177話 ちっぽけな世界で生まれる奇跡 5
奴隷とは
身を売り
身を削るもの
友は
恋は
愛は
普遍的で懐疑的で
奈落に落ちる
だから
初めて求めを口にした
ぎゅう詰めの星々のなか。はちきれんばかりの蒼い月が星の子たちを連れて傾きだす。
奴隷の住む貧民街をでて、商店街をも通過し、足元にある裕福な街並み顔を見せる。
「……どこまでいくの?」
「……」
「ね、ねえ? ここって僕がきていいような場所じゃ――」
「っせぇな。黙ってついてこいって言ってんだろ」
「……わ、わかったよ……」
バアルノスに後につづいておよそ半刻ほど経った。
むっつりと口を引き結んだクロトは、変わっていく景色に戸惑う。
それはおよそ夜から昼に向かうようなもの。綺羅びやかな街並みは、ところどころに《ライト》の魔法が咲き誇る。
石組みの四角い住居に、屋台ではない店もぽつぽつと建ち並ぶ。およそ幕屋ばかりの貧民街と比べてその景観は、雲泥ほどの差といえた。
クロトを見て顔をしかめ隣を通り過ぎる者たちは、皆同様に清潔で高貴な身なりをしている。
切り立った崖のような防壁の向こうには、ひょっこりと聖都の城の頂点が顔を覗かせていた。
ここは、聖都の中央にもっとも近い。奴隷街でも裕福な者のみが住まうことの許される地域だ。
――バアルノスにとっては日常なんだろうけど、僕とはやっぱり住む世界が違う……。
だからこそクロトにとっては、憧れることすらおこがましい天上の地だった。
夜更けだというのに往来は、なかなかに太い。
貴族然と優雅に夜を踏む者たちは、クロトを見て鼻をつまみ、眉をしかめる。衣服が異臭を放っているせいか文字通りの鼻つまみ者。
バアルノスとの会話は皆無に等しい。話しかけても返事がない。
ただ黙々と筋肉の|躍動する背を見つめてクロトは、歩く。
――ここ、は……?
するとまた街並みに変化が起きる。往来の足がぽつぽつと止まり始めた。
思わずクロトも、きょろきょろと首を回して黒に溶ける髪を散らす。
街道の左右には、やけに艶っぽい格好をした女性たちが立っていた。
ドワーフエルフマーメイドワーキャットに、当然ヒュームもいる。まるで品物の如く薄い生地に身をまとって肌を露出させてたたずむ。
ひとりのヒュームの男が無表情でほぼ布1枚を帯びた褐色の少女を、ひょいと担ぎ上げた。
幼い見た目の少女は、抵抗すらしない。男に担がれた少女は、力なくそのまま後ろの趣味の悪い看板の掲げられた店のなかに消えていく。
「ああ……。ここが花の売屋街か……」
ぽつりとこぼしてクロトは、生気のない眼をした商品たちの将来を思う。
売れているうちは華だろう。しかし売れれば、当然のように闇にとり憑かれる。
行為によって得た病を治す薬は、目が飛びでるほどに高価だった。
落ちたら最後の泥の沼。バアルノスの専属であるサナとルナは、ゼロとは言わずともそうなる確率は限りなく低い。それを希望ととらえるかは、当事者次第。
「おい、クロトよぉ」
顎としゃくるような低い声がクロトの思考をかき乱す。
正面を向けばバアルノスがいつもの糸目に薄ら笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
のっしのっしと我が物顔で歩く姿は、仕上げられた体格も相まって堂々たるもの。
しかし体格ばかりが理由ではない。バアルノスが道の真ん中を歩くと自然と道が開いていく。
脇に引いた者たちは、へこへことこうべを垂らして道を譲る。
不思議ではない。ここは、花の売屋街は、管理者バアルノスの管理区域である。
てっきりバアルノスは怒っているのかとも思っていたクロトは、やや安心して友の呼びかけに応じる。
「……なに?」
「オマエ、あのふたりのことどう思ってんだ?」
微かな|間が空いた。
