176話 ちっぽけな世界で生まれる奇跡 4
手放す決意は
勇気か惰性か
強い心と心を抱き寄せて
涙する
別れの足音は
すぐそこに
いつもよりも少し豪華な食事を終えた面々は、寝る準備に入っていた。
クロトを真ん中においてひとまとまりになるようサナとルナが両隣に座る。その下には、枯れ草に汚らしいシーツを一枚あるだけ。
こうして温め合わねばすでに夜は寒い。なにせ布の家は、隙間風どころか風そのものを通すほどに薄い。
「えへへーっ! クロトぉ!」
甘えるような声をだしたサナは、こてっと尾のように結った髪と一緒にクロトの肩に頭を預けた。
まだ微かに湿った髪からは、オスを誘うような芳しい香りが立つ。
ツンと澄ましているぶん甘えるときはとことん甘える。それがサナだった。
対してルナは、それほど積極的にくることが少ない。
付き合いの長いクロトは、ルナの細い肩をそっと抱き寄せる。
「……うふっ!」
すると安心しきった顔でルナは、胸板にごろごろと鼻先をすり寄せた。
横に垂れた髪も嬉しそうにぴこぴこと動く。衣服越しに肌と肌が重なり合うえば寒さもやわらぐというもの。
くすんだ色をしたブラウス越しに女性特有の柔らかさが伝わってくる。痩せた身なりに反して豊満なそれは、たわわに起伏を強調する。
……………
奴隷街で他者との繋がりは、おおよそ希薄だった。
関係をもつものはもつ。しかし生に意味を見いだせないものの大半が孤独に生きようとする。
しかしクロトは違った。同様にサナとルナも違う。
男ひとりに女ふたり。互いに蒼い闇のなかで寄り添うのにはわけがある。
それは幼い少女が仲の良い男の子に結婚を申し込むくらい薄いもの。それでも確かな絆だった。
愛するものと子をなして希望を光を見た親たちは、小さなコミュニティを作った。
妻を失った人の良い男と、夫婦は、手の回らない溝を埋め合うように互いを尊重し合った。
少ない金で子を育てるために情報や、ときに金品をも分かつ。そんな信頼と信頼をつなぎ合わせるためのコミュニティ。
そんな病に伏したクロトの片親と、食の不安な子供のために犯罪を犯して魅了された双子の両親がいた。今はもういない。
…………
クロトが少しばかりの欲情と格闘していると、サナがブラウスのボタンを外しだした。
ぷちぷちと窮屈そうに止められてたボタンが外れていく。まんまるの白い谷間は、頼りない幕屋の布を透かして満ちる蒼月に照らされ浮かび上がる。
「お、おいサナっ!? な、なな、なにして――」
「じゃーんっ! 昼間に裏市場でこんなもの手に入れたのよねー! しかも無料っ!」
嬉々としてサナが谷間から抜きだしたのは羊皮紙だった。
それを真っ赤になって目を背けるクロトに手渡して、そそくさとボタンを締めなおす。
「なーにー? なんかきたいしちゃったわけー?」
そう言ってクロトに挑発的な笑みを向けた。
「うぐっ……! えーと、なになに? 国の外の情報が書いてるなぁー」
毛羽立って少し汗で湿った羊皮紙に書かれていたのは、外の記事だった。
たまにこうして非正規な方法で情報が手に入る。
無論見つかれば犯罪だがこうして家にもってきてしまえば読み終えたあとは、ただの薪になる。武器や道具などに比べて処理に困らない。
なお、どうやって外から情報を得ているか一切明かされない。
「ぶぅー……クロトって案外意気地なしよねぇ」
思い切ったおふざけを無視されたサナは、見るからに不機嫌になってしまう。
唇を尖らせてじろりクロトを睨む。それでも肩へよりかかったままに。
そんなサナを眉を寄せてクロトは、愛おしげに微笑む。
そして全員で1枚の羊皮紙に書かれた文字を覗き込んだ。
