182話 まもなく出会いはいつも唐突に
腹が鳴れば空腹
語らい合えば謎を呼ぶ
緊張感のない面々のなか
確かに崩れる瓦解の音
そして
空が月と別れを済ます頃。いつも以上に冷えた風が透明感のある風が双子の結い髪をさらりとなでる。
莫大な袋を胸から下げたクロトは、渋いため息をこぼす。
「ハァ……。まさか……僕にこんな必要のない遺伝子が眠ってたとは……」
もう引き返せない体を襤褸のマントで包んで隠す。
いたいけな表情が、貧民街よりは整備された石畳に照り返される朝日で沈む。
その横でサナが不満げに唇を尖らせて市場の四角な影を踏んだ。
「なんか釈然としないわ……。なんで私のより大きいのよ……」
後ろ手を組んで前かがみ。キッとした鋭利な視線が羨みを孕む。
悔しげに隠れたクロトの胸部を睨みつけている。
「わかんないよ……。生きてきたなかでこんなに大きいの見たことないから……。あと自分についてるのもはじめてみた……」
隠されてはいるが、一皮剥いたら顔に似合わずの暴力的な胸囲が日の目を見る。
ゆえに騒ぎにならぬよう往来のなかを足早で抜けていく。
豊胸の薬を飲まされたクロトは、想像以上に手がつけられないほど育った。
愛嬌のある顔立ちにきれいな肌。そしてふたつの膨らみがある限りどうあっても完全な女性にしか見えない。女性よりも女性然としている。
流れに逆らうようにして面々は、雑踏を裂いて歩く。
蜘蛛の子を散らすように往来が道を譲る様は、波が割れるかのよう。行き交う奴隷街の民たちは、そそくさと逃げるようにして道を開ける。
するとクロトの受難を知ってか知らずか横行くルナの腹が可愛げにくぅと鳴く。
「や、やだっ……!」
微かに頬を桜に染めて立ち止まり、背を丸める。
しかし生理現象である腹の虫は、さらに不満げにぐぅと鳴く。
晩はおろか朝食すらとった気配がない。この場にいる面々でなにかを食べたのは、3列の後ろをほぼ2列に凝縮して歩く明人のみだった。
するとサナは後部で結った馬の尾っぽを翻すようにして振り返る。
「ねえ、フニーキさん。なんでもいいから食べたあとで売屋街にいかない?」
明人は、コクリと首を縦に揺らす。
「別にいいけど。ここにモーニングセットをやってる茶店とかあるのか? できれば目立ちたくないから屋内で済ませたい」
ちらり。白い作務衣の如き袖をバンドでまとめるようにクロトの細い腕が絡みついている。
それで察したのか。そっぽ向くように前を向いたサナは、すたすたと歩きだす。
「任せて。一応だけど目隠しになる場所があるわ。それにクロトも隠れたいだろうし」
まだ警戒の抜けていない慎重な態度と冷然さは、大切なクロトを利用することへの不満だろう。
平然と受け入れた明人も面々の後につづく。
「なに? ま、まさか屋内でしっぽりと私を朝食にするつもり!?」
「……もうオマエなんで……もういいや……」
不思議そうにこちらを見上げる銀の瞳は、前方から注ぐ陽の光を反射してきらきらと輝いていた。
混み合いが道を譲るのも当然の話。今ここには、管理者以上の権力をもった上位種エーテルがいる。
突如、平和な朝に現れた非日常。日勤明けよりはこぶりな朝の大衆たちは、恐怖の色に染め上げられた。
このような混み合いで魅了を発動させるわけにもいかず。明後日の方角から投げられた疑問に対して明人は、苦虫を噛み潰したような顔で返すことしかできない。
「むふふっ。周囲の視線が私の美貌を捉えて止まないって感じよね」
「……ぐっ、このっ……わざわざくっついて歩かなくていいんだっての! こっちが抵抗できないのを良いことに調子に乗りやがって……!」
そんな様を前にしてフィナセスは、フフンと誇らしげに小鼻を開いた。
「ふっふーん! この光景をみた周囲の奴隷たちはなんて思うでしょうね?」
「……聞きたくないけど言いたいなら言えば?」
「ふふふっ……私に買われて思うがままにされる奴隷って思われているに違いないわ」
立場逆転ねっ。と、誇らしげに誇れるだけの房を張った。
久方ぶりを思わせる境遇は、明人がおよそこの世界にやってきたときのよう。
嬉しそうにニヤつくフィナセス。転じて明人は、それほど遠くもない波乱万丈の過去を思い起こした。
「奴隷……? 奴隷かぁ。そういえば、そんな勘違いをしたこともあったな」
明人は聖都にあまり良い思い出がない。
救済の導に襲撃されて死骸と闘った。剣聖の暖かい手に引きずられて城を目指した。そしてグラーグンに燃されかけた。
そこからは、すべてがひとつながりになって戦場をひた走ることとなった。
臆病を荒療治で完治させて、人間が秘めたる力の本質を僅かだが理解した。約束に背き妹のいない世界で生きると決めた。
まだ世界を変えて1年経たず。つい最近のことを思いだした明人は、ほんの少しだけ懐かしむよう頬をほころばせる。
炭をぬったかの如き遊びのある濡れ羽色の髪が朝焼けから反らした頬をくすぐった。
そんな感傷に浸る明人の腕がぐぃと引かれる。
「ねえ、ダープリ。私に歩幅を合わせてちょうだい。歩き辛いったらないわ」
流麗な銀の三つ編みを肩にかけて歩むフィナセスは、わがままをいう子供のように、秀でた眉根を寄せた。
聖騎士の証とされる純白の革鎧が光れば周囲では、引き気味に息を呑む者もいる。
