191話 されば館はB級ホラーへ
仲間の死
と
敗走
灯った光に
影が踊る
屍肉と腐敗の混戦
卑怯の美学は
誰であろうと
慈悲がない
息せき切って闇を裂く。もはや隠密という工程は終わった。
時代がかった廊下のキャンドルに火が灯っていく。その様は、まるで屋敷全体が目を覚ますように、侵入者を照らす。
「――は、ハリムさんが! ハリムさんがぁっ!」
目に涙を浮かべたクロトの悲痛な悲鳴と後方よりガラガラとハリムの砕ける音が耳をつんざく。
それでも明人は、振り返らない。その手に彼の守りきった対象を引いて逃げる。
「いいから走れ! どうせアイツは死なないッ!」
ドタバタと照らされた床が蹴られて塵が舞う。剝きだしになった壁が流れるように通り過ぎていった。
ハリムは、明人の叫びに呼応するよう敵の前に立ちはだかった。守れという大雑把な指示を完璧こなした。
尻もちをついてクロトの前に立ちはだかったその直後に。敵は、なんらかの魔法を発現させた。
たちどころに周囲の温度が下がる。
吹きすさぶ凍てつく風に、凍りつく毛先。刹那の間に氷像と化したハリムがぐらりとバランスを崩す。その横に滑り込んだ明人が無理くりクロトを引っ張り上げて、現在に至る。
それは瞬きをする間ほどに一瞬のできごとだった。
接敵からの犠牲と流れるような敗走。風を切って現場から距離を離す。もはや遮二無二構っていられる状況ではなくなった。
愛らしい顔をぐしゃぐしゃにしたクロトは、引かれていないほうの腕で真っ赤になった目を袖で拭う。
「ぼ、ぼくが……ぼくがあそこでしゃかみこんだから……ぼくのせいでッ!」
震える唇は青ざめて、スカートを波立たせ繰りだす足どりも、よたよたとおぼつかない。
「泣くなッ! 今は逃げることだけ考えろ!」
細っこい手を引いた明人は、腰のポーチに手を伸ばしかかった。
なかに入っている薔薇を模した透明なベルを鳴らせば、即座に脱出するための大扉が現れる。失敗が死に直結すると予想されていたためだけに、その分の保険は当然用意してある。
しかしここでベルを鳴らすということは、完全に降りてしまうということ。もしクロトを連れて大扉から都を抜けだしたとして、その先はエーテル族との血で血を洗う戦争が開幕するだろう。
それの惨劇の光景が脳をよぎって手を止めさせる。額とパイロットスーツのなかにじっとりと汗が滲む。唇を噛んで悔しさを滲ませた。
失敗したという焦りが意識を混濁させ妙案なぞ描けるはずもない。ミシミシと今にも抜け落ちそうな床板を転げ回るよう無様に走る。
敵の殺意は尋常ではない。現に、先ほどまで語り合っていたはずの仲間が1撃で葬られたのだ。
「ど、どうするんですか! このままアジトまで逃げるんですか!?」
しかし相対する以外に道を切り開くことは不可能である。
もし奴隷街に逃げ延びたして、敵が上に報告すれば捜索が開始される。兵員総出で、下水如きの隠匿がバレないわけがない。
それは明人たちが都の外に飛びだしても同様に。レジスタンスの全員が吊るし上げられるだろう。
ポーチから手を引いた明人は、1階への階段を駆け下りながら、決断する。
階段を一足飛びで降りきって、乗った勢いを床板とスニーカーの摩擦で制した。
「しょうがない! せっかくやり切った肉盾の敵討ちをするぞ!」
スカートをつまみ上げながら降りてくるクロトもすとんと両足で床板を踏む。
「や、やるんですねっ!?」
遠慮のないふたつの丸みがばるんと跳ね回る。
勇ましさを感じさせないやる気が表情にこもって、手にしたナイフを両手で握りなおす。
「敵をとっ捕まえて洗いざらい吐かせてやる!」
気配。とつとつと床を鳴らす音が少しづつ大きくなっていく。