それでも足は止まらない。ちょこちょこと足を繰りだせば、やはり仕事のダメージがずっしりとのしかかる。
「好きだ」
疲れの色を感じつつも包み隠さず直接的にバアルノスへ、ふたりへの思いを口にした。
「……そうか」
短く切るように、かつ重々しく答えたバアルノスは、ひょいと前を向く。
歩幅は変わらず。棍棒の如き腕は振り子のように揺れる。
前を向いてしまったバアルノスの表情はわからない。それでもクロトは、恋敵に初めてふたりへの思いを告げたことを後悔しない。
バアルノスがふたりを心から愛していることをクロトは、知っている。異常的な執着心は、管理者となる前からすでに有していた。
助け合う面々の輪に、なんだかんだ理由をつけてバアルノスは、入りたがっていた。それを察したクロトが嫌がるサナとルナを説得した。
金銭的や食料ともに助け合う日々。それでも決してサナとルナがバアルノスへ壁を隔てていた理由は、女性特有の危機察知能力だったのかもしれない。
そしてとうとうふたりに受け入れられないままバアルノスは、管理者となった。
「おっ、この辺でいいか」
ふいに立ち止まるとバアルノスは、うやうやしく振り返って手でクロトを誘導する。
「ほら、先にいけよ」
いかつい顔が人懐っこいフランクな笑みを作る。
「あ、ああ。うんわかったよ」
付き合いが長いクロトは、言われるがまま建物と建物の隙間、路地裏の影に足を踏み入れた。
長い長い廊下のような狭間は、まるで谷底のよう。上を見れば星空の天幕が1割ほどに遮られる。
迫りくるような両脇の壁は、かび臭い。足元の石と石の間から苔草が生えていた。
「…………っ」
あまり手の入れられていない空間に入れられたクロトは、心配を象って眉を寄せた。
しかしその小さな骨ばった少女の如き背には、友の大きな手が添えられていた。まるで押さえるかのように。
「な、なあ、どこにつれていくつもり?」
愛らしい顔がますます不安に満ちていく。
「んな警戒すんなって。すぐに着くさ。もう少ししたら広い場所にでるからよぉ」
それでもバアルノスは、ニコニコと意味ありげな笑みを崩さない。糸目はますます細くなる。
往来の光が小さくなっていく。喧騒が耳から離れて粛々とした夜が返ってくるかのよう。
路地を抜けると行き止まりが見えてきた。近づいていくたびに臭気が濃くなっていく。
「ここだ。ここで今から友だちのオマエと大切な話がある」
とん、と。背を押されたクロトは、転がるように開けた空間に押し込まれる。
「おっとと!? なっ、なにするんだ!?」
腐臭があふれる空間をクロトは、ぐるりと巡り見た。
壁に沿ってズタ袋が積み上げられている。ブンブンと不快な音を奏でて虫が舞う。
闇を駆る小さな影が、チチッと鳴いて乱入者に不満を言ってくる。
路地裏が終わってポッカリと四角く開いた広い環境は、どうみてもゴミ捨て場だった。
まるで逃さないとでもいいたげにバアルノスは、唯一の脱出口に陣どる。
ひやりとする寒気を感じたクロトは、腐臭に入り混じった死の臭いを嗅いだ。
「は、話し合いっていったよな!? なんで話し合いでこんなとこ――」
がんばって息巻いてみせるクロトの視界から突然バアルノスの影が消失する。
「――ッ!?」
そしてクロトは、あまりに意外な光景を前にして息を呑む。
「頼むッ!! あのふたりを説得してくれ!! オレのところにくるようにクロトが後押ししてやってくれ!! 頼むッ!!」
おもむろにひれ伏したバアルノスは、ゴミや虫の死骸の散らばった石畳に手をついて、頭をこすりつけた。
「オマエがふたりに言えば、きっとオレにも心を開いてくれるはずだッ!! オレは、どうしようもなくサナとルナが好きなんだッ!!」
藁にもすがるような、がむしゃらな、そんな願い。
バアルノスがこの場所を選んだ理由を邪推したクロトは、己を恥じた。