「ねえったらっ! もっとフィナ子ちゃんを大切に扱いなさいよ!」
ぷんすこ怒って語気を荒げて片頬を膨らませれば、奴隷たちはさらに1歩下がった。
前ゆくクロトは、楽しげに談笑し両手に花を添えている。後ろの1人は、男女に組み付かれる。
複雑の煮こごりに身を委ねた明人は、目的地への時間潰し代わりに雑談に興じてみることにした。
「なんでフィナ子は、そんなにオレのグルーピーなんだよ?」
見た目は、エーテル族特有の見目麗しい少女であり実際それほど嫌ではない。ゆえに無下には扱わない。
「無駄にベタベタしてくる理由ってなんだ? 裏があるとしか思えないぞ」
はじめはただの癖かと明人は考えた。
しかし敗北して一服盛られたにも関わらず偶像信仰するが如くべたべたと触れてくる。まるで媚びを売るかのように。
「……はぇ?」
すると突然フィナセスは、空気の抜けるような音を口から発した。
雑踏と小さな悲鳴のなかに僅かに生まれる沈黙の空気。足を止めないながらも1人とひとりは、黒と銀は、少しの間だけ見つめ合う。
ぽかんとした表情のままにフィナセスは、小首を傾げた。
「え? わかんないの?」
肩にかかった銀の大きな三つ編みがするりと流れ落ちた。
尾っぽのように月のような丸い膨らみの辺りでぶらぶらとぶら下がる。
まるで明人の知っている誰かのように。
その問いに答える直前でサナの声が響いた。
「ここよー!」
喧騒のなかで鈴を震わすような音色は、聞きとりやすい。
骨の浮いた手を上げて左右に振れば、ブラウスが上がってシミのない腹とヘソがちらりと顔をだす。
いつの間にかクロトたちとの距離の開いてしまったため明人は、小走りになって古びた建物に駆け寄った。
面々の待つ後ろには、連なった石組みのなかでもより一層歴史を感じさせる。カビやら泥やら苔やらが横行した壁面は、汚いというよりもはや芸術の粋に達していた。黒カビをキャンパス代わりにして苔がマーブル状に模様を作っている。
見上げた明人は、衛生管理を懸念した。
「なあ、ここ。飯をだすところだよな……?」
「とは、考えたくないわね……」
しなだれかかったフィナセスも口角をヒクつかせる。
「まあまあ。これで結構奴隷街では高級な料理をだすんですよ」
マントで身を覆ったクロトは、そんな1人とひとりを宥めるように手を動かす。
そして間髪入れずに双子を連れてもはや扉の役目をはたしていない木くずを引いた。
地獄の窯の如き入り口から中に入っていく奴隷街住まいの面々。腹が減っているのかその足どりは、軽やか。
残された明人とフィナセスは、互いを見合って重々しく頷き、後につづく。
入ってみれば料理をするのは本当のようで、ふわりと調理されたいい香りが期待を煽る。
アンティークというよりは古臭い。喫茶店のような体裁をなしている家屋は、足踏みするたびにぎぃぎぃ唸った。
高い天井には、シーリングファンではなくシミとシミ。がらんどうの客席には、人っ子一人居着かない。点々と置かれた丸い木のテーブルは、どれもしけるようにどす黒い色をしている。
それでも塵や埃クズはなく清掃は行き届いていた。
肩の力を抜いた明人の前で、サナが腰に手を当て自慢げに胸を反らす。
「どうっ? ここで食事するには結構な金額を払うようなんだからっ!」
「……いくらくらい?」
「聞いて驚きなさい! なんと1食、パンとスープとお野菜を食べて驚きの30ラウスよっ!」
「奴隷街換算にすればおよそ30日分の対価か……割に合わないな」
未だルスラウス大陸での貨幣価値が理解できない明人には、その驚きどころもわからない。
しかしうまい具合に弾む突きだされたサナの胸元をすべからく凝視することも忘れなかった。
その横でクロトは、やけにおどおどと周囲に目を配る。
「だ、だいじょうぶかな? ぼ、僕こんなところはじめてくるんだけど……」
振れた黒い髪が右へ左へ乱れた。それでも胸元は、襤褸で隠したまま。
「へーきへーき! これでも結構貯蓄はあるんだからっ!」
「うんうん! クロトががんばるっていうから、わたしたちも奮発するよ!」
双子は、「ねーっ!」と体ごと傾けてニコニコ微笑みを重ねあう。
それから面々は、そそくさと古っちゃけて立て付けの悪いテーブルを囲った。
座り位置は当然クロトの脇を固めるように双子が座って、間を開けるようにして明人とフィナセスがくっついて座る。
パチリ。明人は、腰に帯びたポーチから歪な凹凸のある雑嚢をとりだす。
膝において開いてみれば、なかにはぎっしりと金銀胴のラウス貨幣が詰まっていた。
「ひのふのみーの……。足りるかな?」
「全然足りるわよ? っていうか、結構剣聖様のところで稼いでるのね。ちょっとくらい奢ってよ」
「別にいいけど?」
「やった!」
二言三言フィナセスとやりとりを交わして。
クロトたちに気どられぬように、明人はこそこそと銅貨を財布から抜きだす。
地球からやってきた人間の作り上げた840ブランドは、発展途上であれ確実に実を結んでいた。
戦災復興でこそ土木作業は、財を成すというもの。ドワーフ種の数が減ってしまったこともあって仕事は、ひっきりなしにやってくる。
「……ん?」
ゆうゆうと胴の貨幣を数える明人の手がピタリ止まった。
――なんだ今の違和感?