「えーっと……暗いけど読めなくはないな」
ぱっちりとした目を細めてデカデカとかかれた見出しを読む。
文字から察するにドワーフ族が書いたものだろう。創造神による大陸を包む翻訳の道理によって他種族との交流は容易だった。
「たいりくへいわ? はどうののろい、かんぱいのうらがわにはー……」
闇に覆われた文字を読んでいくも、やはり暗くて読みづらい。
ロウソクはあるが使う時期ではない。もっと冷え込まなければ金の無駄だ。
すると横からずいっとルナが顔を寄せてクロトの変わりに読み始める。
「英雄結集、またもLクラスが世界を駆ける」
指先に《ローフレイム》の魔法を灯す。
照らされた紙面を歌うようにつらつらと読み上げた。
「新たなLが誕生した。彼らの奮闘はついに最終局面へ、って書いてあるよっ」
読み終えたルナは、ニコニコとクロトに屈託ない笑顔を向ける。
クロトは、先程とは別の意味で目を細めた。
「僕だって灯りがあったら読めたよ……。て、言っても覇道の呪いってなんだろう?」
「さぁ? 呪いって言うくらいだし呪術とかじゃないの?」
「わたしも聞いたことがないかも?」
三者三様に難しい顔をして唸る。外の情報が入ってくる機会は、少ない。
真実もあれば虚偽もある。今の情報も信じるか信じないかは、読者次第だった。
「まっ、別に大したことじゃないだろう!」
そう言ってクロトは、ぽっかりと大口を開けてあくびをする。
身体に溜まった労働での疲労が貴重なふたりとの時間に釘を差してくる。こらえようにも瞼は、鉛のように重い。
記事を信じたところでどうにもならない。それは別の世界の話と同義だった。
ここは奴隷街。隔絶された空間であるエーテルの聖都エーデルフェウス。
内容にすべて目を通すことなく闇のなかで悲しげに羊皮紙が燃えくずになった。
灯りが消えた途端にしんっと周囲が静まり返る。目が慣れてしまい夜が一層濃ゆくなった。
「外、か。もし逃げられたらルナは、なにがしたい?」
「んー……お花屋さんとか開きたいかも。お姉ちゃんは?」
「私は、甘いお菓子が食べたいかなぁ。もちろんこのメンバーでねっ」
「ふふふっ。じゃあわたしとお姉ちゃんとクロトで、お花屋さんしながらお菓子食べよっ」
「あははっ、いいわねっ! そうしましょっ!」
仲睦まじい姉妹は、叶わぬ願いに思いを馳せる。
こんな時間がいつまでもつづくようふたりのぬくもりの間で、クロトも形のない幻想を最後に夢見た。
だからこそ己で断ち切ると決めた。
「なあ。バアルノスのことふたりは、どう思ってる?」
ピクリ。肌越しに明らかな動揺が伝わってきた。
「最近は、ちょっとずつ慣れてきたんじゃないか? アイツ結構いいやつだろ?」
返事はない。
まるで寝静まってしまったかのようにふたりは、静まり返っている。
「僕さ……今日ふたりに言うって決めてたことがあるんだ」
口にすれば、すべてが変わってしまう。
それを理解した上でクロトは、思いをはきだそうとする。
「ふたりは僕なんかと一緒にいても幸せになんて――」
ふわり。柔らかな髪が頬をかすめて、唇に濡れた感触が押しつけられた。
虚を突かれたクロトがあまりのできごとに体を強ばらせていると、同じく強ばっているそれは、スッと距離をとる。
そしてもう1度、クロトの首が回されて、別のものが同じように唇に押し当てられた。
1秒、2秒、3秒。心臓がトクリトクリ鼓動を早める。なにをされたか理解に及ぶまでもっと時間を要した。
「なっ、なななぁっ!?」
ふたりに代わる代わるキスをされた。それだけで頭が沸騰しそうなほど煮だたった。
