第13話:ブラックアウト
8月5日。
目が覚めた瞬間、僕は世界から「鮮やかさ」が消えていることに気づいた。
空はどんよりとした灰色に濁り、木々の緑は煤けたように色褪せている。
視覚だけじゃない。蝉の声も、肌を撫でる風の感触も、ひどく薄っぺらい。どこか遠くの粗悪なスピーカーから流されているような、平坦で奥行きのない世界に変わっていた。
(……限界、なのかな)
何度も死に、何度も脳を焼かれた代償。
僕の精神か、あるいはこの「ループする世界」そのものが、これ以上の維持に耐えきれなくなっている。そんな得体の知れない予感が、鉛のように胸に溜まっていく。
重い足取りで外へ出た瞬間。
僕は息を呑み、足を止めた。
村の広場の中央に、昨日までは影も形もなかった「黒い柱」が突き立っている。
大人が見上げるほど巨大で、重厚な金属の筐体。
表面には無数のコードが血管のように絡みつき、青、緑、赤……五色の小さなランプが無機質に点滅している。
「これ、なのか……?」
四つ目の難題、『龍の首の珠』。
この古びた因習村には絶対にあるはずのない、巨大なサーバーラックのような物体。
なのに、不思議と違和感はなかった。むしろ、ひどく懐かしいような、どこかで何度も見上げ、絶望したことがあるような、強烈な既視感がこみ上げてくる。
ふらつく足で近づき、その柱に触れた。
冷たい。けれど、分厚い金属の奥で機械が唸るような微かな振動が、指先から脳の髄へと直接響いてくる。
ふと視線を落とすと、泥にまみれた土の中から、ひときわ太い黒色の電源ケーブルが伸びているのが見えた。
(……抜かなきゃ)
壊すんじゃない。機能を止めなければ。
強迫観念に近い本能が、僕の体を動かした。
泥の中に跪き、命綱のような太いプラグを両手で掴む。
異常なほど重い。まるで、僕自身の心臓の血管を直接鷲掴みにしているような、嫌な汗が吹き出す。
――やめて。だめ。
また、紗夜の悲鳴が聞こえた気がした。
けれど、僕は奥歯が砕けるほどの力を込め、そのプラグを力任せに引き抜いた。
バツンッ!!
鼓膜を破るような爆音と共に、世界が「割れた」。
空の灰色がガラスのようにひび割れ、剥がれ落ちていく。
広場の土も、木々も、データが欠損したように四角いノイズとなって崩壊していく。
重力も、温度も、僕自身の肉体の輪郭すらもが、強烈な遠心力でバラバラに引き裂かれるような絶対的な「断絶感」。
激しいノイズの波が僕を飲み込み――次の瞬間、視界が全く「別の景色」に切り替わった。
「……あ?」
眩しすぎる白い光。
無機質で、冷たい天井。ひどく強い消毒液の匂い。
見たこともない部屋だった。僕は、手術台のような硬いベッドに仰向けに縛り付けられている。
白衣を着た、見知らぬ大人たちが僕を見下ろし、慌ただしく叫んでいた。
『波形停止! 被検体が自死プロセスに入りました!』
『コネクタを戻せ! 早く除細動器を撃て!!』
男の一人が、何か重い機械を僕の胸に押し当てた。
――ドンッ!!
「ア、ガァァァァァァッ!!?」
雷に直接打たれたような、致死量の激痛。
背骨が反り返り、全身の血管が沸騰する。痛い。痛い。殺される。
『まだだ! シナリオの修復は諦めろ。防衛障壁はもう保たない、強制的にスキップして深層へ飛ばせ!』
『出力最大。無理やり再起動します!』
再び、胸に強烈な衝撃。
視界が真っ赤に焼き切れ、僕の意識は、絶叫と共に底なしの暗闇へと突き落とされた。
*
「――ガ、ハッ……オェェェェェッ!!」
気管に詰まった何かを吐き出すように、僕は布団から畳の上に転げ落ちた。
何も出ない。胃液だけが口の端から垂れる。
息ができない。肺が焼け焦げたように熱く、全身の筋肉が痙攣して自分の意思で動かせない。
「あ……ぁ、うぅ……っ」
指先から頭のてっぺんまで、巨大なトラックに何度も轢き潰されたような、めちゃくちゃな苦痛。
畳に爪を立てて這いつくばり、過呼吸になりながら、僕は歪んだ視界で周囲を見回した。
……木目の天井。ふすま。
村長屋敷の、僕に割り当てられた客間だ。
さっきの白い部屋は? 縛り付けられていたあの感覚は?
痛みに震える手で、枕元のスマホを引き寄せる。
画面の表示を見て、僕は息を呑んだ。
『8月14日 23:00』
「う、そ、だろ……」
歯の根が合わず、声が震える。
明日、8月15日は、紗夜が連れ去られる運命の日だ。
プラグを引き抜いた僕は、あの異常な空間で何日も意識を失っていたのか?
恐る恐る、メモアプリのリスト画面を開く。
四つ目の『龍の首の珠』には、打ち消し線が引かれている。
だが、問題はその下だった。
五つ目の難題、『燕の子安貝』。
まだ指一本触れていないはずのその文字が、激しいノイズと共にチカチカと明滅していた。
――ジジッ、ガガガッ!
画面がバグったように乱れ、次の瞬間。
五つ目の文字の上に、ひび割れたような太い線が「勝手に」引かれた。
壊していない。
正規の手順を踏んでいないのに、最後の結界が、無理やりこじ開けられた。
世界がバグを起こしてでも、僕を「この先」へ進ませようとしている。
――トントン。
静まり返った暗い部屋に、ふすまを叩く乾いた音が響いた。
「……だれ?」
返事はない。
ただ、薄いふすまの向こう側に、誰かがじっと立っている気配だけが張り付いている。
這いつくばったまま、僕は痙攣する足に無理やり力を込めた。