そしてなにかを聞き逃したことを改める。
漂う違和感が確信になった瞬間体中に電流のような衝撃が駆け回る。
油の切れた錆鉄のように首が回った。こぼれそうなほどに剥かれた黒い瞳が、腕にへばりつく銀を見下げる。
すると眉にかかった前髪を揺らしてフィナセスは、意外そうに目を丸くした。
「なに? まさか自分の正体がバレてないとでも思ってたの?」
ひそひそ。耳に吐息と真実が突き刺さる。
それを聞いた明人は、即座にフィナセスの肩を引き寄せてテーブルの下に潜り込んだ。
「な、ななな、なな、ななな……!」
バクバクに鼓動する心臓。言葉にならない現実が喋る間に間に邪魔をしてくる。
一方でフィナセスは、涼しい顔をして手をパタパタと振った。
「いいからいいから他言はしないわよ。それに聖女様を救いたいんでしょ? 目的はいっしょだから邪魔なんてしないって」
「なな、なぬの、なねなな、ねな……!」
当初の予定では、己の正体を誰にも悟られずに立ち回る段どりとなっていた。
でなくば、命の危機に瀕する事態が起こりえない。
ヒュームを恐れて警戒する敵の元凶。人の口には戸が立てられないという言葉通りにあれよあれよと伝聞が広まる可能性すらあった。重ねて翻る道理の解明のためにも情報を閉ざす必要性がある。
ひとつ間違えれば、オペレーション獅子身中の虫は音を立てて瓦解するだろう。
発汗する全身に、冷え切っていく手足の先端。男と男女の頬と頬とが触れ合う距離で明人は、予定外の自体に震える。
「なぬの、ななぬになななななな……!」
「え? なんで剣聖様のとこからきたのを知ってるのかって?」
ルスラウス大陸七不思議のひとつ。言葉でなくとも翻訳される。
得意げにフンスと小鼻を膨らませたフィナセスは、きめ細やかな指をくるくると回した。
「だって私、結構前にダープリと会ったことあるわよ?」
眩しい晴れやかな笑みの前で、迫真の顔が凍りつく。
ままならない状況に追い込まれた明人は、ひとまず呼吸を整える。
くすくすと楽しげにフィナセスは、唇で優雅な弧を描く。
頬が触れ合ってじんわりと暖かい。前を見れば、しなやかな足が6本並んでいた。
そんな緊張に包まれるテーブルの下。反して颯爽と現れたウェイターの爽やかな声が耳に入ってくる。
「いらっしゃいませー。5名様ですねー?」
唐突に嬉々として盛り上がったサナとルナは、驚きを孕んだカナリヤのような声で接する。
「あっ! アナタあのときの!?」
「あっ……! あのキレイな妹さんを連れてた方ですよねっ!?」
「おや? ということは、アナタも売屋街の?」
「そうですそうですっ!」
「こんな偶然ってあるんですねぇ……!」
聞き覚えのある声だった。
そして明人の顔面は、もはや石像のようにすすけていた。
ゆっくりと穴ぐらから顔を覗かせるモグラのように。フィナセスごと引っ張り上げてテーブルの様子を眺める。
するとウェイターである男は、こちらを見て配膳前のコップから水をこぼした。
硬直する明人と、見上げられた青年。見つめ合う黒と黒。
悪意のない笑顔が引きつるようにして蒼白へと変わっていく。
「ふ、ふふ、ふにふに――フ ニ ー キ さ ぁ ん ッ ! ?」
「 ゾ ン ビ 兄 ぃ ! ? 」
救済の導、終焉なき腐肉食いハリム・E・フォルセト・ジャールがそこにいた。
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