190話 されば記憶の泥濘をも垣間見るとする
降り立った先は
深い深い常闇
もたぬ者たちは
歩みを止めない
足を止めたとき
それは黒より現れる
埃で白くなった床板がギィギィと軋みを上げる。ところどころが欠けた櫛のように腐り落ちた足元へ、気を使いながらも一党は、右へ左へ進路を変えて屋敷の探索を開始した。
どこか教会から伸びた螺旋と直通した西洋中世の館は、強奪にでもあったかのようにもぬけの殻。調度品も資材も家具すらない。あるのはホコリと外から漂ってくる腐敗した臭い。客を歓迎するのは、床板の奏でる音のみだった。
不合理的な1軒家は、労をいとわず深い深い都の底、下水に建てられている。
その理由が明人には、なんとなく予想ができた。
「ここはたぶん処理場も兼ねてるな……」
最後尾から面々の背を追うように。それでも後方の警戒は、怠らない。
右側は廃屋の壁、左側が下水の見える小汚い窓。前方に仲間が歩けば、自然と後方へと気が向く。
つけられているような気配はない。
先ほどから興味津々といった風にきょろきょろと辺りを見回していたクロトがそれに反応する。
「処理場、ですか? 一体こんな場所でなんの処理をするんです?」
ぱっちりと開いた目をパチクリと瞬かせると、頭の上のホワイトプリムも踊ってみせた。
観光ににきているような風体に見えなくもない。しかしその手にキラリと光る銀のナイフをもつ。
当然のように鋼鉄部分には、840ブランドの打刻印が打たれている。
先頭で足を止めたハリムは、くすねたランタンで窓の外を照らす。
「被検体の死体の処理ですね。もしくは、失敗作の投棄場かな。バラして下水に捨てれば苦労しないですもんね」
ハリムが淡々と告げると、緩んでいた空気がひやりと凍りついた。
固まってしまったクロトの骨っぽい背を押した明人は、憎々しげな表情をした。
「できの悪い殺害ドラマみたいだな。反吐がでる」
胃の腑が裏返るような錯覚を覚えながら先に進むよう手を払って指示をだす。
「そうですねぇ。僕も妹の切れっ端をどれだけ川に捨てたことやら」
それで一党は再び歩きだした。
残酷な時の流れに逆らえず剥がれた壁の廊下を、なるべく音を立てぬよう慎重に進む。
目下やるべきことは、神より与えられし宝物の解明。言い換えてみれば、研究でもある。
情報の主は、またも聖女の侍女だった。暗するミリーナの情報によれば、グラーグンは翻る道理の研究を盛んに推し進めているという。
そしてこの教会の皮を被った建物こそが、研究施設だった。
つまりレジスタンスは、敵の研究成果を根こそぎパクリにきている。
グラーグンが水面下で長年研究した産物を軒並みかっさらうつもりで。
そして保管されている資料を手当たり次第に海馬へ詰め込んで、アジトに帰還する。
それからは情報を照らし合わせながらタイムリミットまで指輪のことを話し合う。
そもそもの話レジスタンスのリーダーは、いちから指輪の究明をする気が毛頭ない。階段を1段1段登っていては、処刑まで間に合わないことを案じている。
実行部隊がリーダーの謳うがままに、敵から情報をかすめとることがこの作戦の到達点だった。
今頃女性陣は、教科書なしで模造品との睨めっこを楽しんでいることだろう。
黒メイド、ウェイター、操縦士。そんな不均一な様相をした面々は、腰を落としてそろそろと歩を進める。
尻を突きだし、黒い中途半端な長さのスカートをゆらゆら。引け腰になったクロトは、明人に渡されたナイフの柄を、ぎゅっと握りなおす。
「こ、ここで本当に研究なんてやってるんでしょうか? ネズミ1匹いませんよ?」
ほのかな火の灯りに白い足を浮かべ、武器を握る手もどこかたどたどしい。
「ネズミがいないってことは、いるんじゃなでしょうか? グールってネズミとか遠慮なく食べますしね」
先頭をいくハリムが素っ気ない不穏を口にすると、クロトはピクリと前進を引きつらせた。
「そ、そういう冗談本当に止めてくださいよぉ……」
「冗談とかじゃないんですよ。グールっていうのは、食欲やら性欲しかしらないんです」
