192話【VS.】うつろいゆく道理を転換する少女 Unkown
足裏に細身を蹴った余韻を残した明人は、残心を執った。
執行したのは死への誘い。もし少女が動かぬならば、腹を減らして、股の肉芽を滾らせた屍肉の群れに呑まれる。
第1にこの少女が消えることはこちらにとって非常に都合がいい。
明人の介入と研究所への侵入を上へ報告されることこそが、もっとも避けねばらぬ案件だった。
それに帽子は、地下があると言った。これほどの数のグールが湧いたのならば1階の湧き場を探せばたどり着く。たとえ生きた情報が得られずともそれでいい。
なにせ少女は、敵である。
躊躇ない冷却をされたならば――蘇るとして仲間を屠られたならば、生死の天秤も死へ傾くというもの。
「生きてる女の子をグールに食べさせるなんてこんなのひどすぎですよッ!」
「殺しに年も性別も関係ない。ハリムがいなかったらクロト、オマエが殺されてたんだぞ」
イヤに小うるさいクロトが細く描かれた眉を寄せた。
それを眼下に収めた明人も、思わず怒りを顕にする。
まさか、いやそんなはずが。そんな不審感が脳裏をかすめた。
「クロト……。オマエまさか……さっき帽子の言った話を信じたのか?」
転んで漏らして脱げていじける。そんあB級ホラーにコメディを混ぜるような展開を安直に信用できるはずがない。
少なくとも懐疑心の塊である明人では、敵の言葉をすんなり飲むなんてありえない。
しかし、キョトン。そんじょそこらの女性が嫉妬するであろうキュートな顔に、クエスチョンマークが浮かんだ。
「え? 違うんですか?」
はらり。ハートのピンで止められていない部分の前髪が揺らぐ。
これにはさすがの明人も頭を抱えざるを得なかった。脂ぎった髪を機械油臭のする鉄板入りグローブでかき乱す。
「オマエなぁ……どんだけ真っ直ぐに育っちゃったんだよ……」
「え? あ、ありがとうございます……?」
「褒めてないぃぃ……」
なんとなく察してはいた。
ヒュームであるクロトは、あれだけのことがあったにもかかわらず人が良い。過酷なまでに良すぎる。
サナとルナ。愛するふたりの乙女を悪漢の管理者に弄ばれても、それを友と呼ぶ。澄みきった心をもつクロトの目には、バアルノス・ディール・ティールが未だ友だちに映っていた。
その癖に意気地だけはある。双子のためならば、今のように命を張ることだってできる。
それは人が良すぎて騙され、利用されるタイプだった。
ここまで目の前に現れた異質の素性すら尋ねず。ちょこちょこと飼い主を信頼しきった子犬のようについてくる。
従順で純粋。それはこの場に至っては、対比と対立の構図を生む。
「でも、ほら! あの子あんなに苦しそうじゃないですか! 演技なんてしてないですよ!」
「そりゃ本気でソバットしたからね。あれが演技だとしたらアカデミー賞ものだ」
そして純真と不順。
「本気で蹴ったんですか! 未来ある女の子のお腹ですよ!」
「顔は狙わなかっただけ良しとして欲しいかな」
明人とクロトは、まるで正反対だった。
呑気に見える1人とひとりは、立ち止まったままに。少女の最後を見届けんとする。
明人たちが襲われることは、きっとない。追っていたのは、少女のはたはた揺らぐ尻だけ。
意思もつゾンビはきっと最後の瞬間で、こう命令したのだろう。
言葉通りに守れ、と。でなくば、出会ってもいないグールたちが不自然に動くはずがなかった。
それをなぜ明人が知えているのかといえば、当たり前意外の何者でもない。ドワーフとエルフとの戦争。はじまりの死闘。山颪の街イェレスタムにて振る舞われた力を覚えないはずがない。
だからこそ、それもまた重要な歯車のひとつでもある。