目が慣れてくる。そのクロトの黒い瞳に映ったのは、双子の顔だった。
もじり。珠のような肌が桜色に染まって薄い恥が見え隠れする。
「それ以上は言わないで……。私たちは、クロトがいてくれるだけでいいの」
とろけた瞳は、真っ赤になってうるうると滲む。
「うん。どんなことをされてもわたしたちは、クロトと一緒にいるって決めたの」
両サイドから迫る甘い声に紡がれる甘い言葉だった。
ルナとサナは、うるおった唇から小刻みに熱い吐息をこぼす。
どの部位よりも育ちの良い胸部が呼吸のリズムと合致して揺らぐ。
男を誘うように曲線的な尻を上げたルナとサナは、にじり寄るかの如くクロトの耳に息を吹きかけた。
「相手は管理者。だからさからえないのはわかってる」
左からサナ。
「だからわたしたちは、もう諦めたの。もう好きにさせようって」
右からはルナ。
むんっと香るのぼせてしまいそうな色気にクロトは、くらくらと目眩がした。
「ちょ、ちょっとふたりとも落ち着いて……! その、ねっ?」
しかし双子は、慌てふためくザマに嫣然と微笑んで見せた。
クロトに構うことなく主張をつづける。
「クロト。私はアナタがいてくれるならそれでいいの。ずーっと一緒にいてくれれば、どんなことにも耐えられるの」
「クロトがわたしたちを一番に考えてくれる。だからわたしたちの心は、アナタだけのもの」
腕に絡みつく熱のこもった肌と肌。
いつの間にかブラウスのボタンが数個外されており隔てるものはなにもない。
「あ、あわわわわっ!」
クロトの理性が限界に達そうとした直後に双子は、ほぼ同時に吹きだした。
「ぷっ、くははははっ! あわわわっ、だーって! あーっはっはっは!」
「くひっ……! お、お姉ちゃんそんなに笑ったら……! ぷふふっ……!」
ケタケタと腹を抱えてふたりは、涙を目に溜めながら笑う。
またからかわれた。男の純情が弄ばれた。
ファーストキスを終えた唇。口の両端を痙攣させたクロトは、真っ赤になった恥らいを怒りで塗りつぶす。
笑いの波の引かないふたりに対して眉を吊り上げて怒鳴りつけた。
「お、おおお――オマエらあ!? 僕は、本気でサナとルナのことを思ってるんだぞ!?」
すると不気味なほどに忽然と黄色い声がピタリとやむ。
「知ってるわよ」
「うん。知ってる」
肩透かしでも食らったかのようにふたりは、素の表情に戻ってキョトンとした。
「だから私たちもクロトのことを本気で好きなだけよ?」
恥ずかしげもなくサナは、唐突に告白じみた言葉を口にした。
それにつづいてルナも肩をすくめてこくこくと細々と首を縦に降る。
「うんうん。クロトと一緒にいるためにお姉ちゃんと考えたの。だから管理者には、絶対に逆らわないって決めたんだよ。だめかな?」
そう言ってふたりは、似た顔を突き合せてにっこりと華やぐ。
深夜に咲いた2輪の月下美人。淡い蒼に彩られたサナとマナは、鼻を鳴らして向かい合う。
「っ!」
クロトは、あまりの衝撃に次ぐ衝撃の事実に慄いた。
「えっ……あっ……! そ、そんな……! そんなっ……!?」
間違っていた。そう気づくのにキスされたときほどの時間はかからない。
すべてはサナとルナのために。手放すことを決意したにも関わらず蓋を開けてみればすべては、いらぬ配慮だったということ。
それほどふたりは、弱くなかった。逆に手放して楽になろうとしていたのは、クロトの側だった。
すると不安げな眼差しがクロトに突き刺さる。
「それとも……私たちが汚れてるから嫌いになっちゃった……?」
「今のがはじめてがじゃなくてごめんね……。できればはじめてはクロトがよかったんだけど……」
