195話 されば帽子は世界の過去を辿る
うまくいかない
忸怩たる思いに押し黙る
そんな者に気遣って
話は少女の
世界の過去へ
残酷な歌が
地下に響くとき
かっぽ、かっぽ。目に眩しい朽葉色のブーツを子供じみて高く上げ、火の灯った埃っぽい廊下を歩く。
「んふふっ、あむっ」
もう1枚を口に放り込む。ふくふくとした表情に、ぽってりとした頬が膨れて、まるで太陽のような笑顔が咲いた。
その身に帯びるのは、少し大きめのベストとギリギリ補修ができたスカート。
指輪を外してマナを溜めてようやく、それが手一杯だった。足を上げるたび、ちらりと白く光るふとももが見える。
驚いて、漏らして、脱げて、蹴られて、衆目で脱がされて。さんざんに壮絶をふりかけたような辛い夜でもムルルは、ご機嫌だった。
そのふっくらとした小さな手には焼き菓子がちょん、と数枚乗せられている。
チョコレートクッキー改め、あまあまさくさく。それはなんの特徴もないただのありふれたお菓子の改良版だった。
散歩するように歩くご機嫌な歩調に合わせて、明人とクロトも後につづく。
じろり。こちらを横目で、咎めるように細める。
「……フニーキさん。餌づけって言葉知ってますか?」
光沢のある黒い靴が床を踏むたび、たわわに実った果実が鼓動した。
「知ってるし、いまさらだ」
それでも明人は、意に介さないよう振る舞う。
はじめは多少ぐずったが、泣いてた雛はもう笑った。
たかだか甘味、されど甘味。活躍の場は1度や2度ではない。あまあまさくさくを食べた女性は、すべからく笑顔になる。もはやそれは、桃太郎のきび団子と同義になっていた。
思わずとでもいいたげに、小さな頭を収めた三角帽子も重いため息をつく。
「まッパ見られて菓子如きッてワタシちャんさんちョれーなァ……。オレちャん将来ガ心配ダゼェ……」
ギィギィと木板を喘がせて、当初の予定通りに研究室へ向かう。
そんな道すがらクロトは、薄い手のひらを熱い胸の前でぽんと叩いた。
「チャムチャムって、この指輪のことをどれくらい知ってるの?」
「おォ? 突然ダなお嬢ちャん。いきなし確信たァなかなか気ガ早いジャないの」
ちらり。奥ゆかしくメイクされた瞼がぱちくり。
横行くものに、気づかわしげな視線を泳がせる。
「……」
失敗つづきに足どりは重く。彫像のように色の抜けた明人は、粛々と行く。
油断と、失態と。隠そうにも隠しきれぬ罪悪感が重りのようにのしかかっていた。
「まあまあ。そんなこと言わずに、ねっ?」
希望するように両手を合わせて、眉寄せのウィンク。
可愛らしくポーズを決めれば一緒になって短な丈が、ふわりと波うった。
するとチャムチャムのてっぺん部分が、微かにヒクつく。
「んまァ、そうダな……。グヒヒッ、キャワゆいお嬢ちャんとも1戦交えた仲ダし、教えてやるか」
まるで犬の尾っぽのように先っぽがぐるぐると円を描く。
「サンキューチャムチャムっ!」
色気の使い方を覚えたクロトは、安易に1つの帽子を説き伏せた。
喜びに任せるよう両手を上げると、鞠の如き球体も弾み、「ウッヒョー」と汚い声が上がる。
「そうダな。まズは順を追ッて、ワタシちャんさんガここにいる理由から話そうかねェ」
いつもよりも声色が紳士的になって、説明がはじまった。
明人もむっつりと口を一文字に引いて、耳を傾ける。
拡散する覇道の意思によって持ち込まれた研究の内容は、およそ一生分の過去にまで遡った。
1つは、不死を作ること。もう1つは、翻る道理の研究と解明なのだとか。
「あれ、不死を作ること? それも王様の依頼だったの?」
「そりャそうさ。グラボケカス野郎くらいになると徹底してらァな」
「……ふーん?」
それからは、救済の導と神より賜りし宝物の相互利用がはじまったという。
送られてくる奴隷たちと、それを使った研究内容の開示は、互いに利益をもたらすもの。互いに利を生むならば断ろうはずもない。
まず研究者たちがとりかかったのは、永遠の命を作ることだったらしい。
ヒュームの身でありながら永遠の命を得るための手段を欲したのだ。
奴隷を切って、捨てて、削って。決してまっとうではない研究者たちだが、あふれるほどの資材と資金を得た。
あらゆる手を尽くして、どれほど残酷であろうとも道理と闘う。
「そこでハリムさんのような不死が生まれたってこと?」
「ま、ありャ革新的な失敗作ダッたガな。ほんデもッて、そこデいッたん研究は、打ち切り。念のために言ッておくガ後任のワタシちャんさんの親父さんは、それに関わッてねェ」
クロトとチャムチャムの話題が自身の父となっても、ムルルはお構いなし。
食べ終わった手皿を、指を、ピンク色の舌で猫のようにぺろぺろと舐めている。
「ふぅん……。でも、どうしてだろ? 王様は死を思わなければ死なないんじゃないの?」
「……ハァ。誰も自分に使うダなんて言ッてねェダろ」
「え? 自分に使わない? それってどういうこと?」
「それガ話しのミソよ。黙ッて聞いてな」
時を経てムルルの父は、後任の主任となる。