振り返ってつらつらと語る表情は、どこか読みとき辛い。
笑っているように見えて脅しているようにも見える。目端にシワを寄せつつも曇った瞳に感情はなかった。
「逆に僕なんかは、そのふたつをあまり求めません。だから、グールじゃなくてゾンビって名乗ってるんですよね」
痩せた指をくるくると回し、自身の苦境を語る口調も唄うよう。
2度3度引き気味に息を飲み込んだクロトは、おろおろと戸惑う様子を見せながらも、問うた。
「ハリムさんは、その体……というかゾンビになって辛かったことってあります?」
場繋ぎとしては踏み入った質問だが、申し訳なさげに背を丸くすれば、豊かな2つの丸みが大きくたわむ。
「んー、やっぱり温度差ですかねぇ?」
「温度差……ですか?」
「そうそう。僕は、今のミリミを抜け殻としか見てないから売ったりすることに抵抗がないんですよ。でも周りにとっては、妹を売る無情な兄に見えてしまう」
それを聞いたクロトは、しだれ眉をさらに下げて俯いた。
「ミリミを1番愛してる僕が、1番残酷に見える。確かに道具のように使うのは違うかもしれない。でもね……アレは、もう大切なミリミじゃないんだ」
そう言ってハリムは、話を閉じるように前を向いた。
常識の上では否定される行為。表面上では妹を金に変えるような行為。女性であって、クロトの身内同然であるサナとルナは、ミリミの扱いに否定的だった。
終焉なきと、腐肉食い。兄は、妹のために生きつづける。すでに妹が死んでいるのにも関わらず、もう1度殺すために。
前を向き直してからも握り込まれた拳の意味しているもの。
妹の体をゴブリンの住む林に放り込んだり男に使わせたりなど。抜け殻をぞんざいに扱うのは、ハリムにとって妹との決別の意かもしれない。
「妹、か」
不意に明人は、今生の別れを済ませた舟生夕を思い描く。そして少しだけ辛くなった。
生かすと殺す。文言としては対義語のように。それでもどちらも妹を愛するもの。
「一応だけど同情はするよ。家族を殺すのはキツイよな」
「ははは、ありがとうございます。フニーキさんが僕に同情してくれるとは思わなかった」
振り向きもせず。闇に乾いた笑い声が溶け込けこんで消えていく。
「ハリムはオレをなんだと思ってるんだよ……。セロテープの最後の白い部分くらい優しくできるぞ?」
「うーん? よくわかんないけどありがとうございますー」
切なさとやり切れなさが明人の胸中を焦がしてやまなかった。
そこから言葉少なになった一党は、まじめに探索を開始した。
扉を開けて複数あるホテルのような部屋のなかを強盗同然に家探しする。
ホコリにまみれて書棚を掻きむるも成果は得られず。這いつくばってベッドの下を漁れば、起こされた虫が驚いて飛びだしてきた。
侵入してからどれほどの時間が経ったのかもわからない。空はいつも以上に遠く、光の差さぬ地下では時の刻みすら忘れされる。
成果もなく被害もない。脳裏に失敗の文字が色濃くなっていく。しだいに口数も減って、一党の足どりにも陰りが見えてきた。
安直すぎただろうか。ふたりの背を見つめる明人のなかでも微かに諦めの感情が膨れていく。
丁度2階の探索に入ったその時。先頭で明らかな異変を察知するものがいた。
肉盾という不名誉なロールを任されたハリムは、立ち止まって前方を指差す。
「なんだろあれ? おふたりさん。あそこになんか白い布が落ちてますよ?」
廊下に開いた穴は、腐って落ちたのだろう。その穿たれた小さな穴の端っこに白い布が引っかかっている。
湿気で濡れた黒い床板にくっきりとわかるほど真新しい白は、かなり目立つ。
とととっ、と。その横に詰めたクロトは、カモのように頭と尻を突きだしす。
「罠……でしょうか? 白い布がこんなところに落ちてるなんてあまりにも不自然ですけど」
「かもしれないですね。古い布の切れ端ならともかく、ここ最近置かれたような感じですし」
横並びに肩を並べ、ふたりしてうんうんと唸り声を上げた。
そして同時に、まるで指示を仰ぐような顔つきで不安そうにこちらへ振り返る。
――……なんであんなもんが?