敵の正体は、シルエットしか確認できていない。性別はおろか種族もはっきりとは見えなかった。
唯一発覚したのは、小さいということ。ドワーフのメスならば、剛力をもつため正面からいくことは無粋といえる。
明人に魔法は通じない。そのグローブから伸びた薬指に帯びた正真正銘の神より賜りし宝物は、魔法ごと有無を言わせず散らす。
すると上の階から話し声が聞こえてくる。
『カアアアッ、クソッタレッ! 久々に生きた新鮮な検体ゲットのチャンスだったっつーのによォ! 粉微塵になるこたァねェだろうがァ!』
耳障りな饒舌が霰のように軽い足音と混ざって響き渡った。
男、そのうえ子供ならば弱点は多い。
炎のオレンジに揺れる踊り場を見上げた明人は、企てつつ拳を握る。敵が姿を現すのを待つ。
『しィかァもォダァ! 地下に詰め込んドいたモルモットを開放するたァ、ふてェやろうだゼェ!?』
次いで地響きのような群衆の靴音もゆっくりと近づいてくる。
『なァ? そうダろう? ワタシちゃんさんよォ? ヒャッヒャッヒャァ! もっと早く走らねェと雪崩に飲み込まれるゼェ?』
「はっ、はっ、はっ……」
ぴょこっと階段に躍りでたのは、大きな三角帽子を被った小さな女の子だった。
困り眉をへの字にして息を切らし、ととと、っと足早に階段を降りてくる。
『捕まッちまッたらそりャもうグッちャグッちャよォ? こと切れるまデ面白いことされなガら最後はミートパーティーダゼェ! ヒーッヒヒヒヒ! たまんねェなァおい!』
およそ学があるとは思えない口汚さとガラスを引っかくような気色の悪い声を発す。
三角帽子は、わんわんとマントをなびかせて走る少女を煽りに煽った。
近づいてくる小さな少女に明人は、拳を構えて相対する。
「くるかッ!?」
しかし少女は、その横をするりと通り抜けていく。
ふわりと甘い芳香を残し、小ぶりの尻を揺らがせ、1階の廊下を駆けていってしまう。
素通りに虚を突かれた明人は、なんとなくものすごく嫌な予感を察知した。
「おいクロト……」
「は、はい……」
ドブに足をつかるよりも気分の悪い、それに似た焦燥感のようなものが下っ腹から上へ上へと登ってくる。
クロトも同じ気持ちなのだろう。青い顔を白くして、まるで油の切れたロボットのように首を回してこちらを見てくる。
そしてその後ろからわらわらと。直視することすらおぞましい影が押し寄せてくる。
「逃げるぞっ!!」
「言われなくてもですよぉ!?」
思わず明人悲鳴を上げてクロトの手を引いた。
少女を追う大量の影がいざ押し流さんとばかりに詰めてくる。
横並びになった1人とふたりと謎の帽子は、臓腑をもて余すように腹から垂らしたグールの群れから全力で逃げた。
『あらドうも! こんにちわ! クソッタレ侵入者ドも!』
魔具のたぐいだろうか。
やいのやいのと口うるさい帽子と隣り合った明人は、不機嫌まるだしのしかめっ面になって走る。
『ヒーヒヒヒッ、ワタシちゃんさんガお手洗い中だったってのによくもやってくれたなァ!』
開いた穴に引っかかった濡れたショーツにお手洗い。そうなればおのずと答えは見えてくる。
あの渦巻く暗闇で廊下の床は、どこが抜けてもおかしくはない。落ちて、びっくりして漏れて、急いでいて脱げる。少女に不幸が重なったのだろう。
「うるせぇぞこの魔女っ子帽子! どうせさっきの様子じゃ間に合ってなかっただろ!」
『わかッちャう!? そッからしバらくワタシちゃんさんったら、イジケて立てこもッてたんダゼェ!』
「そこにオレらがきたってか! あれ罠でもなんでもないのかよ!」
喧々諤々。
逃げながらも喧嘩腰に帽子と明人が唾を飛ばす。
