185話 まもなく終幕のあがきを
一寸先は闇
狼に誘われて這い回る
集うは
最後の切り札
毒に群がった者たち
世界の命運を賭けた
一世一代の賭けがはじまる
漂う臭気と反響する水の音。し尿などが混ざり合う汚水の臭いがツンと鼻を突く。
黒褐色が積み上げられた岩壁は、湿気によってヌラリとぬめる。
馬の蹄のような形をした下水道は、全員が肩を並べられるほど広くはない。歩道もなければ、靴は汚物にまみれる。ぬちぬちと粘度の高い泥の上を歩くような感触だけがいつまでも耳のなかに残っていた。
《ライト》に照らされた狼の背につづく。
歩けど歩けど一寸先は闇。入り組んだ道の十字路を幾度右へ左へ越えたのか。もはや引き返すことはできない。
問いかけに唸りで返答する狼は、口をつぐんで先導するだけ。揺らぐ尾っぽが下水を吸ってしなびて垂れる。
ざぷざぷとつづく明人の後方。仲良く身を寄せ合った双子は、ヒソヒソと語り合う。
「ね、ねえ……、なんか変な臭いしない?」
整った鼻をきゅっと掴んだサナは、臭いを払うような素振りをする。
「変って……ずっと変な臭いしてるよ? 下水だし」
「そうじゃなくって。なんかもったりとした嗅いだことのない感じの臭いよ」
子犬のようにくんくんと臭いを嗅いだルナは、鼻声で涙を浮かべた。
「ふんふん? ……うぇぇ、くしゃいぃ……」
腐敗臭に混ざった酸味。発酵されたタンパク質の臭い。
排泄物とはまた違った悪臭を放つ黄色い液体をふたりは、恐る恐るで跨ぐ。
「……今のなにかしら?」
しかめっ面にクエスチョンを貼りつけてサナは、流れる謎の物体を置き去りにした。
左側に柔らかな温かみ、右側はたわわな実り。フィナセスと青い顔をしたクロト。
男女と偽乳にしがみつかれた明人は、ふたりの会話を聞き流すことにする。
この奴隷街では、支配者たちが奴隷を買っていくことがあるという。覇道の呪いがきいているということは、購入理由を語るまでもない。それを双子が知る理由もない。
虫とネズミの死骸、残飯に生き物だったもの。それらをエーテル種であるフィナセスが知らぬわけもない。
口元に手甲を巻いた手を当てて悲しげに目を伏せる。
「あとどれくらいで着くの? オオカミさん」
静寂に耐えかねたようにサナが先行く狼に語りかける。
声のボリュームが上がると空洞をわんわんと言って木霊して闇に消えた。
すると狼は、ちらりとノズルのある顔を横に向けて獣の瞳でギロリと睨む。
「……ウム」
歩みは止めず。けむくじゃらの太い腕を重い振り子のように振りながら重く唸る。
うやむやな返答にサナは、ふっくらとした唇をちょんと尖らせた。
「なによぉ? 無視するなんてひどいじゃない。黙ってついてこいってわけ?」
中途半端に開かれたブラウスの合わせからちらちらと透けた肌を見せる。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん。ダメだよぉ……」
逆に隣のルナは、しっかりと身なりを整えていた。声を荒げる姉の腕を引いて静止させる。
似ているようで似ていないふたり。そんなふたりの横には、また別の少女がひたひたと歩いている。
「……ワフゥ」
その毛をまとっただけの大きな背中がやけに小さい。なにより尾っぽが股に隠れてしまうほど丸くなっていた。
見かねた明人は、狼に変わって応えてやる。
「サナ、このワーウルフを信用するしかない。もう進む以外に道はないんだ」
淡々と現実を突きつけると面々の顔が一様に陰った。
狼が怯えるのも無理はない。なにせ、敵対相手であるエーテルがここにいるのだから。
いくら勇猛果敢なワーウルフ種であれ支配されていることに例外はない。
とはいえど明人も狼を警戒する。その首元には、すでに治療モードから通常モードにモード変更したパイロットスーツが着込まれている。
双子の横につづくのはハリムの妹であるミリミ。魂の抜けた抜け殻は物言わぬ顔で虚ろに歩くだけ。
回収された際、あまりにずさんな格好を見た双子に命令されて、ハリムがキチンと衣服を着せている。