「agaaaaaauuulllll!!」
「giiiiiiieeeee!!」
そうこうしてる間にもグールの群れが濁流の如く飛びかかろうとしていた。
目的は、木床の埃を体にまぶすようもがき苦しむ少女へ。
エルフのグールは、顎が外れるほど歯抜けの口をかっ開いて、ドワーフのグールは破けた皮膚から筋を見せて、もはや種族すらわからぬほど原型をとどめていない肉塊も、横たえた少女に覆いかぶさらんとする。
「僕……たぶんフニーキさんのようには生きられないです……」
そう蚊の泣くようにクロトは、呟いた。
紺のブラウスからチラリとはだける胸元で、唇と同じように手を結ぶ。
侮辱か侮蔑か。とりようによっては尊敬とも受けとれる。
「当たり前だ。現にオレと同じ境遇で育った連中はもう1人足りとも生きてない」
曖昧なメイド少年の横で明人は、朴訥と答えのない問いに応じた。
「げっぇ、っほ……! あ、ぐっ!」
だらしなく涎を舌から滴らせながら少女は、顔をぐしゃぐしゃに歪めた
喉を鳴らして床には嗚咽からこぼれた水たまりができていた。
ぺたんと尻を地面につけた1輪のか弱い花は、今まさに踏みにじられようとしている。
時が止まってしまった薄ら寒い廃屋で、グールたちの満たされぬ情欲に四肢を剥かれて、胃の腑のなかで朽ち果てる。
「ッ、ぅ!」
しかし咄嗟に少女は、汗で頬に貼りついた髪を振り乱すように後方へ手を掲げた。
当然その手には、蒼い指輪が握られている。
「な、そんな! 無詠唱で魔法を使うなんてありえない!」
驚き孕んだおよそ男とは思えぬ声がクロトの薄い唇より木霊した。
寸での背後でグール共が止まった。隔てるのは、透明がかった蒼い壁。おそらく防御魔法であろう壁。
止められたグールたちは、後方より押し寄せる暴徒たちに押される。圧迫された先頭がザクロのようにひしゃげて潰れ、どす黒いシミへと姿を化かす。
あれよあれよと連鎖がつづいて、見る間もなく蒼の壁向こうで、腐肉と腐汁のつみれが完成した。
「……ほふ」
その様を目の前にした少女の頬が、緊張を溶かすように微かに緩んだ。
「ヒュー、あブねェ! 《プロテクト》は、まだ切らねェほうガいいゼ? 切ッたらまァた押し寄せてくらァな。まあワタシちゃんさんガお望みなら止めねェけドよォ?」
「……んーんー……」
ぶんぶん。豪快に盆のようにツバの長い帽子ごと、頭を横に振る。
「ならよしダ。しッかし今回の賭けは、ワタシちャんさんの勝ちダァな」
「んっ」
少し満足げにやや膨らんだ胸を張った。
その姿は、年相応。笹葉の長耳でなければ、幼体よりは気持ち成長する余地がある。
毛深くなければ、ヒレもない。豆粒でなければ、女性である。この環境下に置かれたことも交えれば、ヒュームと見るのが妥当だろう。
「しャーねェ。ワタシちゃんさんのいう通りダッたゼェ」
覚束ない足どりでよたよたと立つ頭の上で、騒々しい。
「ゼッてェ誰も信用してねェ腐ッた目をした奴ガいるッてなァ!」
きっ、と。眠たげな目が睨む先には、子供には刺激の強いパイロットスーツを着込んだ黒い長身が立っている。
「…………」
互いに真剣な面もちで睨み合う、1人とひとり。
しかし明人は、それどころではなかった。
またも少女は、語らずに、詠唱をすることなく魔法を使用した。
構築されていたはずのルスラウス世界の骨組みがガラガラと崩れ落ちていく。
その横では、メイドが両手で護身用のナイフを構え直した。
「あの子、たぶんすごいやり手です」
目は未だ汗だくの少女を睨み、耳だけでクロトに注意を向ける。
「その根拠は?」