バアルノスは、最初からこの場所で恋敵である自分に頭を下げるつもりだったのだ、と。
「……頼み、か」
「そうだッ!! 必ずサナとルナのふたりを幸せにしてみせるッ!! オレになら――管理者のオレだからこそできるはずだッ!!」
管理者である権限をもったバアルノスは、汚れきった地に額をつけて格下である者に懇願する。
「…………」
その真剣な願いを聞いたクロトは、しばし考えた。
友がこれ以上無様を晒さぬようなるべく簡潔に。
サナとルナは、ずっと一緒にいたいと言った。
対してクロトは、身勝手にふたりを手放そうとした。
そして信頼している友は、クロトの手放そうとしたサナとルナを身のふり構わず、生き恥を晒してまで欲した。
クロトは、バアルノスを友として。
バアルノスは、サナとルナに恋して。
サナとルナは、己と共にいることを願う。
友情と恋愛が複雑に交錯する三角関係が築かれていた。
しかしバアルノスは、やってはならないことをした。それはサナとルナの意思を無視しての行為。
そしてそれは、クロトも似たようなことをしようとした。サナとルナの意思を無視しての突き放し。
だからクロトは、未だ背を丸めて姿勢を崩そうとしないバアルノスに、恋敵に、落とし所を突きつける。
「じゃあ、わかった」
「ほ、本当かっ!? 本当にふたりをオレの物に――」
「サナとルナに決めさせよう。オレたちの意思じゃなくてサナとルナにどうしたいのか選ばせるんだ。オレにもふたりの運命を決める権利なんてない」
頭を上げて晴れやかな笑み。
糸目の端にくしゃりとシワを集めていたバアルノスの表情が、まっさらに切り替わる。
クロトのだした結論は、良くいえば自由意志の尊重。悪くいえば丸投げ。
権力による横暴をまかり通らせる友を良しとせず、ふたりの気持ちを汲んでやれない唐変木である自身も良しとしない。だから折り合いをつけるのであれば、当事者全員が首を縦に振らねばならないとした。
もし、ルナとサナがバアルノスのもとへ行くとする。それでもクロトには、ふたりの幸せを願って首を縦に振る覚悟がある。それほどまでに恋敵である友を、信頼していた。
「そうか……そうかよ。ここまでやってやってんのに……」
不意にその巨体が往来の光を背負ってゆらりと立ち上がる。
うつむいた角ばった顔に黒をまとって袖のない白いシャツから伸びた骨太の腕がだらり、垂れ下がる。
それを肯定ととったクロトは、身軽な足どりでその横を通り抜けようとした。
「じゃあ今からふたりのところに帰ろう。はぁー……明日は、絶対に寝不足だなー……」
すると肩にぽんっと、がっしりとした分厚い手が乗せられる。
「……っけんなよ?」
「えっ?」
「――ざっけんなっつってんだろっ!!!」
猛りを耳に。肩ごと毟りとられそうな勢いでクロトは、弾き飛ばされた。
「ぐっ!? うぅっ……」
散乱するゴミにぺたんと薄い尻をついたクロトは、肩を押さえてうめき声を上げる。
なにが起きたのか脳が理解できなかった。友に突き飛ばされたということだけは、肩の痛みでなんとなくわかった。
「オレがどんだけアイツらを手に入れるために努力したと思う!?」
糸目をこれでもかというほど開いたバアルノスは、矛を収めるどころかより喉をぐらぐらと鳴らした。
「金と権利があればコロッといくだろうと思って管理者を目指したんだ!! 元管理者の傲慢ジジイの靴を舐めてまで媚びへつらったんだぞ!?」
ゴミすらも吸収しきれぬ反響する怒声。
ツバを吐き散らして岩のような肢体を振り回す。
「それなのになんだ!? あのクソアマ共ときたらいっこうにすり寄ってこねえ!? どんだけ優しくしても、どんだけ贅沢させても、オレに見むきもしねえ!?」
体中の筋の筋がヒクヒクと痙攣する。
まるで有り余った怒りがその身体に注ぎ込まれるかのように。
