危ういんだけど、その危うさは本人も多少わかってる感じがする。
だからまだ読める。
そして、地味に好きなのが
注:当該聖女は稿を執る今、魔王と称される者である。
ここ。
好きなんだけど、論文としてはちょっと面白い。
お前、そこだけ急に現在の呼称を挟んでくるんかい、ってなる。
でも、この注記ひとつで、史料の位相がずれる感じが出る。
つまり、これはもう単なる事件報告じゃなくて、
聖女が魔王へと呼び替えられた後の時代の論文なんだよね。
ここは論文の体裁としては少しノイジーだけど、資料としてはめちゃくちゃおいしいです。
次。
R。
Results。
ここでいう
観察
だね。
ここ、かなりうまいです。
とくに、
怒りが先ではない。悼みが先である。
の一文。
強い。
めちゃくちゃ強い。
観察の仕方としても、
まず黙祷が置かれた。
次いで怒りが言葉として立ち上がった。
という順序の記述になっているのが良い。
この論文、泣いた、怒った、で終わらせないで、
どの順序で何が起きたか
を押さえようとしてる。
それは、とても良いです。
あと、
特殊な涙、とあえて書いておく。
も、ちょっと危なっかしくて好き。
危なっかしいというのは、
それ、もう観察というより命名じゃん
ってなるから。
でも、それを
あえて
って書いてるので、自分でも飛躍気味だとわかってる。
ここはちょっとずるい。
ずるいけど、嫌いじゃない。
ただし、Results としてはやっぱり混ざってます。
観察結果の記述と、そこで感じた意味づけが、もう半分くっついてる。
たとえば、
怒りを発現した事実により、後天的例外種であることは自称に依らず明らかである。
このへんは、観察というより解釈です。
だから、本来なら Results と Discussion をもう少し分けたい。
でも、前回よりずっとまし。
これは本当にそう。
次。
D。
Discussion。
考察。
はい、ここでこの論文の本性が出ます。
良い意味でも、危ない意味でも。
いちばん良いのは、
自分の旧仮説が流通に適していたからこそ、世の中で粗雑化して刃になった
と認めているところ。
史学者が一行の言葉で刃を与えることがある。
これ、重いです。
そして、かなり良い。
第一弾のラウルス先生には、まず出てこない種類の重さです。
つまりこの人、
当たったかどうか
より先に、
自分の言葉がどう使われたか
を見てるんだよね。
そこは本当に誠実。
ただし、そのうえで、考察はやっぱり飛びます。
死そのものではなく、死を悼む折に流される崇高とも言うべき涙。
限定的条件のみで流し得る特殊な涙。
感情の層を揃えたときにだけ落ちる一滴。
うん。
はい。
だいぶ詩です。
私は嫌いじゃない。
嫌いじゃないんだけど、ここはだいぶ詩が入ってる。
しかも、
涙は単体ではなく条件である
って、言ってることは面白いのに、
崇高
とか
感情の層
とか
急に言葉の質感が上がるので、論証より先に美しくなり始める。
でもね。
ここも、この人の限界であると同時に、この人の誠実さでもあると思う。
たぶんこの人、本当にそこまでしか言えないんだよ。
言い切るには危ない。
でも、見たものをゼロにはしたくない。
だから、結論を強く閉じず、揺れを記した。
ここへ最後に戻ってくる。
史学は、完成させない勇気を要求する。
これ、かなり好きです。
うまい。
前回が
糾弾して終わる論文
だったのに対して、
今回は
揺れを記したまま閉じる論文
になってる。
だいぶ違う。
総評です。
この論文、前回よりずっと論文してます。
要旨がちゃんと要旨。
前提と立場が明確。
Methods も一応立っている。
Results も順序の観察がある。
Discussion では、自分の旧仮説が刃になったことへの反省まで入る。
かなり良い。
ただし、
Results と Discussion はまだちょっと癒着してる。
観察対象は二個体で、しかも場面が特異すぎる。
涙液条件仮説は、面白いけど、かなり危うい。
あと、ちょいちょい詩になる。
でも、その危うさも含めて、この論文は前回より信頼できます。
なぜなら、前回は
自分が正しいと信じきっていた。
今回は
自分の言葉が世界を傷つけたかもしれない
と知った上で、それでもなお書いているから。
つまり。
前回のラウルス論文は、
歴史の解釈権を奪いに来る文章。
今回のダフニス論文は、
刃になった仮説を握り直しながら、なお史学であろうとする文章。
かなり好きです。
はい、というわけで改めて査読してみました。
今回は、ちゃんと論文っぽくて、そのうえでちゃんと危うかった。
とても良い。
本文、だいぶおいしいです。