「あの子は、ヒュームです。ヒュームなのに《プロテクト》を使いました。それも《ハイプロテクト》に届きそうなほどに強力なヤツです」
緊張感のある空気のなかで、微かに明人の脳に不安が顔をみせた。
それはワザと敵から見えぬよう隠した左手に光る、銀を基調としたブルーラインの指輪にある。
上級に届きうる魔法を、果たして模造品をもつクロトに凌げるだろうか。
「なるほど。じゃあクロトは、オレの後ろに下がっていくれ」
「ンンンッ? おーッとォ? 舐められたもんジャねーのよォ。見たとこマナも無いクソ雑魚ダゼェ?」
普段であれば、賭けた。しかしたとえ帽子にこき下ろされようが、賭けない。
咄嗟にこぼれた本心。明人にとって小柄な少年メイドは、すでに賭けられるほど浅い存在ではない。
非道に振る舞えるのは、覆い隠した烈火の如き怒り。仲間を死に至らしめられて黙っていられるはずがない。そのさきほどから怒りに震える拳は、敵討ちを望んでいる。ハリムもまた、浅くはないということ。
「イヤです」
「キシシシッ、痴話喧嘩か!? 胸糞悪いッたらねェなァ!」
凛としてきっぱりとした否定と雑音だった。
進みかけた明人の足がピタリと動作を止めた。
振り返るまでもなく後ろから闘気に似たなにかを感じる。
「ハリムさんは、僕たちの仲間です。このままおめおめと引き下がれるはずないじゃないですか」
「……蛮勇かもしれないぞ?」
「それでもです」
刃先が定まらぬ銀光がゆるく照らされたキャンドルを帯びて、手のなかで震え動く。
スカートから伸びた白樺のようなほっそりとした足膝が笑う。
それでもクロトは、埃を踏んで明人の隣に立ち並ぶ。
それを少女は、隙を伺うように油断なく。手を掲げながらも待つ。
「話ガついたのかい? ジャあまズは、自己紹介といこうゼィ」
小うるさい帽子は、おそらく超異常の類であろう。触れれば、効果は散る。
しかし油断できない未知の道具とするならば、この場は2対2と考えるほうが良い。
つらつらと喋る帽子は、上に伸びて下に圧縮しながらも機嫌良さげに振る舞った。
「オレちャんの名前はァ……あー……なんダッけ? ワタシちゃんさんよォ」
すると少女は、初めてまともに言葉を発す。
「……アナタは、チャムチャム。ムルルのおともだち……」
「そうそれなッ! 友だちデはねェガなッ!」
幼気な見た目に反して声は、氷のように冷たい。
立ち振る舞いも落ち着いていて、すでに冷静さを取り戻している。
「……かわいい名前だなぁ……」
ポツリ。帽子の名を聞いた愛らしいクロトが小さくこぼした。
「んデもッてオレッちの所有者デ、ナウデノーパンのワタシちゃんさんの名前はァァ――」
運命なのかもしれない。そう明人は、思った。
円環は、丸を描いて尾を食らう。廻る世界は、点と点を繋いで、また出会う。
奇しくも帽子の名乗った名前は、過去に捧げた記憶を1点に収めるにたる悲劇だった。
「満ち欠けるムルル・E・フィーリク・ディールだァ! 覚えて帰ッてねェ!」
太ももをこすり合わせて恥じらう少女は、同居者である混血の自然女王、ユエラ・L・フィーリク・アンダーウッドと同じ名をもっていた。
「帰るッつッても輪廻にダガなァ!!」
少女の手より無詠唱で魔法が放たれる。
ひときわ眩い蒼の稲妻は、発破するかの如くバチバチと音を立てて襲いくる。
「くっ――ふ、フニーキさん!? な、なにやってるんですか!?」
襲いくる雷撃の一撃を前にして即座に飛び退こうとするクロトのすぐ横。
「ま、さか……あの……研究員の娘なのか……?」
頬を引きつらせた明人は、回避を忘れた。
過去に殺めたヒュームの男がいた。
ヒュームの未来を創造するため、研究に生きた男が残した子がいる。