決意が音を立てて瓦解する。
「きゃっ!?」
「うぇぇっ!?」
クロトは、ひしっとふたりの頭を自身の胸に抱き寄せた。
愛するふたりが変わらず愛するままにいてくれる。それがどうしようもなく嬉しかった。
この奴隷街では皆相応に諦めている。クロトも諦めて、サナとルナも諦めた。諦めた先にも未来があった。
たまらずクロトは、しゃくりをあげる。
近隣に気を使って声を殺す。しょっぱい水は次々と頬を滝のようになぞらえて、抱き寄せたふたりの顔を濡らした。
「ごめんっ……! っくが……! 僕がしっかりしなくちゃいけなかったのにっ! 僕がふたりを守らなくちゃいけなかったのにっ!」
あと一歩を踏みだしていたら失っていたという恐怖。
サナとルナがこれからも一緒にいてくれるという事実。絶望と幸福が一絡げになる。
子供のように泣き縋るクロトを見上げたふたりは、困り眉に喜び混ぜたような感情の読めない顔をした。
「もうっ! 悩んでるならいえばいいじゃない! どうりで最近やけにふさぎ込んでたと思ったのよ」
「ねっ。あんまり気を使わせないようにがんばったもんねっ」
そう言って、ふたりしてくっくと白い筒のような喉を鳴らす。
小さな部屋の端っこでぼんやりとクロトたちは、ひとつに固まる。
身の置き所がないことを和と呼ばない。和とは、平静であって無事であること。不安を抱えて身を委ねることは、和でなく愚である。
本物の安寧を両手いっぱいに抱えたクロトは、真に前を向くことができた。
蒼い夜。神が微笑むようにして、中天から暖かく奴隷たちを見守る。
ずびずびと鼻をすすって引き気味に息を吸う音が幕屋に木霊した。
クロトの鳴き声に耳を傾けるようにしてサナとルナは、安息の表情で目を閉じる。
すると突如、同時にびくっと全身を震わせた。
それに気づいたクロトも絶え間ない涙を顎から垂らしつつ、顔を上げる。
「……あし、おと?」
ざっざ。すり引くような傲慢に振る舞うが如き足音が、薄布の向こうから近づいてくる。
聞き馴染みのある足音に思い浮かんだひとりの顔。
ひらひらと風になびく心もとない布戸が無作法に、ずるりと紙のように、破り裂かれた。
その男の顔が顕になった途端。サナとルナは、声もださずに表情を引きつらせる。
カタカタと震え、どんどん血色が失せていく。
「おーす! ちぃっと知覚でもよおしちまったんで借りにきたぜぇ!」
鍛え上げられた肉体は、およそ巨漢と呼ぶにふさわしい。
ソリの入った角刈りは、威圧的で血気盛んさを臭わせる。
体躯を包む涼やかな格好とは裏腹に。糸目は、限界まで押し開かれていた。
「ひっ……!」
「いや、っ!」
サナとルナをしげしげとまるで飢えた獣の如く観察して、べろりと大きな舌で厚い唇を湿らせる。
ニヤリと口元で曲線を描くと黄色がかった歯が見えた。
「よーっす。休みにしておいてなんだが、やっぱり…………チッ!」
舌打ち。不機嫌を体現するかのように顔のシワが中央による。
「あーあー。おいおいおい……ちっとよぉ、クロトこっちにこい。向こうで話があんだよ」
夜更けに現れたバアルノスは、出口を塞ぐように石像の如くたたずむ。
絶対的管理者を前にしたクロトは、鮮やかだった現が徐々に色褪せていくのを理解する。
「あ、ああ……。わかった今行く……」
名残惜しさを残しつつルナとサナから体を離して、立ち上がった。
怯えながらも伸びてくるふたりの手を優しくどけてクロトは、バアルノスの後につづいた。
なぜかもう双子の元へ返ってこられない気がした。
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