視力の良い明人には、その布の正体がなんなのかすぐにわかった。
なんなのかわかっていても、なぜそれがこの場所に落ちているかが理解できない。口を結んで眉を寄せ、腕を組んで考える。
それをどう解釈したのか。互いの意思疎通をするように見合ったクロトとハリムが、その白い布にギィギィ音を鳴らして近づいていく。
そして穴に引っかかっていた、だいたい三角形の布をハリムが、ちょいとつまみ上げて感想を漏らす。
「これってパンツですよね? しかも女性ものの」
「それ……なんか濡れてませんか?」
「う、うん。触った感じ、しっとしとに濡れてますねぇ……?」
小さなリボンのついた飾りっ気の貧相な白いショーツがそこにあった。
ないはずの物があるという違和感は、直接的な生者の気配へと直結する。
そしてそれは逆に、敵の存在と研究所に繋がる情報のふたつを暗示していた。
突出したふたりは、不用心にその場で落とし物の観察をはじめてしまう。そんなふたりに明人は、注意をうながしつつ距離を詰めていく。
「おい、いい加減にしろ。ここが敵の腹んなかだって知ってるならもう少し警戒し――」
ドクリと心臓が跳ねた。発した言葉が喉につかえて息が止まる。
およそ視界の端で、ゆらり。穴のすぐ横にある開け放たれた横の扉のなかから小さな影が現れた。
人ほどの大きさのなにかが、もぞりと蠢めく。異様に巨大な三角の頭部に、2手と2足を生やした生き物だった。
その手がかざされ、油断しきったふたりへと仕向けられる。
「にげっ、――!」
ひとりならば即座に尻尾を巻いて脱兎の如く敗走をしただろう。
引くか引かぬか、明人の泡立った脳内で一瞬の迷いが生じた。
ここに大陸最強の剣士も、自然魔法使いもいない。いる全員が弱者であである。
それはまるでこのルスラウス世界にやってくる直前のできごと。視界と網膜とが、それぞれ別の記憶を蘇らせた。
『オレは先に逝くかんな。オマエも後からちゃんとついてこいよな』
別れの言葉が愛機のスピーカー越しに聞こえたのを、耳が覚えている。
『しゃーねーよな。こいつらをここでかたしてやんねーと報われねぇべ』
強固な機体をもってしても伝わってきた衝撃を、肌が覚えいた。
仲間を失ってしまった恐れと孤独を、忘れはしない。忘れられるはずがない。
「……ハッ!」
現実に引き戻された明人は、判断を数フレームほど遅らせてしまう。
手を掲げた影は、すでに詠唱の準備を整えている。しかしふたりは気が付かない。
間に合わない。スローになった視覚情報がそうやって因果を確定づけた刹那。明人は叫んだ。
なぜそう言ったのかは自身にもわからなかった。ただ必死だった。
もう2度と失いたくない、その思念を発現させるように。明人は、腹の底から半狂乱気味の絶叫を発した。
「 守 れ え え え え え ッ ! ! 」
☆☆☆☆☆