混血を生みだすために躍起になって研究にとりくんでいたため周囲からいたく評価されていたのだとか。
「……だろうな……」
これには明人も納得だった。
なにせ誘拐されて望まぬ行為を強要されたものたちを実際に見ている。
犠牲者の数は、かなりのもの。研究に性という言葉が加われば、まさに理想郷だろう。そして攫われたものにとっては、対義語のはず。
とかく混血を――魂の存在数が決まっているルスラウス大陸にヒュームの血を残したい。そんな思いに突き動かされるようムルルの父は、依頼をそっちのけで混血の研究を推し進めた。
翻る道理も不死も関係のない、混血の研究がおこなわれていく。
それが明人には、どうにも納得がいかなかない。意図せず口が質問を投げる。
クロトとチャムチャムの会話に割って入る。
「なあ? その間に翻る道理と不死の研究は、してなかったのか?」
久々に口を開いたからか。声は、痰が絡んでいつも以上に野太かった。
するとつらつらと語りをすべらせていたチャムチャムの先っぽの動きが、ついと停止する。
「おッとッとォ? 蹴りィ食らわせてくれちャッたオマエさんには、怒り心頭真ッ赤ッ赤ダゼェ? そう簡単に答えると思う――おろろッ?」
否定の間。気づけば明人に寄り添うようぴったり隣に、ムルルがちょこちょこと歩いていた。
「……ふにー……」
くいっ、くいっと。小さな指先で、筋肉の浮いたパイロットスーツの腕のあたりをついばむ。
フニー。それは新たなあだ名だった。ダープリに次いで新たな敬称が与えられた。
いったん会話を切って。明人は、腰のポーチから1枚の焼き菓子をとりだす。
手渡そうとすると、ぱくり。
「んふふー……!」
嬉しそうに両手で頬を押さえながらムルルは、指ごとあまあまさくさくを頬張った。
したり顔で明人は、指に濡れた柔らかい感触を味わいつつ。目の前で揺れるチャムチャムを見下す。
「グッ……! 菓子如きデ完オチしてんジャねーか! ワタシちャんさんのために怒ッてるオレちャんの立場よォ!?」
先っぽが強引にぐるぐると、まるで怒りを表現するように振られる。
だから明人は、これ見よがしにもう1枚をとりだして、ムルルに食わせた。
「……あまあまぁ……さくさくぅ……!」
とろり、とろける。
「わァッたよ! 話しャいいんダろォ!? ラブラブすんなボッケェッ! 相棒を寝取られた気分ダゼ!」
それを横で見つめるクロトも、ため息のような笑みをこぼす。
先ほどとは違って喧々としながらチャムチャムの語りが再度はじまる。
いつしか道のりは、下からぶち破られた穴のなか。何の変哲もない、辺りと変わらぬ部屋に入ってから、ごつごつした石の階段へ。
教会の下にある廃屋の1階よりも、更に深い深淵へと潜り込む。
クロトの指先には蒼の光球――《ライト》の魔法が浮かんで、明人の手を引くムルルごと照らす。
もはや当たり前のように魔法を使うが、やはりオカシイ。
指輪の魔法であれば、吸われずの支援が可能だと考えたと過程して。人間には、いくら唱えても魔法が使えない。
泣きっ面に蜂。失敗と困難を経験した。
落ち込んだ明人は、虚ろな目をしてやかましい声を耳を傾けることにした。
「んデダなァ。グラカス野郎は、翻る道理のオリジナルをもッて帰ッちまッたんダよ。模造品がひとつダけ完成してたから研究はつヅいたガな」
研究は、混血をメインとしつつも分担という形で行われていた。
しかし決してうまくはいっていなかった。
翻る道理は、まるで神に手を伸ばすようで、まったく理解が及ばない。
混血は、あくまで可能性の話。当たりを引くまで天文学的確率を望んで交わることでしか解決しない。
不死は、膨大な犠牲を払う。どれだけ時が経っても、いっこうに成果は得られない。
そこでついに今まで研究所を放置していたグラーグンが痺れを切らす。
「んデ、ついにワタシちャんさんガ囚われたわけよ」
「はやくしろー、って父親に脅しをかけるために娘を閉じ込めたってこと!?」
交換条件。聞いていた明人もクロトと同じことを思った。
娘を返してほしければ、という王道かつ効率の良い上等の流れである。
しかしチャムチャムは、ツバを上下させながらまったく別のことを言う。
「んにャ。……まあ、最初はそうダッたんダろうなァ? でも途中からワタシちャんさんに不死と翻る道理の研究させはジめたんダ。こんな暗い穴グらに押し込めてなァ」
するとその真下からポツリと、か細い声が聞こえてくる。
「……だから……寂しかった……」
目を伏せれば、大きな帽子に顔が隠れてしまう。
ムルルの心中を察しつつ。明人は、その小さな手を握ったまま階段を降りる。
「……ありがと……」
小さな小さなお礼だった。
コツリコツリ。岩壁に反響する足音が闇のなかへと消えていく。
「そとはエーテル、なかは研究所。なら、やることはひとつダァ。んデ――」
チャムチャムの雑音とともにぼんやりと蒼い視界の先が開けていく。
「先日、うちの子ッたら優秀すギて不死の薬を完成させちャッたわけ。次の聖女に飲ませるためのヤツをダ」