触れれば呪われる。魂のないミリミは、意図せず触れた相手に呪いを振りまく。それは死後になってなお死者の休息を奪う残酷なもの。
プレイルームと化していた娼館には、ろくな服がなかった。《ライト》の光が薄くその肌を照らすがシルエットはまともではない。
血色が失せているほど白ばんだハリムは、最後尾から双子に語りかける。
「ありがとうね。うちの妹に気を使ってくれて」
しだれ眉を寄せて笑む姿に反省の色はない。
今度はサナではなくルナがぷりぷりと可愛らしく怒る。
「いくら心無人だからってあんなのあんまりです!」
怒る様も姉と違って少し子供っぽい。
それでも目を赤く充血させるくらいには、ミリミの過酷な境遇を抗議している。
しかしハリムは、頬をゆるめて愛おしげにどこぞ遠くを眺めた。
「……本当に……ありがとうね……」
どこか寂しげな微笑み。木炭の如き黒い瞳は、曇っていて光はない。それでも妹は、静寂を律して歩くだけ。
惨めに波紋を作りながら面々は、黙々と歩く。
青い空からサヨナラを告げてどれくらい経ったか。すでに耐え難い臭いを覚えた脳は、抵抗なく呼吸を指示してくる。
口のなかが粘つくような蒸し蒸しとした劣悪な環境は、人っ子1人と後に引けない者たちくらいしか招かない。ある種、隠れ家としては優秀でもある。
明人の腕に白細い腕を絡みつかせているフィナセスが、目をさますように前髪を揺らがせた。
「……ダープリ?」
整ったキャンパスに意外そうな色を浮かべて、銀の瞳がぱちくりと瞬く。
呼ばれた明人も黒眉をかたむけつつずいずいと前に進む。
「ん? なんだ?」
腕に当たる革の感触は、固くもなく柔らかくもない。そうでなくとも防御面にすぐれたパイロットスーツが隔たりになっている。
「なんか……? ちょっと流れて……様子がおかしい気がするんだけど……?」
そう言って言葉を濁しつつ怪訝そうな顔で髪を横に流す。
両腕を拘束される形では、手を振る所作すらとれない。
「気のせい気のせい」
微かな動揺を胸に閉じ込めた明人は、向けられる銀の瞳から目をそらした。
「うーん? 私の完成された魅惑のプロポーションに包まれてるのにやけに暗いわね……」
ライトの白光に浮かぶ月のような丸みが、きゅっと窮屈そうに潰れる。
「……ずっと気になってたんだけどフィナ子の自己評価どうなってるんだ?」
眼福を拝みつつ明人は、うなだれてみせた。
感じとる余地すらない自然な流れでの話題転換。
「なによいまさら? 男なんて悩殺イチコロできる程度には、可愛くてセクシーだと思ってるわよ?」
自慢げにフィナセスは、フンスと小鼻を膨らませる。
聖騎士鎧の肩にかかった大きな三つ編みが堂々と押しだされた勢いで揺らいだ。
「さいですか……」
色は違えど同じの品。リリティアの切なげな見送りを思いだして明人は、ちょっぴり寂しくなる。
すべてがゼロに戻ってしまったかのような疎外感。集めた友だちを手放した感覚は、この世界に降り立ったときと酷似していた。
今作戦に自信は皆無と言えよう。なにせ課題が山積みな上に非科学的な未知を頼らねばならない。
支柱とも言える主目的は、聖女の救出。
副目的は、エーテルたちとの戦争を回避すること。
どちらもをこなすならば、さらに翻る道理の解明が求められる。
主目的だけならばたやすい。なにせ聖女はいつでも逃げることができる。
それに加えて副目的をもこなすのであれば、苦労はすれど、なんとかなる。
しかし完璧に望まれる形にするには、不透明な賭けが必要となった。
「……やりとげないと……」
ポツリとこぼれた孤独な弱音。
ここまでして命の危険を被る理由は、聖女のためではない。たったひとつの儚い夢を叶えること。
すると突然先導する狼の足が、ざぶりと泡を立てて止まる。
「……フム」
その身に帯びたるは、己の体毛のみ。汚水が染み込んで黄ばんだまだら模様には、品性の欠片もない。まるで捨て犬のようにみすぼらしい。
むっつりと牙のはみでたノズルを開いて、何の変哲もない岩の横壁に手を添えた。
「《アンロック》」
喉を震わす低いがなりに同調して白爪の先から光があふれ、汚らしい壁に陣を描く。