と、帽子の真下。耳まで桜色になった少女は、恥ずかしそうに語る帽子のツバで顔を隠した。
「……ぁぅ……」
パタパタとブーツで駆ける上で短なスカートがはたはた揺らぐ。
「イーヒヒヒ、しかもパンツも一緒に凍らせてやんの! あんなもんチルドの長期保存してドうするんダろうなァ!」
お下劣な帽子はゲタゲタと下品に笑う。
しかし少女はなにも語らない。スカートから伸びる短いながらもスラリとした足で駆けるだけ。
それが明人には、引っかかってしょうがなかった。ハリムを凍らせた少女は、語っていない。
灯りのない廊下で視界が塞がれ、動きを察知して、耳を澄ませていた。
それでも魔法を唱える声は、聞こえなかった。つまりまるで世界最強の魔法使いである語らずのように、無詠唱で魔法を発現させた。
しかもその少女の指には、明人たちと同じ――体内マナを吸収するはずの――模造品を装着している。なのに使えるはずのない瞬間冷凍魔法を放った。
そんな隣りにいる少女を横目にした明人の耳に、吐息混じりの弱音が聞こえてくる。
「ふ、フニーキさん! 僕もうダメかもしれないですっ!」
汗だくになったクロトは、辛そうに顎を上げて走っていた。
ドリブルするふたつの球体を腕で挟むような不穏な走りかたをしている。まるでバスケットいっぱいにりんごを抱える村女の如くだ。
「なんだよその疲れる走りかたは! もっと男らしくスプリントしろ!」
「そんなこと言われても走ると胸が揺れてすごく痛いんですよぉ!」
右へ左へ振り子の如く。紺色のブラウスの下で豊かな豊満が自由自在に暴れまわっていた。
なおもグールの追撃は、とまる気配をみせない。必死に逃げる面々へ手を伸ばしたひと塊のように群れた腐肉が追ってくる。
「我慢しろ! それにクーパー靭帯が切れても男に戻れば、どうせ大して変化ないだろ!」
偽乳はしょせん偽乳だった。豊満が戻れば、垂れる心配もない。
「なんですかクーパー靭帯って!? あと一応僕は今も男ですからね!」
その時B級ゾンビ映画ばりに疾走する面々の頭上より、いつもの癖のある声が降り注いだ。
『ふぃー、お日様ポカポカですのよぉ……。それと、そのくぱぁなんとかに答えるのはノンノンですのよー』
腑抜けてとろけた声が雑踏のなかに響き渡った。
天よりの叱咤。それを聞いたクロトは、化粧映えする顔をこわばらせた。
「なんですか今のォ!? なんかすごい緊張感のない声が聞こえましたよ!?」
場の空気と、あらゆる風紀が乱れに乱れる。
敵であるはずの少女を隣に置いて。一方では、巨乳の少年が天使の声に恐れ慄く。
後方からも大量の死骸が我先に生者共を食わんと襲いかかってきていた。まさに目まぐるしい波乱万丈といえる阿鼻叫喚だった。
しばし明人は、打開策を練る。そしてほぼ考える間も開けず思いつく。
「ど、どうしたんですか!? まさかひとりだけ逃げるつもりじゃ!?」
横並びから抜きんでるよう加速して、クロトを置き去りにした。
そして立ち止まって待ち受ける。距離を見計らう。
沸き立つ屍肉たちは、腐った粘液と臓物を腹からこぼして数メートル先から襲いくる。飲まれればひとたまりもない。
だから明人は、タイミングを見てその場で回転した。
目標を低めに設定して頭を回し、とんっ、と床から両足が離れる。
「――フッ!」
技の名は、ローリングソバット。
回転の勢いと踏みの力を踵に集約させた一撃が、今まさにいたいけな少女の腹部を撃ち貫いた。
アクロバットな強襲に垂れ目がこぼれそうなほど、剝きだしになる。
「っぁぐ……!」
肺から強制的に絞りだされた呻きに吐瀉物が混ざって飛沫のように飛び散った。