「しまいにゃ諦めたから好きにしろだァ!? 体はだけは好きにしろ、ってか!? ざっけんじゃねえぞォ!?」
そこまで言ってバアルノスは、怒りを飲み下すようにゴクリと喉仏を脈動させた。
噛み閉まった黄色い歯が、ぎちぎちと冷めやらぬ興奮を奏でる。コブのようなボール状の肩が脂ぎって濡れる。
「オレがどれだけ苦汁を舐めてここまで上り詰めたと思ってやがんだァァァ!!?」
バアルノスが怒る様を初めて見せつけられたクロトは、虚脱し、震えて青ざめることしかできなかった。
相手は、友であった。しかしそれ以前に管理者である。逆らえば未来は、ない。
そんな萎縮したクロトを見下すようにバアルノスは、赤い顔で上向きのほらほらとした鼻を広げる。
「フンッ! 昔からテメエのことがずっと嫌いだったんだ。オレがようやくできるようになったことをオメエは、なんでも小器用にこなして。オレには手が届かないようないい女をいっつも引き連れて。見せびらかすようにべったべたにくっついてよぉ」
「そ、そんなことは……!」
反論しようとするもクロトは、恐怖とショックで言葉に詰まってしまう。
するとバアルノスは、勝ち誇ったように大木の如き腕を組んでニタリと余裕の表情を見せた。
「しょっぱなは、ぶんどってやるつもりだったんだぜぇ? んで、目の前でオマエの女がみすぼらしく堕落していく様を見せてやろうってなぁ?」
言葉通りの意味でとらえるのであれば、ただのやっかみ。
バアルノスを友であり恋敵であると信じて止まなかったクロトは、目を白黒させることしかできない。
「ば、ばあるのす……?」
「クッ――クハハハッ! 初めてのときはサナとルナは、最高だったぜェ? それだけはやめてー、いやあああクロトークロトー、なんつって顔グッチャグチャよ。まっ、今ではもう言われるがままだけどなァ?」
そう言ってベロリと舌を根本が見えんばかりに突きだして指を触手のようにうねらせる。
サナとルナが傷つけられる光景が、見たこともないのに脳でフラッシュバックされる。屈辱にまみれたクロトに恐怖とは別の感情が生まれるのがわかった。
しかしそんなことは露知らずとでもいいたげに。よだれを拭ったバアルノスは、邪悪な笑みでつらつらとつづける。
「アイツらも気の毒だよなァ? ヒヒヒッ! 自分の好きな男が、全然好きでもない男の手のひらの上で転がされてるのをしらねーんだぜェ?」
トクリ。クロトの冷え切った心臓が鼓動を早くした。
煮えたぎるような業火の如き血潮が体内をめぐり始める
「金も物も、必要以上に与えられた。だが、ゴミクズ程度には体裁があるから楽な仕事をする。楽を知っちまったテメエがどんどん落ちていくのは――ヒヒヒヒッ! 見ていて愉快だったなァ!」
脳が情報を蓄えて疑問が確信へと少しづつ流れていく。
「かたや堕落したオマエを眺めながらサナとルナは、オレの腕の中よォ!? あの晩もすごかったぜェ!? 金で動かされた男に剥かれた夜もなぁ!?」
そう言ってバアルノスは、空を抱くように長い手を広げて、ゲラゲラと笑った。
「ヒャーッヒャッヒャッヒャ!!」
友からの施しに手をだしたクロトは、知らぬ間にその術中に嵌らされていたということ。その上、友という関係すらただの肩書きだった。
すべては嫉妬と情欲。クロトをどん底に叩き込み、ルナとサナを己の道具にするため。
その姑息さは、本人が気づかぬほどにやり方が巧妙だったのだろう。今こうして初めて拳を握りしめた、武器を手にした当事者のクロトですら思いだせないほどに。
「て、めぇ……! テメェ……!」
血が湧き立つ感覚。吹き荒れる激の感情。
体現するかのように愛らしい少女のような顔が憤然とした激昂に彩られる。
堅く握られた小さな拳は、骨ばって4つの球体を作る。
ゆらゆらと赤らむ視界に敵をとらえてクロトは、大地にたつ。