まるでプロジェクターの灯りが消えるようにして壁の一部分がぼんやりと透ける。
興味津々と言った様子で見守っていた面々を無視して狼は、ぶっきらぼうに壁の穴へと歩きはじめた。
ずいっと。いの一番につづいたのは、もはや別世界からきたのではと心配されかねない造形美に彩られたクロトだった。
「いきましょうッ!」
やる気に満ちあふれた表情は、どう転んでも愛らしい。
明人と違ってクロトは、この作戦に失敗すればサナとルナはおろか自身すらもを失ってしまう。その勇み足は軽やかで優雅なもの。紺色のブラウスを大きく押し返す胸を張って。
その威勢に駆られるかのようにして面々は、華奢な背中につづく。双子もどこか誇らしげ。
意地の悪い笑みを浮かべてフィナセスは、明人から体を離した。
「ふふっ、あらあらずいぶんと男らしくなったじゃない?」
それでも腰に帯びた剣鞘を引っ掴んで周囲を警戒するような動きを見せる。
「そ、そうですかね?」
照れ笑いしながらクロトは、ファンデーションのぬられた頬を掻いた。
「ま、まぁ? 顔と体は、私と同じくらいプリティになってるけど」
「ああ……。これって役目はもう終わったのに、いつになったら戻るんでしょう……?」
「そんなの私も聞きたいわよ……」
明人被害者の会、会員たちが寂れた顔でなだらかな勾配を上へ上へと進む。
下水から開放された坑道を思わせる道が闇の向こうに伸びている。足にまとわりつく汚泥の如き水は、土に変わって、壁面は木で補強されていた。
臭いも下水道ほどは、強くはない。体に染みついた臭気が土の香りに混ざっていく。
もはや狼の姿は見えない。しかしそのとき先頭を歩くクロトの嬉々とした声が発せられる。
「光だ! 光が見える!」
細指の指した先。黒を遠ざけるような光がぽっかりと口を開けていた。
そっとクロトの骨ばった肩に手を添えて明人は、前へと躍りでる。
「フィナセス。先行を頼めるか?」
「まっかせなさい。これでも剣技だけは得意なのよ」
「すまん。頼む」
今のは命令ではなく願い。すらりと腰鞘から銀閃を引き抜いたフィナセスを先頭にして目の眩む光のなかへ上がっていく。
すると突然。鈴を転がすが如きかんかんとした声が鼓膜を引っかいた。
「よーうこそ! どうししょくんっ!」
横にいるのは、黄ばんだ狼。それと笹葉のような長耳のエルフ。そこから頭5つ分ほど下にそれは立っていた。
「あちしがここのリーダーだーなっ!」
褐色肌に幼気な顔立ちは、ドワーフ種の特性。
それを横切るように片目には、つけ方を間違えた黒い眼帯がつけられている。
威風堂々と腕を組んでたたずむちびっ子。面々は、呆気にとられるというよりも虚を突かれたかのように呆れた。
一物では済まされない量の不安を見た明人は、幼女の横に立っているエルフに訪ねる。
「ミリーナ……。優秀な司令官って……話と違くないか?」
満足気に顎を上げるドワーフの横で、聖女の侍女ミリーナ・ティールは、くつくつと喉を奏でた。
「あら、お気に召さないかしら? これでもうちのリーダー様よ? 400才は越えてるわ」
凛として神経質そうな顔立ちであれどエルフもまた、種族的に美しい。
チラリ。蠱惑な目が剣を構えて油断のないフィナセスをとらえる。
「ふふふっ、よくもまあエーテル族、通行許可証を引き入れたわ。これでようやくはじめることができるのね」
この瞬間が始まりだった。
ヒューム、エルフ、ドワーフ、ワーウルフ、そして人間が、それぞれの思惑の袂で一挙に集う。
生きたいと願うもの、救いたいと謳うもの、消したいと彷徨うもの、叶えたいと賭けるもの。
願いは違えど行く先は、みな相応に真実へと向おうとする。
新緑の長髪を指の隙間で優雅に払う。泣きぼくろの上で楽しげに茶葉色の目が細まる。
「さあ、はじめましょう! 混迷の時代を楔を打つべく――最終幕の悪あがきをッ!」
9章 アイツはゾンビ コイツは上位!? そしてオレはレジスタンス【END】
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