「ハーハッハッハ! オマエはなんも知らねーんだよォ!? クフッ――グヘヘヘヘッ! オレだけだァ! あのふたりの味も、泣き方もォ!! ぜーんぶ知ってるのはよォ!!!」
クロトは、敵に向かって歩む。
1歩には、対象への怒りを。
2歩には、不甲斐ない自分への後悔を。
3歩歩いて振りかざし、宝物を傷つけた報いを。
「バ ア ル ノ オ オ オ オ オ オ ス ッ !!!」
「ヒーヒヒヒヒ――ハヒッ?」
高く打ち込んだ体重の乗っていないなよなよの拳は、見事にバアルノスの頬に食い込んだ。
その口の端からたらりと鮮血が漏れる。1本の筋が帯のように流れる。
しかしまだ足りない。1発だけで息を荒げたクロトは、怒りに任せて二撃目をくりだす。
「はああああ!!」
振り抜きから攻撃までおおよそ一秒。
直後、拳バアルノスの頬を貫く直前。さっ、とその頬の横にもうひとつの手が疾風の如く生えた。
「――ぐッ!?」
振りかざし突きだした拳が獲物に当たらず、何者かによって包むように握られる。
衝撃を殺すなめらかな感触とテコでも動きそうにない圧倒的な力量差がそこにはあった。
「……な、なん、なんで……? なんでだ……!?」
余裕の鬼気迫る笑みのすぐ横から、ゆらりとでてきた影を見とらえる。
赤い顔を青くしたクロトは、心身ともに絶望へと誘われた。
フリージングされたクロトをよそにバアルノスは、得意げにその影へ語りかける。
「どうですぅ? こいつ犯罪者ですよぉ? 見ィてくださいよォ! ケガさせられちゃいましたァ!?」
銀糸の髪は、透けるように闇夜に泳ぐ。
銀燭の瞳は、星の如く光輝く。
「そうだな。ああ……まったくもってそうだな」
ゴツゴツとした皮の鎧は、細やかな傷はあれど精錬な白い色をしていた。
腰に帯びた剣鞘は、美しい装飾と十字架が描かれている。
暗い黒に浮かぶ銀箔の如き男は、まごうことなきサナとルナを助けた絶対支配の上位種。エーテル族だった。
「はぁ……。では、退いていろ。本当に……オマエは管理者として優秀な男だな」
そう言ってエーテルの男は、ダルそうにバアルノスをどかしてこちらに向かって手を掲げる。
「はいっ! フィナセス様! コイツにきっちり制裁してやってください!」
横目で弧を描きこらえきれぬ喜びを浮かべてバアルノスは、従順に横へとずれる。
掲げられた手が輝きを増していく。奴隷街の民草が恐れおののく魅了の光。
それを見つめてクロトは、2度と会えぬ双子の残影を脳に刻んで忘れぬよう、心無い涙を流す。
「あ、あああ……! そん、な……!? こんなぁっ……! こんな終わりかたって……!」
もしも自分が魅了によって生ける屍となれば、サナとルナはどんな顔をするのだろう。
泣くだろうか。それとも自分と同じ道を選ぶだろうか。はたまたバアルノスの玩具として落ち延びるのだろうか。
死の直前になってもその目には、双子の幸福な笑顔がこびりついて離れなかった。
「た、すっ……。た、たすけ……て……」
震える唇は、音を紡ぐ。
眼前に矢を突きつけられたような状態でクロトは、絶対的な死を拒んだ。
愛するもののために、求める。
「サ ナ ッ ! ル ナ ァ ァ ァ ッ !」
そんな断末魔の如き悲鳴を上げた視界の端で異変が起こった。
「ざまあみやがれェッ!! クロトォォォッ!! これでアイツらもオレのもん――いぐっ!?」
小躍りでもはじめそうなほどにひょうきんなバアルノスは、喜びのままに――
「――ン、ヒ……ぎィィィィィ!!!?」
突然、舌を詰まらせたような奇声を発した。
目は見開いたままに黄色歯を見せて、隙間からごぼごぼと空気を含んだ唾液が吹きだす。
ぐらり。巨体が倒れる直前にクロトは、バアルノスの股下から何かが生えているのを見た。
その刹那。エーテルの男の背の向こう側。
神の印でもある蒼月の如き蒼が、奴隷たちの住まう闇の底で迸った。
☆☆☆☆☆




